第175話 なお、パッキパキに張り詰めているとする

 喉がカラカラに乾いている。最後に水分を摂取したのは、いつだろう。多分、エクセルに来る前にサイダーを飲んだと思う。でも喉を潤す目的じゃなく、ただ惰性でそれを口にした。喉なんて乾いていなかった。それからあんまり時間は経っていないはずなのに、今の私はひからびそうになっている。


『つまり、あなたは知恵を性的な目で見ている、と?』

『それはどうかしら。私はただ、あのピアスは何なのかしらって聞いただけだけど』

『その後に言った。なんだかいやらしいわね、と』

『そうねぇ、言ったわ。だっていやらしいもの』


 誰かあいつらを止めろ。

 このままだとバーチャル空間が歪む。


 私はモニターを操作して菜華・井森さんペアの動向を観察することにした。チャンネルが合わさった直後から、灼熱のような極寒のような空気が私を襲っているのだ。


 この二人をどういった目的で組み合わせたのかは謎だけど、それにしても人格的な相性というものをもう少し考慮すべきだと思う。仲良くできるのか反発し合うのか未知数だし、反発し合ったときの被害がどう考えてもデカい人選は避けるべきだよね。

 それとも、まさかこれも先生の思惑通りなのだろうか。二人とも、鬼瓦先生から見れば、このクラスの中じゃかなり馴染み深い生徒だろうし。菜華はラーフル奪還作戦の時に協力してるし、井森さんはクソ村の一件があるし。確かに、二人のアームズを考えれば、近接と後衛でなかなかバランスが取れているように思える。どうだろう。私は答え合わせをするように、ちらりと先生の顔を盗み見た。


「あっ……」


 彼は額を押さえて「あちゃー……」という顔をしていた。分かった、よく分かった。想定外の喧嘩だったんだね、はい。

 彼は何故か私達を、とてもいい子達と思っている節があるので、こんな風に常人がその場に居合わせたら気が触れそうな空気を纏って言葉でバトる展開は思いつかなかったのだろう。しょうがないね。でも、この二人はどう考えてもヤバいでしょ。


『いいじゃない、教えてよ』

『……私がやった。知恵のピアス』

『やっぱり。そんなことだろうと思った』


 うわ知恵めっちゃ可哀想。私以外にこの二人の様子をモニターで確認していた人がいたらどうすんの。しかし、知恵はバカだった。これについては私の予想が甘かったと、言わざるを得ないだろう。


「っわぁー! 菜華! バカ! なんで言うんだよ!!」


 おわかりだろうか……。


 彼女はたった今、「菜華が知恵に関する爆弾発言をしている」と、周囲にアピールするようなリアクションを取ってしまったのである……。


 おそろしい……本人はそれにまだ気付いていないらしいことが、本当に恐ろしい……。


 周囲を見渡してみると、戻ってきた生徒達は一斉にモニターのタップを開始していた。いやそりゃそうなるわ。私だって見てなかったらモニターいじってたわ。


 知恵はまだ気付かない。モニターの端を掴んで、二人の会話を固唾を飲んで見守っている。おそらくは、これ以上爆弾発言をしてくれるなよ、と心の中で祈っているのだろう。本当に可哀想。

 しかし、そんな祈りは届かないのがこの世の常である。菜華と井森さんは、まさか自分達が誰かに聞かれているとは思わないのだろう、構うことなく会話を続けた。


『乙さんとはもう長いの?』

『……? 知恵はどちらかというと短い』

『そうなの』

『? それくらい、見れば分かる。私やあなたの方が長い』

『身長の話はしてなかったな』


 何その解釈。意味不明過ぎるわ。

 それでも、何やらヤバそうな秘密を暴露されるよりかはマシなのだろう、知恵は「菜華いいぞ、いいぞ菜華」と何故かモニターの中の彼女をベタ褒めしていた。

 ちなみに声のボリューム調整はできなくなったらしい。普通に私の席まで聞こえる。そんな知恵を、志音も気の毒そうに眺めているところだ。


『ところで、バグは?』

『え? 私は鳥調さんについてきたんだけど』

『……? 私だってあなたについてきた』

『……つまり、二人とも場所を把握していないということ?』

『そうなる』


 え……今までこいつら、お互いについて歩いてるつもりだったの……?

 かなり明確に獣道を曲がったりしてたのに……?

 あれ全部なんとなくやってたの……?


『もっとしっかりしてるんだと思ってた』

『それはこっちの台詞』

『……バグを探す前に、どうしても決めなければいけないことがある、分かるわよね?』

『もちろん』


 まさに一触即発の空気だった。立ち止まった二人は見つめ合い、いや、睨み合って互いを威嚇している。


『呼び名。私のこと、なんて呼んでいいのか分からないんでしょう』

『分からないという程でもないけど。改めて考えると二人で話したことがなかったし、知恵なら下の名前で呼んでいてもおかしくはないと思ったけど、それを知らないとさっき気付いた』


 紛らわしいんじゃボケ。

 一触即発というのは私の勝手な勘違いだったらしい。二人は実に微笑ましい内容でコミュニケーションの取りにくさを感じていたようだ。

 でも、私以外にもいたと思うな、これから殺し合いが始まるって思った人。隣を見ると、志音は明らかにほっとしていた。絶対私と同じ早とちりしたでしょ。


『私の下の名前、知らないってことはないと思うけど』

『忘れた』

『もう。碧、これで覚えた?』

『……碧』

『なぁに?』

『名前を口にしただけで呼んだわけではないのだけど』

『そう』


 やっぱりなんかギスギスしてる気がする。私は二人のなんとも言えないやり取りを見守り続けた。草むらを掻き分けた井森さんが呟く。『乙さんは誰と組んでいるんだろうね』と。瞬間、菜華の目が鋭くなる。


『知らない。ただ、知恵は強い。相手の特性を理解し、的確に動ける。誰が 一 時 的 な相方になろうと、きっともうリアルに戻っているはず』


 ”一時的”ってめっちゃ強調するじゃん……。知恵と一緒に実習に当たれなかったことが余程悔しいのだろう。志音は言い訳をするように「いや、あたし悪くねぇし……」と呟いている。

 まぁリアルに戻ってきてるってのは大正解なんだけどね。実態は知恵が何かをする前に見せ場を奪うように、この阿呆がさっとバグを倒したんだよね。


『早く帰って知恵の家でギター弾きたい』

『やっぱり乙さんの家でも相変わらずなのね』

『当然』

『その間、乙さんは何をしているの?』

『さぁ、覚えていない。本を読んだり、パソコンをいじったりしている気がするけど』

『普通、彼女の家に行って放置するなんてしたら怒られるわよ』


 さらっと彼女と言っていて笑ってしまった。私の視線の先にいる知恵は再び戦慄しながら「おいおい」とか「待て待て」と言っている。まぁ、あんたらについてはみんな察してるから大丈夫だと思うよ。うん、実習室内がざわついているけど、この際無視しよ。


『じゃあ知恵は普通じゃないんだと思う』

『鳥調さんがそれを言うのね』

『どういう意味?』


 知恵は立ち上がってモニターを掴んでいる。分かるよ、普通じゃないのはお前だよって言いたいんだよね。知ってる。っていうか私も思った。後ろの席に座ってる私から見ても、知恵は顔を真っ赤にしている。だけど、地獄はここからだった。


『ちゃんと構ってあげた方がいいわよ』

『することはしてるから平気』

『あら。私ったら余計なことを言ったみたいね』


 いやもう本当にね。

 知恵は現実逃避するようにモニターを操作している。多分他のペアを観始めたんだと思う。ただただ可哀想。


『……何かが近づいてるわね』

『やっと』


 明らかに二人が発したものとは別の物音がした。彼女達の視線の先には、なんとセダンタイプの車があった。誰も乗っていないのにエンジン音を轟かせて二人と対峙している。

 菜華はいつも通りギターを呼び出す。井森さんは、私と一緒に戦ったときは斧を使っていたけど、あのバグと相性がいいとは思えない。どうするのだろうと思っていると、彼女は笑顔でアームズを呼び出した。その手には、馬鹿デカい鉄製のハンマーが握られていた。

 ブオンとそれを振り上げて肩にかけると、井森さんはバグを見つめたままくすりと笑う。


『ボコボコにしてあげる』


 井森さんこわい。確かに斬るよりも叩いた方が良さそうなのは分かるけど。それにしても容赦なさすぎ。彼女がそう言った瞬間、実習室内が少し色めき立った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る