第161話 なお、すーんすーんすーんとする

 ——色々考えたんだけどね


「は、はい」


 先輩は不思議な人だ。纏ってるオーラやスペックもそうだけど、それに輪をかけてこうして謎の電話を掛けてきたりするんだから。

 私は突然の着信に驚きつつも、声を上擦らせながらなんとか応対した。


「はい。はい。え? 志音もですか?」

「なんだ?」

「息止めてて」

「息止めてて!? 静かにしろじゃなくて!?」


 私達のやり取りを聞いて、先輩は電話の向こうで笑っている。適当な挨拶を交わすと、ケータイをポケットに仕舞った。準備はOKだ。


「行こう」

「待て待て、分かんねぇよ」


 私は志音から離れると踵を返す。これから学校に戻るのだ。志音にこれから予定があったのかは確認してないけど、どんな用事よりもこちらの方が緊急だという認識があったから、構わず彼女の手を引いた。

 志音は前のめりになりながら訳を聞く。到着したらすぐにダイブの準備をしたかった私は、大きな手を握りながら口を開いた。


「先輩のVP空間にダイブする」

「はぁ!? 危険な何かがあるんだろ!?」

「あんたも一緒」

「……意味分かんねぇ」


 志音は相変わらずちんたら歩いている。腕ごと引っこ抜かれたくなかったらもう少しシャキシャキ歩いて欲しいんだけど。


「何があるんだよ」


 至極当然の疑問だ。これからダイブするのだから、こいつにだけは伝えてもいいだろう。いま志音は自分の心配じゃなくて、私に脅威が迫らないか、それだけを気にかけているだろうから。


「先輩の彼女に会いに行くの」

「……は?」


 低い声が聞こえたかと思うと、引いていた腕がすっぽ抜ける。振り返ると、志音は唖然とした表情で突っ立っていた。まぁ、そうなるよね。


「先輩の彼女って、どういうことだ?」

「相方だった人だよ。亡くなったって言ってた」

「ダイブするって言ってたよな? それって」

「そういうことだよ、なんとなく分かるでしょ。あんたなら」


 そしてまた手を取る。立ち止まっていた分を取り返すように、私は走った。さっきまでの無気力ぶりが嘘のように志音が付いてくる。手を引く必要はもう無さそうだ。


「え、離すのかよ」

「もう意味ないし」

「……そうか、それもそうだな」


 ……恥ずかしいからそういうリアクションするのやめてほしい。

 妙な空気に耐えかねた私が前を向くと、志音も恥ずかしさを誤魔化すように加速した。はっや。ゴリラって足速いんだね。



「……はぁ……はぁ……」

「おい……エクセル、行くぞ……」


 結局、学校まで全力疾走した私達は、膝に手を当てて呼吸を整える羽目になった。いくら照れ隠しとはいえ、普通あんなペースで走るか。風圧ですれ違ったおばあさんが転んでないか心配なんだけど。しかし、先を急がなければいけない、私は呆れながら志音の後ろをついていった。


 そして本日二度目のA実習室。そこには教壇に背を預けて、腕を組む先輩が居た。目が少しだけ据わっている、あもう怖い。帰りたい。


「待ってたよ。早かったね」

「走ったんで」

「そう。二人とも汗だくだもんね。若いっていいね」


 一つしか違わないでしょうが。そう言う間もなく、先輩はこちらに歩み寄り、そして素通りしていった。ついてこいということらしい。

 先輩の後ろをしばらく歩くと、想像していた通り、VP体験室⑦と書かれた部屋の前で立ち止まった。入ってみると、ダイビングチェアが4台並べられており、既にその内の3台は起動済みであった。


「行こっか。真のところ」

「ちょ、ちょっと待って下さい。なんで……私はともかく、志音まで」


 おかしいことは言ってない筈だ。ダイブする前にどうしても聞いておきたかったのだ。私の真剣な眼差しを見ると、先輩は語り出した。


「うーん……まぁ、札井さんに言われて私も少し反省したっていうか……結構前向きに検討したんだよ。で、どうせ付き合ってるなら、小路須さんも巻き込んじゃった方が、真も知り合いが増えて楽しいかなって」

「あー……なるほど。本当に、ちゃんと考えてくれたんですね」

「うん。っていうか小路須さんも嫌でしょ? えっちな先輩と札井さんが自分の知らないところで会ってるの」

「え? えっちなんすか?」


 なんでそこに食いつくんだよ、お前は。中学生男子か。

 私は志音の足に踵落としすると、悶絶する姿を見ることなく、先輩に言った。


「下、履いてます?」

「え……履いてないけど……どうして?」


 どうして? じゃないわ。

 なんで質問した私の方がバカを見るような目で見られないといけないの。おかしいでしょ。志音もいるんだし、絶対履いた方がいい。まるで志音のことをエロ猿のように扱ってるけど、まぁいいでしょ。っぽいし。


「いってぇえ……えーと、真先輩って、パンツ一丁なんすか?」


 志音は屈んでつま先を押さえている。

 私はそんな彼女の言葉に呆れながら返答した。


「はぁ? パンツなんて履いてる筈ないじゃん」

「ヤベェ奴じゃねぇか」


 うん、やべぇに決まってるじゃん。

 だって雨々先輩の彼女で、しかもさらに自殺みたいな真似した人だよ?

 ヤバくない要素が無いじゃん。


「ちょっと二人とも……真に下を履かないように言ったのは私だから、あんまりあの子を責めないであげて」

「先輩めっちゃヤバいっすね」

「うん?」


 いま、志音は何も悪くなかった。正しい、本当のことを言った。だというのに、視線で威圧されて自らの発言を謝らせられる事態に陥っている。弱々しく頭を下げる志音を見ると、なんだか社会の悲しい縮図のようで切なくなった。


「まぁいいや。とりあえず、ダイブしましょう。詳しい話はそれから」

「詳しい話……?」

「志音、多分聞いたら漏らすよ」

「お前と一緒にすんな」


 誰が尿道ゆるゆるじゃ。私はダイビングチェアに座って準備をすると、志音を睨み付けながらトリガーを噛んだ。


 そうしてやってきたのは見覚えのある家の前。私は二度目、志音は初めて。案外普通の場所なんだな、なんて言いながら周囲を見渡している。

 雨々先輩が扉を開けると、そこには箒で床を掃く真先輩がいた。


「真、連れてきたよ」

「笑!」


 雨々先輩の姿を確認すると、真先輩はその胸の中に飛び込んだ。こうして見ると、見た目麗しい普通のカップルだ。私は二人がこんなところで抱き合っている経緯を知っているから空恐ろしさしか感じないけど。


「二人とも、本当に来てくれたんだね!」


 私達の姿を確認すると、真先輩はあろうことか、自分の彼女にしたように私に飛びついてきた。予想外の動きに反応できず固まっていると、志音が先輩に話しかけた。


「あーと、はじめまして、小路須って言います」

「志音ちゃんでしょ? 笑から聞いてるよー」


 そう言って私を離すと、今度は志音の腕に絡みつく。さすがに志音と並ぶと、先輩が見上げる側になるようだ。


「鷽月真、笑の彼女だよ。よろしくね」

「は、はい……あの、先輩、これは」


 うん。私もね、見ないようにしてた。だって視界の隅からヤバいオーラを感じるんだもん。見たら最後な気がして黙ってた。だけど志音はそうせずにはいられなかったらしい。おずおずと私達をここまで連れてきた先輩に視線を向けながら、少し震えていた。


「うん、真ね、誰にでもこんな感じだから」

「あー……そうなんすね」


 意味は分かるが、言葉と顔が全く一致していない。私も意を決して先輩を見ると、彼女は鋭い視線を志音に向けていた。怖い。


「だから殺しちゃったの」

「え」


 私達は絶句する。雨々先輩は笑顔のままだ。真先輩は志音の肩に頬を寄せてすんすんと匂いを嗅いでいる。何してんだコイツ。


「冗談だよ、そんな理由で殺す訳ないじゃない」


 理由は冗談だったにしても、実行したのは事実でしょうが。洒落になってない。


「えっと……あたし、まだ聞かされてないんすけど……なんでこんなことになったんすか?」


 志音は自身の匂いを嗅ぎ回る鼻が首の当たりに来たところで、ぐいと押し返しながら問う。そういう手段を取ってもしょうがないっていうか間違ってないと思うんだけど、先輩の首が折れそうだからもう少し加減してあげて欲しい、と言うのが正しいのは分かってる。

 でも、ちょっとそのまま折ってみ、と言いたくなるのは何故かな。

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