インターバル

第108話 なお、父はまだ気付いていないとする

「わ、私、これ水洗いしてこようか!?」

「待て待て! やめろ!」


 私は気まずさを爆発させて、ラグマットを引っ掴んだ。当然の如く引き止められ、そこではっと我に返る。そうだよね、こんなの濡らしたら大惨事になる。


「あの、飲み物取ってくるから、楽にしてろ。な?」

「……セックスドラッグ混ぜたりしない?」

「あたしのことなんだと思ってんだよ」


 志音は呆れた顔をして部屋を出た。

 そう、私は志音の部屋に居た。

 終業式も間近に迫り、暦、気候、世間、その他私達を取り巻く全てが本格的な夏を迎えようとしていたのだ。

 私が志音の部屋に立ち寄ったのはほんの出来心だった。家に帰るのはダルいけど、ベッドで寝たいとだだをこねていると、「うち来るか?」と言われて、なんとなく頷いたのである。


 妙に立派な家の前を通り過ぎようとしたところ、「ここだぞ」と言われた時は驚いた。しかし、よく考えれば、両親がデバッカーなのだ。実力のあるデバッカーが高級取りというのは、わりと一般的な常識である。こんな豪邸に住んでいてもおかしくはない。むしろ心の準備ができていなかった私に落ち度があると言えなくもない。


 門を潜り、玄関の扉の前に立つと、志音は”ただいま”と言った。すると、”おかえりなさいませ”という音声が返ってくる。直後に電子音と共に、ロックが解除されるような音が響いた。

 いま流行の声帯認証システムである。私の家? 普通に番号と鍵のタイプだけど。いいんだよ、どうせ盗まれるものなんてないし。

 全然妬んでないけど、ある日突然この声帯認証システムの登録データがおかしくなって、志音だけ「消えろ」って言われるようになったりしないかな。


 中に案内されると、だだっ広い玄関が私達を出迎えた。吹き抜けのあるリビングの開放感は凄まじく、危うく脱ぎそうになる。

 マジか、こいつ、マジか。私は幾度となくその言葉を繰り返した。成績優秀、デバッカーとしての将来も有望、さらにこの親の経済力。ふざけるな。

 通された部屋の中は片付いていた。広い家だったから、思わず「来客用?」と聞きそうになったが、机の上のノートやテレビに繋がれたゲームを見て、すぐに志音の部屋だと悟る。

 そして冒頭。あまりにも私の家とかけ離れていたので、テンパって妙な発言をしてしまった。


「ノリで来たのはいいけど、なんか気まずいから勝手に寝よ」


 飲み物を用意してくれてるとこ悪いけど、私の睡魔は尋常ではない凄腕なのだ。

 意識なんて余裕で刈り取る。

 覚束ない足取りでベッドに向かい、ふっかふかの布団に包まると、意識なんてすぐに手放せた。


 途中、志音の足音や話し声が聞こえた気がする。だけど、私は構うことなく惰眠を貪った。今日はご両親が出張でいないらしいので、それはもう遠慮なく。




 再び意識が覚醒した時、私は自分の置かれた状況を理解できなかった。なんとなく他人の匂いのする布団にくるまっている気がする。暖かい気がする。柔らかい気がする。そしてうるさい気がする。


「あー、はい……すみません、連絡先分かんなくて……あ、いえ……そうっすね……」


 騒音の原因はすぐ隣にあった。私は手を開いてそいつを叩く。適当に手を音のする方へと振り下ろしたところ、感触があった。ヒットしたようだ。


「いでぇっ!? あ、いえ、大丈夫です。はい、それじゃ……」

「うるさいんだけど!?」

「お前、人のベッドで爆睡しといて何言ってんだよ!」


 耳元で怒鳴られて、私の眠気は来世まで吹っ飛んだ。

 目を開けると、そこには志音が居た。

 どうした? 夜這い? 通報必要な感じ?


「なんで私の隣で寝てるの……? こわい……」

「おーおーよく言ったな!? 外見てみろよ!」


 志音は窓を指さす。体を起こすのは面倒だったから視線だけそちらに向けると、外は真っ暗だった。私はじわじわと事態を飲み込んでいく。


「今、何時か分かるか」


 答えられずに黙っていると、志音がため息をつきながら言った。


「11時だぞ」

「はぁ!?」

「お前が起きないからだろ! あたしは何度も起こしたからな!」


 あぁ、途中で何回か意識が覚醒しかけた気がするけど、アレあんただったんだ。でも、私は起きてないのに”起こした”って言うのはどうかと思う。

 そこまで考えると、ふと重要なことを思い出した。そうだ、こんなところで惚けてる場合じゃない。


「ヤバい! お母さんが心配してる!」

「それなら」

「どうしよう?! 心配して警察に通報したりしてるかも?!」

「あ、あの」

「なに!」

「お前の母さんと話したぞ、たった今」


 ……うん?

 なんで?

 こわいね?


「お前が電話取らないから、仕方なくあたしが出たんだよ」

「ずっと鳴ってたんだよね……? なんで気付かなかったんだろう……」

「さっきのが初めてだったぞ」

「え、いやいや、11時まで年頃の娘を放置とか普通ないじゃん」


 志音もつくならもっとマシな嘘をつけばいいものを。いくら私のお母さんがちょっと変わってるからって、そんな、無い無い。考えられない。


「”いない事に気付いたから電話してみた”って言ってた」

「”歌ってみた”みたいな言い方するのやめて。違うって、それじゃお母さんが私のこと全然心配してないみたいじゃ」

「起きそうにないから、今晩はうちに泊めるって言ったら「わかったー」って電話切ったぞ」


 もう限界だった。

 志音は嘘なんてついてないって、実は最初から分かってた。


「お母さああぁぁぁぁぁぁん!!!」

「うるせぇな!!」


 なんでお母さんっていつもそんなに抜けてるの? 人の家で6〜7時間寝続けた私が言えた義理じゃないけど、ちょっと変じゃない? っていうかいくら志音が女とはいえ、別の人間が私の電話に出たらもうちょっと警戒して?

 布団を顔まで被って絶叫する。これくらい部屋が広いと多少の騒音は気にせずに暮らせそうだ。そこではたと気付いた。勢いよくずぼっと布団から顔を出すと、面倒くさそうな表情の志音が居た。


「え、泊まるの?」

「帰るか? どっちでもいいけど。お前の事だから、帰るのめんどいとか言いそうだと思って。それに、泊まるって伝えて帰るのはいいけど、逆のパターンはマズいだろ?」

「それは、そうだけど……」


 こいつはこういう時にいちいち正しい。確かに、帰るのは面倒だ。こんなふかふかのぬくぬくの布団に包まっているのに、わざわざ外に出るなんて、もう有り得ない。


「っていうか、なんでアンタ、私と一緒に寝てるの?」

「お前を起こそうとしてたらついウトウトしてな。っつか、文句あるなら床な」

「文句しかない、はい床に移動して」

「床で寝んのはお前だよ!!」


 志音はおもむろに起き上がって常夜灯をつけた。サイドボードに置かれていたペットボトルを手に取ると、キャップを回す。


「お前と話してると喉痛くなるっつの」

「私にもちょうだい」

「これしかないぞ」

「? 別にそれでいいけど」

「……ほらよ」


 乱暴に渡された容器を開封して喉を潤す。なんだただの水か。


「どうした?」

「水なのが意外だった」

「スポーツドリンクの類いだと思ったのか?」

「ううん、ドンペリ」

「ドンペリ!?」

「もしくはロマネ・コンティ」

「あたしん家はホストクラブじゃないんだぞ!」


 なんで私が怒られる流れになっているのか、全然分からない。むしろなんでドンペリやロマネ・コンティじゃないの? 金持ちったらそれでしょ? 金持ち失格では?


「お前また変なこと考えてるな……? いいから水返せ」

「変なこと考えてるのはそっちでしょ」

「は?」

「さっき絶対、間接キス意識した」

「は…………はぁ〜〜〜? あた、あたしそんなそのような事ございませんけど」

「動揺し過ぎでしょ」


 言われたら言い返す事しか考えてなかったけど、なんかまた気まずい空気になってしまった。そういえば爆睡する前も、気まずい空気から逃避する為にベッドに潜り込んだんだっけ。部屋にきてわりとすぐに寝たんだよね。こんなに寝るなら部屋着とか借りれば良かった。

 そこまで考えて、やっと私は制服を着たまま寝たことを思い出した。ヤバい、ヤバすぎる。


 私は飛び起きて制服を脱ごうとした。

 が、制服を身に着けていなかった。

 もちろん、スカートも。下はパンツしか履いてなかった。

 よ、良かったぁ……着てないんだったら皺になることもないよね……。


 ……。


 ……。



「おい、ドスケベ大魔神。私の制服どこやった」

「ドスケベ大魔神!?」

「脱がせたの?」

「……別にいいだろ? っていうか起きないお前が悪いんだろ。あたしはちゃんと着替えも用意したんだぞ。制服が皺になったら可哀想だと思ったんだよ」


 そして志音は壁を指差した。あそこに掛かってる、そう言いたいのだろう。私は指された方に視線を向けたが、そこにはハンガーしか掛かっていなかった。


「……」

「あ、落ちてら。悪ぃ」


 私の制服と思しき布は、フローリングの上で虚しく潰れていた。

 それって結局、私の制服はしわしわユニバーシティでは??

 キャミとパンツとかいう、恥ずかしい格好になった意味が、まるで無いのでは??


「に、睨むなよ! ちゃんとかけたんだって!」

「かかってないじゃん」

「……かけてくるよ」


 そう言って志音は立ち上がって私の制服をかけなおした。当然のようにあんたがやってるけど、元々私の服なんだから私がやるべきなんだよね。知ってる。面倒だから黙ってるけど。

 志音はハンガーを壁にかけると、こちらを見ながら聞いてきた。


「眠いか?」

「んー……どうだろ、そこまででもって感じ」

「んじゃあたしが寝るからそこ退け。ゲームやっていいから、とりあえず退け」

「は? 普通は土下座して添い寝を頼むシーンじゃない? しないけど」

「そんな普通は知らねぇ」


 志音は私の手を引くと、本当に私を立たせてベッドにダイブしてしまった。勝手の知らない部屋に立ち尽くしながら、私は志音に話しかける。


「さっきまで一緒に寝てたくせに」

「つい寝落ちたんだっつの。そのせいであたしの左半身が痣だらけなんだぞ」


 全く記憶はないが、心当たりはある。恐らく、私は寝相が大分悪い。

 どれくらい悪いかというと、こいつの人相と同じくらい悪い。


「あの棚にRPGとか入ってるから」

「なんでRPG推し?」

「時間潰れるだろ? それに静かにプレイできる」


 なるほどね。

 志音はこれから寝るんだ、騒音を出したら可哀想だ。アクションや格ゲーなんかは、暴言を吐きながらやるタイプなので、おそらくはNGを食らうだろう。

 というか、志音はそれを見越しているんだと思う。つまりは私が無言でやれるタイプのゲームをプレイしろ、ということだろう。

 それにしても、とんでもないラインナップのゲーム棚である。これだからボンボンは。ボンボンって、女の子に使っていい言葉なのか分からないけど、こいつに限っては結構似合ってる言葉だと思う。


「じゃあ、静かに遊んでるから」


 そう言って私は、太鼓の鉄人の専用コントローラーを取り出した。

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