第106話 なお、しばらく尻に違和感はあるとする

 帰還した私達を待っていたのは意外な人物だった。つなぎのような作業着に身を包んだ女、確か粋とかいったか。

 しかしこの女が関わっていたなら、あの帰還命令にも納得がいく。なぁにが、あと2体! 頑張れ! じゃ。2体倒す前に遺体になるわ。

 帰還して間もない私達の顔を覗き込んで、嬉しそうに合格と言って、頭を撫でた。


「夢幻! 大丈夫だったか!?」

「あぁ、うん」


 ダイビングチェアに飛びつくように、知恵が駆け寄ってきた。おしりが痛いって感覚は残ってるんだけど、触っても血は出ていないし、怪我自体も無い。腹部も同様である。

 まるで幻を見せられていたみたいだ。


 時計を見ると、終了20分前だった。まだ戻っていない生徒が数名いるらしく、試験は続行していた。粋先生の話を真に受けるなら、私は免許試験を受ける資格を手にした、ということでいいんだろうか。


「夏休み、楽しみにしてるよ。二人とも」


 そう言い残して、彼女は鬼瓦先生の元へと歩いていった。知恵が「うっせー! あっち行け!」と威嚇している。

 しかし、”二人とも”ということは、隣にいるこいつも合格……まぁ、腑に落ちない部分はあるけど、こいつの強さはよく分かったし、妥当だと思う。


「なぁ夢幻」

「何?」

「お疲れ」


 志音はそう言って屈託なく笑った。

 なんだそんな顔もできるんじゃん。内心驚きながら、志音の頬をビンタした。


「いた!? なんだよ!」

「ハイタッチ」

「そういうのは手にしろ!」


 志音の怒鳴り声をスルーしていると、白衣を着た先生と菜華がやって来た。彼のことも随分と見慣れてきた。バーチャル専門の保険医だ。前回の実習では八木君がお世話になっていた。


「一応検査させてもらうから、実習が終わったら残ってもらえるかな?」

「分かりました」

「よし、それじゃ。またあとでね」


 彼はそのまま歩き去ったが、菜華はじっと私を見て立っていた。なんだか複雑そうな顔をしている。知恵の粋先生への態度も気になるし、何かあったのだろうかと勘ぐってしまう。


「夢幻、良かった」

「菜華……心配してくれてたの?」

「もちろん、じゃないと残るなんて言わない」

「結局、知恵を優先して帰ったでしょ」

「それは、ご愛嬌」


 なんだそれ。

 しかし、知恵よりも私の事を優先したらそれはそれで一大事だ。彼女の言う通りだということにしておこう。


「あのクソ教師……!」

「知恵、ただでさえ成績が悪いんだから、内申に響きそうな言い方は控えた方がいい」

「これが我慢してられっか!」

「どうしたんだよ」


 志音が不思議そうに二人に問うと、堰を切ったように知恵は話し始めた。


「どうもこうもあるかよ! 夢幻がなかなか帰ってこられないのはアイツのせいだったんだよ」

「は? どういうこと?」

「あいつ、夢幻は追いつめられたら追いつめられただけ力を発揮するタイプだ、とか言って」

「はぁ……?」


 つまり、私がバーチャルで初の怪我をしたことも、バグと4連戦させられたことも、全部あいつのせいだったってこと? いや、井森さんと協力したときは、明らかに私は補助しかしてなかったし……でも知恵と菜華の時は頑張ったと思うし……。


「本当は菜華の時に一緒に帰してやっていいくらいだって言ってたんだ」

「……追いつめる為だけに帰還命令が出されなかったってこと?」

「怪我をしたお前が、これ以上ないってくらい追いつめられたお前が、何をするのか楽しみだって言ってた」

「なっ!? あぁんのクソ作業着……!」

「服が本体みたいな言い方すんなよ」


 しかし、これで二人が妙にピリピリしている原因が分かった。まさか私が関わっているとは思わなかったけど、考えれば考えるほど腹の立つ話だ。


「そうそう、あたしらも”合格”らしいから、夏休みはよろしくな」

「他には?」

「月光達もそうらしいな」

「あー……」


 納得である。あの二人の強さは前回のテストで証明されている。説明会のときに予告もされてたしね。

 家森さんとは実習で会わなかったけど、やっぱりもう帰ってたのか。ダイビングチェアを何台も挟んだ先に彼女達は居た。談笑しているようだ。


 またあとでな、と言うと、知恵達は自分達の席に戻っていった。二人揃っているところを久々に見た感じがする。やっぱりあの二人はニコイチだ。私は腕を組んでうんうんと頷いた。


「……試験中の話だけど」

「へ?」


 見ると、志音は真面目な顔をしている。やっと帰ってきたというのになんなんだ。少し面倒に感じたけど、なんとなく無碍にできなくて、耳を傾けることにした。


「お前を守ろうとしてるのは、別にお前が弱いからじゃない」


 もうこの時点で「嘘だッ!!!」と、どこぞのレナさんのように否定してやりたい気持ちで一杯だったけど、とりあえず聞くとしよう。


「もしお前が先生達よりも強かったとしても、あたしはお前を心配することをやめられないと思う」

「はぁ?」

「分かんだろ」

「いや全く」


 こいつは何を言ってるの?

 心配されるのがウザいって言ってるのに、私が強くなったとしても改善されないの?

 もうなす術なくない?


「もし、どうしてもイヤなら、あたしとペア解消するしかないってことだ」

「しかたないね」

「ちょっとは悩めよ。ま、あたしがペア解消に反対するけどな」

「犬のうんこの上にブチ撒けられた酔っぱらいのゲロを踏め」

「地雷のがマシだな」


 志音はダイビングチェアの手すりに肘をついて、ニヤニヤとこちらを見ていた。こいつ絶対私で遊んでる。


「お前はお前であたしを利用することを考えろよ」

「利用って? 利用価値ある?」

「さらっとひでぇこと言うなよ。いいか、あたしは多分、この中じゃ強い方だ。めんどくせーことは全部あたしにやらせりゃいいんだよ。楽だろ」

「まぁね?」


 上手く言いくるめられた気しかしないけど、今さらペアを解消したところで、いい人と組める確率はかなり低い。こうなったら、私がどうなってもコイツに心配され続けるという事に対して、何かしら心の持ちようで対策する方が利口な気がする。


「な? あたしにしとけよ」

「少女漫画に出てくる幼なじみポジションの男の子みたいな発言だね」

「マジでそれっぽいこと言うのやめろ」


 冗談で言ったけど、実際そんな感じなんだろうな。こいつがどういう意味で私を好いてるのかは分からないけど、付き合ってって言われてもイヤな気はしないとか言ってたしね。

 だからどんなに私が強くても心配してしまう、と。うん、言ってる意味は分かるよ。見下してる訳じゃないっていうのも、徐々に受け入れていこうと思う。


「じゃあ私も志音の心配をするようにする」

「えっ?」

「そっちばっかり私の心配して不公平でしょ」

「動機が意味不明だよ」

「この実習の後、ちゃんと教室に帰れるかな。ホームルームが終わったら家まで辿りつけるかな。家に帰ったらコンロとかいたずらして火傷しないかな。トイレ行ったらおまた拭けるかな」

「その中で一つでもこなせなかったらヤベェ奴じゃねぇか」


 うるさいわ、一方的に心配される気持ちを知れ。

 志音がどう言おうと、私はこの方針を改めるつもりはなかった。


「今までは「よくわかんないけど死にはしてないでしょ」くらいにしか思ってなかったからね」

「極端かよ」


 下らない会話をしていると、粋先生がこちらに近付いてきた。

 さっき話はしたはずだけど。知恵達の話を聞いた後だとどうしても心象が悪い。


「それじゃ、君達もこれね!」


 手渡されたプリントを見ると、そこには免許試験の概要が書かれていた。なんていうか、試験を受けられない生徒が大勢いる中で、わざわざこんな資料を渡さなくてもいいんじゃないかと思う。

 選ばれなかった人達にももう少し配慮した方がいい、下手に逆恨みされてもイヤだし。こいつはそういうこと一切考えてなさそうだけど。


「ビビって逃げたりしないでね? そんじゃね」


 そう言って彼女は踵を返した。相変わらず勝手な人だと思う。だけど、特に話したいこともないし、とっとと消えてくれて有り難くもある。

 私はざっとプリントに目を通すと、志音に話しかけた。


「とりあえず第一関門突破って感じ?」

「だな。重視すべきは試験の日時くらいか」

「こんなの口頭で言えばいいのに。資源の無駄」

「あの粋って教師のこと、嫌いだろ」

「うん、わりと」


 正直、あの適当な人がバーチャルプライベート管理者の資格を持ってるなんて信じたくない。すごい適当でいい加減な人そうだし。あと変に目をつけられてるの、結構イヤ。


「まぁ、ああいう変人が優秀だったりするんだよなぁ」

「それは、うん、分かる」

「つまりお前には素質があるってことだ」

かんなで背骨の上を削られたいの?」

「エグすぎるだろ!」


 駄弁っている間に、最後の一人が帰ってきたらしい。長かった試験が終了したようだ。

 色々あったけど、なんとかテストも乗り切った。帰ったらゆっくり寝ようと思う。


 やっとテストを乗り切ったという実感が湧いて、私は嬉しくなってもう一度志音の頬をビンタした。

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