第89話 なお、母性はゼロとする
私達は洋館の扉を片っ端から開けて回っていた。扉の数が尋常じゃない。城が大きすぎるんだと思う。
こんなところに一人で住んでたら
「ちっ、ここもハズレだ」
「しゃーねー。今度はあっちだ」
「さらに二階もあるからね、急がないと」
その時だった。バグは私達の行く手を阻むように姿を現した。
背後には壁。目の前のこいつを突破しないと他の扉を調べることは出来ない。しかし彼も必死である。トワイライト(略)を駆使して、足止めを図ったようだ。
「つらい……
苦しい……
そんな痛みを背負って
僕達は
今日も今日とて生きていく……」
「クソ程改行するの止めろっつってんだろ」
「4行目をセンターに持って来ようとする小癪さ」
「いっそ殴りかかってきた方が脅威なんだけど、それについてはどう思う?」
私達は呆れた視線をバグに向ける。しかし、バグのトワイ(略)の標的は私達ではなく、この建物であった。ポルターガイストのように館が揺れ、上から照明が降ってくる。
なるほど、地の利はあちらの方にある、ということか。私達はそれぞれのアームズを持ち直して、次に備える。
「僕達は許された。僕達は愛された。だから今度は、僕達が誰かを許し、愛していこう」
「言われた通り改行やめててウケる」
「絶対使いまくりたかったのにな」
「さっきから思ってたんだけど、僕達って言葉も使い過ぎじゃない?」
横からろうそくに火が付いたままの燭台が飛んでくる。それをどうにか躱したものの、足下を掬うように捲れる絨毯には気が付かなかった。
私達は盛大にすっ転び、無防備な姿を晒してしまう。
追撃のことを考えると無闇に立ち上がる訳にもいかない。まずは床に手をつき、周囲に注意を払った。
近くに台所でもあったのだろうか、フォークやナイフまでもが、その辺をデタラメに飛び交っている。
得意気な表情を浮かべて、バグは更にト(略)を紡ぐ。
「足がもがれても。
手を伸ばそう。
手がもがれたなら。
声を出そう。
口すらもがれても。
目だけは逸らすな。
いつだって戦っている。」
「改行我慢できなくなったのかよ」
「僕達って言葉自重してるのウケるんだけど」
「ねぇ、口ってどうやってもぐの?」
どこかから飛んできたサイドボードを、家森さんが膝をついたまま叩き斬り、私達はやっと立ち上がる。そろそろ床板そのものが抜けても驚かない。
それ程までに、館の一角はぐちゃぐちゃになっていた。
私はバグを睨みつけ、混沌としたこの状況で頭の中を整理する。これがどういう症状なのかは重々承知だ。家森さんも知恵も、出会った事がないかもしれないが、私はある。
中学生の頃にいた。こういう奴いた。しかし、とある生徒にある対応をされてから、ぱったりと自作の詩集等を見せてこなくなったのだ。
「夢幻……?」
「私に作戦がある、心を揺さぶればいいんだよね」
「そうだけど、寝室に行かずに何かできるの?」
「二人とも、私の言う通りにして」
「お、おう……!」
両腕で彼女達の肩を抱き、ぐっと身を屈める。次の瞬間、私達の頭があったところを猛スピードでナイフが通り過ぎた。
私はその銀食器の行方に一瞥もくれることなく、出来る限り小さい声で二人にこう告げた。
「お母さんになれ」
「エロ同人みたいなこと言うなよ」
顔を上げた知恵が呆れた顔でこちらを見る。しかし私は毅然と言い返した。
「この台詞をエロ同人って捉えるって、アンタの頭の中が一番のエロだよ」
「まぁ乙さんってむっつりらしいね」
「らしいってなんだよ!? っぽいじゃなくてらしいって!? 誰かが言ってたのか!? おい!」
お前はバーチャルプライベートの説明会であらぬ誤解を受けたことを忘れたのか。事情を知ってるはずの家森さんに言われて動揺してるのかもしれないけど、ほら、アンタって、その、っぽいし。
「でもさ、お母さんってどうやってなるの?」
「あのね、あの手のタイプは否定されてもあまりめげないし、肯定されたら調子に乗るの」
「どっちに転んでも最悪じゃねーか」
知恵は飛んできたトレイを躱しながらため息をついた。始めはどうなることかと思ったが、この空中を飛び交う物体にも目が慣れてきた。
足元にさえ気をつけていれば、どうという事は無い。私は飛んで来た白い食器を、まきびしで砕きながら手引きする。
「いい? 否定も肯定もしないの。わかる? お母さんじゃなくてもいいけど、そういう感じで受け止めるの」
「わかんねぇよ、それで分かる奴いんのかよ」
「え? 私はなんとなく分かったよ?」
「あたしだけ馬鹿みたいな流れやめろ」
「大丈夫だよ、元々アンタ馬鹿だし」
私達を睨みながら怒鳴っている馬鹿にも分かるよう、手本を見せることにした。家森さんは分かったそうなので、二人でやってみせる事にする。
そろそろ次のt(略)が来る筈だ。
「愛と恋の違いって何かわかるかい?
僕が君に抱いている気持ちが
どちらか分かるかい?」
「は? 気色悪」
「札井さん! 気持ちは分かるけど!」
「めちゃくちゃ嫌なお母さんじゃねーか」
このタイミングで今までのクオリティを更に凌駕するものをぶつけられる。つい本音が先行してしまい、お母さん作戦が失敗してしまった。
そして飛んできた灰皿を、家森さんはバックステップで避ける。矢継ぎ早に二撃目が彼女の足元を襲ったが、彼女はこれをバク宙で避け、更に滞空中にバグに向かってナイフを投げつけるという離れ業をやってのけた。
身体能力高過ぎ……。
私もそういうのやってみたいけど、失敗して半身不随とかになったら怖いからできない……。
不意を突かれてやや反応が遅れたバグであったが、たまたま空中を漂っていた絵画の木枠とぶつかり、家森さんの攻撃は失敗に終わってしまった。
「あちゃー。これでも駄目かぁ」
さして残念でもなさそうに、彼女は呟く。二度目は通用しないだろう。それを考えるともう少し悔しがっても良さそうなものだが。
そんなことを考えていると、バグは次の(略)を繰り返してきた。
「皆がいて。
僕がいて。
そしてあなたがいる。
それは何物にも変えがたい、刹那なる永遠(とわ)」
やるしかない……!
私は私の中に存在するのかどうかもよく分からない、お母さんスイッチをオンにした。
「刹那なる永遠っていうのはどういう意味なの?」
「いや、分かるだろう? その……分かるだろう?」
「あっ……うん、そうだね。嫌なこと聞いちゃったね、ごめんね」
「ぐっ……!」
確実に効いている。その証拠に、燃え上がるように赤く染まっていた瞳が黒く、元に戻りつつある。私が噛み締めるように「そっかそっか……」と言うと、バグは口惜しそうに歯軋りをした。
さらに、私の隣で腕を組んでいた家森さんが畳み掛けるように続けた。
「分かる分かる、知ったばかりの単語って使いたくなるよね」
「僕が最近『刹那』という単語を知ったような扱いはやめろ!」
私とはまた違う切り口だが、これもかなり効いたようである。バグは頭を抱えると、空中で蹲った。
私達を執拗に狙って飛んでいた物達は、突然力を失ったように、音を立てて地面に落下する。
これはチャンスだ。振り向くと、知恵は笑いながらキーボードを叩いていた。何かしらいい反応が出たのかもしれない。
手を止めたかと思うと、大声で私達を批難した。
「お前らやめろよ! こいつだって一生懸命考えてんだぞ!」
「ぬぅううううう!!!」
知恵、やれば出来るじゃない。今のは一番ダメージが入ったようだ。うん、こういう状況で庇われると逆に居た堪れなくなるよね、分かる。
バグは遂に自らの浮力すらも失って、ぐしゃぐしゃになっていた絨毯の上に落下した。
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