第67.5話② なお、悪友とする


 私は駅構内の喫茶店、窓際奥の喫煙席に居た。正面が大きくガラス張りになっている席から、さらに大通りを挟んで公園を眺める。

 待ち合わせに使うベンチがよく見えるので、この店はそういった意味で重宝していた。


 あのベンチに座ったことはない。待ち合わせが済んだらすぐにどこかへ向かうし、さらに言うと、手入れされている様子も無いし。積極的に触れたいと思えるような代物ではないのだ。

 座れる人はよっぽど神経が図太いんだろうと思う。


 二本目に火を点けたところで、目当ての女の子がベンチの前に現れた。立ったまま、携帯の画面を見ている。座らずにいるその姿を見て、私は何故か安心した。

 待ち合わせの時間にはまだ少しあるし、悪いけど彼女には少しだけそのままでいてもらうとしよう。


 彼女はたまに周囲を窺いながら、手元の端末に目を落としている。私を探しているんだろうなぁとは思うものの、空調の効いた空間で煙を燻らせていることに罪悪感は無い。

 それは時間のせいか、今日の待ち合わせが向こうから言い出したものだったせいか、あるいは私が元々そういうところで人より酷く鈍いせいなのか、理由ははっきりとしないけど。


 いつの間にか、指を焦がす程に短くなっていたそれに少しだけ驚いて、慌てて灰皿に押し付けた。

 飲みかけのコーヒーを片手に、私は喫煙席のスライドドアをゆっくりと引いた。





「ご、ごめんね。会いたいって言ったのは私なのに。でも、学校は人に見られるといけないから」

「ううん、わかるよ。会いたいって言ってくれて、嬉しかった」


 そう伝えると、彼女は微笑みながらも、バツが悪そうに視線を伏せた。態度にはおくびにも出さないが、本当なら天を仰いでため息をつきたい気分だ。


 あぁ、嫌な予感がする。私はこの表情の意味を知っている。

 正確に言えば、ある人間が間接的に、そして定期的に、私にこの表情を齎している。


「私、その……」

「井森さんと、した?」

「……!」


 彼女は驚いて顔を上げた。まさか真相を撃ち抜かれるとは思ってもみなかったんだろう。エスパーだと思われてそう。


 だけど、私にはこうなる心当たりがあった。先々週くらいだったか、この子と歩いているところを彼女に見られた。

 そして聞かれた。その子、どこの子? と。おそらくあの時に目をつけたのだろう。


 彼女は私が粉をかけている子を、さっと横取りするのが大層お気に入りらしい。もちろん、それがいけないとは言わない。

 連れにちょっかいを出すことを咎める権利は、同じことをしている私には無いからだ。ただ、自分の迂闊さに情けなくなる、それだけ。


 獲物を眼前でかっ攫わられるのは慣れっこだ。私にとっては毎度のことであっても、目の前のこの子にそれを察しろというのは酷な話だろう。

 適当に別れの言葉を吐いて、その場を立ち去る。


 信号待ちで振り返ると、その子はくだんのベンチに座って、下を向いていた。追い縋って井森さんのを減らしてやろうかとも思ったけど、その姿を見るとそんな気すら一気に冷めて、結局私は駅構内の喫煙所に向かうことにした。


 かったるそうに歩くその姿は、決して褒められたものではないと思う。だけど、こういう時くらいは許して欲しい。なんて言ったって、ほぼ一ヶ月かけた相手が寝取られたのだ。


 歩道橋の下を潜り、迷うことなく通い慣れた一角を目指す。人通りは多過ぎず、少な過ぎない。未成年喫煙者にとって穴場のような場所だ。

 同じ穴の狢を見かけることも間々ある。いちいち声を掛けたりはしないけど。


 到着すると同時に、煙草とライターを取り出し、火を点けた。煙草のフィルターをくわえたって、私が井森さんに邪魔立てされたという事実は拭えない。

 それでも、一刻も早く一服したい、そういう気分だったのだ。


 一度家に帰って着替えているので、案外バレなかったりする。さすがの私も、屋外で制服を着たまま煙草をくわえる度胸は無い。

 髪を下ろしている私に気付く学友も居らず、ロータリーに面した喫煙所で、悠然と煙を吐き出した。


 彼女が井森さんに靡いた理由は分かる。押しに弱そうだもん。だからこそ徹底的に接触を避けていた筈だったのに。

 次はどうやって切り抜けようか、私はこの先のことばかり考えていた。


 そう、これはただのゲームだ。先ほど別れを告げた女のことなんて、私はこれっぽっちも好きじゃない。可愛いとは思うけど。

 私にとって女の子からの好意というのはそれだけで価値があり、逆に言うとそれだけの価値しかない。深い仲になりたいと思ってさえくれればそれでいいのだ。

 そこまでが私のゲーム。その先には、実際に触れ合うなんてボーナスステージが用意されてるけど、興味が湧かないから始まる前に電源を切る。そして新しいタイトルに手をつける。


 まだ私には早いとかじゃなくて、そういった特殊な性質を持って生まれてしまったんだと思う。死ぬまでに一度くらいは誰かに惹かれてみたいなーとは思うけど、きっと普通の人よりも苦労するんだろうなって。

 今はこのゲームが面白くて他の事に興味が湧かないから、とりあえずこのままでいいやって思ってる。


 私は体なんてどうでもよくて、ただ好意が欲しい。

 あの人は心なんてどうでもよくて、行為がしたい。

 困ったことに女の子の趣味はかなり似通ってる。


 いっそ一人を共有できないか試したことがあるんだけど、間に挟まれてる子が先に潰れちゃった。私を愛して、井森さんとセックスをすればいいだけなのに。本人も最初はそれを望んでいたくせに。なのに潰れちゃった。


 だけど井森さんは笑ってた、「こうなると思ってた」って。

 だから私も笑った、「だよねー」って。


「……はぁ、嫌んなっちゃうよねー」


 自らが吐き出した白煙に話しかけながら、携帯を取り出す。そして、すぐにそれをしまった。

 どんな時であろうと私の電話には出る彼女だったが(それが性行為の最中だったとしても、むしろプレイの一環であるかのように積極的に出る)、今はどう足掻いても無理だ。

 初の任務で、クラスメートと一緒にバーチャルにダイブしているところだった。


「帰ってきたら文句言わないとなー」


 やり場の無い怒りをぶつけるように、いつもよりねちっこく煙草を揉み消す。

 飲みかけのコーヒーはいつの間にか冷めていた。

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