第4話 なお、根に持つとする
「は? 入学直後のアレを、モテ? ごめん、恥ずかし過ぎてあたしの脳が知覚することを拒んでるからもう一回言ってくれ」
何故私がこのような暴言を受けているか。それはおよそ10分前に遡る。
***
今日は待ちに待った高度技術の授業の時間だ。普段の教室からはかなり離れていた。というか建物が違った。おそらく、鈴重高校がSBSSに生まれ変わる際に、専用に建てられたものだろう。普段使用している校舎に比べ、随分と先進的なデザインをしていた。
事前に配られたプリントを参考に、A実習室へと向かい、辿り着いた時には息を飲んだ。ずらりと並べられた椅子。それもただの椅子ではない、マッサージチェアのような大型のタイプだ。おそらく、私達はこれを使って仮想世界にダイブするのだろう。
さらに奥にはガラス張りの一角がある。大小様々な機器が並べられ、今も数名の技術者が何やらせわしなくキーボードを叩いている。今日の実習の準備だろうか、それとも全く関係の無い作業だろうか。壁に据え付けられた巨大モニターに、たまに走るノイズが妙に印象的だった。
初めて目の当たりにする光景への感動は、教壇に立ったある男性の咳払いで消散した。鋭い眼光の大男。スキンヘッドで喪服のようなスーツを着こなし、口はへの字に曲がっている。どう見てもカタギじゃない。もしかしたら学園に乱入したどこかの組の構成員なのかも。
後ろで手を組み、私達をじっくりと観察する彼の威圧感、いつ誰が漏らしても不思議ではない空気だった。
そして授業は始まり、挨拶もそこそこに担当教員は第一声で、恐怖のあの呪詛を口にした。”よーし、まず二人組作れー”。おいやめろ、地獄が唸りを上げるような声で私はそう言いかけた。
しかし踏みとどまった。理由はいくつかあるけど、一番大きいのは、私の我儘で授業を中断させる訳にはいかないという理由だ。私も今年で16になる。その辺の分別くらいつく。私のような余りがちな生徒はこういった場合の対処法をいくつか知っている。結局、自分で乗り越えるしかないのだ。
まずは視線を送ること。特定の誰かにではない。誰と目が合うか、そこが重要なのだ。周囲に目配せを始めると、案外すぐに目が合った人物がいた。隣の席のなんとかさんだ。
「あ! 札井さん! ペア誰にするか決めた!?」
これは渡りに舟だ。私はまだだと、いつもより明るめのトーンで話した。
「そうなんだ! あ、紹介するね! 同じ中学だった
こんにちは井森さん、さようなら井森さん。同じ中学だったクラスメートがいるという大きなアドバンテージが無い私は、目眩で倒れそうになるのをなんとか堪え、1mmも興味の無い井森さんに会釈した。
とても物腰が柔らかい子だ。物腰だけじゃなくて髪型までゆるふわ。さらに少し垂れた目がそれを圧倒的なものにしていた。まだ知り合って1分も経ってないのに分かる、絶対いい子だ。私は彼女の持つ雰囲気に和まされていた。
が、それはすぐにブチ壊された。
「あー、いたいた。おい、お前」
この柄の悪い声はアレだ。前に私をトイレでじろじろと見ていたあのヤンキー崩れだ。誰に話しかけているのかは分からないが、気の毒なことであることには変わりない。私は振り返ってその被害者を見届けようとした。
「札井だっけ? あたしと組むぞ」
って、私かよ。そして嫌だよ。
単刀直入に言いそうになったが、これまたぐっと堪えた。つもりがそのまま声となって発せられていた。
なんとかさんと井森さんが固まる。凍てついた空気を察知したのだろう、よく見ると周囲一帯が凍りついていた。井森さんは砂場を拵えるような訳の分からない動きをしている。仲裁しようとしてくれているのだろうか。だけどこうなってしまった以上、それは既に必要ない。
「嫌なのか」
「うん」
「残念だったな。諦めろ」
なんだこの強引ゴリラは。バナナやるからあっち行け。こうなったら無視だ。無視して他に空いてる人を探すしか無い。
「よーし、みんなペアは決まったな」
待って先生、決まってない。
「しばらくは二人一組で行動してもらう。喧嘩しないようにな」
喧嘩とバナナしかコミュニケーションの手段を持ち合わせていなさそうな哺乳類が迫ってきた場合はどうしたらいいですか?
「おいお前。あたしと組むの、そんなに嫌なのか」
「嫌じゃなかったら嫌って言わない」
「っつっても、あのままじゃ消去法であたしと組むことになってたと思うぞ」
なんて酷い発言だ。
しかも否定できない。
「入学早々、女子にモテたと思ったらこれだよ……とんだ災難だよ」
なんだか良くわからない形で高校デビューとやらを果たしたと思ったらこのザマだ。友人なんて仲の良い数人で十分だと思っていた。人付き合いは狭く深すぎずがモットーだった私にとって、かつてない転機だった。そしてそのまま変わるのも、もしかしたら悪くないかもと思い始めたところだった。
だというのに、一体どこでどう間違ったというのだ。何が悲しくてやっとの思いで族を抜けてきたような風貌の女とペアを組まなければいけないのだ。
言ってやった。心の底からそう思った。そして冒頭。
「は? 入学直後のアレを、モテ? ごめん、恥ずかし過ぎてあたしの脳が知覚することを拒んでるからもう一回言ってくれ」
こいつは私の頭を言葉のハンマーで横からブン殴るのが大層お気に入りらしい。不思議と憎しみは無かった。ただ、頭が真っ白になっただけだ。そしてゴリラはそのまま続けた。
「あの一件でお前がどういう奴なのか、みんなが興味を持っただけだろ。逆にお前ってそんなに惚れっぽいのか? だとしたらそれ結構ヤバいから気をつけた方がいいぞ」
もうぐうの音も出ない。いや、もしかしたらそれくらいは出せるかもしれない。ぐう。あぁ出たよ。
でもそれ以上の言葉なんて出ないよ。あと私そんなに惚れっぽくないよ。モテっていうのは言葉のあやだよ。
「マジモンのコミュ障くせーな。空気読むのとか下手そう。静かにしてるだけで空気読んでるつもりになってるんじゃね? 目立たないようにしてるだけなのにな。読むどころか空気そのものなんだよ、てめぇはよ」
ねぇオーバーキル。オーバーキルにも程があるから。
ここまで言われて、これ以上黙っている訳にはいかなかった。というか、スコーンと殴られて半分飛んでいた意識がやっと南半球あたりから帰ってきたのだ。
「……あんた!」
私は腹の底から声を張り上げた。成り行きを見守っていた教師、女子、男子。みんなが黙った。それまでも私達の会話がこの教室で圧倒的に目立っていたけど、みんな遠巻きにこそこそと話をしていた。
だけど私の声で、それすら止んだ。私の一挙手一投足にみんなが注目している。キレて殴るのか、否。そんなことはしない。私はただ伝えたいだけだ。
「そうやって、本当のこと言うのは良くないと思う」
どこからか、ずっこける音が聞こえた気がしたけど、今はそれどころじゃない。
何が悲しくて出会って一週間ちょっとの奴に、ここまで見透かされなければいけないのだ。そして見透かされたことを大勢の前で発表されなければいけないのだ。
でも、それ以上に不可解なことがある。
こいつはいま何故笑っているんだ。
「誰かの一番になんて成り得ない性格してるってマジで。別に直さなくてもいいけど」
「いい加減にしなよ! 札井さんが何かしたの!? いじめなんて恥ずかしくないの!?」
ここでようやくなんとかさんの制止が入った。なんとかさんは私の為に怒ってくれた。なのに有難いと思えなかったのは何故だろうか。このゴリラの発言のせいで疑心暗鬼になっているからだろうか。わからない、もしかしたら、彼女の名前すら覚えていない私にそんな資格は無いと、いっちょ前に思ったのかもしれなかった。
「いじめてなんかねぇよ」
「傍から見たら
「傍から見たら? 傍から見てるだけの連中にあたしの何がわかんだよ」
「なっ……!」
そして志音と呼ばれたこの女は口喧嘩もなかなか強かった。こんな言い方をされたら、言い淀んでしまうのも仕方が無いだろう。
本人を置いてけぼりで会話は進んでいく。だけど私はこいつの言う通り、ちょっと勉強ができるだけの空っぽな人間だし、その勉強というアドバンテージすら、このクラスではあまり意味を成さない矮小なものだ。今の私にはこいつに何かを意見する為の自信も根拠も、何もかもを持ち合わせてはいなかった。
「ねぇ」
だけど、私の為に怒ってくれた人がいる。ここで私が黙っていては、彼女が道化になってしまう気がした。だからいつも通り、私らしく、思ったことを口にする。
「なんだよ」
「私が誰かの一番にならなくてもいいって言ったよね。それってどういう意味?」
実はこの言葉の意味が分からなくて、私はそこから二人の会話についていけてなかった。
私が気に食わないだけならバディなんて申し出る訳が無いし、かと言って何かしらの復讐の線も薄い。人から恨みを買うような生き方はしてこなかった筈だ。
それにこいつは頭が切れるし、あまり優しい人間にも見えない。欠点である部分を本人に知らせるタイプには思えなかった。恨みを持っている相手には「お前はそうやって理由も分からないまま、一生一人で生きていけ」と影でほくそ笑んでいる方が似合うと、直感的にそう感じたのだ。だから、私にわざわざこんなことを伝える理由が知りたかった。
「そのままの意味だよ。あたしは札井のこと好きだから。お前が人気者になろうが、嫌われ者になろうが。どっちでもいい。どっちにもメリットデメリットはあるだろ?」
あー……?
うん……。
意味が分からなくて、額に手を当てた。
こいつは今なんて言った?
好き?
確かに恨まれることをした覚えはないけど、好かれる覚えはもっと無い。直接の会話はトイレでのあの一件だけだ。ちなみにその時は「キモ」と言われた。
全然根に持ったりはしていないけど、「キモ」と言われた。「キモ」と言われたことは昨日のことのように覚えている。
静寂が全身に突き刺さるようだ。そして苦し紛れに尋ねた。からかってる? と。
「……そんなのあたしに聞いてどうすんだ。なんて言って欲しいんだよ」
知るかよ。だけど知りたいことはあるよ。なんで私のことを、って。だけど私だって、公衆の面前でそんな野暮なことを聞ける程、恥を知らないワケじゃ、ないんだよ。
あとお前私に「キモ」って言ったよね。
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