第2話 なお、ハンマーはカンマーではないものとする


 入学式の翌日、私を待っていたのは予想外の出来事だった。


 昨晩、布団に入ってから担任とのやりとりを思い返してみたけど、どう考えてもあの時の私はヤバい奴だった。クラスメートや教師から小間使いにされることは無くなったにしても、距離を置かれる可能性は高いと少し落ち込んだ程だ。


 なのに、この流れはおかしい。


「あの! 札井さん! 次はパソコンルームで授業なんだけど、一緒にどう?」

「札井さんトイレ行くの? 待って待って、あたしも行く」


 これらは私が今朝からかけられた声の数々。今は現国の授業中。教科書を隣の席の子に見せてあげている。しかし先程から、やたらと話しかけてくる。喜びは即座に苦しみに変わった。私まで一緒に先生に注意されたらどうしてくれるんだ。

 でも、この子が一人で喋ってたんです、なんて言おうものならクラスの印象は最悪だろう。つまり怒られた時点で詰む。休み時間なら大歓迎なのにと、心の中でため息をついた。


 確かに昨日は舐められないように頑張った。頑張ったよ、だってバカにされたくなかったもん。だけど、こんな女子高よろしくのノリでモテモテになりたかったワケじゃない。っていうかここ共学だし。はじめは自意識過剰なんだと思った。というか自分にそう言い聞かせた。

 だけど、この子の鞄からちらちらと覗いてる本、なんだと思う? そう、現国。鈍い私も流石に勘付かざるを得なかった。


***


 昼休み。私はトイレにいた。

 鏡を見る。黒のセミロング、やる気の無さそうな目。ブレザーのボタンはしっかりと留めている。いつも通りの私だ。慣れないネクタイも上手に結べた。何も問題は無い。


 左右から女の子が私の顔を覗き込んでいること以外は。

 視界の端にちらちらと映る顔は明らかに私に向いている。


 少しでも視線を向けると目が合ってしまうだろう。こんな時にどういう顔をしたらいいか分からない私は、鏡の中の彼女達と視線を合わせるべきではないのだ。


 中学時代、勉強ができるだけの平々凡々な生徒だった。女子はもちろんのこと、男子から告白された事すら無い、とにかく地味な生徒。こんな風にガン見されるという経験がほとんどなかった。

 かと言って、いつまでもこのまま金縛りに合っていてもしょうがない。私は意を決して口を開いた。


「……あの、何?」

「あ……ネクタイ結ぶの、上手だと思って」

「そうかな」


 左の子の用件は分かった。なるほど、確かにこの子のネクタイは自害を失敗した可哀想な人のようになっている。というかもうお昼休みなのに。一日の前半を自害失敗結びで過ごしたのか、こいつ。

 長い黒髪、切れ長で涼しげな目元、淡々とした表情をした彼女は、大して困った様子もなく、自身のネクタイを右へ左へと引っ張っている。待ってそれ締まってるから、マジで死ぬから。

 しかし彼女は茄子のような顔色をしながらも尚、その表情を崩さない。無表情で自害とか新しすぎる。恐らく目撃した誰もがその首元を異常だと思っただろうが、彼女からは指摘しにくいオーラのようなものが出ていた。


 あまりにも気の毒だったので、直してあげようか? と彼女の首に手をかけつつ、今度は右にいた子に話しかけた。

 うわ、こいつ目つき悪。左の子もあまり目つきがいいとは言えないけど、こいつに比べれば幾分かマシである。アレか。眼光で人でも殺す気なのか。


「あなたは?」

「あ? 見てるだけなのに理由なんているか? キモ」


 は? え。

 何? キモ?

 キモいのは理由なく人の顔を鏡にリフレクトさせながらじろじろ観察してるお前だが?


 目が血走ってしまった気がするが、気を取り直そう。正直、今のこの子の発言には、ガツンと横からハンマーで殴られたような気分になった。

 そしてその時、やっと彼女の顔をはっきりと見ることになった。正確に言えば、顔は知らない。だけど、この明るい茶髪、ショートカット。おそらく間違いない。


「あ」

「あ? なんだよ」

「昨日、ホームルームで寝てたでしょ」


 そうだ。

 私が背中と服の間に砕いたチョコレートをブチ込んでやりたいと願った子だ。


「昨日ってかいつも寝てるよ」

「起きなよ」


 入学早々こんな不良に絡まれるなんてついてない。昨日は顔は見えなかったから気付かなかったけど、頭髪だけでもこんなに不良くさいのに、ホントに何この目付き。元々つり目なのに、私を睨みつけているせいで、悪人面に拍車が掛かっている。

 あと制服を着崩しすぎでは? ブレザーはもちろん、中のシャツすら上二つが開いている。ネクタイもそれとして機能していない。


「っつか、そっちだってあたしの事見てんじゃん」

「斜め前の席だからね。明るい髪だし、覚えてるよ」


 言うと同時にチャイムが鳴った。

 すると彼女は、どうでも良さげに私の話を聞き流して教室に戻った。


「はぁー……なんなのアイツ」


 洗面台に手をついて、鏡を睨んだ。私もあまり目付きはいい方じゃないから、人前では気を付けてるつもりだ。しかし、こうなるともう収まりがつかなかった。

 別にいいか、ここには私一人だけ……のつもりだったが、鏡に人影が映っている。

 というか私の隣に誰かいる。あ。忘れてた。


「……ねぇ。ネクタイ直してもらうの、ずっと待ってたの?」

「うん」


 名前は知らないが、この子もクラスメートだった気がする。というかさっき私の名前を呼んでたし、ほぼ間違い無くそうだろう。


 ——もしかしたら、私のクラスってヤバい奴しか居ないんじゃないか?


 杞憂に終わってもらいたいけど、少なくとも二人はヤバい奴がいるという事実は確実に私の心を暗くさせた。


「……結ぶね」

「ありがとう」


 予鈴が鳴ったというのに、何故名前も知らない子のネクタイを締め直しているんだろう。気にしたら負けだ。負ける気がする。というか既に負けてる気すらする。


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