死にたくなったら異世界へ

Re:over

1話 異世界召喚


 赤く燃え盛る炎、それを食い止めようとする水の音、その水が岩に当たって弾ける音、男女の叫び声、地を揺らす怪物の遠吠え。そんな混沌とした場所でうつ伏せになっている俺。


 どうしてここにいるのか思い出せない。生きている感じがしない。何が起きているのかも理解できない。


 土か砂かわからない味がする。左腕の感覚が無く、体のいたるところに切り傷があるようで、ヒリヒリする。つい数秒前にここに来たはずなのに、一瞬のうちにここまでボロボロになるほど修羅場なのだ。そもそもなぜここへ来てしまったのか――。




「君、控えめに言って使えないね。まぁ、いないよりはマシだから置いておくが、給料下げていいよね」


「そ、それは困ります。妻が今、身ごもっていて、まともに動ける状態でもないので、私の給料だけが頼りなんです。明日から頑張りますので、お願いします!」


 俺は一所懸命頭を下げ、周りから冷たい目線を向けられた、いつかの記憶が脳裏を駆け巡る。


「おいおい、この程度・・・・で許してもらおうと思ってる?」


「......」


 仕方がないので膝を地につけ、それに続けて頭も底辺まで持っていく。重力よりも強いプライドという浮力に逆らうため、妻のことを考えた。


 妻のためだ、愛する妻のためにどうにか皮一枚繋がなければならない。


 そう自分に言い聞かせ、首を振動させながら日本で最高の礼式を披露する。会社の中は嘲笑で満ち溢れ、俺は恥ずかしくて顔を真っ赤に染めて、周囲のやつらを呪った。


 俺は無力だから仕方ないけど、ここまでやる必要はないだろと思う。この世の中、お金が無ければ何もできないから、精一杯『使える人間』になるしかない。だけど、俺みたいに能の無いやつへの態度は酷いものだ。


 いくら頑張ってもその成果は上がらず、時間だけを浪費するし、自分では惨めにも思えてくる。そんな世の中に嫌気がさしていた。


「はぁ、こんな夜遅くまで残業させやがって......」


 怒りと落胆に頭を抱え、鬱憤晴らしに夜空とは似ても似つかない景色を眺めていた。雲に覆われた世界は生きているように思えない。


「ここから飛び降りれば......」


 そんな想像をした。ここから飛び降りてしまえば、俺からは何もかもが無となり灰となり、苦しい現状から逃れられる。と思ったのだ。


 上の階層にいるやつらは、下の階層にいる人のおかげで上にいられていることを知らない。下がいなくなれば、それがわかるのではないかと思った。


 俺がこの世を変えるんだ。


 たった1人で世の中を変えるなんて不可能であることは理解していたはずなのに、何度も思い知らせれたことなのに、馬鹿な俺は地を目指して羽ばたいた。


 フェンスに手をかけて、力を入れた瞬間、どこからか女性の声が聞こえる。と同時に辺りが真っ白になり、空白の世界へ連れてこられた。そこは本当に何も無い空間であった。目指したはずの地面さえも無く、俺は空中に浮かび、どこかへ吸い込まれていく。


 現実的ではない出来事に、驚きと恐怖に支配された。他の考えや感情が浮かび上がる前に、空白の世界から出される。出された先は、村のような集落の残骸しか残ってない場所。10センチほどの高さから地に向かって出されたが、低いおかげで難なく着地できた。


 目の前には10階建てのマンションくらいあるだろうか、いや、もっと大きな怪物がいる。足が短かく、太いような気もするが、人型に近い。


 この怪物を見上げ、呆然とする時間もくれずに強風が俺を襲う。風と一緒に刃のようなものも飛んできた気がした。そのおかげで左腕の感覚は途絶え、全身に傷を負った。


「――痛っ!」


 勢いよく後ろへ吹き飛ばされ、そのまま倒れてしまってから今に至るわけだが、まだ状況を理解できてないのは仕方ないことだと思う。


「よかった。まだ生きてる」


 今度は何なのだろうか、少女の声が近くで聞こえ、そのままこちらへ向かう足音が鳴る。俺は地獄行きか天国行きかを決める試練だったのだろうか。そして、この声は天使......?


 背中に手を置かれた。すると、切断され、無くなっていたはずの左腕が少しずつ再構築されていき、体の傷も完治していく。そして、目の前にゲームの画面みたいなものが表示される。表示されたのは、敵(怪物)のある程度の詳細と味方の情報であった。


「なんだ、これ」


『よし、入れた』


 耳ではない、どこからか声を感じる。隣にいる少女が倒れた。


『気にしないでいいよ。これ、私だから』


「どういうこと?」


 もう、わけがわからない。立ち上がろうとしても、上手く力が入らない。やっと立てたかと思うと、俺の体は勝手に動き出した。


『大丈夫、私があなたの体を操ってるだけだから』


「そういうことじゃなくて、状況を説明してほしい」


 そんなこと言っても聞く耳を持たず、俺は怪物に向かって走らされた。目の前に表示される自分のステータスが怪物を余裕で上回っていることに気がつく。


『ここは、あなたの住んでいる世界のゲームってやつに似てる。そちらからしたら、異世界ってことになるかな。ちなみに、今の私、あなたの過去や考えてること、全てわかるので、余計なことは喋らなくても大丈夫ですよ』


 あ、なるほど。要するに、俺は異世界転移とやらをしたようで、俺の常識や日常は全て通用しないと。自殺しようとしてたから、喜ばしいことなのかな。だって、楽しいことが待ってるかもしれないし?


『楽しいなんてことはありませんよ。私たちは。あなたはどう思うか。あなたは、この怪物を倒すために召喚したので、こいつを倒したら帰ってもらって結構です』


 怪物を倒すため、能力の高い俺を選んだのか? でも、地球では俺、低脳の役立たずだったんだが、ここでは違うとかなのかな。


『勘違いしてはいけません。召喚されるのは無作為で、召喚した人間でなければ、こんな強力な能力を持つこともできません。それから、犠牲になった命を嘲笑ったりしたら、絶対に許しませんからね』


「は、はい。わかりました」


 その言葉には、たくさんの悲劇が含まれていた。きっと、この怪物にやられたたくさんの仲間や、俺への能力付与と召喚にたくさんの死者を出したのだろう。


『そう。その通りです』


 俺は泣いていた。家族や友達を失った喪失感が、心のうちから湧き上がってくる。拭って収まるような安物ではない。理不尽という、害虫はどこにでも存在しているのだなと思った。


 俺は怪物に向かって魔法を使って怯ませた。火の球を打ったり、怪物の吐く火を水で消化させたり。その間に距離を詰めたり、落ちている大剣を拾ったりする。重そうな大剣を、軽々と持ち上げ、怪物の足へ大ジャンプ。


 その後、大剣を突き刺し、怪物の体を駆け巡る。動けなくなるほど切り刻んだ。怪物は悲鳴を上げながら火を吐き、足を振り、尻尾を揺らし、人を殺した。


 たとえ、チート級の俺がいたとしても、救える命なんて一握りでしかないことが、痛々しい光景を見下ろしてわかる。


 なんとも理不尽。


 怪物の体を縦横無尽に切って、ようやく大人しくなったところで、上空で浮遊していた人たちが降りてきて、電気系統の魔法を一斉に使用した。怪物は悶え苦しみ、力尽きた。ただしくは、強制的に心臓を止められたのだろう。怪物は横に倒れる。


 俺は目の前に表示される自分のレベルが1から72に上がっていることに気がついた。普通のゲームならば、ここまでレベルが上がるモンスターなど存在しない。それほど強いモンスターだったようだ。味方のレベルを見ても、60を越えている者は数え切れるほどしかいなかった。


 急に力が抜けて、怪物の背中辺りで倒れそうになった。そこで、体の主導権が自分に戻ってきていることに気がつく。


「大丈夫?」


 金髪の少女が問いかける。ここへ来た時に負った傷は跡形もなく消えていた。多分、回復アイテムでも使ったのだろう。


「大丈夫……」


 そう、体は大丈夫。ただ、そのまま地球に帰ってしまったら、また、無慈悲な生活が待っている。だから、ここで暮らしたい。俺は、この世界で多分最強だ。日頃の鬱憤晴らしに、敵を蹴散らしてみようじゃないか。


「君、さっき俺を操っていたやつだよね?」


「そうですよ。ん、自己紹介してませんでしたね。私、ミルと申します」


「ミルか。よろしくな」


「そうですね、今から元の世界に送るための魔法陣を作るので、少々お待ちを」


「あ、いや、そのことなんだけど……」


 ミルは首を傾げ、「どうしましたか?」と言った。


「この世界に残ったらダメかな」


 ミルが急に不機嫌な顔になり、俺を睨みつける。


「まぁ、あなたの気持ちは十分理解できます。ですが、妻はどうするんですか? もしかして、置き去りにするとでも? もしくは、ここにいる間、あっちの世界の時間が止まっているとでも思ったんですか?」


 彼女は感情的になり、開いた口を閉じようとしない。妻……彼女は、何故俺を選んだのだろう。ずっと疑問に思っていた。彼女は、才色兼備で、非の打ち所がなかったから、とても人気があった。なのに、彼女は俺を選んだ。馬鹿で、役立たずで、無能な俺を。


 俺が惨めすぎて守ってやろうと思ったのか。まぁ、どんな理由であれ、彼女を守りたいという男はたくさんいるだろうし、金銭面ではどうにかなるだろう。


「俺はここに残りたい。あんな馬鹿みたいな生活を切り落とすために自殺しようとしたんだ。帰っても同じことだ」


 一旦ミルの口を閉じさせた。ずっと喋っていて疲れないのだろうか。


「いいですよ。ただし、私は、妻を捨てるような最低な人の面倒なんて、見ませんので、好きにしてください」


 どうしてか、彼女に嫌われてしまったようだ。彼女が早歩きでその場を去ろうとした時、彼女は自分が怪物の上にいることを忘れていたらしく、足を踏み外して地面へ落ちていった。

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