粗雑な奇述

ペンを持つスライム

鉄仮面

「なぁ、こんな話知ってるか?」


隣の牢の囚人が「誰か」に聞いた。

他にこの付近には誰もいない、おそらく「誰か」に入るのは私だろう。


「…………私語は」


「固いこと言うなって。他に誰もいないのに黙ってるとか、俺おかしくなっちまうよ」


深く溜息をつく。

私としては静かにして欲しいものだ。この牢にいるのだって、それが理由だったのに。


この牢は、この刑務所は、少し変わっている。罪人は大抵、牢を選ぶことが出来る。余程の危険人物でない限りは、だ。その部屋にはグレードがあり、希望した物品や雰囲気に合うような牢に連れていかれる。良い行動をするとグレードが上がり、少しずつ牢が部屋になっていくのだ。私はそこで、ただ「煩くないところ」と希望した。すると、次の日の住居は、この錆び付いた格子が前にある、光の少ない部屋となっていた。


―――私に、名前はない。突拍子もない事だが、私は小さな頃以降、何故なのかこの牢にいる。小さな私は何をしたのか知らないが、ともかく今の私の名は091番だ。


おーい、と、先程の男の声が聞こえる。この男は067番。私よりも前の囚人だ。いつも隣の牢の中にいて、こんな暗い場所にいる。昨日の夜にここに移送されたので、今日の運動時間に初めて見たのだが、それなりに鍛えられていて、まるで格闘家のような厳つい男だった。


「聞いてんのかよ、あんた!本当に堅苦しいよな、規律に縛られて、動物園の良い子ちゃんなサルじゃないんだし」


「そういう君は街中の喧しいカラスのようだな。ここは随分と似合わない」


067番はチッ、と舌打ちをした。

やれやれ、これでまた静かになるだろう。暫くは。


だが、男は予想を大いに裏切ってくれた。話を戻すがよ、と切り替えて、語り始めた。


「私は静かにしてほしいんだが」


「いいじゃねーか!俺これでも死刑囚なんだよ。看守が二人同時に俺の牢に来た時が死の瞬間さ。明日の我が身も知れないんだ、好きにさせてくれや」


知っている。こうなるときっとこの男の話は止まらない。


「はぁ…………いいだろう、続けて」


そう言うと、男はへへっ、と悪意のありそうな笑いをこぼした。


「おう、話すぜ。でよ、この刑務所のちょっとした噂なんだが―――――」


その昔、ある男囚が移送されてきた。

男の顔を生きている者は誰も見ておらず、瞳を見たものはまるで生気を吸われたようにぐったりと動かなくなると言われていた。そのせいか、最初はずた袋を被せられていた。男はまるで無口で、頷くか首を横に振るかの質問にしか反応しなかった。

その後、とある牢に連れてこられたその男。相も変わらずずた袋を被せられていたが、ある日、それを外そうとしたのだ。

それを見た看守は怒り狂い、牢の戸を開け、ずた袋の囚人に暴行を加えた。狂乱したように見えるが、大抵の攻撃は顔を標的としたものだった、と記録されている。

ずた袋の囚人がぐたっと床に伏せた後、ずた袋をしっかりと被せられ、何処かへと連れていかれた。

次の日には、その男の元いた牢からいくつか離れた牢に、おそらく同じ男がいた。今度は包帯で顔がぐるぐる巻きになって、頭の後ろにある金具で包帯を固定されていた。

だがある時、男の隣の牢の囚人がその男に呼びかけられた。初めて聞く声だったので、その男の、珍しい「自分から話しかける時の声」だった。他の牢の囚人も聞いたようで、まるで男と女の声が混ざって、二で割られたような声だったと言われている。

隣の牢の囚人が呼ばれた方を向くと、その包帯男は、なんと包帯を取り始めた。金具で固定されている部分を無視するように、だ。包帯が全て取れて、その顔、その双眸が暴かれた瞬間、その隣の牢の囚人はふっ、と魂を取られたように死んだ。死因は心臓麻痺だったという。ほかの囚人の恐怖の叫び声が響き、看守がやってきて、前のように顔めがけての攻撃の後、地に伏した包帯男だったものを連れていった。

その後、拘束具で動けなくなり、鉄製の、呼吸が出来る程度で、構造的に視界が塞がる仮面を付けた男が、今度も別の牢にやってきた。これまた最初の牢から更に離れた場所の牢だ。ついに近くにあのヤバい奴が来たのか、と他の囚人は恐怖した。中には、怯えきって食事が出来なくなった者もいた。

何処ぞの聖人が磔になったような形で、壁に固定されたその男は、未だにこの刑務所の地下にいて、脱出をしようとするのか、それとも頭がいかれたのか、常に首を横に振るのだという。


「そんで、その牢がある場所が、この廊下の奥、というわけさ。どうだ?」


「どうって………」


正直かなり反応に困った。童話や寓話なら見事なものだ、と言われたかもしれない。ただ急に舞台をここに移してきたせいで、なんとなくリアリティが下がった気がする。と言っても、私は小説家でも批評家でもないから、それが作り話だったとして、どうのこうの言うつもりはない。というか、何処で知ったのだ?


反応に困った私の唸る声を聞いて、067番はククッ、と笑った。


「なに、ちょっとした噂だ。前の刑務所で聞いた、俺を怖がらせたいだけの、信ぴょう性なんてありゃしない、法螺話さ」


「そうか………」


それから、また続きを聞くことになった。

今度は、その話が実は誤りで、本当は、というような内容だ。多分、ここからは本当に、私を怖がらせようとする彼の法螺話なのだろう。

一瞬にして生気を吸うんじゃなく、寿命を縮ませるように、体力を奪っていくのだとか、本当は磔になんてなっていない、だとか。


「おい!静かにせんか!」


流石に話し声が聞こえたのか、看守が飛んできた。何を話していた?内容によっては云々、と口煩く聞いてくるので、067番が鉄仮面の男の噂話をするもんだから、仕方なく聞いていた、と伝えた。


「何?今なんて……」


「だから言ったじゃありませんか。鉄仮面の男がこの廊下の先にいるって話を――――」


「ッ………067番!!貴様ッ!!」


「な、なんだ?何、別にそんな、なんの証拠もない単なる噂話だぜ?そりゃ規則を破ったのは悪いことだと思ってるけどよ、何もそんなにキレる必要ないだろ……」


……………おかしい。この看守は、少し前の囚人が仲間と話していたのを、怒りはしたものの、ここまで激昴はしていなかったはずだ。いや、まるで怯えている。


「どうしたんです、顔色が―――」


「………もう、いい。自分は011番に用がある。お前はこれを持て。もう終わりだ」


疲れ切った顔で、067番に何かを渡した看守はとぼとぼと廊下の奥へ歩いていった。011番?新しくここに来た囚人か?先程来た方とは逆の方へ行く看守の肩が震えている。あの怯えよう、行き先………嫌な予感がする。


四日後、その看守が、遺体で発見された事を、運動時間中の他の看守の会話で聞いた私は、妙な悪寒を感じた。話の内容としては、その看守が前々から悪夢を見るようになったということ、死因は、例の話と同じ心臓麻痺ということ。他の看守達は、あいつは一人であんな暗い所で働いていたから、だとか、あいつは焦ってるみたいだったな、だとか、とにかくストレスで死んだのだと結論付けようとしている。


噂話の中の異常な何かが、現実にいる?


他の者がどう思っているかは知らないが、私にとっては、そう思わせるには充分な情報だった。


もう一つ、気になる事があった。運動時間中の067番が、険しい顔をしているのだ。

話を聞きに行くと、067番は、ここじゃ話せない、後でいつもの所で、と答えた。


運動時間が終わり、いつもの牢の中で、067番は怯えた声で話し始めた。


「……最近妙な夢を見るんだよ」


「夢?」


「ああ……。クソッ、俺は何も知らないってのに……」


「何なんだ、話してみろ」


また疲れ切った様子で、あぁ、と、彼は一つ一つ話し始めた。


最近彼は、暗闇の中を走り続けるだけの夢を見るという。具体的に言えば、あの何かが入った袋を渡された後、呼吸が難しい中で何者かから逃げる夢。逃げる自分はまるで何から逃げているのか分からないのだが、とにかく逃げないといけないのだという。

時々走っている時に、後ろから、


「顔を返せ」


と低い声で聞こえるのが、余計に恐怖心を駆り立てるのだという。


「その後、なんとなく、あの袋を見てみたんだよ……ああ畜生、なんでアイツあんなものを持っていやがったんだ!?」


「落ち着いて、話してみろ」


「落ち着いてられるか……あの袋、クソッタレ、血がついていたんだ……ボコボコに殴られたみたいな血が……!中身もそうだ!どう見ても血のついた包帯が中に入ってたんだよ!!」


「それがなんだと言うんだ?看守が渡すものにしては奇妙だが、それまでだろう、夢の内容に何の関係が――――」


「大アリだ馬鹿野郎!!あの噂話はアンタも知ってるだろうが!!あの話をしたって事を聞いた看守の顔見たか!?世界の終わりみたいな顔しやがって、俺だって知ってたらそんな顔だったぜ、クソッ!!」


声を荒らげて怒鳴る彼の声は、強い怯えのせいか、少しずつしゃくり上げるような泣き声に変わった。


「……クソ、クソが……今日もどうせ夢を見るんだ……振り向けだと………畜生、そんなに言うなら振り向いてやるさ、やるとも………」


その日の夜、彼は食事をとらなかった。本来は彼の姿は見えないのだが、全くと言っていいほど何かを食べる音を発しなかった。新しい看守が来た時、例の話について聞かれていたが、彼は全く何も言わなかった。


次の日、彼は何も食べていなかったからか、ひどく痩せこけていた。運動もろくに出来なくなっているほどに。一日で痩せる量としてはかなり異常だ。あれほど鍛えていた人間が運動も好んでやった人間が、こんなにも痩せ細っているだと?


「鉄仮面が追い掛けてくる、鉄仮面が追い掛けてくる、鉄仮面が―――――」


今の私は、彼が同じ内容を繰り返し呟いているのを、ただ聞き続けるしかなかった。


また次の日には、彼は全く動けなくなっているほど、衰えていた。骨と皮だけ、と言いたくなるほどに痩せて、老いているようにも見えた。急速に、六十歳程歳をとったような。


「誰かに、誰かに渡さなきゃ、誰かに………」


完全に病んでしまっている、としか言いようがない。使命を忘れまいとしているような声にも聞こえた。


そして、二日後。

067番は、二人の看守に連れていかれた。

嬉しそうに、彼は


「もう終わりだ」


と呟く。

連れていかれる瞬間、彼は、私の牢に袋を投げ込んだ。それが俺の夢の原因だ、と言わんばかりに。


血塗れのずた袋の中には、血に染まった包帯があった。


その日からだ、私が夢を見始めたのは。


夢の中で、鉄仮面を被せられた時のような暗闇の中で、鉄仮面が追い掛けてくる。


私に、そのずた袋と包帯を返せ、と言わんばかりに。


看守も誰もいない筈なのに、代わる代わる入ってくる囚人。入ってくる様子を見たことのない囚人達。今、私の二つ隣の牢に、002番がいる。


震えが止まらない。私はまだ死にたくはない。


次の日、私のいる場所の隣の牢には001番がいる。試しに囚人に聞いてみた。


「何がしたいんだ、お前は」


看守の声が混ざった、大勢の何者かの声が、


「顔を返してもらおう」


と、答えた。


「痩せた男は逃げ切った」


と言ってきたのに対して、


「そんなことはどうだっていい。私はもう、終わりだ」


と返してやった。


目の前に、看守がいる。二人だ。

いつの間に、私は死刑になったのかは知らない。だが、そんな事実はどうだっていい。


あの仮面の下を見て、魂を喰われる現実を延々と見るよりは、死刑になる方がずっと、ずっと極楽だろう。


二人の看守に、私は力なく連れていかれる。


歩く途中、鉄仮面の囚人が、私の方を向いて、仮面を口が見える程度に外し、


「今度は、返してもらうからな」


と。


融合した口の塊が、そう声を放った。

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