3-5 再会は忘れた後にやってくる 後編

「どころかより悲惨になっただけだろ。怪我人が一人増えて、君は自分が犯されるところをアイツに見られることになるんだからな。おっと、犯すとか下品だったかなあ」

「……本音が出ただけでしょ」

 私はそんな彼を睨み返す。怖くなくなったわけじゃない。でももう怖いなんて顔はしていたくない。

「言うねえ」

 でも葉桜はざくらしょうにとってはそんな私の態度すら楽しさの燃料だったようだ。

「心配するな。もうソイツには何もさせねえ」

 いつのまにか側までつばさくんが寄ってきていた。音も気配もなく。それにはさすがに葉桜翔も驚いたみたいだった。

「忍び寄るのだけは得意みたいじゃねえか」

 葉桜翔が臨戦態勢に。一応、警戒してるのか跳ねながら距離を取る。

「忍び寄るのはそこまで得意じゃ無いんだがな」

 それを見て翼くんも構えた。その姿はまるで鏡映し。ボクシングスタイルだった。

「お前もボクシングやるのか」

 それで葉桜翔の緊張感がやわらぐのが感じられた。同じボクシングなら自分の方が上と確信したんだろうと思う。

「そりゃ現実こっちじゃ俺はヒーローじゃないし、アタッシェケースからパワードスーツを取り出したりなんてこともできない。だがな――」

 翼くんの右拳が葉桜翔に撃ち込まれる。

「だからってお前がいつでも勝てるとは限らないんだぜ」

 でも前と一緒だった。拳の分、葉桜翔はスッと後ろに躱していた。

「いいや、限るね。お前の拳なんて俺にはかすりもしな……」

 葉桜翔の言葉が途中で止まる。彼の顔を見ると、鼻から血が出ていた。

「俺の拳がなんだって? 五ミリ空けて避けたはずがかすっててビックリしたか」

 翼くんの言葉から、その鼻血が彼の攻撃のせいだというのがわかる。

「ま、まぐれだ」

 葉桜翔は右手で鼻血を拭いながら、後ろに少し跳ねた。言葉とは裏腹に翼くんへの警戒を強めたのは明らかだった。

 一方、翼くんは距離を詰めず、何か話を始めた。

「正直言うと俺、お前みたいなタイプが大っ嫌いなんだよ。初対面で犯人だなと思ったくらいだ。でも嫌いだからそう決めつけてるみたいで、そういうの良くないよなあって自分を戒めてたんだ」

「お前が俺を嫌いだからなんだっつんだよ! 俺はクラスでも人気者だし、俺のこと好きな女だってたくさんいるんだ!」

「そういうところだよ、そういうところ。自分の支持者が多いから、自分は正しいとか思ってるヤツ。俺、そういうヤツが嫌いなんだよ」

「だからなんなんだよ!」

「この間は怒りにまかせて殴りかからないように我慢してたんだぜ」

 翼くんは右拳を力の限りぎゅっと握り、体を震わせる。

「俺が嫌いだからって、疑わしいだけで前途有望な若者を再起不能にするわけにはいかないだろ。実際、お前のボクシングの才能は大したもんだよ。真面目にやれば世界チャンピオンにもなれたかもな」

「だったら負けるのはやっぱりお前の方じゃねえか!」

 葉桜翔が自分から打って出た。距離を詰めたかと思うと左のジャブがいつのまにか。

「……避けた?」

 驚く声が聞こえた。

「ジャブってヤツは見てからは避けられない。それはもはや常識。でもな、来るとわかってれば避けられるに決まってんだろ」

 翼くんが右半身を引いて攻撃体勢をとる。それはボクシングと言うより空手みたいな攻撃を知らせるモーション。ミリ単位で避けられる葉桜翔にとってはわかりやすすぎるサインのはずだった。

「ガハッ!」

 なのに翼くんの拳が葉桜翔の腹を抉っていた。

「なんでだかわかんねえって顔をしてるから説明してやるよ。コイツは別に企業秘密じゃあないからな」

 そう言いながらまた翼くんは右拳を引いて攻撃する準備をする。

「うげぇっ!」

 見え見えの右ストレート。なのにまた葉桜翔は避けられず、今度は顔面に食らって、そのまま床に倒れた。

「お前はさあ、拳を『投げてる』だけなんだよ。拳という弾丸を撃ち出すと言った方がわかりやすいか? だから初速からどう良ければいいか判断出来ると思ってる。でもな拳ってのは撃ち出した後も腕と繋がってるんだぜ?」

「だからなんだってんだよ」

 葉桜翔は怒りの叫びを上げながらヨロヨロと立ち上がる。

「お前が五ミリ避けて躱すとわかれば、俺はさらに五ミリ押し込む。それだけだ」

「嘘だ! お前なんかに俺が五ミリ避けるのがわかるわけがない。第一、あんたはこの間、一回しかまともに攻撃しなかったじゃないか!」

「お前の回避を見切るのに一回で十分だったから――とは考えなかったのか?」

 翼くんの言葉で葉桜翔の動きが完全に止まった。

 そんなわけはない。そう思ってるのがわかる。彼の中で今まで積み上げてきた自信が崩れていくのがまるで聞こえるようだった。

「な、ならなんでその後は避けなかったんだ!」

 その叫びは認めまいと自分に言い聞かせてるのかもしれなかった。でもそれにも翼くんはどこまで本気かわからない言葉を返す。

「それは企業秘密だから言えないな、少年」

「ふざけるなあ!」

 怒りと共に葉桜翔が攻撃を始める。

 と思った瞬間、その動きが止まった。

「……ジャブ?」

 ずっと右しか使ってなかった翼くんがジャブを放ったみたいだった。みたいというのは本当に見えなかったからだ。

 前に出るところを打たれて葉桜翔の足が止まる。

「さて、お前の流儀に合わせて手加減してやるのはここまでだぜ」

 そして翼くんの言葉で葉桜翔の言葉も止まる。

 手加減してやるのはここまで。ということは翼くんはずっと手加減してたということらしい。世界チャンピオンにもなれると言った相手に、相手のやり方に合わせるのが手加減とは普通は思わないだろう。

「一応、警告してやるよ。俺の流儀は払いにある。次の攻撃はそれなりの覚悟をしてからしてくれよ――」

 翼くんの構えはボクシングよりは空手のそれに近かった。両手を前に構えていて、どっちかというと防御重視に見える。

「今度は痛いだけじゃ済まないからな」

「ギリギリで躱せないならちゃんと躱せばいいだけじゃねえか」

 葉桜翔は自分に言い聞かせるようにそう言った。

「いい着眼点だな。やっぱりお前、才能があるよ」

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