第28話 月夜のダンス

「誰?」

 突然声をかけられ、涙で濡れた顔を隠すのも忘れただ目の前に立つ男性を見上げる。

「まぁ、そのなんだ。とにかく涙を拭けや」

 差し出された白いハンカチを見て自分が泣いていた事を思い出す。


「あ、ありがとうございます」

 素直にハンカチを受け取り、男性に背中を向けて濡れた頬を拭き取る。

「あの、今の話聞いてました?」

「あぁ、まぁ、少しな。事情は良く分からんが落ち込むな」

 そういいながら困ったような表情で、鼻の頭をポリポリ掻きながらこちらを見ようともしない。


「……ぷっ」

 何故だろう私はこの人の前で失態を見せてしまったと言うのに、この男性の態度を見ていたら自然と笑いがこみ上げる。

 自分でも似合わ無いことをしたとでも思っているのだろうか、ほんのり頬を染めて照れている姿が妙に可愛いと思ってしまった。

 自分でも恥ずかしい姿を見られたと思っている。だけどこの男性が何も着飾っていない素の表情を見せているのが妙に居心地がいい。


「今のは笑うところか?」

 如何にも心外という感じで私に呆れ顔を向けてくる男性。

「だって見てはいけないものを見たって感じで申し訳なさそうにしながらも、私にワザワザ話しかけてくるんだもの。だったら初めから声を掛けなきゃいいのにって思ったらつい。

 ごめんなさい、笑うつもりはなかったんだけれど、でも何だかスッキリした気分よ」

 この男性には申し訳ないが、少し笑ったら暗い気分が何処かへ行ってしまった。


「なんだ、そんな顔も出来るんだな。そっちの方がよほど可愛いじゃねぇか」

「!」

 かかか、可愛い!? この私が?

 急に心臓の鼓動がドクドク激しく鳴り響く。

 ちょ、落ち着け私。今のはただ不意を突かれただけ、男性に対しての免疫がないとはいえ、さっきはちゃんと王子様相手でもしっかり振舞えたのだ。そう、今のは突然だったから焦っただけ。


「なな、何言ってるのよ。いきなり変な事言わないでよ」

 言葉がついどもってしまうが、今は心臓の音が気になってそれどころではない。

「何赤くなってんだ?」

「赤くなってないわよ!」

 顔を伏せていたら覗き込むように私を見てくる男性。

 なんてデリカシーのない男なの! 覗き込んだ挙句、私の顔が赤くなってるですって、普通気づいてもそっとしておくのが紳士ってもんじゃないのよ。


「ほら」

「えっ? ちょっ何を急に」

 目の前の男性が急に私の右手を握り、左手を腰に回して微かに聞こえて来るメロディーに合わせてステップを踏み出す。

「体を動かせば少しは気が紛れるだろ、何があったかは知らんがそう気を落とすな」

 あぁ、これはこの人なりの気遣いなんだ。

 多分悪い人じゃないんだろう、だけどね。やらっぱなしってのはしょうに合わないのよ。


「何照れてるのよ」

「て、照れてねぇよ。ダンスはその……苦手なんだよ」

 今度は男性の方が顔を赤くして私から顔をそむける。

 まぁ、この程度で許してあげよう。まだ少し照れたような表情をしているが、仕方がないので見なかった事にしてあげる。




「ありがとう、大分気持ちが落ち着いたわ」

 無言のまま一曲踊りきったところでお礼の言葉を口にする。

「そりゃ良かった」

 これは今の私の率直な気持ちだ。

 この男性がいなければ私はまだ悲しみの感情から抜け出せなかったかもしれない。


「おっと、どうやらお迎えのようだぜ」

「えっ?」

 男性が見つめる方を見れば、建物の方からユフィが数名のメイド引き連れこちらにやってくる姿が見える。

「そんじゃ俺もそろそろ戻らないと、余りサボってると親父にど突かれるからな」

「あ、あの、名前は?」

 立ち去ろうとする男性を何故か反射的に呼び止め、自分から名乗るのが礼儀だと言うのにただ名前だけを訪ねてしまう。


「あぁ、俺はレクセンテール、じゃなぁティナ」

 レクセンテール……あれ? どこかで聞いた事がある気が……

「って、なんで私の名前を」

 そう尋ねた時には既にレクセンテール様の姿は遠くの方へ、代わりにユフィが私に近づいてくる。


「お姉さま探しましたよ。そろそろ会場の方へ、お父様達がお待ちです」

「あ、うん、ごめん」

 何だか貴族らしくない人だった。言葉遣いもそうだが、裏表がないというか、サッパリした感じの人だった。

「お姉さま、お化粧が」

「えっ、あぁ、さっきまで泣いてたから……」

 っと、ついユフィの前で口を滑らしてしまうが、今更この状況を隠しても一目瞭然だろう。

「もう、早くお化粧直しを。これからが本番だって言うのに」

 そのままユフィの部屋に直行した私はメイドさん達の早技でお化粧を直し、再度会場へと戻っていく。




「すみません遅くなりました」

 急ぎ到着すると既に待っておられた聖女様と、レジーナを含む三人の候補生に謝罪の言葉を口にする。これから私たちは聖女候補生として会場に集まった人達に紹介されることになっている。


「遅いわよ、何処いってたのよ」

「ごめんなさい、少し外の空気を吸っていたのよ」

 レジーナが皮肉っぽい言葉を掛けてくるが、遅れた事は事実なのでここは素直に謝罪する。

「ねぇ、あなたは大丈夫だったの?」

「何がよ」

 小声でレジーナに尋ねるが、本人は心当たりがないのか今まで通り態度が変わっていない。

「あなたの両親の事よ」

「お父様とお母様? 何であなたが気にするのよ」

 あれ? もしかしてまだ何も聞かされていない? まぁ、レジーナは叔母達の事には関わっていないから謹慎処分にはならないけど、この後どうするんだろう。


「あ、あの、ティナ様」

「様?」

 レジーナと小声で話していると今度は悪役令嬢A・Bこと、シャーロットとクリスティーナが話しかけてくる。

 でも何で様付け?

「その、今まで知らなかったとはいえご無礼を働き申し訳ございませんでした」

「私たち、その侯爵家の方だとは知らなかったんです。どうか数々の非礼、お許しください」

 あぁ、そういえば私が侯爵家の人間だってバレたんだっけ。その後の事が余りにも衝撃すぎてすっかり忘れていたわ。

 チラリとレジーナの方を見ると、いつもと変わらぬ態度の中に私を意識している様子が見て取れる。彼女も多少気にしているのだろう、だけど今までの態度から急には変えられない、そんな感じではないだろうか。


「別にいいわよ、ただ血を引いているだけって事だから平民には違いないわ」

「ですがそれは……」

「お喋りは良いけど、そろそろ時間ね」

 尚も何か言いたそうにしていたシャーロット達を遮り、聖女様が言葉を挟んでくる。


「少しは気分が落ち着いたかしら?」

「はい」

「そう、ならもう大丈夫ね」

 それだけ言うと裏舞台から聖女様を先頭に、国王陛下と王妃様達が待たれている玉座に向かって進んで行く。王妃様が一瞬私の方を見て笑顔を見せられたのは見間違いではないだろう。




「我が娘、ユフィーリアを含むここにいる五人が今期の聖女候補生である」

 私の隣にやってきたユフィを含む五人を示しながら国王様が集まった全員に紹介される。こちらを見守っている人達からざわめきと希望の眼差しに浴びせられるが、お母さん達も同じ道を歩んだのだと思うと何だか勇気をもらった気がして身が引き締まる。

 この後も陛下の長い演説が続くが、これも聖女の修行だと思うと頑張らなければならないだろう。


 一通り国王様の話が終わったところで一斉に喝采がおこる。だが、それを遮るように女性の声が高らかに会場に鳴り響いた。



「この子達が聖女候補生ですって? 今期は随分質が落ちたものね」

 一人の女性が玉座の下、国王様の前へと出て大声を張り上げる。

「何が言いたいアリアナ」

 静まり返った会場内に国王様の冷たい声が響き渡る。

 アリアナ……するとこの人が国王様とヴィクトーリア様の妹で、お母さん達の代で辞めさせられたと言う四人目の聖女候補生。


「大した力の無いクズ達に、平民の中で育った小娘。唯一まともなのは王女ただ一人。だけどその王女も体が弱いからまともに公務にも付けない。そんなメンバーが聖女候補生かと聞いたのですわ」

「ならば、どうだと言うのだ」

 静まり返っていた会場が徐々にザワめき出してくる。

 この場にいるほとんどの人は恐らくアリアナ様の存在を知る者ばかり、その上で国の頂点である国王様に啖呵を切っているのだから騒ぎにもなるはずだ。


「確か聖女候補生は聖女の血を引いていれば参加が許されるのでしたわね」

「……」

「ルキナ」

「はい、お母様」

 名前を呼ばれて出てきたのはブロンドの髪色をした一人の女性、王妃様が警戒するよう言われていたもう一人の人物。


「私の娘のルキナですわ。ご存知の通り聖女の血を引き、傷を癒す力も王女に引けを取らない。いえ、体の弱い王女に比べるとそれ以上かしら。

 今日からこのルキナも聖女候補生として参加させます。異論はございませんよね?」

「あぁ、候補生に参加する条件は聖女の血を引きし者。この条件を満たした者は誰であろうと拒むつもりはない」

 会場内が一段とザワめきを増していく。


(おい、アリアナ様と言えば聖女様のご息女だろう)

(確かにユフィーリア様以外は特に噂を聞いた事はないが……)

(だがクラリス様のご息女も居られると先ほど)

(いや、平民の中で育ったのであれば聖女の教育は受けていないはずだ)


 アリアナ様とルキナ様の登場で、先ほどまで明るい雰囲気だった会場内に不安気配が広がっていく。

 あぁ、そういうことか。国王様も王妃様もこうなることが分かっていたんだ。だから私に侯爵家の血が流れていることを知らしめ、この国最強ともいえる二大公爵家の恩恵があるように見せつけなければならなかったんだ。


「では準備が整い次第ルキナを候補生として参加させますわ」

「いいだろう。だが、勘違いするな。次期聖女を決めるのは現聖女だ。如何に力が強かろうが、心が未熟な者にはその資格が無いと心得よ」

「えぇ、もちろんですわ。ですが、力無き者が聖女になれい事もお忘れなく」

 二人の険悪なムードに誰もが大荒れの予感を想像した時、会場内に澄み切った歌声が聞こえてきた。

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