透明な小説 6

 そして、物語は続いていくのだが……最後の章では話者が姿を現し、それまで解読不能と思われていた上記の箇所に注解を施すのだ。すなわち、「ええけつの朝」とは、宮沢賢治の詩「永訣の朝」のことであり、牡蠣のことはその時流れていたテレビ番組の放送内容であり、disposeには「処理する」という意味があるのだがガリバー旅行記の和訳の中では女や娘、姉妹を(王になるために)嫁として差し出す、という風に使われており、そのことからまたことばが生まれ、生まれては排泄され、しかし排泄が汚いので排雪を使い、しかしそこからまた新たに意味が産まれはるのであり、そうして生まれた意味は優雅なすっぴんのように化粧めいていなくて、桜餅のような美しいきめ細かい肌をしている、そして都庁の磁場という強烈な意味の尻を蹴っ飛ばすようにして、田村隆一の『開善寺の夕暮れ』という詩へのオマージュを捧げ、田村隆一や鮎川信夫が属していた荒地派が成し遂げた『荒地』という詩誌を題材にした『荒地の恋』というねじめ正一の小説を基にしながら、愛というものは本質的に恋と等価である、などと抜かしてみせるのである。恋や愛ということばで誤魔化していたのは、カポーティの『冷血』を読みながら(もちろん、カポーティとアイスティが掛かっていることはいうまでもない)よもぎの団子を噛むようなものであり、しかしまたそれは野間宏の短編のようにブリューゲルの絵を見て論じ続ける『暗い絵』のような素描であり、それより数的には百万ほど上のトランプ政権が離散してしまう様態を表現したのち、当然政権としてはエマニュエル・マクロンのことが思い浮かび(それだからマカロンを食べたくなるのだ)そのことが花を呼び起こす。ジャスミン茶のぬくもりを感じるような……あるいは蕎麦屋ですすられるような音沙汰のなさ、すなわち返事のなさがあるのかもしれず、そこで宮沢賢治の永訣の朝に重なってきて、ここで出てくるプリオンとはタンパク質の一種で、脳に含まれており、狂牛病などの原因となるために一般に脳を食べることをしてはならないのだが、クールー病になる患者などが例外的に儀式的な食人行為として脳を食していた事例などがあり、そのことからして神々に捧げる疑似餌となるように、という作品解題が完成するのである。

 注意するべきはこの解題には「永訣の朝」という詩を「良い尻の朝」と読み替え、肌のきめ細やかさなどを鮮明にするような表現叙述が続く。妹のために雪を掬ってくる物語が、トランプ政権やマクロンといった政治ネタやテレビの時事ネタに置き換えられるために、結果としてまごうことなき宮沢賢治ディスが成立するということである。そしてまた、メタフィクションの形式を取る魯迅の物語(訳者注:路上の物語と読むなら、ケルアックの小説になるだろう)などとの比較から、紙の高騰の話までが仔細に語られる運びとなり、なぜ火星の石ころの如きものに、こうして物語が遺されたのかがわかる、というこれまた随分と風変わりな物語となる。

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