透明な小説 3

 今、銀座の展示回廊を移動している。展示された漆器作品の一つ一つに糸が絡み付いていて、私が動く度に引っかかりそうになりながら進んでいるような感じだ。緩慢な動作のような慎重さが求められるこの美術展は、銀座和光のホールにて行われていた。

 その作品の一つに、人参を思わせるような偶像があった。作者は忘れてしまったが、『偶像崇拝 タージマハル』というタイトルが付けられていた(ような気がする)。その像の伸びた顎のところがちょうど人参の先端のように尖っていたのだ。まるでそこに透明な人参があるかのような影ができているのだった。

 ここから先はもはや透明な人参とは関係ない話になってくるのだが、見えるものすべてに透明な人参が存在するように見える僕にとって、僕という存在を規定するものが透明な人参であり、したがって主成分である食物繊維までもが透明であるならば、僕を規定するもの自体さえもが透明である、ということになって来やしやないだろうか。

 活字で書かれたものが透明になり得ない保証はないのだから、この仮定は俯瞰的に見て正しい。しかしながら、こうしたパースペクティブそのものが透明なものである可能性も否定できないのだ。すると物語は自ずから作者へと近づいていくのだが、この過程が描写される必要があるだろう。それは、つまり僕という書き手の意図に従っていくことそのものが、意図の存在たるや透明であるがゆえに、つまり見えないものであるがゆえに、世界の人参もまた透明になっていき、実際の生産から掛け離れた数値が検出されるようになるだろう。「透明な人参」の収穫量は年間約二万トンほどで、その大部分が記録されずに消えてしまうのだ。この相関係数を考慮した上で、仮定の存在である統計値をいかに高めるか、そしてまたこの透明な人参をいかにして食すか、といったことが問題となってくるであろう。

 「ではまた、透明な小説とはいかなるものか?」おやおや、さっき出掛けた答えが消えてしまったようだ。ここで重要なヒントを出すならば、「透明な人参」を食べた人は、また透明な人参同様に透明になるのである。こうして世界中で消費される透明な人参の仮定上の消費量が提示されるわけだが、それさえも透明な目に見えない数値なのである。したがって、世界には透明な人参を食べた透明な人間が存在することになるのである。さて、透明な人間は何を隠そう透明な存在であるから、透明な振る舞いによって透明なものが細菌的に伝播し、記述した文字も何もかも透明になってしまうのである。さて、こうして書かれたのが透明な小説、ということであるが、その透明さたるや人智を超えており、存在しないはずのものを存在させるようになってしまうのである。

 「それで存在するようになるのが透明な小説ということか!」そういうことだ。と答えたのは、夢の中で、答えもまた透明になり、醒めるとまた今まで書いてきた内容も透明になり、消えてしまうのだった。

 ああ、一からやり直しだ。

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