白彦

 遠くから名前を呼ぶ声がした。浮上するような感覚の中で煩わされる声に、寝返りを打った。その瞬間、白い光が眼裏に届き、冷たい空気が頬を張って目を開けた。カーテンを開けた窓から飛びこんできた朝の光が目の奥に突き刺さる。頭上から降ってきた高い怒鳴り声が頭の中に反響して、痛みが走った。

「お姉ちゃん、いい加減起きて!」

 顔をしかめていると、木目の天井が広がる視界に、依舞の渋い顔が割り込んできた。

「……何時?」

「もうすぐ八時。起こしても起きないんだもん」

「皐月、九時ぐらいには集まるのよ、起きなさい」

 脇に顔を向けると、喪服に着替えた母が布団をたたんでいるところだった。依舞は化粧さえ済ませている。早い。

「土間のテーブルにおにぎりとお味噌汁用意してあるよ。ばたばたしてるから、朝ご飯は各自適当にって……お姉ちゃん?」

 体がだるく、ひどい頭痛がする。

 布団に起き上がったまま俯く皐月の様子に異変を感じて、依舞が母を呼んだ。体が熱をもっていて、自分でも具合が悪いことは分かった。

「ちょっと……皐月、熱あるじゃないの」

 皐月の額に手のひらを当てた母が驚いた声をあげた。

「顔むくんでない? 目の周りも少し腫れてるっぽい」

「あー……」

 昨日の晩のことが少しずつ蘇ってきて、白彦の前で泣いたことも思い出した。他にも、なにか大きなことがあったような気もして一瞬、それを思い出しかけた。でも、すぐに脳裏に浮かんで捕まえる間もなく泡のように消えた。

「告別式は十一時からだけど、この熱じゃ難しそうねえ。微熱ぐらいなら頑張って参列してもらうとこだけど」

 呆れたような母のため息に、皐月はじわりと自己嫌悪を覚えた。こんな大事な時に高熱を出す不甲斐なさは、責められても仕方がない。

「ちょっと姉さんたちに相談してくるわ。まあ告別式は出ないでも大丈夫だと思うのよ、最後の火葬に立ち会えれば……」言いながら母は部屋を出ていった。

 母とは対象的に、心配そうに依舞がそばに座った。そして皐月の額に触れた。

「だいぶ高いね……。辛ければ、火葬も参列しないでよくない?」

「大丈夫よ、なんとかするから」

「でも」と言いかけて、依舞は口をつぐんだ。皐月が一度決めたら、譲らないことを分かっていたのだろう。

「食欲は? おにぎりだけでも口にした方がよくない?」

「そうだね……」

 あまり食欲はないけれど、エネルギーを無理にでも体にいれておかなければ、それこそ火葬にも立ち会えない気がした。

「悪いけど、とってきてもらえない?」

 依舞が頷いて急いで部屋を出ていく。それを見届けて、皐月は上半身を布団に倒れこませた。

 古い家だと、こうして布団に横になって耳を澄ますだけで、誰かの足音やちょっと張り上げた声やなんかが伝わってくる。すでに屋敷のうちは告別式に向けて、慌ただしい雰囲気に包まれていた。

「あー…もう……」

 親戚の中には棺守りのために仮眠レベルの睡眠しかとらない人もいる。それなのに自分はたいした手伝いもこなせず、さらに熱まで出している。体調管理の甘さに歯噛みしていると、廊下がきしむ音が近づいてくるのに気づいた。

 一瞬依舞が戻ってきたのかと思い、すぐにそうでないと直感した。すり足のような、日本家屋の廊下を歩くことに慣れた音はもっとこの本家に近しい人のものだ。依舞なら廊下を走りかねない騒々しい足音をたてる。

「皐月ちゃん、開けるね」

 昨日、今日で耳になじんだ低い声に「えっ」と驚いて、返事をする間もなく襖がすっと開いた。襖の向こうに、パリッとした白いシャツに身を包んで膝をついた白彦の姿があった。

 寝乱れた自分の格好と、昨晩からの気恥ずかしさに皐月は慌てて布団をひきあげた。

「熱出したって聞いて」

 白彦は廊下に置いていた盆を畳の上に移し、自分も内に入ると襖を閉めた。盆を手に音もなく立ち上がり、皐月の寝ている布団の脇にくると端然と正座した。その一連の無駄のない作法に則った動きは、自分には真似できないほど洗練されている。

「依舞ちゃんがおにぎり持ってって、って」

 余計なことを。思わず胸の中で依舞に毒づく。

 白彦はかすかに上体を曲げて、申し訳なさそうな表情で布団に隠れた皐月の顔をのぞきこんだ。

「大丈夫? 昨日、外で長居させすぎたね、ごめん」

 優しい目が皐月の心の奥を透かし見るようにのぞきこみ、かすかに心臓が小さな音を立てた。それを打ち消すようにかぶりを振った。

「ううん、きよくんのせいじゃないよ。きよくんの丹前まで借りて、風邪ひかないよう早めに屋敷に入ったのにね、こんな大事な時にひいて、私の方こそ申し訳なくて」

「そんな風に思わなくていいよ。僕はこの土地の気候に慣れてるし……人って思ったよりやわいから、それを忘れてた僕が悪い」

 そう言って、白彦は手のひらで自分と皐月の額にそれぞれ触れた。

 白彦の手はこの前より温かく、むしろ白彦の方が熱を持ってるんじゃないかと思えた。

 彼は「熱い」と顔をしかめると、持ってきたシート型の冷却剤をとりだした。貼ってくれるつもりなのか、粘着部分のセロハンを外そうとして手こずっている。

「……とれないな、これ」

 なんだかさっきまでの大人びた作法からはほど遠い不器用な動きに可愛くなって、皐月は布団から身を乗り出して白彦の手からそれを掠め取った。

「これくらい自分で貼れるよ」

 セロハンを外して自分の額に貼ろうとすると、今度は白彦がムッとしたように皐月の手から冷却シートをとりかえした。

「僕がやるよ」

 たかが冷却剤のことで世話されるのも照れくさく、断ろうとして口を開き、やはりつぐんだ。白彦が真剣な眼差しで冷却シートを貼ろうとしていたからだ。おとなしく額の髪をかきあげて抑えると、白彦は少し慣れない手つきで冷却シートを貼った。貼り終えてどこか満足げに見える白彦は、どこか幼い頃の白彦を彷彿とさせた。

「おにぎり、食べられる?」

 白彦は盆を引き寄せた。そこには、おにぎりがお皿の上に二つ。片方はおかかなのだろう、かつお節が三角の頂点でかすかに震えていた。なんの変哲もないおにぎりなのに、場所のせいか発熱のせいか目が吸い寄せられた。唾をのみこむほどに、おいしそうな白さがまぶしい。

「食べる」と頷くと、白彦は心配そうな顔つきでs熱きにおにぎりを差し出した。受けとる間も、皐月の一挙一動を見守っている。

「少し寝れば大丈夫だよ」

 小さく笑いながら安心させるように言っても、顔いっぱいに心配だと書いている。

「そう見てられると……食べにくいよ?」

 さすがに苦笑してそう言うと、白彦は顔を赤らめた。

 かわいい、なんて思ってしまう気持ちに蓋をして、皐月はすぐに意識をおにぎりに切り替えた。

 そうして一口食べて、皐月は驚いたように顔を上げた。皐月の様子をまっすぐ見つめていた白彦が皐月の表情に嬉しそうに口元をほころばせた。

「美味しい?」

「うん、とっても。おにぎりがこんなにおいしいなんて」

「良かった」

 米一粒一粒がふっくらして程よい粘り気と弾力、そして米本来がもつ甘みがあった。さらに塩加減が絶妙で、自家製のしわだらけの梅干しの酸っぱさとともに軽く食べきれてしまう。

「お米ってこんなにおいしいんだって久しぶりに思った。ひとつ食べきるのも無理かなと思ったけど……。平熱だったら、もっと美味しく感じただろうな」

「うん、ここのお米は他に比べてもとびきり美味しいよ。山の米だしね」

「山の米?」

「山間でつくるお米のことだよ。平野部でつくる米とは全然違って、山があることで成り立つ自然条件が、お米の美味しさを最大限ひきだしてくれるんだ」

「自然条件……?」

「山のミネラルを蓄えた水と稲を育てるのにちょうどいい気候や土がね、おいしい米をつくるんだよ。だから、山の米が平野部の米より美味しいといわれるんだ」

 その言葉には抑えても誇らしさがにじみ出ていた。そして、それを皐月に伝えられる幸せに満ちた顔で言葉を継いだ。

「そして昔からこの土地で生きてきた命あるものたちが紡いできた知恵と歴史。そういうのがしっかり受け渡されて根づいてきたから」

 単なる米でも、そこには確かな時間が蓄積されてきている。そう思うと、今食べている目の前のおにぎり一つでも、とても尊いもののように思えてくるから不思議だった。

「聞いたことない? ここら辺って、昔からの自然を壊さず受け継いできた、日本でも有数の里山や川があるんだよ」

「そうなの?」

 驚いて少し声を張り上げた。その瞬間、頭の奥が少し痛んで、皐月は思わず顔をしかめた。ハッと白彦が表情を変えた。

「ごめん、調子にのりすぎた。身体に障るね」

 普段は気にもとめない小さなことでも、今はもっと話を聞いてみたい気がして頭を振った。

 白彦は苦笑しながら軽く「だめだよ」と頭を振って、布団に横になるよう促した。皐月は仕方なく布団に再び横になりながら、白彦を見上げた。

「ね、命あるものたちっていうのは?」

 白彦は少し間を置いて、言葉を選ぶように口を開いた。

「例えば、ここで生きて死んでいった、名も知れぬ人たち。大きな戦も政変も遠くて、ただお天道様の下で子を産み育て、土地を耕して稲や野菜を育み、それを日々の糧として人間としての生をまっとうした人たち」

 白彦はどこか遠い目をした。

「そういう人たちこそ、僕は尊いと思う。彼らを見ていると、人はとても儚いのに、たくましい生き物だと思わされる。与えられた場所で限られた時間を、守りたいもののために短い生をまるで火花を散らすように激しくしなやかに生きている。それはすごくきれいで……自然だ」

 長屋門の前に広がっていた田んぼが思い起こされた。

 なにげなく見過ごしてきた風景の中に、そこで笑い、泣き、怒り、哀しみながら、毎日、稲や野菜と、土と水と天気とに真摯に向き合ってきた人たちの生き様を想像する。

 この屋敷の遠い、祖母よりも何代も何代も遥かにさかのぼった先祖の姿。

 そこに宿る、とてもささやかな祈り。

 子らがたくましく元気に育ちますように。

 いつまでも健やかに、連れ合いと老いていけますように。

 何事もなく、ただ平和に日々が過ごせますように。

 そんな願いの中にはもちろん、おいしいお米が育ちますように、というのも当然あっただろう。

「おばあちゃんも、そんな一人?」

「うん、何より今残ってるお米は、おばあちゃんが最後まで面倒見ていたものだから」

「だから美味しいんだね」

 いつも笑みを絶やさなかった祖母も、農業のことになると真剣で厳しかったと聞いたことがあった。そんな祖母が農業に情熱を傾ける姿を皐月はよく知らない。いや、それ以前に自分は祖母をどこまで知っていただろう。

 その人が笑顔でいても、その裏に秘めた想いは他の誰も知らない。

 いつも笑顔しか見せなかった祖母が、あの日ばかりは、皐月を怒った。その顔の向こうに隠されていたのは、どんな想いだったのだろう。

 祖母に想いを馳せていると、白彦は哀しみとも慈しみも知れぬ笑みを湛えて、「それからもう一つ」と囁くように言った。

「……人の目には見えぬものたちが差し伸べる手」

「それは、」何、と言おうとした時、白彦がゆっくり皐月の頬に触れた。ドキリとしたのも一瞬、おもむろに手のひらをかざされて、両目が覆われる。

「いつだって、目に見えるものだけが全てではないから……」

「きよくん……?」

「ゆっくり眠って。告別式には間に合うようにしてあげるから」

 手で覆われる前に見えた白彦の瞳が、また金色に光っているように見えた。

 白彦の言葉の意味も、その瞳の光も、聞きたいことはたくさんあった気がするのに、急激に瞼が重くなって睡魔の手に引きずられる。

「目が覚めたら、元気になってるはずだよ……」そう呟いた白彦の言葉が、皐月の耳の奥にかすかに響いて泡のように消えていった。そのまま、皐月はあっという間に深い眠りに落ちた。


 誰かが廊下を歩いてくる。

 きしむ音はしないけれど、ぺたぺたと湿っぽい音がするから、素足だと分かった。

 その足の持ち主は、きっと、この部屋の前に立って襖を開ける。そう確信をもって予想できることを疑問に思わず、その足音が予想通りに行動することをぼんやりと待った。

 おおかた様子を見に来た依舞だろう。そう思っていると、やはり襖がすっと開いて、首をめぐらせた。つもりだった。

 その時になって、ようやく体が動かないことに気づく。声も出ない。

 皐月自身の意志ではままならない体と覚醒した意識が分断されたような感覚に陥って混乱する。眠ったはずだった。そうならば今は目覚めているのか、それとも熱による夢うつつなのか。

 半分パニックになっている皐月に気づくはずもなく、頭の方から近づいてきた気配は、少し離れたところでためらったように立ち止まった。

 直感的に、足の持ち主が依舞じゃないと気づく。

 私の知らない誰か。

 それは白彦でもなく、……おそらく人でも、ない。

 できればそのまま回れ右をして、この部屋から出ていってほしかった。そう願う皐月の思いとは裏腹に、再び畳のたわむ音がした。

 それが顔の横の方で止まって、思わず皐月は息を潜めた。目を動かそうと思えば動かせたかもしれない。でもその気配の正体を見るなんてことはとてもできそうになかった。むしろ目を閉じたいのに、木目の天井をまっすぐ見つめていることしか皐月にはできない。

 一秒が、やけに長い。

 こそり、とも音がしない。

 ぎりぎりと、緊張の糸が張りつめて、体の内で不穏な塊が膨張していく。

 お願い、どこかに行って。そう強く念じた時、ふっと空気が軽くなった。

 その瞬間、視界の上の方に丸い子どもの膝が掠め、その持ち主が何者か気づいた。

 狐面の男の子。

 今、皐月の頭上のそばにいるのは、あの子に違いなかった。

「……がい」

 ふと、小さな声がたどたどしく降ってきた。初めて聞くのに、なぜか少し懐かしくなって、張りつめていた気持ちが緩んだ。

「……おねがい」

 何に怯えているのか、震える声が哀れで、恐怖が一気にほどけた。むしろ、どうにかしてあげたいと母性が疼く。

 でも、まだ声は出ない。だから声に出さず、問いかけた。

 お願いって、何?

「おもいだして」

 何を?

「おもいだして」

 自分が知っていること?

「おねがい。おもいだして」

 何をとは言わず、ただ「おもいだして」と繰り返されて、途方に暮れる。何かを訴えているのは分かるのに、それを理解できないもどかしさが胸の奥を締めつけた。

 君が何を言っているのかわからない。ごめんね。

 そう何度も胸の中で謝ると、その子は小さくしゃくりあげ、すすり泣き始めた。

 その泣き声は、皐月の心の奥底をひどく揺らした。遠い昔、まだ皐月が幼稚園に通っているくらいの頃に聞いた覚えがある。思い出さなくてはならない気がするけれど、そう思うことさえ、どこか遠く感じた。

 かすかに頭を動かせることに気づいて、ゆっくり隣を見上げた。

 張り出した丸く愛らしい膝が見えて、そして両手で狐面の顔を覆う男の子がいた。

 上半分しかない狐面の下端から、小さな涙が伝い落ちている。

 泣かないで。慰めたくて、手を伸ばした。

 いつのまにか自由になっている体のことも忘れ、その子の手に触れたような瞬間、男の子は反射するように畳の上から飛び上がった。

 その弾みで狐面が落ちた。

 ほんの一瞬、捉えたのは、切れ長で金色に光る瞳だった。

「きよくん?!」

 自分の叫んだ声に、ハッとして飛び起きた。心臓が早鐘を打って、現実感が皐月を覆っていた。

 あの子が座っていたはずの隣を見ると、ただ陽に焼けて色あせた畳が広がるばかりだ。

 夢だったのかと疑いながら、醒める前に一瞬だけ見たあの子の、狐面の下に隠れていた素顔を記憶に繋ぎとめようとした。そうしなければ、どんどん靄の中に包まれて、細部まで思い出せなくなってしまう。

 幼い頃の白彦にそっくりだと感じた顔の中で一つ、はっきり印象に残っている部分があった。

 目だ。人間のものではなかった。

 猫のように縦長に細い瞳孔。そして、時々白彦の瞳でも錯覚のように気になった、その色。

 角度によっては別の色彩も混じるかのように輝く、金。

 白彦なのか、白彦の姿を借りた他の何者なのか。

 それに、あの子はしきりに繰り返した。

「思い出してって、何を……?」

 かすかに汗ばんだ額を抑えながら、考えを巡らせる。自分の記憶に何か関係があるのだとしか思えなかった。

 その時、廊下を歩いて近づいて来る音がして顔をあげた。

「お姉ちゃん、開けるよ」

 喪服のワンピースを着た依舞が入ってきた。

「起きた?」

「ん……ちょうどね」

「顔、赤いの引いてるみたい。熱、さがった?」

 そう言われて、体のだるさが消え去っていることに気づいた。悪化してもおかしくないのに、熱も下がっていて、不思議なほど気分もすっきりしている。

「もうすぐ告別式はじまるから、その前に様子見にきたんだけど、具合はどう?」

「たぶん大丈夫。参列するよ」

「でも……平気?」と心配そうな依舞に笑みを返して、布団から出た。

「慣れない場だったのと、仕事の疲れが一気に出ただけだと思うから」

 時刻は九時半。急いで仕度すれば十分間に合う。

「じゃあママに伝えてくる」

 部屋を出ようとした依舞がふと何かを思い出したように振り返った。その目がからかい半分に笑っていて、嫌な予感がした。

「ねえお姉ちゃん、白彦さんて、お姉ちゃんのこと好きなんだね」

 突拍子もない話に何を言われたのか一瞬ついていけなかった。

「ちょっとね、悟おじさんと白彦さんが話してるの聞いちゃって。なんか親子ゲンカ? してるみたいな雰囲気だったけど。でも白彦さん、お姉ちゃんのことは僕が守るって」

 依舞があざといくらいの笑顔を浮かべた。

「ねね、お姉ちゃんもさ、まんざらじゃないんでしょ?」

 第三者から、自分への好意を聴かせられると真実味が増すらしい。

「そっ、そんなことはいいから、お母さんに伝えてくるんでしょ、もう急いで準備しなきゃならないんだから余計なこと言ってない!」

「はあい」と、可愛く舌を出して、依舞は身を翻すとぱたぱたと廊下を走っていった。

 せっかく熱が下がったのに、頬が火照って熱い。

 またぶり返したらどうしてくれる。ぶちぶちと文句を言いながら、皐月は仕度を始めた。

 白彦が自分に好意をもってくれていることは気づいていた。もちろん嬉しくないわけじゃない。

 でもこんな時に、という気持ちと、狐面の男の子のこともある。それに白彦との思い出をさっぱりと忘れていた身で、好意を寄せられているからという単純な理由でなびけるほどの余裕が、今の皐月にはなかった。

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