大きい水たまりみたいな

@senakalove

大きい水たまりみたいな

波が、押しては返すなんて、ウソだと思った。押して、返す間もなくまた押してくる。押して押して、寄せて寄せて。返す暇なんて、引く暇なんてない。風に煽られて次々と波ができる。波打ち際にはずっと波があって、このままどんどん、どんどんどんどん自分の足元に水が近づいてきて、そのまま、ずぶりと飲み込まれるんだ。

そう思っていたのに。

波はずっと押してくるのに。

自分と水の境界線はだんだんと離れていく。打ち上げられていた、顔のへこんだ魚は徐々に水に触れる面積が狭くなっていく。波が寄せるたびに、エラがあったところから水が入っていたのに、今では尾びれの先だけが波に合わせて動くだけだ。顔がつぶれて、水もなくなって、あの魚はもう呼吸ができない。

呼吸なんて最初からできていなかったのかもしれない。

目の前に広がる川は広くて、汚くて、海なんか見えなくて、髪を乱す風は冷たくて、コートのポケットから手を出せば一瞬のうちに冷えてしまう。

帰り道がわからない。あの魚のようにつぶれちゃえば、いっそ、帰らなくてもよくなる。

なんて。

「すげー!さかな出てるー!」

「ほんとだー!」

声がして、あっと言う間に子どもが二人、魚に駆け寄っていった。幼稚園児だろうか、小学校低学年だろうか。この寒さの中、マフラーも手袋もコートも着ていない。一人がサッカーボールを持っているので近くの公園で遊んでいたのか。後ろから父親らしき人が追ってくる。落ちていた枝を拾った子どもに「魚触らないよ」注意する。子どもは返事の代わりに枝をその場に捨てた。

帰らなきゃ。

夕飯の支度をしないといけないし、洗濯物もたまっている。録画しているドラマも見ないといけない。風が強く吹いて、それまでより大きな波が立った。もう魚に波が当たることはない。


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