08. 時間遡航

 時を遡り、過去を改変する。

 そんなことが出来るのなら、大抵の問題は解決できるだろう。


 進んだ未来の技術を送り込み、エネルギー枯渇を解消する。大災害を警告して、事前に防止する。厄介なのは、国家間の戦争くらいだ。


 しかし、タイムトラベルなんてものは、まともな科学者の研究対象にはならない。

 まして自分の名を冠する研究所を抱えるほど、実績を残した人物なら、他にすべき研究がいくらでも山積する。


 ヤマガミ所長は、まともではなかった。

 ロボット開発が成功し、有り余る特許を獲得すると、一生研究に打ち込める莫大な利益を産んだ。

 初老を迎えようという頃、研究所に自分専用の別棟を設け、幼い頃に夢見たテーマに取り掛かる。


 最初は若き所員たちの面倒も見ていたヤマガミは、ある日を境にして、自室に篭るようになった。

 妻と娘二人を一度に病気で失った彼は、悲嘆を研究への執着心に変える。


 世界的に流行する様々な難病、その治療法を確立するのは専門外であり、彼が選んだのはもっと奇妙な方法だ。

 時間を遡航して病気の流行前に戻り、過去の研究を加速させる。


 いや、ヤマガミを動かしたのは、もっと単純な想いか。

 亡くした家族に、もう一度会いたい。妄執に囚われるには、それで充分だった。


 だが、この日、彼は途方に暮れていた。

 深夜の研究所の一室で、彼は事態を把握しようと懸命に頭を働かせる。

 キャスター付きの椅子に座る彼の目の前には、数値データを一面に映すモニターが二台。

 床にはうつぶせで倒れた老人が一人。


 気付けば見知らぬ男が、四肢を投げ出して研究室の無機質なフロアで寝ていた。

 その捉え方が正確でないことは、老人の首に手を当てた時に分かる。脈が無い。


 ヤマガミは遺体を仰向けに転がして、その姿をまじまじと見つめた。

 白衣、これは研究所の所員が着るものと同じ。顔は皺くちゃで覚えが無い――はず。


 鍵代わりにも使うIDパスを、首からぶら下げている。

 ホルダーを取り上げて、表記に目を走らせた彼は、また暫く理解するのに時間を掛けるハメになった。


“所長:ヤマガミジロウ”


 ――なぜ自分のパスを、この男が持っている?


 何かに思い当たった彼は、老人の右袖を捲り、前腕の裏に刻まれた十センチほどの古傷を確かめた。

 次に、左手の薬指にプラチナのシンプルな指輪が嵌まっているのを見る。


 中学生の時、スキー場で負った怪我に、妻と揃えた結婚指輪。これは自分、老いたヤマガミジロウだ。


 異様な結論に達した彼は、膝をついたまま、おいおいとかすれた声を上げ始める。

 死者を悼んでいるのではない。歓喜の嗚咽だ。


 ――成功だ。年老いた自分は、時間を逆行したんだ!


 震える拳を握り込み、しばらく遺体を眺めていた彼は、やがて落ち着いて残る疑問に思考を巡らせた。


 一つは、どうして自分・・は死んだのかということ。

 これは時間遡航に耐えられなかったと考えるのが、自然だろう。老人は死を覚悟した上で、負荷に身を晒したのではないか。


 遡航の成功を優先したという推察は、次の疑問への答えに繋がる。


 なぜこの時代に戻って来たのか。研究の最終目標は、奇病が発生するより前の時代に戻ることだった。

 この中途半端な時点を選んだのは、研究が未完成だからだろう。生体は遡行に耐えられないのだ。


 過去に物を送れるだけでも、重大な偉業ではあるが、ヤマガミの真の目的は叶わない。

 彼が生きて戻れなくては、妻子に再びまみえることは不可能である。


 自分自身の考えたことを、トレースするのは容易い。顎に手を当てて、彼は己が目指した計画に推理を重ねる。


 死期が近いことを自覚して、時間遡航が完成しないことを悟った老人は、若い彼へ後を託すことにしたのではないだろうか。

 今から更に研究を発展させれば、完璧な時間移動も望める。


 だとすれば、非生体を遡行させる方法を持ち込んで来ているに違いない。


 ヤマガミは所持品を調べるべく、遺体の衣服のポケットを探った。携帯端末、メモリーチップ、なんなら手書きのメモでもいい。


 然しながら、それらしき物は何一つ発見できない。

 穏やかな死相を浮かべる顔に手を掛けて、口腔の中も覗いてみる。シャツのボタンを外して、身体に貼付けた物がないかも探した。


 ――なぜ無い。何もかもが無い。


 若い自分の手が遺体をまさぐるほどに、違和感だけが猛烈に膨らむ。


 ――酷く、おかしい。


 椅子に戻り、深く腰を下ろした彼は、漫然とモニターと机の上に視線を彷徨さまよわせた。


『全てを受け継ぎし者へ』


 誰かに宛てた手紙だろうか、二つ折りの紙片が目に入る。殴り書かれたタイトルは自分の筆跡に思われても、そんなものを書いた覚えはなかった。

 紙を広げた彼は、本文に目を通す。やはり急いで書いたらしく、文字は荒れ、内容は短い。


“君の目が覚めるには、数日を要するはずだ。それまで体が保てばいいのだが。

 死を前にして、未来を君に託そうと思う。君こそが、私の全てだ”


 ――君とは、私なのか?


 戸惑いは、やがて一つの答えに導かれて行く。

 本当は何が起こったかを理解し始めるにつれ、モニターに表示された数字が、やっと意味を成して頭に入ってきた。


 ――このデータは、時間遡航の研究じゃない。整合値……意識と身体の同期を細かに報告するものだ。


 ヤマガミは弾かれたように洗面所へ走り出す。

 部屋を出て、廊下の奥にあるトイレへ駆け込み、手洗いの上に掛けられた鏡を凝視した。


 そこに映るのは、よくよく知った忘れもしない顔だ。

 知り合った頃の若い妻が、自分を見つめていた。指輪も皺も無く、嗚咽を漏らしても涙は流さない妻が。


 最晩年、ヤマガミは時間遡航に執着するのを止め、本来の研究に立ち返る。

 人間に限りなく近い、それでいて悪環境に耐えうる高度汎用型偽人。時間を遡ることに比べれば、よほど実現性の高い目標だった。


 衰退する人類を助けるためにヤマガミの脳を写し取ったロボットは、こうして誕生する。

 鏡を眺めて半時間も経つ頃、ようやく自己を確立して、コピーされた記憶とも折り合いをつけた。


 研究室に戻った彼女・・は、所長のIDパスを取って首に掛け、部屋の端末を起動して外部へ連絡を入れる。

 後にF型と呼ばれる偽人の第一号が、動き出した瞬間だった。

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