04. 絶滅動物園
黒いライダースーツに身を包んだフィーは、暗い前方に目を配りつつ、オフロードバイクを駆った。
ヘルメットも無しで飛ばすのだから、ミドルロングの髪は馬のたてがみの如く棚引く。
深夜の荒れた国道に他の車両は走っていないものの、どこから崩れたのか、人ほどの大きさの瓦礫があちこちに転がっていた。
スピードに乗ったまま、バイクは障害物を器用に避けて行く。
フィーは愛称であり、本名はF362205型、各所を回って現状を把握することを主任務としている。
次の目的地は三十キロ先の第二十八避難都市――人類生存を賭け点在する、巨大な隔離ドームの一つだ。
但し、二十八番目のドームは外壁に修復不可能な傷が入り、放棄されてから百年近くが経つ。
一昨日、断続的な信号が届くまでは、人も資材も残されていないゴーストタウンのはずだった。
信号と言っても、意味のある通信ではない。単なる唸りのような音声メッセージが数度、受信先を規定せずに撒き散らされただけだ。
それでも、生存者がいる僅かな可能性があるのなら、誰かが確かめに行くべきだろう。
最も近隣で偵察に務めていた彼女は、率先してドームへと向かったのだった。
長いバイク移動も、人でないフィーの苦にはならない。
注意すべきは残電量だが、高密度電池の充電は万全で、彼女もバイクもこの先一ヶ月は無補給で行動できそうだ。
皮肉にも、人間には厳しい世界と変貌したことで、人外の機械には心配事が一つ減った。
発電所のメンテナンスに奔走したのは、もうずっと昔のこと。どこの街でも、彼女たちのための電力プールが完備されている。
廃都市を抜け、やや
日の出に合わせてライトを消し、外壁を観察しながら、正面ゲートへと近付いて行く。
ファイバー鋼で網に編まれた巨大な半球は、地上からではそそり立つ壁のようだ。
鋼材の間は超硬アクリル板が三重に嵌められ、一瞥しただけでは破損箇所は認められない。
しかし、開け放たれたゲートは、ここが既に機能していない証拠である。
通常なら面倒な検疫を複数受けさせられる正面入り口を、彼女はバイクで駆け抜けた。
中には規則正しく、集合住宅が密接して立ち並ぶ。中央に行けば、かつての病院や研究棟も存在するはずだ。
一万人以上を収容できるドームには、小さな劇場や公園もあり、出来るだけ閉塞感を和らげようと努力されていた。
各種センサーを立ち上げたフィーは、縦横に伸びる街路を根気よく虱潰しに走る。
ビル壁は一部が剥離し、外壁から割れ散ったアクリルパネルの破片が目立つ。まだ朝早く、健気に道を照らす街灯も散見された。
電源が起動しているのは意外だったが、決して珍しいことでもなかろう。
街の心臓である融合炉は三百年は保ち、異常を検知するまでは自動運転していておかしくない。
マニュアルに従うなら、放棄時に停止すべきだと言うだけで、例外が発生するのもまた人間の営みに
電気を除くと、他に特異な反応は音響センサーに現れた。入り口から遠く北東の端のエリアに、いくつか音を立てている物が在る。
バイクで向かうこと十五分、塀で囲まれた非居住エリアへと到着した彼女は、エンジンを止めて鉄柵の門扉へと歩み寄った。
掲げられた標識には、施設名が黒々と記されている。
『絶滅動物園』
このドームは、動物管理の役割も担っていたらしい。
音の発生源はここ、まさかと訝りつつ、フィーは重い門を押し開けて中へ進入した。
街を放棄した際に、動物を引き連れて行かなかったとは考えにくい。
仮に獣たちが残されたとしても、無管理で数十年以上を生き延びることは、もっと有り得ない。
空の檻が続くのを想定した彼女を裏切り、入って早々にキリンの長い首が目に飛び込んだ。
――絶滅大型獣、それもサバンナ産!?
知識としては持っていても、初めて見る動物たちが、次々と登場する。
ゾウ、タヌキ、ツキノワグマ、日本猿、オポッサム、インパラ。
狭い収容スペースに押し込められて、どの生き物も窮屈そうではあるが、気ままに歩き回る姿は健康そのものに思われた。
――輸送隊を呼ばなければ。いや、それ以前に、このドームはまだ生命維持が可能なの?
ドームの天井を見上げたフィーは、欠損が無いか今一度、注意深く見渡す。街の損傷具合から、気密性は当然失われていると考えたが――。
ドーム登頂近くには、大きな穴が開き、赤みを帯びた空が覗いていた。細かな欠損なら、そこら中に存在し、内部を隔絶することなど望むべくもない。
では、動物たちは何故平気なのか。
各地のドームでは、人間だけでなく動植物の保護も図られた。この避難都市群は、地球で栄えた生き物たちの
特に生殖能力が減衰した哺乳類が最優先され、環境悪化の潮流が変わった際の種親となる予定だった。
ゲノム情報も保存されたとは言え、無から生命を生み出せるほどの科学は無い。各ドーム内の動物が死滅すれば、それは種の断絶を意味する。
そしてその断絶は、誰かが規定したレールに
絶滅を防ぐための動物園は、絶滅種の展示場へ、最後には名前に違わない絶滅の記録場所となり、今に至る。
北極熊がへたり込む檻の中を見回したフィーは、縦に並ぶ鉄の棒を掴み、上へと腕力だけで登り始めた。
高い柵の先に天井は無く、最上部で内側に折り返す。
白い熊は、近付く人影にも無反応で、顔を上げもしない。
彼女は地面に飛び降り、奥隅に在るグレーの金属製の箱へ近付く。
――立体映像を見せる動物園、か。
そんな仕掛けを設置した理由が判明したのは、中央管理棟を調べた時だった。
熊舎の裏口から、虎や豹などの猫科の猛獣舎の横を通って管理棟へ向かい、半開きの扉から中に入る。鍵はどこも掛かっていない。
一階奥の管理事務室には、起動可能な端末が在り、古い管理記録や日誌が閲覧できた。
第二十八番ドームでは、早々に動物たちが絶滅していたらしく、存在目的を失った動物園に、人々は往年のホロ映像を流すことにした。
郷愁という単語はフィーも知っているが、その感情を真に理解はできない。
彼らはホロを眺めて、何を考えたのだろうか……。
――人間性の考察を指示された仲間なら、答えられるのかしら。
旧都市に残って文明の残骸を漁る同僚に、彼女は一瞬、思いを馳せた。
獣の幻影を解明しても、ドームに来た目的は未達成である。
通信機器は街のあちこちにあるため、謎の交信がどこから為されたか探るのは厄介な問題だったが、この絶滅動物園こそが発信源ではないかとフィーは推測する。
第六感などという話ではなく、システムが稼働中だからという、単純な根拠だった。
管理棟二階、通信室。やはり機器のスイッチは入ったままだ。
百年を経て健在なのは優秀なのだが、使用ログを表示するモニターが故障している。
配線を辿り、なんとか直せないか調べる彼女の目の端を、動く影が横切った。
間髪置かず、彼女は扉の外、二階の廊下へ走り出る。
影は小さく、突き当たりの廊下を降りようとするところだ。
黄土色の体表に、四つ脚での移動。
――猫?
中央管理棟はホロの投射圏外のはずで、ここにボックスを置いたとも思えない。もし本当に猫であるなら、屋外で生き延びた貴重な哺乳類となる。
適合生物――それもまた、絶滅の縁に追い込まれた人類が求めた、一つの解決法の形。
確保したいという彼女の思いに応えたのか、猫は階段の下で、こちらを見上げて待ち構えていてくれた。
「逃げないでね……」
フィーはゆっくりと、小動物を驚かせないようにステップを降りて行く。
――猫、ではないわ。
猫にしては頭が大きく、手足が太い。黄土一色に見えた体毛も、薄い黒の縞模様が入っていた。
「あなた、虎の子ね」
小さな獣は、伸ばされた手を受け入れ、彼女の胸の中に抱えられる。激変した星に耐える秘密が、仔虎の体内にあるはずだ。
重大な成果と共に管理棟を出た彼女は、動物園のゲートへと足を早めた。
「大方、あなたが通信機のボタンを押したんでしょ」
優しく頭を撫でた彼女は、柔らかな毛並みの中に違和感を見つける。
触れたのは、首筋にある突起。小走りだったフィーの足取りは、また慎重な歩みに速度を落とした。
ボタンを押し込み、その状態で五秒待つ。
モゾモゾと身じろぎしていた虎は、無機物の毛玉となって静止した。
偽生物、彼女と同族だ。
よくよく観察すれば、腹や太股の人工毛に焦げ跡があった。最近の事故、虎にすれば突然降って来た幸運の跡だろう。
動かなくなった獣を地面に下ろし、偽人らしからぬ溜め息をついて、フィーは歩き出す。
彼女にも、落胆の感情くらいは湧く。
十メートルほど進んだところで、再び立ち止まり、停止した虎へ振り返った。
――人が愛玩した偽物の獣。一緒にいれば、その気持ちの一端でも理解できるかもしれない。
来た道を戻り、仔虎を拾い上げて、またゲートへ急ぐ。
虎を腹にベルトで縛り付け、バイクに跨がった時、彼方の山脈に稲光が走るのがドームの外壁越しに見えた。
「サンダースコールが来るわ。今度は逃げないと、丸焼けになるわよ」
雷嵐で直接充電するのは危険極まりなく、普通なら回路が焼き切れてしまう。このドームの半端な保護力が、虎にはたまたま上手く働いたのだろう。
――仔虎の焼けた毛は、どこで修復できるのかしらね。
雷鳴は遠く、ホロの動物たちは営みを繰り返す。
無言の小さな仲間と共に、フィーは動物園を後にした。
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