終末の小匣 <10+1の短編集>
高羽慧
01. ウサギの餅つき
シロウが家に帰ると、眉を顰めた妻に出迎えられた。
スーツからラフな部屋着になる横で、彼女は声を潜めて今日の出来事を報告する。
一人娘、七歳になったばかりのルミが、学校から泣きながら帰って来たのだと言う。
「イジメられたのか?」
「授業で絵を描いたらしいんだけど、みんなに馬鹿にされたらしいのよ」
「絵でか?」
親バカと言われれば、返す言葉も無いが、彼が見る限りルミは絵が上手い。
シロウの誕生日には、似顔絵を贈られたこともあり、可愛らしい筆致に感激したものだ。
幼児用タブレットに描かれた画像データは、今も彼の端末のスタート画面を飾っている。
「ルミはどこに?」
「布団を被って、ふて寝してるわ」
「俺も様子を見てこよう……」
子供部屋に行こうとした彼を、妻が呼び止めた。彼女の端末が、学校からの着信を知らせたからだ。
「描いた絵のデータが届いたわ」
端末に映る絵を覗き込んだ彼は、級友が何を馬鹿にしたか見当が付いた。
「オレンジと言うか、ほとんど赤だな」
「えーっと、“ウサギの餅つき”がテーマらしいわね」
真っ暗な夜空を背景に、たくさんの白いウサギが跳ね回る絵だった。
餅つきを知らないルミは、奇妙な形の
ウサギはお話やアニメでよく登場するキャラクターであり、彼女のお気に入りだ。
十匹はいるだろうウサギは、どれも漫画風の愛らしい目が印象的で、贔屓目でなく上手く描けていた。
問題は、空に浮かぶ月だ。赤く不吉な色合いをクラスメイトに嘲笑されたのだと、彼は推測した。
「話してくるよ。また出るから、用意しといてくれ」
「夜勤なの? 最近多いわね」
「あちこちガタが来てるから、メンテの頻度が上がってるんだ。晩飯は、帰ってからにするよ」
「気をつけてね。ルミだけ食べさせて、待っとくわ」
妻の気遣いに感謝しつつ、シロウは娘の元へ向かう。
教えられた通り、ルミは頭まで寝床に潜り込んで、こんもり布団の山を作っていた。
「ただいま。絵を見たよ」
返事は無いが、父の声に布団が揺れる。出ようか出まいか、迷っているようだ。
「月の色なんて、ホントは何だっていいんだ。先生も直せって言わなかったろ?」
また大きく一揺れ。
情操教育を重視しているのか、最近の小学校の授業では、ファンタジックな題材をよく使う。
ウサギが餅を
「みんなは何色に塗ったんだ?」
「……黄色」
「やっと答えてくれたな。ほら、出てこいよ。お腹が空いて鳴り出すぞ」
怖ず怖ずと、小さな顔が布団の端から現れる。もう泣いてはおらず、口を尖らせて機嫌の悪さをアピールしているだけだ。
「
「昔のお伽話だと、黄色の月が登場したんだ。今はオレンジだけどね」
「色が変わったの?」
「そうだよ。昔話を描けば黄色、今のをそのまま描けば赤ってだけさ」
小首を傾げて想像の羽根を伸ばしていたルミは、本格的に布団から這い出て座り直した。
「他の色の時もあったの?」
「そうだな――」
筋肉の付いてない娘の細い身体を眺めつつ、彼は指を立てて秘密を一つ告げる。
「お父さんの生まれるずっと前は、青かったらしいぞ」
「えーっ、なんか変」
「ほら、しっかり食べないと、病気になるぞ。急げ急げ!」
「はーい」
ダイニングに駆ける娘を見送ると、シロウは背伸びをしつつ玄関へと歩いていった。
仕事道具の点検を済ませた妻が、スーツを着込む手伝いをしてくれる。
「気密スーツも、くたびれてきたわね。新調しないと」
「パーツが不足気味なんだ。騙し騙し使うしかないさ」
月面ドームの外壁補修は、重要な仕事だ。皆のためにも、家族のためにも。
今夜も、月が彼を照らしてくれるだろう。
かつて地球と呼ばれた、赤い月が。
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