第11話
一九九六年の章・平成九年
人生の内、七〇歳を過ぎ古季を迎えた。
戦前の幾人が古希まで生きたのだろうか。近代衣食住が満ちて、生活様式や物が豊富で、人間の寿命も延びて、その平均寿命が八十代になり、人間らしく有意義に楽しく愉快に過ごしている。
幸男の母は、今九十六歳で平常に老人ホームで生活している。
一月三日(晴)、起床五時五分。
きらきらきらめく希望に満ちた年の始めである。昨日南西の風が強く吹いたので庭が大分枯れ葉の海のような状態になっている。
弟の照夫と立子夫婦は共にインフルエンザで入院をした。余り頑健でない体なので、風邪を引きやすい。
佐貫の山本医院に両人共に入っている。脳内革命の勉強。
一月五日(晴)、起床六時半。
まず盆栽に水やり、今年は現代社会で経済・対人関係・健康の問題と様々であるが、悩みも多い。
鴻巣いしは、一時ノイローゼで苦しんだ。心配事がありすぎる。
念頭から昔のことで苦しんだ。子供達にも苦労させた。母親のノイローゼ、私(父)の交通事故。
息子の幸男も店のことで苦労が多いと見える。苦労が多いが、四十六歳の誕生日にこれからが正念場だ。
幸男は夜寒くなると、天気しだいで正月も働きづめである。孫達も、嫁の実家に帰って一週間経つ。
一九九六年、念頭の所感、時は流れる。目まぐるしい時代になる。昨年は住専問題、エイズや難民問題もあり、ペルーの日本大使館の人質問題。
私(父)自身も七月に脳梗塞で秋本外科医院に三ヶ月入院をしたので、人生の進路を変えてあまり急いで生きる必要はない。
幸男へ、夜肌寒くなるという予報もあり、無理しないでほしい。
一九九七年の幕開けだ。
音もない穏やかな正月の朝を迎えた午後に、長女の美智子と水戸の正之一家四人全部で五人来て、屋敷の中が騒がしくなった。
午後には幸穂と知幸君、新木の嫁さんの家から帰ってきた。
今年の菊づくり栽の反省
七日頃から本鉢に定植して水肥を中心にほとんど毎日する液肥をしていた。
八月末日経過はどうか判然とはわからないが、下葉が開き続けた。追肥は充分でした。
今月末から風通囲いから移植し、鑑賞に耐え切れるか、心配である。
角力の小錦関は、体重が二百七キロで足の痛みがあり苦戦する。惨敗し筋力の低下で休場になるかも知れない。
勝負感が悪くて二連敗である。
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