第8話
六月十一日ごろから梅雨に入り一ヶ月ほど過ぎた。
九州の南西部に集中豪雨があり、長崎と鹿児島地方に甚大なる土砂崩れや家屋の倒壊の被害が出た。
我々の住人でいるこの地方は、その様な被害がない。昨日旅行のために県側にいたいというばあさん達の意見がまとまった。
一月一日(快晴)、起床五時三十分。
一九九五年の幕開け、日本経済も昨年ごろから幾分上向きに展開したという観測だが、今年はさらなる向上に向かって欲しいものだ。
五時五二分に地震があった。相模灘が震源地らしい。小田原の震度は四で、電気・ガス・水道・電話が使えないという。
正願寺さんの檀家の名簿をコピーにとり、五部作成、それから塚本ストアへ立ち寄り、密物を一箱購入してきた。また今朝は、神戸地方の人々は寒中で寝るところもなく、学校の体育館などで過ごしている。
早く適当な対策をとられたい。
正願寺さんの檀家の名簿を作り、渡辺さんに渡す。今日は散歩はとりやめにした。今日の健康は糖尿病の勉強を行った。
二月三日、快晴の穏やかな朝となる。
午前九時三十分市役所一階に集まり、毎年開催される作品展の準備会場作りのため九時過ぎに出かけた。
パネルディスカッションで、机を並べて、丹精こめた作品を陳列した素敵な傑作ばかりだ。素人のものとは思えない作品ばかりだ。
精根こめているうちに趣味がある人は幸福なものだ。二、三点駄作があったが自分の一生は無意味にはならない。
お昼ごはんを地下の食堂でご馳走になり、三月二十五日開催予定の私の福祉大会の作業分担なども協議をして終了。午後の二時頃からは中村社会福祉大会の作業分担などを協議して終了、午後から家電の工事屋さんのテレビアンテナの設置工事が始まった。
二時間で終了、今度は鮮明な画像で素晴らしい映像になった。今日の健康は腎臓病の勉強。山中よしのさん、新宮あささん退院。
二月一日快晴。起床六時、霞ヶ浦国立病院泌尿器科で受診する。
朝八時頃幸男といつものように佐貫駅まで送ってもらい、土浦の国立病院には駅からタクシーで病院に着く。
また待たされて、新聞を読み、テレビを見て順番を待つ。次回は十四日午前十時までに国立病院泌尿器科にて受診、次は十五日午前十時に予約して検査をすることになった。
三月一日(雪)、今朝のうちに雨から雪になる。
雪は本格的に降り始め、お昼ごろ十時から十一時にかなり本降りになってきた。
雪のため外の仕事に出席できないので、専ら歴史の勉強をする。自分の思い出の晩になって第一次世界大戦と満州事変を読みふけた。
清国の減亡指導者をなくした中国内乱の続く中国は終わり、中国の人達のことを考えてやればよかったと思う。
三月二日(晴)、起床五時五十分。体重八十二キロ。
朝は盆栽の手入れでハイポネックス粉を一リットルの水で溶かし、施肥、昨日は引き継いで近代史を勉強し、第二次世界大戦の勉強をする。
大正から昭和にかけて動乱の時代を防ごうとして五・一五事件や二・二六事件等、重要人の暗殺ありきだが、平和の方がいい。
午後は一時開城の内二丁目へ行き、夕方に庭の掃除を行った。
三月七日(晴)、起床五時、鬼怒川観光ホテルに来て朝五時から地下の風呂に入り、のんびりと朝風呂に入る。
八時半ごろ朝食。時間通りに進む。老人会の女性は、おしゃべりばかりしていて、景色も見ないし、バスに乗っているだけでうるさい。
昼は昨日食べた宇都宮のドライブインである。それから一路南下して下妻・真岡市・二宮町・下館へ進み、二九四号線を進み、牛久市道を通り家へ帰ってきたのは四時十五分だった。
長寿会の阪神大震災による義援金は三十八万円とか言われた。龍ヶ崎長寿会の阪神大震災の災害の義援金を集めた。
帰りは東照宮見物であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます