一九九五年の年-生きていることの喜びと悲しみ二つあり-

@kounosu01111

第1話

一、日記の始まり

 一月一日(晴)ロシア領のチェチェン共和国で激しい戦争が続いております。

起床五時五十分。一九九五年の幕開け、日本経済も昨年後半ごろからいくぶん上向きに転じたという観測ですが、今年はさらに上に上に行くと発表がありました。

五時五十分地震があり、震源は相模灘の沖合いでその震度は、五であった。次は千葉県沖合で地震があり、足元がふらついた。おかしいと思う。

盆栽はまんべんなく灌水しサボテン類も室内に引っ越す。

液肥ハイポネックス千倍を注水する。今日は、元旦のため少しのんびりして、午後は息子達と成田山へ初詣に行く。

末娘のきい子が正月休みで帰宅する。今日はすばらしい改正のお正月元旦であった。嫁と子供達は実家の新木へ帰り、静で一日が終わった。


 一月二日。一九九五年の目標で酒の適量緒を守り、タバコは禁止。それに散歩して足腰を鍛える。暖かで静かな一日だった。

平成七年の念頭に思う。今年の冬は比較的温暖な日が続いている。本日の血圧は上が百九十で少し高いが私(父)にとっては正常である。

お小水の尿漏れも少なく、健康状態は良好である。この調子を持続させたい。今年も平和な年でありますように祈念する。

 一月二日(彼)、昨日より今日のほうがすばらしい快晴の正月だ。

朝十時ごろに盆栽に灌水、正之・きい子・美子の訪れを待つ。四人が揃った正月を迎えるのは平和だ。

末娘のきい子は夕方帰っていった。明日から仕事だという。

 一月三日(曇)起床五時四十分。今朝は寒気が一段と厳しい。外に設置してある水道の蛇口から水が出ている。

 お正月三カ日、長男は店の方へ出掛け、明日から営業開始だという。準備の関係、末娘のきい子は昨日帰っていった。次男の正之も夕方帰った。


 ロシア軍は共和国のチェチェン国に攻撃し、激しい戦争になる。

大国ロシアも経済の行き詰まり金の切れ目が縁の切れ目と、共和国との関係が修復不可能となる。

長女の美知子は昼前に帰っていった。また、上羽原の弟盛夫妻が正月年始の挨拶に来てくれた。

孫達がいないので静まり返ったのんびりした正月だ。

 一月四日(雨)、起床六時五分。ロシア軍はチェチェン側の必死の反撃にあい大分苦戦しておる様子だ。

またロシア国内の世論も戦争を望んでいなかった。反対意見が多く大統領の立場方針が改めて問われたそうだ。

 お正月安売り、早々に難民問題、異民族同士の対立宗教の違い、ボスニアヘルツゴビアの紛争、またありやと思う。

またも異民族同士の対立、宗教の違い、暗黒の戦乱の時代が来なければよい。今日は主として正願寺さんの檀家の名簿作りに専念した苦の日であった。

その他は中国近代史の勉強、今は一番中国と仲良くしなければならない。今日は一日中雨降りだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る