ひともじ目にのあし踏んでさんかい目あなたへ綴るしろたへのゆり
@yu__ss
海にゆくひと
なぜ私は、こんな所にいるのだろうと、
本校舎の北側、文系の部室棟の最奥からひとつ手前の八畳ほどの部室。北側なので陽は当たらず、夕暮れ時の今はやや暗い。大きな木造の部室棟だが、現在利用されている部屋は4割ほど。本校舎とも離れているので、物音はほとんど聞こえない。隔離、という言葉がよく似合っていた。
一二三は窓際のパイプ椅子に腰掛け、読んでいた文庫本にしおりを挟んだ。少し離れてパイプ椅子にすわる、長い手足を器用に丸めている少女に目を向ける。
紗はボールペンを手にし、机上のルーズリーフに書き始めようとして、やめて、また書き始めようとして、そんなことをくりかえしてた。
それは、一二三にとっては奇妙な光景だった。一二三は紗のことはよく知らないが、たぶん運動部に入っているのだろうと思っていた。長い手足を生かして、陸上かバスケか、その辺で活躍しているのだろうと、一二三は勝手に思っていた。
よく知らない、というのが、もしかしたら正しくないかもしれない。一二三は、紗のことを意図的によく知らないようにしていた。
一二三は紗が苦手だった。紗は明るくて、真面目。背は高く、足が長い。顔も中性的な美形で、運動は得意、勉強も一二三よりできる。友だちも多いし、教師からも信頼されている。そんな、自分でコンプレックスとも思っていないようなところまで刺激してくる紗を、一方的に避けてきた。同じ中学だったが、話したことはほとんどない。目つきがキツく、性格もキツいと言われていた自分とは、違う世界の住人に思えていた。
だから、放課後、文系の部室棟に向かって、ひとりで歩く紗を偶然見つけ、興味本位で、バレないように後をつけた。
なぜつけたかといえば、一二三もよくわからないが、たぶん期待していたのだろう。
明るい性格で、周囲にはいつも誰かがいる紗が、放課後たった一人で人気の無い場所へ向かっている。それはどこか神秘的で、どこか後ろめたさを持っているように見えた。
つまりそれは、彼女がなんらかの秘密を持っているのではないか?
それを知ることができれば、紗が自分と同じ普通の女子高生なのだと思えるのでは無いかと、コンプレックスなど感じなくて済むのでは無いかと、そう考えた。
(あれが良くなかった。せめて最後までバレなければなぁ)
そして後をつけたのだか、この部室につき、紗がこの部屋に入る時に見つかった。隠れる所もなく、誤魔化すのも難しい。逃げようかとも思ったが、タイミングを失してまごまごしていると、部室に招き入れられた。
「もしかして、三浜さんは短歌に興味がある、ってことでいいのかな」
部屋に入るとき、紗が嬉しそうに、上機嫌で聞いた。その言葉に、一二三の頭は同時にいくつかのことを考えた。
ひとつは、彼女が自分の名前を憶えていてくれたこと。それは嬉しいような気もしたし、数回話しただけの人の名前をすぐに思い出せる彼女に、またコンプレックスを刺激されたような気もしたし、複雑な感情であった。どちらかというと、やや後者が勝っている。しかし、こんな風に思うのは、自分の性格が悪いからなのだと自覚させられて、また軽く自己嫌悪することとなった。
もう一つは、たんか、という単語だった。一二三は当然、知ってはいる。でも詳しくは知らない。えっと、と言い淀み、言葉を探す。紗はまっすぐに一二三を見ている。心なしか、いや明らかに嬉しそうだ。
「あれ…だよね。あの、松尾芭蕉とかの…」
そういうと紗は少し困ったような顔をした。その表情に一二三は、彼女が望んでいた受け答えができなかったことを理解した。
「ああ、うん…芭蕉は、俳句だよね。まあ近い、かな」
「あー、そっか…」
一二三はなんとかここまでの出来事で、いくつかのことを理解していた。文系の部室棟、嬉しそうに短歌に興味があるか聞いてくる紗。
つまりここは、短歌部の部室ということだろうか。そして、紗はその部員なのであろうと。
一二三がどうしようかと考えあぐねていると、紗のほうから話しかけてきた。
「ここは短歌部なんだけど、知ってた?」
覗き込むようにして、紗が一二三に問い、一二三は焦った。紗は一二三が何しにここに来たか問うているのだろう。まさか本当のことなど言えず、一二三は慌てて嘘をついた。
「うん、その…短歌に、興味があっ」
「ほんとに!?」
て、を言い切る前に、紗は胸の前で手を合わせ、笑顔で歓声をあげた。
「あーうれしいなぁ、三浜さんが短歌に興味を持ってくれて。いやうちはさ、部員が私一人しかいなくてね、それでもまあ歌集よんだり自分で作ったりしてたんだけど、やっぱり読んでほしいよね?だからさ、誰か来てくれないかなーって思ってたんだけどね、まさか三浜さんが来てくれるなんてなー、あーうれしいなぁ」
一二三はもう、さっきの嘘を後悔した。ああ、これは、めんどくさいやつだ、と。これはきっと、短歌部に入れられるやつだ、と。
高橋紗と同じ部活なんて絶対に嫌だと、そう一二三は思っていた。
遠くにいても、コンプレックスを刺激される。まして、同じ部活なんて、小さな死だ。
だから、否定の言葉を入れた。それは一二三にとって自然なことだった。
「いや、でも私、短歌と俳句の区別もついてなくて、それに短歌のこと、何も知らないから…」
うつむいて、紗の顔を見られないまま、一二三がそう言った。
「えっと…平気だよ…?私も素人だし、その、入門書とかも、ここに置いてあるから…」
紗の声は、明らかに先ほどとは違っていた。沈んだ声に、歯切れの悪い言葉。少しづつ、言葉を選び話しているような印象を与えている。
「いや…その」
一二三は否定の言葉を重ねたが、断る理由は、出てこなかった。言えなかった。あなたが苦手だから、と。そんなキツイ言葉を投げられるほど、一二三は覚悟がなかったし、いいやつにも、悪いやつにもなれなかった。
「そ…だよね、うん、ごめんね、変にテンションあげたりして…」
紗があっさりと引き下がったのが、一二三には意外だった。
一二三は顔をあげた。紗の表情は、困ったように笑っていた。
「無理に誘ったりとか、しないから…、でも、もしよければ、たまーに、来てくれるとうれしなー、なんて」
やっぱり、困ったように笑う紗。
その様子が、一二三にはどうしようもなく苦しかった。
(だって、ずるいじゃないか。私より、何でもできるこいつが、そんなふうに言うなんて)
一二三はじっと紗の顔を見る。
(周りから好かれて、友だちも多いのに、こんな日陰の部室でひとり、だれか来るのを待ってるなんて)
一二三は唐突に理解できた気がした。こんなに誰かを切望していた紗が、ちょっとした否定の言葉にあっさり引き下がることの、その意味を。
(何人に断られたんだよ…)
一二三の中で、変な想像が膨れ上がっていた。周囲の友達を勧誘しようとしても理解されず、紗は運動部のほうが似合うなんて、そんな言葉を軽々に吐かれ、そのたびに傷ついてきた、目の前の、困った顔で笑う少女。
誰かに否定されるたびに、すこしづつ自信を失っていく。自分が好きなことで、周囲を困らせているんじゃないかと思ってしまう。
だから踏み込めずにいるのかもしれない。
紗が部室に来るまでの、神秘的な雰囲気と、わずかに感じた後ろめたさは、彼女と周囲のずれから来る、彼女の溜息のようなものだったのかもしれない。
紗は、それでも困ったように笑うだけ。
一二三は自分が泣きそうな顔をしているのを意識できないほど、彼女の表情に釘付けになった。
(なんで笑ってんだ、こいつ。もっと懇願しろよ、短歌部に入ってって。そしたら私だって、申し訳なさそうな顔しながら、ここから出ていけるのに。遠慮なんかせず、私が困るのなんか構わず、入ってくださいってお願いしてよ)
きっと、いつもこんな風に、困った顔で笑っていたんだろうな、と。何人に断られても、こんな風に困った顔で笑っていたのだろう、と。そんな想像が、一二三の中で、ありありと思い描かれた。
一二三は、自身がどんな感情か、わからずにいた。紗は羨望と嫉妬の対象で、いやらしくも紗の秘密が覗けると期待してついて来れば、本当は捨てられた子犬で、そのくせ一二三が困らないよう気を使われている。そんな状況は想像していなかった。捨てられた子犬に、思い遣られるなんて。
「どうしたの」と声をかける紗に、一二三は下から睨んだ。
「あーもう!わかったから!そんな顔しないでよ!」
「…え」
「入るよ、短歌部、なにするか知らないけどさ、入ってほしいんでしょ!?」
そしてまた、紗の表情は変わっていく。よく変わるなぁ、と一二三は考えていた。
「ふたりになったらね、やりたいことがあったんだけど…いい?」
遠慮がちに聞いてくる紗に、身構える一二三。あまりに不憫になり、つい入ると言ってしまったが、一体何をさせられるのか、一二三は警戒していた。
「あの、そんなに嫌そうな顔しなくても、ね、大丈夫だから…」
嫌そうな顔をしてしまっていたらしい。
で、何がしたいのかと一二三が尋ねると、返歌がしたいのだと、紗は答えた。
「へんか?」
「うん、そう。相手が贈った歌に対して、自分も歌を返すの」
一二三には、まったくピンと来なかった。そんな顔をしていたのか、紗がフォローを入れる。
「平安時代の歌人はね、好きになった相手に歌を贈るの。まあつまり、今で言うラブレターみたいなものだよね。平安貴族の間では、歌が上手い人が異性から人気があったんだって」
ふうん、と相槌を打つ。源氏物語とか、そういう世界の話だろうかと、一二三は考えていた。
「歌を受け取ったら、また相手に歌を返す。それが返歌なんだけど…」
つまり、相手から受け取った歌に、また歌で返信する、そんな感じだろうと理解する一二三。まあ。そのくらいならいいか、とも思っていた。全くの素人で、ゼロから短歌をひとつ作るより、もらった短歌に返信するほうが簡単だろう、とも。
なんだそんなことかと、むしろ安心していた。次の言葉を聞くまでは。
「で、やっぱり恋の歌を書きたいから、恋人になってほしいんだよね…」
一二三には短歌の世界がよくわからないが、きっと母親にお使いを頼まれるように、恋人になってくれるように頼まれる世界なんだろうと理解した。そして、なんて世界に足を踏み込んでしまったのかと後悔した。
「あっ、もちろんただのごっこ遊びだよ。本当の恋人ではなくて、なんていうのかな。ロールプレイ、みたいな」
照れたように言う紗に、一二三はどう断ろうかを考えを巡らせていた。顔色を読まれないよう、無表情を取り繕った。
「まず私が、三浜さんに恋をして、求愛の短歌を贈るから、三浜さんは、好きなように返してほしいな。まあ思ったように返してくれたらいいから…」
聞いてる?という顔で一二三を覗き込む紗。その顔は、少し照れたような顔をしているが、ふざけてはいないようだった。
「………へぇ」
やっとの思いで、そんな言葉だけが出た。イエスでもノーでもない、ただの相槌だった。しかしその相槌を、敏感に察知して気をまわしてしまうのが、高橋紗という人だった。
「あ、やっぱり嫌だよね…、ごめんね、変なこと言って…」
紗は、困ったように笑う。それは、一二三にとっては引き金を引かれたようなもので、喉元を掻き毟りたくなるような思いに駆られてしまう。
捨てられた子犬のくせに、と心の中で思う。
「嫌なんて言ってないでしょ」
途端に、満面の笑みを浮かべる紗。
これはたぶん、自分の弱点になるだろうと一二三は自覚した。あの困ったような顔をされると、もうなにも断れなくなってしまう。この弱点を紗に知られてしまったら、一体どんなことに使われるのやらと、一二三は恐ろしくなった。
なぜ私は、こんな所にいるのだろうと、三浜一二三は思っていた。
部室にあった「はじめての短歌」という、いかにも短歌の入門書っぽい文庫本をぱたりと閉じた。
いまから短歌を作るから少し待ってて、と紗に言われ、部室の本棚にあった「はじめての短歌」を手に取り、パイプ椅子に腰かけていた。紗は、ルーズリーフに書き始めようとしては、やめてを繰り返し、たまに本棚の辞書とか、スマートフォンで調べ物をしているようだった。
一所懸命に短歌を作る紗をぼんやりと眺めながら、一二三は少し自分のことを考えていた。
一二三は紗のように、何かに懸命に取り組んだことはなかったし、それがよいと思っていた。何もないことが、自分が生きてくうえで重要なことであると思えた。自分の人生は、できるだけ平坦な道をいくのが良いのだろうと、ぼんやりと考えていた。
何かを特別にしないかわりに、自分も何かの特別にならない。期待もしないし、されない。求められないし、求めない。それが心地よかったし、自由だと思った。
だから、紗が嫌いだった。紗を見ていると、なぜ自分はこうなれなかったのだろうと考えてしまう。
紗はいろんな人に期待され、求められている。それに紗が応えてきたから、より多くの人に期待され、求められるのだろう。それに嫉妬はしても、自分にはまねできなかった。期待されることも求められることも苦手だった。もし応えられなかったら、相手はがっかりするだろうと、そんなことばかり考えてしまう。
一二三の視線に気づいたのか、紗が顔をあげ、一二三と目を合わせた。
「ごめん、もうすこしだから…」
「別に、急いでないからいいけど」
「…うん」
ふっ、と溜息をつき、紗は窓から外に視線を向けた。何かを語り始めるような、アンニュイとした表情をする。
「私ね、恋ってしたことがないんだ…」
語り始めたことは、一二三にとっては若干デリケェトな話題だった。
「だから、恋する気持ちが書けないのかな…」
「…」
一二三は、何と答えればよいかわからず、ただ彼女の次の言葉を待っていた。
紗は一二三に視線を移し、優しく微笑んだ。
「ね、好きって言っていい?」
紗の言葉に、一二三は戸惑いながら、小声で「うん」と返した。
ちょっと待ってねと言い、紗は深呼吸をし始めた。胸に手を当て、すー、はーと繰り返す。
「あー、どきどきしてきた…」
紗の顔が、ほんのりと上気しているように見えた。
ぴた、と深呼吸を止め、紗はじっと一二三を見つめる。
一二三も紗をまっすぐに見つめた。
「私、三浜さんが好き」
「はー、どきどきしたぁ…。これが恋かぁ」
「まあ、ちがうんじゃない?」
「えー、そうなのかなぁ」
でもま、これで書けそうだよ、と紗はもう一度ルーズリーフに向き直った。
一二三は人生で初めての愛の告白を受けた。
(結構これ、どきどきするもんだね…)
それはごっこ遊びだとしても、同性だとしても、恋がデリケェトな一二三には十分な威力だったが、できるだけ顔にも態度にも出さないように振る舞っていた。
(あー、顔あつい)
一二三が紗の様子をうかがうと、紗は真剣な面持ちでルーズリーフに向かっている。
ふとその様子が、一二三の中に、奇妙な感情を呼び起こさせた。
(いま書いてるのは、私に渡す短歌だよね…)
紗はいま、一二三のために短歌を詠んでいる。悩みながら、格闘しながら、一二三のために「なにか特別なもの」を用意する紗に、誰かに自慢したいような誇らしげな気持ちとか、求められることの嬉しさとか、応えられるだろうかという不安とかそんな、あまりきれいに割れない感情が生まれている。
一二三は、やはり紗が苦手だと思った。
一緒にいると、苦しい。
自分がよくわからなくて、不安になる。
そして、数分後。
「うん…できた」
紗がそう言って、ルーズリーフを手にとって見つめている。
うん、と小さく頷くとルーズリーフを二つ折りにして一二三に差し出した。
受け取るのを拒否しようかと思った。これは、自分のために用意された「特別」なのだ。受け取ってしまったら紗の「特別」になってしまいそうで躊躇してしまう。
そのときに、一二三が紗の顔を見ると、困ったように笑っていた。
またそれかと、一二三は心の中で毒づく。
ため息をつきルーズリーフを受け取る。
『笑ってる迷子を見つけてくれる人。その人の目の、キツイとこなど』
「じゃあ、待ってるね。返事はいつでもいいから」
紗は赤面し、うつむきながらそう言った。
帰宅後、一二三は自室でルーズリーフを睨んでいた。明かりをつけていないので、部屋は暗い。
借りてきた「はじめての短歌」は、斜め読みしながら半分くらい読んだ。よくわからなかった。
翌日は雨だった。5月の雨は、まだ少し寒い。
昨日よりさらに静かな部室。雨音だけが世界に流れていた。
紗は部室で歌集を読もうとして、やめた。頭に入ってこないのだ。昨日の出来事が、自分の身に起きた出来事にしては幸福すぎた。まさか一二三が、ここに来てくれるとは紗は思っていなかった。
紗は三浜一二三のことを知っていた。中学の卒業文集で、一二三のものだけは何度も読み返した。一二三の言葉の感覚が、紗はたまらなく好きだった。その一二三が、自分と一緒に短歌を作ってくれることになったのは、本当に信じられない出来事だった。
こてん、と机に頭を乗せ、ため息をついた。
一二三はきっと今日も来てくれるだろうという確信が、紗にはあった。
(三浜さんは優しいから、私が可哀想だから、来てくれる)
一二三が同情で、部活に入ると言ったことは、紗にはわかっていた。それは紗自身がそう仕向けたからだ。一二三が同情してくれるよう、可哀想な子を演じた。そうすれば、優しい一二三が部に入ってくれると思っていた。
(最低だ)
でも、逃したくはなかった。一二三の作った短歌を、どうしても読んでみたかった。
昨日は一二三を逃さないようにするのに必死で、こんなことまで頭が回らなかったが、一夜明けてみると、自分の卑しさに自己嫌悪した。
自分は幸せだが、果たして一二三はどうであろうか。
(考えるまでもないよね)
紗は自嘲する。一二三は明らかに嫌がっていた。だから、さも可哀想に、しかもそれを見せないように、立ち回った。そして自分にとって最高の結果を引き出した。
自身の醜悪さに、笑いが漏れた。
(こんなに嫌な人間だったんだなぁ、私は)
深い自己嫌悪に陥っていた。
その時かららと部室のドアが開き一二三が入ってきた。
慌てて、姿勢を整える。
「あっ、いらっしゃい」
「うん」
手には、二つ折りのルーズリーフを挟んでいた。昨日渡したルーズリーフではない。
無言で差し出す一二三。表情は隠している。
無言で受け取る紗だが、開くのが躊躇われた。
これは、読んでもよいのだろうか。一二三を騙して手に入れたものを、自分に読む資格はあるだろうか。
そしてもし、万が一自分の醜悪さを嘲笑う内容だったらどうしようか。
そんなことを考えていた。
「ぅん?」
ルーズリーフを開けずにいると、一二三が促すように声をかけた。
紗はルーズリーフを開いた。
『大丈夫、受け入れられる、たぶん、ほら、私も海にゆく人だから』
紗は思わず「ふふ」と笑ってしまった。
「わっ、笑わなくてもいいでしょ!?」
「ううん、ちがうの、ごめんね、ちがうの…」
もう一度、ルーズリーフに目を落とす。
「でも、私は海にいかない人だよ」
「いいえ、あなたは海にいく人だわ、それも今日」
人は人生に迷うとき、疲れた時に、海に行きたいと思うが、実際に行く人は少ない。
「えー、そうかなぁ」
「笑い顔の迷子を自称する人が、海にいかないわけがないでしょう」
そうか、気づいてくれていたのか。
自分の醜悪さも、愚かさも、すべて気づいていてくれたのか。
そのうえで、一二三は受け入れてくれたのか。
「どーせ、自己嫌悪でもしてたんでしょ」
彼女のその言葉が、自分のすべてを肯定されたように感じられた。
「ねえ、一二三ちゃんって呼んでいい?」
「…いいけど」
彼女の嫌そうな顔が、紗はすごく好きだった。
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