生命の王6

「ピクニックに行きましょう!」

 燦々と空で太陽が輝く十二月後半。寒さが厳しい時期の、最も寒い時間帯である早朝に、花中は元気よくそんな提案をした。

 提案を聞かされたのはフィア、ミリオン、ミィ、オオゲツヒメ……そしてコトアマツの五匹。

 突然のお気楽能天気な提案に、コトアマツだけでなくミリオンとミィも眉を顰める。くすくす笑うのはオオゲツヒメ、心底楽しそうに微笑むのはフィアだけだった。

「おおー良いですねピクニック。最近そうした遊びを全然していませんでしたし」

「あー……まぁ、そーいう仲の深め方もあり、なのかな?」

「……そうね。今まで対決するような遊びばかりだったし、アプローチを変えてみるというのは悪い事じゃないわね」

 フィアは一も二もなく賛成し、ミリオンとミィも少し考えながら同意。オオゲツヒメは何も言わないが、少なくとも否定はしてこない。

「ぴくにっく? ああ、外をちんたら歩くだけの運動行為か。あんなものの何が楽しいのかさっぱり分からんし、エネルギーを消費するだけの無駄な活動としか思えんがな」

 そして一番楽しんでもらいたいコトアマツからは、ピクニックという行い自体を全否定された。

 昨日までの花中なら、コトアマツのこの一言で大いに怯み、前言を撤回しただろう。コトアマツと仲良くなるのが第一であり、そのためにコトアマツの気分を良くする……ある種の接待だったのだから。しかしこんなやり方で友達になれる筈がないのは、これまでの結果から明らかだ。そもそも今日の花中はコトアマツに接待する気などない。

 花中が今回選んだのは『自慢』。

 友達同士のやり取りはこんなに楽しいのだぞ、羨ましいだろう? ――――その姿を見せ付けて、向こうから友達になりたいと言わせてやる!

 そして向こうが言ってきたら、「今後ともよろしくお願いします」と答えてやるのだ!

「花中さんなんかアホっぽい笑みを浮かべてますね」

「はなちゃん、時々どーしようもないほどアホになるからねぇ……」

「最悪のタイミングでアホになってない?」

「ごめんなさーい。多分、わたくしの所為でアホになってますわー」

「ここまでのアホ面は珍しい。うむ、良いものが見られた」

 ピクニック計画を自画自賛していると、何故か周りからアホアホ言われてしまった。コトアマツすら何故か褒め言葉で指摘してくる。先程までの自信は何処かにすっ飛び、花中はその身を縮こまらせてしまう。

 しかしここで臆しはしない。

 あくまで今回は、コトアマツに友達の良さを知ってもらうのが目的なのだ。アホでもなんでも、楽しんでもらえれば思惑通り。

 見れば、みんな呆れた様子ながら笑顔である。笑顔という事は、楽しいという事。

 それは全てが順調にいっているという証だ。ならば一体何を変える必要があるというのか。

「え、えと、それより、今日の日程について、説明します……ちゃんと、聞いてくださいね」

「「「「はーい」」」」

 に恥ずかしがりながら、花中は今日の日程について話そうとする。コトアマツ以外の、ノリが分かっている四匹は子供のような返事をした。

 さて、今回のピクニックだが……特にこなすべきイベントは考えていない。

 勿論楽しむ事が最大の目的であり、そのために立ち寄ろうとしている場所は決めている。しかし逆に言えばそれだけだ。曖昧な行程こそ花中の頭にあるが、それを無理強いするつもりもない。多少のコース変更は勿論、難なら目的地を変える事さえも是とする。

 今日は、徹底的に楽しむつもりだ。楽しむ事が出来るのであれば、多少の羽目外しや寄り道はOKなのである。

「それじゃあ、出発しますよ! コトアマツさん、一緒に行きましょう!」

 そして自由になった花中は、『友達』と一緒のピクニックに心からわくわくしてしまう。

 今まで接してきた時の、怯えたような、遠慮するような、知略を巡らせるような……そんな花中は此処にはいない。コトアマツはこんな花中を初めて見た筈だ。

 それはコトアマツの予想を、ほんの僅かではあっても超えたらしい。

「……ああ、良いだろう」

 肯定する一言は、なんだかちょっぴり困惑気味。

 もしも戸惑いを与えたのだとすれば――――自らの寂しさすら理解していないコトアマツの心を震わせた訳で。

「ふふっ、期待していてくださいね!」

 花中が満面の笑みでそう伝えると、コトアマツはますます不思議そうに目をパチクリさせるのだった。

 ……………

 ………

 …

 今回花中がピクニック先として選んだのは、避難所から凡そ三十キロ離れた地点にある開けた草原地帯である。

 花中が住んでいた町は一応関東圏に属する。大都会と呼べるほどの都市ではなかったが、自然豊かといえるほど……人類を滅ぼしかねない怪物が生息する山は近所にあったが……緑のある地域でもない。高々三十キロ移動したところで、本来ならば草原など見付からない場所だ。

 そう、本来ならば。されど昨今は『本来』の状態にあらず。

 花中が訪れた地域は、元は都市があった場所だった。しかしムスペルが引き起こした地震により全ての建物が倒壊。そこに加えて怪物やミュータント同士が争ったのか、残骸すらも退かされ……剥き出しとなった大地を植物達が埋め尽くしていた。

 更には怪物か、或いはなんらかのミュータントの力によるものか。この辺り一帯は冬にも拘わらず、春のような暖かさに満ちていた。気温は植物の成長を促す要因の一つ。適した環境の中に置かれたなら、植物は極めて短い時間で世界を埋め尽くす。

「どうですか? この景色!」

 かくして両腕を拡げた花中の背後には、地平線まで続く草原が生まれたのである。草原を形作る草の丈はどれも二十センチほどで、花中の足首を完全に隠すほど高いが、歩くのを邪魔するものではない。ピクニックをするには悪くない環境だろう。

「ほぉー中々の光景ですねぇ」

「よくもまぁ見付けたわね、こんな場所」

 花中が自慢げに語ると、フィアは素直に感嘆し、ミリオンは不思議そうに尋ねる。花中は胸を張り、どうだすごいだろ、と言わんばかりの仕草を取ってみせた。

 ちなみにこの風景は、粒子操作による広範囲索敵の成果である。避難所の周辺にミュータントや怪物のような危険な生物が棲み着いていないか確認するため、その気になれば地下数千キロまで見通せる力を応用し、付近の状況を把握していた際に発見したのだ。

 そのような偶然から見付けた、とても美しい景色。これだけでも十分わくわくが込み上がるものだと花中は思う。

「……草が生えているだけの景色がなんだというのだ?」

「あら、魅力を感じませんこと?」

「全く」

 残念ながらコトアマツは花中とは異なる感想を抱いたようだが……この程度は花中にとって想定内。ただ景色を見せるだけで仲良くなるなんて微塵も思っていないし、これだけで満足させる気などない。

 本命はここからだ。

「さぁ、いきましょう! のんびりしていたら、日が暮れちゃいますよ!」

 元気よく花中は歩き出す。フィアはすぐに花中の横に付き、ミリオンとミィもその後を追うように歩く。

 オオゲツヒメに背中を押され、遅れてコトアマツも花中達の一向に混ざった。

 花中達が草むらを足先で掻き分けながら進むと、その中から小さな虫がたくさんぴょんっと飛び出す。バッタや羽虫、甲虫のようだ。草が茂るほど暖かな環境のため、虫達も冬眠をせず活動しているらしい。

 春の草むらを掻き分ければ、簡単に見られる光景だ。

 ……とはいえぴょんぴょん、視界を覆い尽くすほど出て来るのは花中としてもちょっと予想外だったが。

「花中ぁ、なんかめっちゃ虫いるんだけど」

「お、多いですね……」

「うーんバッタは硬くていまいち舌触りが良くないんですよねぇぱくっ」

「そう言いながら食べてるし」

「まぁちょっとしたおやつには丁度良いので。お通じも良くなりますから偶には食べませんとね」

「食物繊維代わりなの?」

 想定以上の虫達に驚きつつも、わいわいと話す花中達。

 昨日までなら、この会話に無理にでもコトアマツを混ぜようとしただろう。

 けれども今日は違う。今日は徹底的に『友達』と遊ぶのだ。勿論コトアマツとも友達になる気満々だが、接待をするつもりはない。思いっきり見せ付け、向こうから参加したがるのを待つ。

 ぺちゃくちゃだらだらとしたお喋り。これもとても楽しいぞ。

 そんな自慢げな気持ちを抱きながら、花中はコトアマツがいるであろう背後を振り返る。

 後ろに居たコトアマツは、指先に巨大なエネルギーの塊らしき火球を作っていた。推定エネルギー量は広島型原爆級

「って、何やってるんですかああああああああああああああ!?」

 そこまで感じ取って、花中はようやくコトアマツに向けて叫んでいた。コトアマツは目をパチクリさせ、何故花中が怒鳴ったのか理解出来ていない様子である。

「? ゴミが飛び交い視界情報にノイズが入って鬱陶しいから、吹き飛ばして掃除をしようと思っただけだが」

「の、ノイズって、むむ虫の事ですか!? ご、ゴミじゃないですぅ!? ちゃんとした命ですからぁー!?」

「まぁまぁ、はなちゃん落ち着いて。そのぐらいの威力なら、私達誰も死なないし」

「そうですよ花中さん。今の花中さんならあの程度の攻撃どうとでもなるでしょう?」

「この草原に暮らす、大半の生き物は、し、死ぬのぉ!」

 自分達に害がないからと気にも留めていないフィア達にも憤りをぶつけた花中は、火球を作り出したコトアマツの手を反射的に掴む。

 手を掴まれたコトアマツは、鋭い眼差しで花中を見た。

 ぞわりとした悪寒が花中の身体に走る。コトアマツがほんの一端でもその身に宿る力を用いれば、花中など跡形もなく消し飛ぶだろう。ごくりと、花中は思わず息を飲んだ。

 だが、掴んだその手を離そうとはしない。

 自分より力が強い。だから文句は言わない……そんな間柄を『友達』と呼べるのか? 花中はそう思わない。フィアがどれだけ強くとも、ただの人間だった頃から花中はフィアの力に臆して黙る事などしなかったように。

 力の差など関係なく、『対等』な立場になるというのは、友達として当たり前の事だ。

「あの、止めてくれません、か? 確かに、ちょっと鬱陶しいと、思う気持ちは、分かりますけど……みんな、生きているんですから、ちょっとだけ、我慢してください」

「……ほう。余に口答えするか」

 花中が率直な意見を伝えると、コトアマツは実に尊大な言い回しで反応する。ある意味苛立ちとも取れる発言に、流石に背筋が凍る想いをする花中だったが……コトアマツは手を下ろし、その手に集めていたエネルギーを霧散させた。

 どうやら難は逃れたらしい。花中はぺたりとその場にへたり込む。座り込むつもりなどなかったのですぐに立ち上がろうとするものの、足腰に全く力が入らなくて上手くいかない。頭の中では粋がっていたが身体の方は素直だったようで、腰が抜けてしまったのだ。

 そんな花中を見て、コトアマツがくすりと笑った。

「なんだお前、本当はビビっていたのか?」

「は、はひ……そう、みたい、です」

「ほう、自覚すらしていなかったのか」

 世辞や誤魔化しでなく、本当に今の今まで自分の『本心』が分かっていなかった花中はこくりと頷く。フィア達ならば、ここで呆れたように笑みでも浮かべるだろう。

 しかしコトアマツの瞳は、好奇心の色を見せる。

 それは今まで花中がどれだけの『接待』をしても得られなかった、好意的な反応だった。

「ふむ。何故余の力に今まで怯えなかったのか。体組織を観測してみても、感覚器に異常は見られない。原因はなんだ?」

「あら、そんなの簡単な話ですわよ」

 観察しながら独りごちるコトアマツに、オオゲツヒメが口を挟む。コトアマツは視線を花中からオオゲツヒメに移し、キョトンとした様子。

 されどオオゲツヒメは口を閉じ、自らの口許の前に指を一本立てる。

「でも、その答えは秘密、ですわ♪」

 それからちょっぴり意地悪く、コトアマツには教えようとしなかった。

 秘密にされたコトアマツは何を思ったのだろうか。一瞬眉を顰めた後、不敵に笑う。

「良いだろう。お前が隠すならば暴いてやる。王たる余から隠し事が出来ると思うなよ」

「それは楽しみですわ」

 自信たっぷりなコトアマツに、オオゲツヒメは笑い返す。

 ……オオゲツヒメは、何故花中が恐れを抱かなかったか、分かっているのだろう。

 つまりは友達になりたいという想い。これをコトアマツに理解させる事が今の花中の目標であり、それをコトアマツは積極的にしている訳だ。オオゲツヒメにあっさり唆されて。

 コトアマツの子供のように無垢なところが親友であるフィアに似ている気がして、花中は笑みを浮かべた。抜けていた腰にも力が戻り、立ち上がれるようになる。

「ふふっ、それなら、ピクニックを、再開しましょう。あ、スピードをあまり出しちゃ、ダメですよ? のんびり、お喋りしながら、歩くんです」

「お喋りしながら? 喋る事が目的なら此処で話せば良いし、目的地があるならそれなりの速さで移動すべきだろう」

「だーめーです。あとお喋りするのですから、ちゃんとみんなに、意識を、向けてくださいね」

「それは苦手なんだが……」

「頑張ってください!」

「頑張ってどうにかなるなら、苦手とは言わん」

 『合理的』な理由を語るコトアマツに、花中は『不条理』な物言いでそれらを否定する。コトアマツにはまるで理解出来ないのだろう。段々眉に皺が寄る。

「はいっ。わたしと同じペースで、歩いて、くださいね」

 その困惑を敢えて無視して、花中はコトアマツの手をぎゅっと掴んだ。コトアマツは掴まれた手を、不思議そうな眼差しでじっと観察している。

「むっ!? 花中さんの手を独占しようったってそうはいきませんよ!」

 そしてその観察する目は、独占欲を剥き出しにするフィアの言葉で混乱に変わった。

「……は? いや、手を握ってきたのはコイツからで」

「うん、フィアちゃんは、こっちの手を握ってー」

「ふふんそうこなくては! やはり花中さんは私の一番の友達ですね! あなたには渡しませんよーっだ」

「おい、だから何故余が独占した事に」

「それなら私は、さかなちゃんの手を握るわねー」

「あたしはミリオーン」

「じゃあ、わたくしはコトちゃんの手をいただきますわー」

「は? え? えっ?」

 ミリオンやオオゲツヒメまで手を握ってくる。その知性をフル回転させている筈のコトアマツは、されどまるで答えが出ていないのか呆けた声を出すばかり。

 当然だ。合理的にして超越的頭脳を持つ彼女に、この行動の答えが分かる筈もない。

 これは所謂、というやつなのだから。

「さぁ、しゅっぱーつ!」

「「「「しゅっぱーつ!」」」」

「? ?????」

 コトアマツにノリを説明する事もなく、花中達は同時にのんびりと歩き出した。




「……疲れた」

 ぼそりと、コトアマツが独りごちる。

 コトアマツの体力は無尽蔵だ。地球を瞬時に一周するほどのスピードを出しても、彼女は息一つ乱さない。巨大隕石よりも大きなパワーと腕相撲を繰り広げても、空間を捻じ曲げるような謎事象を生じさせようとも、コトアマツは息一つ乱さなかった。

 そんな彼女を疲れさせたのは、とても些末なもの。

「えー、そんなに難しいかなぁ?」

「簡単だと思いますわよー」

「「最近見掛けた可愛いものを挙げるだけなんだからー(ですものー)」」

 ほんの五分前にミィとオオゲツヒメが切り出した、実にガーリッシュな話題に付いていけないがために。

「ちなみにあたしはねー、最近友達になった猫が可愛いと思うよー。いやー、あの子は超可愛い。ムスペルが出る前なら、アイドルやれるね、間違いない」

「わたくしは避難所の千尋ちゃんって女の子がお気に入りですわ。この前、花冠作ってくれたんですのよー。あれはとても美味しかったですわー」

「えっ、食べ……えっと、良いです。仲良いままなら……あ、わたしは、キッチンに棲み着いた、ネズミが可愛いと、思います。ミュータントみたいで、よく、芸を見せてくれます」

「はなちゃん、さらっと答えてるけどそれ放置して良いの? 衛生的にも安全的にも。ちなみに私の場合は、避難場所のゴミ捨て場近くに生えていた花ね。なんて種かは知らないけど。さかなちゃんは?」

「勿論花中さんですけど? 花中さん以外どれも大差ないですし」

「「「ですよねー」」」

「えへへ。ありがとう、フィアちゃん」

「うわー、花中ったらもう恥ずかしがりもしないよ」

「完全に飼い慣らされてるわね。お互いに」

「ある意味では、これも可愛らしいものですわね」

 わいわいきゃっきゃっと繰り広げられる、女子らしい会話。例え人外ばかりであろうとも、彼女達は立派な少女である。お喋りを始めれば、花咲くように盛り上がるのは必然。

 その必然に混ざれない乙女コトアマツは、大きく項垂れた。どうやらお疲れのようだが、年頃女子達が会話に混ざらない同性を見逃す筈もない。

「ねーねー、コトアマツはどうなのさ。最近じゃなくても良いから、なんか可愛いって思うものないのー?」

 すっかり呼び捨てが板に付いたミィからの問いに、コトアマツは苦虫を噛み潰したような顰め面を見せる。どうやら答えは「No」のようだった。

「さっきから黙って聞いていれば、可愛いだのなんだの……なんの合理性も論理性もない言葉じゃないか。答えようがないだろう」

「別にあたしが可愛いと思う必要はないでしょ。コトアマツが可愛いと思うものが知りたいだけなんだから」

「余の好みを知ったところでなんになる?」

「さぁ?」

 コトアマツの問いに、ミィは首を傾げながら答える。

 誤魔化しではない。本当に『意味』などないのだ。雑談というのは、そういうものである。

 しかし合理的思考の持ち主であるコトアマツは、その一言が酷く衝撃的なものだったに違いない。顔に浮かんでいる皺は、ますます深いものとなった。

「理解出来ん……」

「うふふ。わたくし一人相手なら兎も角、理解不能なものがこうもたくさんいると、さしものあなたも参るみたいですわね?」

「合理性のない生物など、お前以外にいないと思っていたぞ……」

「あなたのような頭でっかちの方が珍しいって、何度も言いましたでしょう? ようやくお分かりになって?」

 オオゲツヒメは勝ち誇るように笑い、コトアマツは項垂れる。

 圧倒的戦闘力の持ち主であるコトアマツも、どうにもオオゲツヒメには負けっ放しだ。それがなんだか可愛らしく思えて、花中はくすりと笑みを零した。

「ところで花中ちゃん、目的地はどんな場所なんですの?」

「あーそういえば聞いてませんでしたね。この先に何かあるのですか?」

 楽しげに話し合う中で、オオゲツヒメがふと花中に話題を振ってくる。フィアもそれに反応し、花中の方をじっと見てきた。

 花中達が向かう先にあるのは、出発時にも考えていたように、途中で変更しても構わない些末なもの。ただ、花中としては目的地とするに足るものではある。そしてその場所で何をするのかについても、考えぐらいはあった。

 問題は、それが今も残っているのかどうか。事前の確認はしていたが、自然豊かなこの地では一日経てばどうなっているか分からない。

「えっとね、この先には……あ、見えてきた」

 ガッカリさせてはいけないと思いこれまで花中は話さなかったが、いよいよ目前まで来たのでついに『目的地』を明かす事にした。

 花中が指差した先には、小さな『林』があった。更に目を懲らせば、その林がミカンの木で作られたもの、所謂ミカン畑だと理解出来るだろう。

 そしてそのミカンの木には、オレンジ色の果実が幾つも生っていた。

「あら、ミカン畑じゃない。こんなところにあったのね」

「なんだ果物ですか……」

「肉じゃないのはあんまり興味ないなぁ」

「あらあらまぁまぁ! ミカンがあんなにたくさん!」

「……?」

 ミカン畑を見て、十人十色の反応を示すフィア達。食事を必要としないミリオンは淡々としたもの。肉食であるフィアとミィはあまり気乗りしておらず、コトアマツはミカンにどう反応すべきか分からないのかキョトンとしていた。反面オオゲツヒメは、そんな四匹分の喜びを肩代わりするようにはしゃいでいる。

 反応の違いは想定内。

 予想出来ないのは、ここからだ。

「あのミカン畑で、ミカン狩りをしましょう! 一番美味しいミカンを取った方が、優勝ですよ!」

 判定が極めて曖昧で、主観的な勝負の行く末など、誰にも予想出来ないのだから。

 ……………

 ………

 …

 花中達が辿り着いたミカン畑には、大量のミカンが残っていた。

 人の姿は何処にもない。人が暮らしていたと思われる建物は倒壊し、その中に……既に九割近く分解された亡骸が二つあったのを、花中は確認している。所有者は居らず、此処はもう人の手を離れた土地だ。

 人間による管理がなくなれば、畑というものは動物達にとって食べ物だらけのパラダイス。大多数のミカンは鳥に啄まれ、獣に齧られ、虫に蝕まれている。どれもこれも商品にならない傷物ばかりだ。

 ただ、動物達からすればまだまだ食べられる水準のものである。勿論人間でも、傷付いた部分をちょっと取り除けば食べられるだろう。中には傷口から入り込んだ細菌により発酵しているものもあり、それらを口にするのは流石に良くないが、臭いを嗅げば識別は容易だ。

 実食にはなんら問題ない。

「むぅ……ちょっと傷が……」

 それでも傷を気にしてしまうのが、現代人というものなのかも知れない――――木からもいだミカンの小さな傷を見つめながら、花中はくすりと笑った。

 ミカン狩りを始めてから、かれこれ十分は経っただろうか。

 周辺を『探知』してみれば、友達は皆各々好き勝手に行動しているのが感じ取れた。ミリオンは見た目が綺麗なミカンを眺めているだけ。フィアはミカンではなく、その葉に付いているイモムシを取って食べている。ミィは落ちているミカンを一口食べただけで飽きたのか、ごろごろと地面を覆い隠している草地の上で寝転がっていた。そしてオオゲツヒメはパクパクと、美味しそうなミカンを次々と自分の胃袋に収めている。

 一番美味しいミカンを取った方が優勝、などと言ってはみたものの、誰も真面目にやっていない。オオゲツヒメに至っては自分がその『美味しいミカン』を食べてしまっている。誰一匹として勝つつもりがなかった。楽しんでもらえればそれだけで花中的には満足だが、あまりの奔放ぶりに笑みが零れる。

 かくいう花中も真面目にやってるかと言えばそんな事もなく、のんべんだらりとミカン狩りを楽しんでいたりする。とても美味しそうなミカンはこっそり自分が食べているので、あまりオオゲツヒメの事を笑えない。

 真面目に勝負に挑んでいるのは、『彼女』だけ。

「コトアマツさん。調子は、どうですか?」

 自分の近くでミカン狩りをしている彼女――――コトアマツに、花中は声を掛けてみた。

 コトアマツからの返事はない。しかしそれは花中を無視しているから、或いは存在感の違いの所為で認識出来ていないから、という理由ではないだろう。

 単純に、自分の両手にある二つのミカンのどちらが美味しいのか決めかねている、といったところか。

「……ぐ、ぬぬぬぬぬ」

「えーっと、苦戦してる感じ、でしょうか?」

「苦戦も何もない……! 糖質は生物体の活動エネルギーになるため好まれる物質だが、しかしクエン酸やビタミンも欠かせないものだ。一体どんなバランスが好まれるのか……!」

 尋ねてみれば、コトアマツは悩んでいる理由をすぐに明かした。

 どうやらミカンに含まれる成分を解析し、そこから『好まれる』ものを選別しようとしているらしい。なんともコトアマツらしい悩み方だ。しかしこの方法では恐らく答えなど出やしない。最高の栄養バランスなんてものに、客観的な答えなどないのだから。

 しかしながら勝負を放棄すれば、そもそも悩まずに済む訳で。

「えっと、みんな、勝手に遊んでますし、コトアマツさんも、遊んで良いですよ?」

「そうはいかん。約束している」

「約束?」

「忘れたのか? お前に誘われた遊びは、全部参加するという約束だ」

 呆れるように答えるコトアマツ。記憶をざっと辿ってみると、確かに三十数日前……コトアマツとオオゲツヒメが言い争っている時、そんな事を話していたような気がする。

 逆に言えば、言われるまで花中もすっかり忘れていた訳で。

「……そのまま誤魔化そうとは、思わなかったのですか?」

「何故誤魔化す必要がある? この約束は余が交わしたものだ。どうしてそれを余が率先して破らねばならん。余は、余が嘘を吐く事を望まないからな」

「……?」

 コトアマツの言い分に、花中は小さな違和感を覚えた。とはいえ彼女の語る理屈に納得出来ないという事ではない。もっと根源的な違和感だ。

 そう、自分について話している筈なのに、何処か他人事のような言い回しなのが気に掛かる……

 考え込みたくなる頭を、花中はぷるぷると横に振った。楽しいピクニックの最中、他者の詮索をするのも無粋というものだ。勿論友達になろうとしている相手について色々知りたいとは思うが、腹の探り合いみたいな真似はしたくない。親交とはもっと楽しく深めるべきである。

 例えば、今目の前でうんうん唸っているコトアマツにアドバイスをするとか。

「そんなに悩むなら、自分で食べてみて、一番美味しいものを、決めてみては、どうでしょう? 客観視出来ないものを、無理矢理、客観視するより、主観的に判別した方が、賛同者がいる分、多少は正確かと」

「む? 食べる……おお、成程な。すっかり失念していたぞ」

 花中が伝えた一番簡単な方法に、コトアマツは心底感心したように頷く。嫌味な感じはなく、照れ隠しもしていない。

 どうやら本当に『食べる』という選択肢が頭から抜けていたらしい。生物として最も基本的である筈の行動を忘れてしまうほど、コトアマツは長い間『食事』を行っていなかったのだろう。

 花中からのアドバイスを受け、コトアマツはミカンの前で口をしばしもごもごと動かす。久方ぶりの食事なので、そのための準備でもしているのだろうか? 花中にも分からないが、静かに見守る事にした。

 コトアマツの『準備運動』は十数秒で終わり、彼女は大きな口を開け、皮が付いたままのミカンに齧り付く。そういえば皮を剥いて食べるものだと教えていなかったと、花中は今になって気付いた。獣や鳥もなんやかんや皮は残しているので、これは全生物共通であまり美味しくない食べ方の筈。

 皮を剥いて食べた方が良いと伝えよう。花中はそう思った。

 そう思った直後には、コトアマツはもう一口皮ごとミカンに齧り付いていた。

「……あ。えっと、ミカンは皮を剥いた方が」

 助言する前にコトアマツが行動を起こしたので、花中は慌ててアドバイスをした。が、コトアマツは無視してまた皮ごとミカンを食べる。もぐもぐくちゃくちゃと、しっかり咀嚼までしていて。

 ついには片手にあったもう一個を、丸ごと口の中に突っ込んだ。大きく歪んだ口は軽々とミカン一つを含み、皮ごとこれを噛み砕き、ごくんと飲み干す。

「……なんだこれは」

 次いでコトアマツの口から出てきたのは、疑問の言葉。

「……えっと……?」

「なんだこの感覚は! 手が止まらなかったぞ!」

「え? えっ、えっと」

「麻薬成分や毒物は検知されなかった。精神のコントロールや、脳波への干渉も検知されていない。いや、そもそもそれらについては対策済みなのだから、余を制御下に置くなど不可能だ。一体余の身に何が……」

 花中を問い詰め、しかしすぐに答えが返ってこなかったからか、コトアマツは一匹ぶつぶつと独りごちる。やれ化学物質がどうたらこうたら、神経系の反応がうんたらかんたら。

 何やらコトアマツの身に、コトアマツ自身想定していなかった事態が起きたらしい。その結果、ミカンをつい食べきってしまったようだ。

 問い詰められた直後は花中にも訳が分からず、ポカンとしてしまった。けれどもよくよく考えてみれば答えは明白。

 そしてその答えに、花中は思わず笑いが噴き出した。

 なんて事はない……どうやらコトアマツは、ミカンがとても気に入ったようだ。『大好物』との初遭遇である。

「ぷくくくく……気になるなら、もっと、ミカンを食べてみたら、どうですか? 何か、分かるかも」

「うむ! 調査をせねばならんな!」

「あ、そこにある色の濃いやつは美味しそ……興味を惹かれませんか?」

「むぅ。確かに何故か他のものより有意に興味があるぞ。どれどれ……」

 木の枝に手を伸ばすコトアマツ。あと少しで届きそうだから飛ぶ事はなく、だからこそ小さな身体で背伸びしている姿が愛くるしい。

 その可愛さに花中が笑みを零せば、一個のミカンを両手で掴むコトアマツが首を傾げる。花中が我慢出来なくて吹き出すのに、十分な『破壊力』を秘めていた。

 そんな花中の賑やかな笑いに誘われてケダモノ達がやってくるのに、さして時間は掛からない。

 あっという間に花中とコトアマツの周りは、たくさんの笑い声に満たされる事となるのだった。




「うふふ。かれこれ五百年ぐらいの付き合いですけど、まさかコトちゃんの好物がミカンだとは知りませんでしたわー」

 蕩けきった満面の笑みを浮かべるオオゲツヒメ。草原から徒歩で数十キロもの距離を歩き、避難所近くの瓦礫地帯に入った彼女の足は、されど疲労の色を感じさせないほど軽やかなものだった。

 その彼女の隣を歩くコトアマツは、両手いっぱいにミカンを抱えていた。オオゲツヒメに話し掛けられた彼女は唇を尖らせ、不満を露わにした表情を見せる。

「貴様、よくも今までこんな美味いものの存在を黙っていたな。美味しいものは皆で分け合うともっと美味しくなると、普段は言っている癖に」

「冬にはちゃんと誘ってましたわよ、箱で買ってきたミカンを炬燵で一緒に食べましょうって。だけどあなた何時も断ってたじゃない。そんな糖質と水の塊、栄養摂取の効率からして必要ないって」

「ぐぬぬぬぬ」

 オオゲツヒメを責めるも、あっさり言い返されて黙るコトアマツ。恐らく本当に、毎年そんなやり取りをしていたのだろう。『食わず嫌い』は損だとはよく言ったものである。

 二匹のやり取りが可愛らしくて、後ろから彼女達を眺めていた花中はニコニコとした笑みを浮かべた。さらっとオオゲツヒメがとんでもない年月を言っていた気がするが、「まぁ別にいっか」と流す。そんなものは、可愛いものの前では無力なのだ。

「いやー花中さんが楽しそうで何よりです。最近の花中さん暗い顔ばかりでしたからねー」

 そして花中を後ろから抱き締めているフィアも、花中の笑みを見て上機嫌に笑う。

「そだねー。眉間に何時も皺が寄ってさー」

「事態が事態だから、仕方ないとは思うけどね」

 花中の両隣を歩くミィとミリオンも、フィアの言葉を肯定する。

 自覚はなかったが、最近の自分は相当『アレ』な表情だったらしい。ミリオンはフォローしてくれたが、花中自身がこれを良しとしない。

 ちょちょいと眉間を指で揉み、目許も両手でマッサージ。きっと、多分、もっとマシな顔付きになった事とした。

「えっと、どう、でしたか? 楽しかった、ですか?」

 顔付きと共に気持ちを一新した花中は、思いきってコトアマツに尋ねてみる。

 コトアマツはくるりと、舞うように振り返った。その顔には何時ものように不敵で、だけど何時もよりちょっと柔らかな表情が浮かんでいる。

「ふむ、今まで誘われた中では一番良かったな。とはいえ余を満足させるにはまだ足りん。これでは余の友とは認められぬ」

「あー、判定厳しいです……」

「うふふ。花中ちゃん、そう気を落とさないで。この子、結構ぐらぐら来てますわよ。多分あともう一押しでお友達になりたいと申し出ますわ」

「……余計な事を言いおってからに」

 オオゲツヒメを睨むコトアマツだが、されどオオゲツヒメの言葉を否定はしない。恐らく本当に『ぐらぐら』来ていて、『あともう一押し』なのだろう。

 なら、今度はミカンを使ったデザートでも振る舞ってみようかな? 他にも色んなデザートを用意して、デザートバイキングをしてみよう。それともあえて普通の料理をやってみて、避難所の人達と一緒にランチを楽しむのも有りかも……脳裏に浮かぶ次の『作戦』に、花中は思わず笑みが零れる。

 あれほど次はどうしようと悩んでいたのに、今では次々と案が浮かんでくる。むしろどれをやろうか悩むぐらいだ。

 『楽しい』というのは、こんなにも力を与えてくれる。それを今まですっかり忘れていた。流れてしまった時間は少なくないが、だけどこの楽しさは、きっとその時間をすぐに埋め合わせしてくれる。

「ふふっ、そうですね……じゃあ、今度はミカンを使った、デザートバイキングにしましょうか。みんなで一緒に食べたら、きっと、すごく楽しいですよ!」

 花中は思い至った案の一つを満面の笑みと共に伝え、

 足を止めたコトアマツは、抱えていたミカンをボトボトと落とした。

 ……落としたミカンは、剥き出しとなった固い地面に落ち、付いた傷から汁が飛ぶ。コトアマツは人間ではない。多少汚れたところで気にはしないだろう。だが、綺麗ならばそれに越した事はあるまい。

 大切なミカンを落とした事に、花中は得体の知れぬ違和感を覚える。

 そしてその違和感は、喜びの色が一切ない、つまらなそうな顔をしたコトアマツと向き合う事でより一層強く感じた。

「……コトアマツ、さん? あの、どうか、しましたか……?」

「あら、もうそんな時間なの?」

「ああ、そうだ。今し方完了した。第二から第四まで活性化が終わり次第、第一コアが動き出す」

「そう。それは……とても、残念。思いの外早くて、こっちとしても想定外ですわ」

 疑念を抱き尋ねる花中だったが、コトアマツは答えない。それどころかオオゲツヒメと話を交わし、オオゲツヒメは肩を落としながら項垂れる。

 彼女達は何かを理解していた。その何かが、花中には分からない。

 だけど彼女達の顔を見れば、それが二匹にとっても愉快な話ではないと窺い知れた。

 ざわざわとした悪寒を感じる花中に、コトアマツはようやく顔を向けた。

 その表情はなんだか寂しげで。

 或いは不安げで。

 けれども決意に満ちていて。

 複雑な感情の混ざり合った顔に、花中はどうコトアマツに声を掛ければ良いのか分からなくなる。

 対してコトアマツは、何もかも既に決めていたかのように。

「残念だな、時間切れだ」

 眉一つ動かさず淡々とその言葉を、花中に伝えてくるのだった。

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