地獄の魔物6

「じゃあ、全員成果は殆どなしって事で良いのかしら?」

「……そう、なるかと」

 ミリオンのバッサリとした一言に、花中はこくりと頷く他なかった。

 大桐家のリビングに集められた動物三匹と人間二人は、つい先程まで話し合いをしていた。花中と晴海はソファーに腰掛けたまま項垂れ、ミリオンとフィアは顰め面を浮かべながら並んで立っている。庭に居るミィは唇を尖らせ、難しい表情を浮かべていた。

 話の内容はムスペルについて。

 本来の目的は生態観察であり、ムスペルと戦う必要などなかったのだが……どうやらムスペルはフィア達ミュータントの実力をしかと推し量り、脅威と判断したらしい。向こうの方から接近し、フィア達三匹に襲い掛かってきた。

 襲い掛かるという事は、ムスペル達からすれば勝算があったのだろう。事実彼等の戦闘能力は凄まじく、フィア達相手に互角の立ち回りを見せた。二対一の状態だったなら、フィア達を圧倒した可能性もある。流石は人間ではどんな手を使おうと ― 事実ロシアでは核攻撃が行われ、中国では化学兵器が用いられたが、いずれも効果はなかった ― 倒せない超越的生命体だ。

 しかし単身では、フィア達を脅かすには至らなかった。

 無論簡単な相手ではなかったが、それでもフィア達全員がムスペルを打ち倒したのである。ムスペル達はフィア達の真の実力を目の当たりにするやそそくさと逃走。それと共にマグマの噴出も止まり、出現地点の環境破壊も止まった。

 ギリギリの勝負ではなかったため、一対一を続ける分には、フィア達はこの地上に現れたほぼ全てのムスペルを打ち倒し、地中へと追い返す事が出来るだろう。が、それをしたところで無意味である。

 何がなんでも地下へ追い返さなければならない個体――――東京に出現したミュータントのムスペルは、フィア達が戦った個体とは比較にならない強さを有している筈なのだから。破局噴火すら易々と起こすアイツを倒せなければ、有象無象を何匹追い払ったところで時間稼ぎにもなりはしない。

 一般ムスペルを調べたのは、東京に現れた個体が本当にミュータントなのかを確かめるだけでなく、ムスペル全般の弱点を調べるというのも目的だったのだが……

「というか、分かったのって弱点どころか強いところばかりだよね」

「そうねぇ」

「確かに」

 庭側に立つミィからの意見に、ミリオンとフィアは同意する。

「私の原子破壊共振波も通じないし」

「あたしが思いっきりぶん殴っても死なないし」

「この私が直に血液を操っても抵抗してきましたし」

 そして各々が目の当たりにした、ムスペル達の非常識ぶりを語った。

 花中はフィアと同行し、彼女とムスペルの戦闘を目の当たりにしている。途方もなく激しく、ダイナミックな戦闘だった。フィアは縦横無尽に溶岩の上を駆け、自らの『身体』より撃ち出した水触手でムスペルを攻撃。ムスペルは振動波でこれを蒸発・粉砕し、巨体で足下の溶岩を投げ付けながら反撃してきた。赤色と青色が入り乱れる戦場は、美しさすら感じさせたものだ……それ以上に、その戦場のど真ん中に居た花中は生きた心地がしなかったが。水球に守られていても怖いものは怖いのである。

 最終的には水触手を何重にも束ね、蒸発しきれないほどの質量で真っ正面から共振波を耐えるという力技でフィアはムスペルと接触。表皮をぶち破り付けた傷口からムスペルの体内へと水を浸入させ、血液全体を操作する事で全身破裂……させたのだが、ムスペルの肉体はこれに耐えた。どうやら強靱な筋肉により破裂を強引に抑え込み、血液循環を筋肉収縮で代用したらしい。フィアも呆れるほどの力技と応用力だ。

 結局ムスペルは振動波で自らの血液を気化させ、フィアの能力支配下から離脱。地中へと逃げてしまった。ミィも似たようなもので、ミリオンも同じようなものらしい。ムスペルが操る恐るべき振動波の威力と、途方もない生命力を見せ付けられた格好だ。

 東京に現れたムスペルがミュータントであるなら、フィア達が戦った個体の性質は当然のように持ち合わせているだろう。つまり全身の生皮を剥いだぐらいでは死なず、血液を気化させてもへっちゃらで、巨大隕石以上の打撃を堪え忍ぶ。どうにかこうにかダメージを与えても、瞬時に再生を始めて元の木阿弥。

 一体どうすれば倒せるのか。とりあえず真っ正面からの殴り合いは有効ではないだろう。しかし物理攻撃以外が有効かといえば、そちらも異なる。マグマの中に生息している点を鑑みれば、少なくとも熱に対する耐性が極めて高いのは間違いない。いや、核攻撃が行われた場面を目撃しているミリオン曰く、熱エネルギーを吸収しているのではとの事。十分に考えられる話だ。地下深くに生息しているならば、数千度にもなる地熱を利用しない手はない。そして体内に熱エネルギーが循環しているならば、化学兵器で使われるような物質は高熱で分解され、無毒化される筈だ。地上の細菌に関しても熱で滅却されるだろうから、感染症で死ぬ事も期待出来ない。

 物理攻撃耐性大。熱攻撃吸収。化学攻撃無効化。感染症対策万全……フィア達も似たようなものだが、これはあまりに隙がない。そして付け入る隙がないとなれば、策なんて考えようがない。お手上げというやつだ。

 せめて……

「せめて、死骸の一つでも、手に入れば、何か、分かったかも、知れないけど……」

「いやぁそれは中々難しそうですよ花中さん。アイツら結構警戒心も強いですから殺そうとしても多分すんでのところで逃げられますよ?」

 ぽつりと漏らした花中の願望を、野生動物の鋭い聴覚で聞き逃さなかったフィアが否定する。否定するが、ちらりとリビングに置かれたテレビの方を見遣った。

「まぁ花中さんからお願いされれば何回かは狩りに行っても良いですよ。数は多いようですから何度もチャレンジ出来ますし」

 それから花中にとっては全く嬉しくない、『チャンス』の多さについて教えてくれる。

 テレビでは今もムスペルに関する報道が流れている。というより今はムスペル関連の報道しかやっていない。どの局を付けても横並びの情報ばかりで、デマや憶測も飛び交う始末。迂闊にそうした事が言えなさそうな、国営放送を今は点けている。

 その番組の右上に書かれた『世界各地で百体を超え』の文字。

 現時点で確認されたムスペルの数だ。自宅出発前は三十二だった出現数は、今やその時の三倍を超えている。フィア達が追い返した三匹分はまだ引かれてないかも知れないが……ここまで増えれば誤差のようなものだろう。

 世界の百ヶ所以上で怪物ムスペルが現れている。彼等の手により、世界中の環境が破壊されている状況だ。今から死体一匹確保して、ちんたら身体を調べているような暇があるのかどうか、甚だ怪しい。

 残す希望は、ミリオンと共にムスペルを見た晴海の考えぐらいだ。

「小田さん。ミリオンさんと、ムスペルを、見て、何か、気付きました、か?」

 花中は顔を横に向け、自分と同じくソファーに腰掛けていた、されど今まで一言も発していない晴海に尋ねる。

 花中は幾度となくフィア達のような超生命体の死闘を目の当たりにし、生還してきた。だから確かに超生命体に対する見識は豊富で、一般人では分からないような疑問を持てるだろう。しかし同時に、慣れてしまったからこそ見落としている事があるかも知れない。そう、ごく当たり前の事柄さえも。

 正直、花中自身自分の視点はフィア達と大差ないものになっていると思う。晴海の視点は今や花中とはまるで異なるものの筈だ。彼女の目にはもしかすると……

「……ごめんなさい。その、何も思い付かなくて……」

 抱いた淡い希望は、晴海の否定によって砕かれた。そう美味い話はないと思いつつも、心の奥底で期待していた花中は肩を落とす。

「あら? ムスペルと戦い終わったばかりの時には、何か気付いたように見えたけど」

「う、うん。まだ胸の中でもやもやしていて……ちゃんと答えられないの。ごめんなさい、あんな大口叩きながら全然役に立たなくて」

「ほんとですよ使えませんねぇ」

「……フィアちゃん」

 申し訳なさそうに説明する晴海に、フィアは大変『正直』な意見を述べ、花中はそれを窘める。晴海は力になれない事を悔やんでいるようにも見えるし、フィアは心底期待していないようだが……花中にとっては違うのだ。

「小田さんは、ちゃんと役に立ってます。いえ、わたしより、ずっと頼もしいぐらいです」

「そう、かな……」

「そうですよ。だって、わたしなんて、なーんにも分からなかったの、ですから……フィアちゃんの、戦い方が、ジェットコースター過ぎて」

「えぇー私の所為ですかぁ?」

 さらりと非難され、フィアが困惑したようにぼやく。人類の存続を手助けしてもらって不満を言うとはなんと傲慢な、と言われそうだが、それはフィアとムスペルの戦いを見ていないから言えるのだ。

 ムスペルと戦っていた時のフィアは獰猛ながら満面の笑みを浮かべ、大層楽しそうだった。かれこれ二年以上の付き合いである花中には分かる。あの時のフィアは絶対花中親友の事など頭の片隅に追いやっていて、ムスペルと遊ぶのに夢中だったと。

「だってフィアちゃん、こっちの話全然聞いて、くれないんだもん。わたし、何度も止まってって、言ったのに」

「んー? 言ってましたっけ?」

「ほらぁ! そうやって、全然聞いてないじゃん!」

「……あははっ! 確かに、あたしの方がちゃんとムスペルは観察出来ていたみたいね」

「みたいねー。ほんと、何やってんだか」

「真面目にやれー」

 花中とフィアの口論? を前にして晴海はくすりと笑い、ミリオンとミィは呆れたようにぼやく。沈んでいた空気が軽くなり、前向きな気持ちを花中は……きっと晴海も……抱くようになる。

 まだ、世界は終わっていない。これから何が起きるか分からないし、タイムリミットが何時かも不明だが、不安になって慌てふためいても成果は上がらないものだ。元より人間ではどうしようもない滅びなのだから、こんな風に気楽にやってしまえば良いのである。

 笑えば身体から力が抜け、頭が少しスッキリしたように感じられた。これならさっきまでより幾分マシな考えが浮かびそうだ。

 花中は考える。考え過ぎると頭が痛くなるので、程々に。

 やはりもっとムスペルの情報が欲しいところだ。そういう意味ではせめて死骸、欲を言えば生体の確保がしたい。堅実に、一体のムスペルを捕まえるところから始めるべきだろう。

 無論人間側の戦闘力では期待するだけ無駄なので、フィア達の力に頼る必要がある。それでも一対一では逃げられる可能性が高いが……三対一ならどうだろうか。先の調査はより多くの情報を集めるために分散した訳だから、一匹だけでも良いから成功してほしい捕獲作戦は皆で協力すれば良い。強いて問題点を挙げるなら、フィア曰くムスペル達は警戒心が強いので、三対一だと戦う前に逃げ出す可能性がある事か。割と致命的な問題点なのはこの際置いておく。やってみないと分からないなら、やるしかない。

 人類絶滅までの猶予があるかは怪しいが、横着して一足跳びの進展を得ようとしても却って時間が掛かるのが世の常。このままでは動けないのなら、動くために次の一歩を着実に踏み出す。迫り来る滅びの恐怖はあるが、やれる事はただそれだけなのだから。

「……良し。皆さん、あの、今度はみんなで、ムスペルを捕まえましょう。三対一なら、生け捕りも出来るかも、ですし」

「ふぅーむ花中さんが仰るならそうしますかね。私だけでは少し骨が折れそうですし」

「あたしもさんせーい」

「そうね、他に手もないし。小田ちゃんはどう?」

「うん。あたしも賛成……えっと、あたしもまた一緒に行っても、良いかな。なんというか、もう一回見たら何か分かりそうな気がして……その、やっぱり役には立てないかもだけど……」

「勿論です! とても心強いですよ」

 花中の意見にフィア達三匹も同意し、晴海も少し遠慮がちに賛成と参加の意思を示す。今の花中からすれば願ってもない申し出だ。即答で受け入れる。

 方針は定めた。早速出発しよう……と言いたいが、そのためにも情報は欠かせない。具体的には、東京以外で最寄りの『一般ムスペル』の出現地点が知りたいところだ。普段ならネットで調べるのが手っ取り早いが、この混乱ぶりからしてデマも相当数出回っている筈。そもそも情報量が多過ぎて、恐らく一人では精査しきれない。

 しかしテレビ局なら、ある程度の人海戦術とメディア同士の繋がりにより、幾らか正確な情報が得られる筈。ここは確実性を重視し、テレビ報道に頼ろう。何処かの局でそうした情報を纏めていないだろうか――――花中はそんな気持ちからリモコンを持ち、テレビのチャンネルを切り替えていく。

 ……正直、音にはあまり注意を向けていなかった。冷静になるよう務めていたつもりだが、内心ではやはり焦りを覚えていたようである。テロップや映し出された画像をパッと見で判断し、深く考えずに切り捨てていく。あっという間にチャンネルは一周してしまい、さぁてどうしようかとリモコンのボタンから指を離した。

 丁度そんな時だった。

【り、臨時報道です。東京都に出現した巨大生物ムスペルが、動きを見せているとの事です】

 テレビの女性アナウンサーが、震えた声でムスペルについて、新たな情報を報じたのは。

 ざわりと、大桐家のリビングに緊張が走る。今まで疎かにしていた耳に花中は意識を集中。アナウンサーの声を一字一句聞き逃さぬよう全身全霊を掛ける。

【東京のムスペルが、大きな声で咆哮を上げているようです。現場から三十キロほど離れた地点にて取材中の、岩井記者より連絡がありました。岩井さん、どのような状況でしょうか?】

 スタジオの女性アナウンサーが尋ねる。同時に岩井記者を撮影しているであろうカメラの映像へと、テレビ画面が切り替わった。

 ……が、テレビに映るのは黒い画面だけ。声どころか物音も聞こえてこない。

 数秒ほどでスタジオに映像が戻る。なんだなんだとスタッフ達が慌ただしい声が聞こえ始めた。花中も無意識に晴海と目を合わせたが……彼女もキョトンとした様子。

 何があったのだろう?

 答えは、間もなく明らかとなった。

「っ!? フィア!」

「分かっています」

 最初に反応したのはミィ、次いでフィア。ミリオンも跳ねるような勢いで何処かを振り向く。

 続いて起きたのは、巨大な地震だった。

「きゃあっ!?」

「ひゃ、わ、わ、わ」

 地震に驚く晴海と花中。あまりにも巨大な地震は大桐家宅をミシミシと鳴らす。地鳴りが凄まじく、花中達の声が掻き消されてしまう。

 そして天井が、音を立てながら崩れた。

 あまりにも呆気ない崩落。花中は悲鳴を忘れ、ポカンとした顔で天井を見つめてしまう。本来ならば恐怖や絶望を感じるべき場面で、ただただ頭を真っ白にするだけ。

 もしもフィアが手から大量の水を出し、花中と晴海を丸ごと包んでくれなければ、今頃文字通りぺっちゃんこになっていたに違いない。展開された水は落下してきたコンクリートや木材を受け止めると、ぼよんと間の抜けた音を鳴らして弾き返した。無論飛ばされた家の一部だった塊は、恐ろしい音色を奏でながら砕けたが。

 落ちてくるのは天井だけではなかった。壁も傾き、花中達の方へと倒れてくる。次々と襲い掛かるそれらをフィアは片手で払い除けながら歩き、水球に包まれた花中達を連れて、家の中よりは安全だろう庭へと出た。ミリオンも瓦礫を押し退け、ミィも押し寄せる残骸を蹴飛ばしたりしながらやり過ごし、三匹は安全を確保する。

 そうしてフィア達が危機を乗りきった後も地震は終わる気配すらなく、延々と世界は震えていた。庭の草木が揺れで浮かび上がっては倒れ、電柱がへし折れていく。大桐家の周りに家は殆どないが、辛うじて残っていた廃屋は全て余さず潰れていった。

 最早この場所に、大きな建物は何も残っていない。

 しかし全てを破壊し尽くしても、地震はまだ終わらない。何分経とうと、どれだけ経とうと……静まる気配すらない有り様だ。

「やれやれなんだか大変な事が起き始めてますねぇ。花中さんどうしますか? ……花中さん?」

 地震など全く怖くないフィアは揺れの中で平然としながら、花中に今後について尋ねてくる。されど花中は何も答えない。

 花中の視線の先にあったのは、最早瓦礫の山でしかない大桐家の自宅だったもの。

 数多の悲劇に見舞われ、割と甚大な被害に見舞われる事が多かった我が家。庭でロケットランチャーを撃ち込まれたり、室内で爆発が起きたり、巨大化した友達の戦いに巻き込まれそうになったり。危機は幾度も訪れたが、けれども一部破損はしても全壊には至らず、なんとか修理して今日まで持ってきた。たくさんの思い出が詰まった大切な場所だった。

 それが、ほんの一瞬で壊れてしまった。

 ……命あっての物種というのは分かる。大体今更家が一軒二軒潰れたぐらい、わーわー騒ぐような話ではなかろう。世界が終わり、人類が滅びようとしているのだから。

 だけど、それでも。

 家がなくなってしまった事は、花中の心をぎゅっと締め付けた。

「はなちゃん、気持ちは分かるけど今は後にしましょ。それよりも今は……」

 我に返れたのは、ミリオンが声を掛けてくれたからに他ならない。そしてミリオンの言う『今は』の意味に気付けたのも。

 そうだ。自分はまだ良い。今まで運良く長持ちしていたものが、ここで寿命が尽きただけの話だ。悲しい事は勿論だが、これはもう仕方ないので諦める。

 それよりも『今』大事なのは――――晴海の方ではないか。

 晴海は自分と同じ地域に暮らす市民であり、彼女の家族にはフィアという頼もしい存在はいないのだから。

「た、立花さん!」

「……ぇ、あ……ご、ごめん大桐さん。あの、あたし……」

「大丈夫です! フィアちゃん! 立花さんの家に、向かって!」

「んー? 構いませんよ。立花さんあなたのお家ってどちらにあるのですか?」

「あ、あっちに」

「あっちですねー」

 晴海が北の方を指差した、ほぼその直後にフィアは跳んだ。勿論花中と晴海を包み込んだ水球を連れて。

 フィアは何十メートルという高さまで跳んだため、視界はとても開けていた。遙か彼方、何十キロ先まで見渡せる。

 しかし見慣れた町は見付からない。元々廃墟同然だった大桐家周辺だけでなく、遠くにある筈の繁華街や住宅地さえも。

 何もかもが崩れていた。大地震にも持ち堪える筈の、現代科学の粋を集めて作られた家々が全滅していたのだ。地震はフィアがジャンプする時にはまだ続いていたが、それでもたかが数分前に起きたばかり。なのに建物が軒並み崩壊したという事は、それだけ揺れが強いという証である。

 フィアと共に空高く跳んだ花中達に、地面の揺れは伝わらない。されどじっと見つめれば、地面が大きく波打っているのが分かった。家も道路も浮かび上がり、落ちた衝撃で砕けていく。一体どれほどの『震度』ならばこんな事が可能なのか、花中には想像も付かない。家だった残骸は追い討ちを掛けるように何度も浮かび、その度に瓦礫を四方八方に飛び散らせた。もしもあの中に人が居たなら……

「お、小田さん! お家は、どちらですか!」

「ぇ、ぁ、う……あ、あの、多分、もっとあっち、に……」

 脳裏を過ぎった言葉を塗り潰すように、花中は大きな声で晴海に問う。晴海は今にも掻き消えそうな声で、自信のない言葉遣いで自宅がある……いや、あった筈の場所を指差した。

 晴海の示す方角を確認し、フィアは「もうちょっと先ですね」と言いながら空中移動の向きを変える。水を噴射し、推進力を得たのだろう。ただ一回の跳躍で数百メートルもの距離を移動し、また跳んで数百メートル進み……数度も跳ねれば直線で数キロの道のりだ。

「た、多分、こ、此処に……」

「此処ですねぇっと」

 フィアがずしんと着地をし、花中達も地面に降り立つ。地震は未だ続いていた。それも大地が波打つほどに。

 晴海が指し示した場所にあった瓦礫の山も、ずるりずるりと動いている。その下に誰かが居るかどうかなんて、お構いなしに。

「ふぃ、フィア! この辺りの瓦礫、全部退かして! 早く!」

「んー? 構いませんよ」

 晴海に頼まれたフィアは『身体』から無数の水触手を生やし、瓦礫の山々へと伸ばしていく。そして言われるがまま瓦礫の山を、水触手で強引に退かし始めた。真横に薙ぐような動きであり、例えるなら机の上に散らばった消しカスを床に落とすような仕草である。

 凄まじいパワーによる力技だ。しかしこれほどの力を使わねば、きっと瓦礫の中の『命』は手遅れになるだろう。地震は今も続いており、瓦礫の山は激しく揺さぶられているのだから。

 とはいえフィアの動きはあまりに雑だ。これでは瓦礫の中に居る命も一緒に薙ぎ払われ、失われてしまう。恐らくフィアは「何故瓦礫退かすのか」を分かっておらず、本当にただ退かしているだけなのだろう。

「ふぃ、フィアちゃん! あの、瓦礫の中に人が居ると思うから、中の人を、潰さないようにして!」

「ん? ああそういう事でしたか。なら早く言ってくださいよ……こういう方法があるので」

 花中が理由を説明すると、フィアは納得したように頷き――――薙ぎ払うようにして伸ばしていた水触手を止め、瓦礫の山へと突き刺した。

 次の瞬間、花中達の周りにある瓦礫がふわりと浮かび上がる。

 一瞬、何が起きたか分からず花中は呆けてしまったが、よく見れば瓦礫の下に半透明な『液体』が存在していた。大量の水を瓦礫の下に浸透させ、一気に持ち上げたのだ。確かにこの方法ならば瓦礫を動かした際、下敷きになっていた人間を潰してしまう心配はない。しかも広範囲を一度に救助出来る。人間には真似出来ない、豪快かつ爽快な救助方法だ。

 一つ欠点を挙げるなら……無事だった人も手遅れだった人も関係なく、水の中を漂っている事か。

「ひっ!?」

 反射的にフィアの救助を見ていた花中は、瓦礫の中にある『人だったモノ』を見付けてしまった。が酷く、ちょっと見ただけで手遅れだと分かる。

 それでも原形があるだけマシな方かも知れない。最悪、瓦礫の中でペーストにされている可能性もあるのだ……赤い液体が漂っているところを見て、それが大量の出血か、潰れた肉か判別出来なかった花中は、吐き気を抑えるので精いっぱい。

「いない……」

 対して晴海は、そもそもそんなものは見えていないかのようだったが。

「此処じゃない……フィア! もっと、あっちを探して!」

「あん? 此処の人間達は?」

「何処か適当に退かせば良いわよ! 早くして!」

「はいはい分かりました。なんなんですかねぇ全く」

 手早く水の中を漂う人間達を一纏めに……その生死など確かめてすらいないのだろう。何もかもごちゃ混ぜだ……したフィアは、その人間を本当に適当な場所へと吐き捨てる。それから晴海に言われた通り、晴海が指差した数十メートル先の場所まで移動。そこで再び瓦礫を持ち上げる。

 晴海は持ち上げられた瓦礫の中を、ぐるりと見渡す。

「此処にもいない……も、もっと、あっちを探して!」

「んー……正直そろそろ面倒臭くなってきたのですが」

「早くして! お願いだから、お願い……」

 人命救助に飽きたフィアを、苛烈な言葉で責めたのは一瞬。晴海は嗚咽を漏らし、水球の中で泣き崩れてしまう。

 フィアは花中の方を見て、どうしたら良いのか目で訴えてくる。花中は一言「お願いを聞いてあげて」と伝え、フィアは至極面倒臭そうに頭を掻きながら、晴海が次に示した場所へ向けて歩き始めた。

 晴海は自分の家が分からなくなっている。

 全てが瓦礫と化したのだ。木や道路どころか地形まで壊れれば、最早自宅の目印なんて何もない。花中だって、今から自宅があった場所に戻る事は出来ないだろう。

 何処に家族が居るか分からず、自分の目星が合っている保障がない中、延々と瓦礫の山をひっくり返す……それがどれだけ心を苦しめるかは、幸いにも家族が海外に居る花中には想像する事しか出来ない。想像しただけで、息が詰まるぐらい胸が締め上げられる。

 落ち着いて、なんて言えない。

 きっと大丈夫、そんな心にもない言葉なんて口にも出せない。

 だから花中には口を閉ざす事しか出来ない。

 フィアが何百という数の人々を助け出していく姿を目の当たりにしても、花中の心が安堵を覚える事はなかった……

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