第十九章 地獄の魔物

地獄の魔物1

 十月に入り、日本列島は秋の様相を見せた。

 九月まで続いていた焼き付くような熱さは落ち着き、今では人間にとって過ごしやすい気温になっている。雨はしとしとと優しく降り、大気を程々に湿らせた。風はやや冷たいが、動いて温まった身体にはむしろ丁度良い。気候的には一部地域を除き、例年通りだと専門家は言う。

 生き物達も『例年通り』の秋の訪れを感じ、様々な動きを見せ始めている。木々は赤く色付き、紅葉は今がピークだ。この『時勢』に景色を楽しむ余裕のある人間は少数だが、そもそも木々達は人間のために紅くなるのではない。訪れる冬に備え、己の姿を少しずつ変えていた。

 虫達も冬越しに適した形態へと移り、順次姿を眩ませていく。鳥達はそんな虫を慌ただしく捕まえ、獣達も果実や生き物を食べて脂肪を蓄える。厳しい冬の到来に備え、何時もの秋と同じように動くのだ。

 しかし何もかもが例年と同じという訳ではない。

 例えば怪物という存在の出没。世界各地に現れている恐るべき生命体は、今では日本列島でもそれなりの種類が確認されている。多くの町がし、統治能力を失った県も現れている有り様だ。けれども怪物の力は強大で、軍事攻撃は殆ど成果を上げていない。むしろ攻撃により繁殖が活発化し、個体数が増えた怪物もいるという。

 そして怪物に蹂躙されたが最後、その土地には怪物、更には怪物と共に入り込んだ植物や動物が定着。文明は瞬く間に解体され、野生生物の支配圏へと戻ってしまう。当然怪物達から土地を奪還など無理な話であり、崩壊した地域の復興は目処すら立っていないのが実情だ。

 幸いにして東京など首都圏は未だ大きな被害を受けていないものの、何時までも平穏であるという保障はない。ただ一匹の怪物が入り込むだけで、国家の中枢は沈黙してしまうだろう。仮に怪物の攻撃を受けずとも地方が壊滅していけば、地方から供給されていた食糧やエネルギーが途絶え、やはり首都は機能停止する。

 怪物によって直に破壊されるか、インフラ途絶によりゆっくり死に至るか……いずれにせよ、首都が壊滅するのは時間の問題だ。国家機能の停止も同様である。人類は確実に追い込まれていた。

 そしてもう一つ、例年と明らかに異なるものは、

「あら。また地震」

 立花晴海がぽつりと呟いた、地震である。

 午前九時半を迎えた帆風高校の三年A組教室。一限目の授業を行っていた最中、その地震は起きた。

 揺れは身体にしっかりと感じられる強さで、窓や学校備品がカタカタと音を鳴らしている。机も、押さえ付けねば勝手に動きズレてしまう。ガラス窓付近からピキピキと、壁からはミシミシという嫌な音が鳴り、不安を煽ってくる。

 晴海と同じ教室で勉強していた花中にも、地震の揺れはしかと感じられた。何百もの死人が出るような大地震ではないが、弱いとは言い難い。体感という雑な測定ではあるが、凡そ震度四程度だろうか。一応身の安全を図った方が良さそうな規模であり、花中はおろおろしながら机の下に隠れる。

 尤も、そうした行動を取ったのは花中だけ。

 他のクラスメート達、そして教壇に立つ教師は、ケロッとしていた。まるでこんな地震、大したものではないかのように。授業の進行こそ止まっているが、誰もが身を守ろうという動きすら見せない。

 地震は十数秒ほど続いたが、机の下に隠れたのは花中だけだった。

「……はい、じゃあこの式の説明だが、此処はだなー」

 教壇に立つ細身の男性教師は、何事もなかったかのように授業を再開。花中はもたもたと机の下から出て、椅子に座り直し、一人だけ隠れてしまった事に赤面する。

「みんな、すっかり慣れちゃったわね」

 恥ずかしがる花中に、隣の席に座っている晴海がひそひそと話し掛けてきた。二学期になってすぐ行われた席替えにより花中と隣同士になった彼女は、地震に怯えて逃げ隠れていた花中を笑ったりしない。淡々と、ただ事実を確認するのみ。

 授業中のお喋りは基本NG。しかし友達から話し掛けられて無視なんて出来ないし、何より晴海の『優しさ』が嬉しい。花中は無言のままこくりと頷いた。

 震度四近い地震。

 数ヶ月前までなら、きっと誰もがそれなりに恐れただろう。花中のように身を隠す者は少数派かも知れないが、ゼロではあるまい。教師だって、地震について一言あったり、或いは生徒を気遣うような言葉を投げ掛けてきた筈だ。

 だが、今は違う。みんな

 ここ最近、地震が相次いでいるのだ。花中の記憶が確かなら三ヶ月ほど前から、日に日に頻度と強さが増えている。今や先程の震度四程度の揺れは日常茶飯事であり、震度五程度のものも偶には起きていた。一日に十五回も体感出来る規模の地震が起きた事だってある。先月は震度六弱ほどの地震が九州地方で起き、家屋の一部倒壊など大きな被害をもたらしたらしい。

 しかし人間というのは、強いのか鈍感なのか、何事にも慣れてしまうもの。数ヶ月前なら慌てふためく震度五弱の地震でも、今では冷静に避難を行える。先月九州で起きた震度六弱の地震でも、市民が冷静かつ的確に行動した結果死者は出ていないらしい。今の地震でもクラスメート達はパニックにならず、最後まで落ち着いていたため怪我人は出ていなかった。

 それは良い事なのだが……どうにも皆、地震そのものの異常性を失念しているようだと花中は感じる。

 連日震度四ほどの地震が続くなど、どう考えてもおかしい。けれども専門家や国が調査を進めているが、未だ何が原因なのかさっぱり分からないのが実情だ。しかもこの奇怪な地震、日本だけでなく世界中で発生している。被害の規模は日本と大差ないのだが、地震列島の呼び名があるほど地震が身近な日本と違い、世界の地震事情は国それぞれ。耐震性をあまり必要としない国や地域では、かなり大きな被害も出ていると聞く。

 世界の終わり、なんていうのは過言だとしても、明らかに人智を超えた事象だ。能天気にしている場合ではない。なのに人々はこの異変に慣れ、考えないようにしている。

 ……いや、人智を超えているからこそ、だろうか。誰もが想像出来ない、或いは想像もしたくなくて、無意識に考える事を避けているのかも知れない。

 頻発する地震の裏に『何か』が隠れている。もしそうだとしたら、その『何か』にどうして人間が勝てるのか。人間がどれだけ技術と資本を投じても、狭い範囲を僅かに揺らすのが限度。世界中という広範囲に、大きな地震を起こすなど出来やしない。しかも地中奥深くの出来事故、『何か』があるのかを調べる事も不可能だ。結果推論の域を出ず、曖昧な恐怖だけが残る。

 分からない事は怖い。具体性のない、漫然とした恐怖は生きる上で邪魔なだけだ。だから考えない……成程、感情的なようで合理的な生理作用だと花中は納得する。きっと花中もクラスメートと同じ立場なら、同じように考えただろう。

 だけど、花中は他のクラスメート達とは違った。

「フィア達にも、まだ分からない感じ?」

「……はい」

「そっか。まぁ、地下深くじゃ仕方ないわよね」

 花中と『同じ』立場である晴海は、納得した事を小声で漏らしながら頷く。

 花中達は知っている。この地震の原因を。

 地中深くに潜む『何か』。詳細不明のその存在を、花中達はそう呼んでいる。

 恐らくは生命体であり、なんらかの特殊な能力を有する。そして破局噴火を易々と引き起こせるほどのパワーを持つ……六月の破局噴火危機の際、花中達はそんな『何か』の存在を知った。

 その気になれば人類どころか地上生態系を滅茶苦茶にし、何もかも終わらせてしまう存在。あまりの出鱈目ぶりに、現実逃避すら出来ない。世界を自分の意のままに出来るという意味では、正しく神が如く存在と言えるだろう。

 世界中で頻発している地震も、『何か』が行動を起こしている証と思われる。地震を起こす事が目的なのか、地震により何かを起こそうとしているのか、何かをしている結果が地震なのか。それすら分からないが、兎に角『何か』が何かをしているのは確かだ。曖昧過ぎる表現だがこれだけは間違いない。

 だからフィア達に調べてもらっているのだが……相手が潜んでいると思われる場所は、推定で地下七十キロ以上の大深度。地上から気配を探るにしても限度があり、ましてや世界中となれば範囲が広過ぎる。地中への侵入はフィア達の力ならば可能だが、相手の実力を思えば不用意な接近、ましてや相手の陣地への侵入は危険だ。遠くから様子を窺うしかない。

 結局、花中達も知識としてはクラスメート達と大差ないのだ。勝っているのは精々、『何か』が起きているという確信だけである。

「……日に日に地震は増えてるし、大きくもなってるから、何か起きるならもうすぐのような気がするんだけど」

「どう、でしょう。地震が、何かの過程で生じただけの、副産物なら、もしかすると、最終段階では減る、なんて事も、あるかも知れません。或いは、地震は異変の第一段階、という可能性も、あります」

「ああ、そういう事もあり得るのか。うーん、そうなると本当に何も分かってないのね、あたし達」

「はい、そうなります」

 しっかりと現実を認識し合う二人。晴海は神妙な面持ちをしながら、大きくこくこくと頷いた

 直後、スコンッ! と軽やかな音が鳴る。

 なんの音? 花中が疑問を抱いた次の瞬間、晴海の身体が大きく仰け反った。天井を仰ぐその顔は苦悶に歪んでいる。

「ふ、ぐぎょえぇ!?」

 そして開いた口から、可愛らしい顔には似合わぬ呻きを上げた。

 一体何が起きたのか。疑問の答えはすぐに明らかとなった。

「立花ぁ……俺の数学を無視してお喋りとは良い度胸だぁ……」

 教壇に立つ教師が、唸るような声でそう語ったのだから。

 花中は思い出す。彼は数学教師にして、帆風高校一の武闘派教員。チョークを剛速球のように投げ飛ばし、華麗に悪童達を成敗するという……色々誇張が入っているような気がする評価だが、チョーク投げに関しては間違っていないらしい。

 晴海はそのチョークの一撃を受けたのだ。これ普通に暴力事案じゃない? なんて思わなくもないが、『常識』を口に出せる雰囲気ではない。何しろ生徒の額に投げられたチョークが命中するという非常識展開の真っ最中なのだから。それに授業中のお喋りという、悪い事をしていたのはの方である。教師から暴力を受けただのなんだの喚くなんて、逆恨みも甚だしい。

 ……油の切れたブリキ細工のような、ぎこちない動きで花中は正面を向く。

 数学教師が自分を見ている。ニッコリとした、爽やかな笑みだ。花中も微笑みを返そうとする。

 だけど彼の手にはチョークが握られていて。

「ごめんなさい」

「分かればよろしい」

 恐怖に負けて謝った花中は、晴海と違ってちゃっかり難を逃れる。教室の中にくすくすと笑い声が漏れ、クラスメート達の顔には笑顔が浮かぶ。一人下手こいた晴海は額を擦りながら恨むような視線を花中に向け、花中は苦笑いと共に顔を背けた。

 賑やかで、和やかな雰囲気。

 世界は変わりつつある。人によってはその変化を終わりと呼んだりもする。だけどこの教室はまだ終わっていないし、変わっているとしても少しだけ。

 もうちょっとだけ、この時間が続いてほしい。

 楽しげな笑い声に満ちる中、花中は強くそう思い――――

 嘲笑うように、今朝二度目となる地震が校舎を揺さぶるのであった。

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