あなたはだあれ2

「捨ててきなさい」

 家に着いた花中に対し、ミリオンが最初に伝えてきたのはこの一言だった。

 自宅の玄関にて、いきなりその言葉を伝えられた花中は苦笑いを浮かべる。しかし「何を?」なんて疑問は抱かない。微細な粒子であるミリオンの事、DVDの返却にもこっそり付いてきていたのであろう。

 だからフィアが肩に乗せている『少女』が花中に何をしたのか、ミリオンは一部始終を知っている筈だ。そして危険な少女を自宅に連れ込むなんて言語道断、と言いたいのだろう。ミリオンの気持ちは花中にも分かる。

 分かるが……一応『少女』、しかも服が消し飛んだ結果素っ裸な訳で。

「いや、犬猫じゃ、ないんですから……」

「人間じゃない時点でなんでも同じよ。あと、別に人間だったとしても同じ事言うから」

「あ、はい。ですよね」

 しかしそもそも人間ではないミリオンに、人間的な理屈が通じる筈もなかった。とはいえここまでのやり取りは花中にとっても想定内。まだまだ諦めるつもりなんてない。

「でも、悪い子では、なさそうですし。万一、何かされても、フィアちゃんと、ミリオンさんが居るから、大丈夫かなーって」

「そこについては否定しないけど」

「それに、目的も人格も分からない、だけど凄い力を持っている人が、その辺をうろうろする方が、危ないと、思いませんか?」

「……やれやれ。口ばかり上手くなって」

「力じゃ、敵いませんので」

 花中の言い分を聞き、ミリオンは肩を竦める。

 無論ミリオンが意地でも拒もうとすれば、花中にはもう為す術がない。花中の力ではミリオンを抑え付ける事など出来ないし、少女を家まで運んでくれたフィアも、別段少女を助けたいとは思っていないのだから。

 だから花中に出来るのは、後はもう祈るぐらいしかない。

「……しょうがないわねぇ」

 幸いにして、今回はミリオンが折れてくれた。花中の顔に、花のような笑顔が咲く。

「あ、ありがとうございますっ!」

「はいはい。とりあえず、はなちゃんの部屋に寝かしとく?」

「えっと、そう、ですね。そうします。ソファーに寝かせるのも、可哀想ですし、着替えも、必要なので」

「だそうよ、さかなちゃん」

「ふん。あなたに言われずとも分かっています」

 ミリオンから言われた事に不平を露わにしつつ、フィアは花中よりも先に花中の部屋がある二階へと向かう。花中もフィアの後を追うように、自室のある二階へと続く階段を上った。

 フィアは花中の部屋に入ると、肩に乗せていた少女をベッドに寝かせた。下ろし方がやや粗雑に見えたが、投げ捨てた訳でもないので花中は口を閉じたままにしておく。

 さて、ベッドには寝かせたが、これで終わりという訳にはいかない。少女は未だ全裸なのだから。裸のまま寝かせるのも良くないと考えた花中は部屋の一角に向かい、そこにある衣装ケースから服を取り出す。

 夏用のパジャマだ。幸いにして少女と花中の体躯はほぼ同じなので、服のサイズは問題ない筈。花中は服を持って少女の下へと駆け寄り、自発的に動いてくれない少女の身体をよいしょよいしょと動かして、どうにかこうにか着させる。一息吐いてから、花中は改めて少女の様子を窺う。

 散々触ったり動かしたりしたが、未だ少女に起きる気配はない。花中としては出来れば起きるまで看ていたいが、もしかすると夜中まで寝ている可能性もある。何時までも見続ける事は出来ない。

 このような状況で「それでは花中さんリビングに行きましょうか」とフィアに言われたら、断る気にはなれなかった。

 フィアと共に階段を下り、花中は自宅リビングへと入る。フィアはソファーに腰掛けると、ぽんぽんと自身の膝を叩きながら花中の顔を見つめてきた。

 此処に座りませんか? という意思表示なのは明白。触れ合い大好きな花中にとっては拒む理由がない提案だ。そそくさと駆け寄るや花中はフィアの上に腰を下ろし、フィアは優しく抱き締めてくる。フィアは満足げに微笑み、フレンドリーな事が大好きな花中も蕩けた笑みを浮かべた。

「それで? これからどうするつもり?」

 その嬉しさはミリオンから問われても、消える事はない。

 ただし『堅さ』だけは少し取り戻し、花中は普通の笑みでミリオンと向き合った。

「はい。えと、起きたら、あの子とお話しして、何故、あそこに倒れていたのかを、訊けたらと、思います」 

「ま、それ以外にないわよね」

「それで、えっと、出来れば、お友達になれたらなーって……」

「お友達ねぇ。なれると良いわね」

 明らかに期待していないミリオンの言葉に、花中は少し苦笑い。

 ミリオンは、何も嫌味として花中の計画を否定しているのではない。

 あの少女は恐らく『ミュータント』……何かしらの生物の変異体であろう。人間の姿をしながら、市街地の一角を跡形もなく吹き飛ばせるような存在は、花中が知る限り他にいない。

 つまり人間ではない存在だ。だとすると物事の考え方、倫理観、優先順位が人間と異なる可能性が高い――――いや、まず間違いなく異なる。花中はこれまでに大勢のミュータントと出会ってきたが、人間と同じ感性の持ち主はほぼいなかった。哺乳類同士であるミィですら、食事や戦いに対して意識のズレを感じる時がある。例外はゴリラぐらいか。しかしあのゴリラとの付き合いも半日に満たない程度であり、実際どんなものかは分からない。

 友達というのは、感性がある程度似ていなければなれないものだ。人間を食糧と思っていたり、皆殺しにしたいほど恨んでいる相手とはなれないのである。あの少女の怯え方を見るに、人間に対し何かしらの強い感情がある筈だ。拒絶的な感情なら、それこそ話し合いの余地なんてないだろう。

 しかしもしかするとその感情は、何か誤解によって生じたものかも知れない。

 あの少女が人間とは相容れない思想の持ち主という可能性は、決してゼロではない。むしろその可能性の方が大きいぐらいだろう。けれども友達になれない可能性もまた、今はまだゼロではない。

 なら、諦めたくない。花中はそう思った。

「あはは……なれるかは、分かりませんけど、でも、やるだけは、やってみたいなぁーって」

「ふぅん。まぁ、やるだけならタダだし、今はまだ憶測だしね。好きにすれば良いわ」

「花中さんは本当に誰とでも友達になろうとしますねぇ」

 自分の気持ちを正直に打ち明けたところ、ミリオンは肩を竦めながら、フィアは顎を花中の頭の上に乗せながら、各々の感想を呟く。二匹とも花中の考えを応援も肯定もしないが、否定も批難もしない。やりたいならやれば良い……あまり叶いそうにない夢だと自覚しているからこそ、その無関心ぶりが却って心地良かった。

「こんな感じのお人好しなんだけど、まだ警戒しているのかしら? 一応助けてあげたんだし、お礼の一つぐらいは言ったらどう?」

 そうして花中が決意を固めていた時、不意にミリオンが花中から視線を逸らして独りごちる。

 殆ど無意識に花中はミリオンの視線を追ったところ、そこには花中の部屋に寝かされた少女の姿があった。

 ……階段の壁際に隠れるように身を寄せている辺り、こっそりこの家から抜け出そうとしていたようだ。ミリオンに気付かれた少女は怯えた表情を浮かべながら、おどおどとリビングの方に歩み寄る。

 少女はリビングまでは足を踏み入れず、戸の側にある壁に半身を隠すようにして、花中達を覗き込んだ。髪よりもずっと鮮やかな紅色の瞳は揺れており、不安の色を感じさせる。

 きっと、これ以上は近付いてくれないだろう。そう感じた花中は、待つのはここまでにしておき、声を掛ける事とした。

「えっと、大丈夫、ですか? その、体調とか」

「……ええ、一応、大丈夫」

「そうですか……良かった」

「……………」

「……………」

「……………」

「……………あの……」

 ……掛けてはみたが、三言で話が終わってしまう。

 かれこれ一年以上リア充 ― と本人は思い込んでいる ― をしている身である花中だが、未だ根の方は根暗陰険引っ込み思案なのだ。相手を会話に引き込むほどの精神的パワーなど持ち合わせていない。なので相手に黙られてしまうと、話が続かないのである。

 ミリオン相手に啖呵を切りながらこの体たらく。花中の顔が赤く染まるのに、さして時間は掛からない。

「単刀直入に聞きますがあなた何故あんなところに倒れていたのですか?」

 そして見かねたフィアが、花中の代わりに疑問をぶつけるのにも。

 少女はフィアからの問いにびくりと身体を震わせ、一層壁に身を隠してしまう。が、しばらくすると再び出てきて、先程よりも少しだけ花中達に姿を見せてくれた。

「……本当に、わたしの事、知らないの?」

「知ってるのにこんな事を尋ねるなど時間の無駄でしかないと思うのですが」

「わ、わたしの油断を誘うためとか」

「なんのために?」

「なんのって……つ、捕まえるために」

「……花中さん。コイツを連れてきたのって捕まえるためでしたっけ?」

 ビクビクと怯えながら答えてくれた少女だったが、フィアにとっては訳の分からない答えだったようで、首を傾げながら花中に尋ねてくる。

 確かに、自分達にはこの少女を捕まえる理由などない。精々病院に連れて行くため、ちょっとばかり無茶をしたぐらいである。もしかすると、その所為で誤解が生じたのかも知れない。

「えと、ちょっと捕まえようと、しましたけど……でも、あれは病院に、連れて行くため、でして」

「びょ、病院……! やっぱり……!」

「あ、えと、その、熱中症で、倒れていたと思って、だから、助けようとしたからで……」

「……………」

「……あの……」

 なので正直に話してみたところ、何故か少女はますます警戒心を露わにする。信じてもらえない、という展開は考えていたが、まさか不信感が強まるとは思っておらず、花中の方が戸惑いを覚えてしまう。

「なんかもう面倒ですしコイツ外に捨ててきませんか?」

「さかなちゃんにさんせーい」

 フィア達も似たような感想らしく、早々に少女の『解放』を願う有り様。

 花中は二匹の友達の意見に、少しばかり考え込む。

 病院に連れて行こう、というのはあくまで花中達の善意である。要らないと言われたのだから、押し付けるのもおこがましい。それにミュータントであるなら、熱中症で倒れていた、というのは間違った判断だったのだろう。彼女達の環境的応力は人間の比ではないのだ。もしかするとただ寝ていただけかも知れない。だとしたら自分達のやろうとしている事は、余計なお節介というものである。

 なら、解放すべきか?

 ――――花中の理性は、その選択を拒む。

「(なんかこの子、捕まる心当たりがあるのかな……)」

 最初は、熱中症の影響で錯乱していると思っていた。しかしもしも熱中症でなかったとすれば、この少女は ― 多少寝惚けていた可能性はあるが ― 正気の状態で、自分が捕まると思っていた事になる。

 何かしらの精神病などでそういった被害妄想を抱く事はあるが、果たして彼女は病気なのだろうか? それとも、本当に『何か』に追われている?

 考え込もうとする花中だったが……その思索は中断せざるを得なくなった。

 少女が、唐突に動いたからだ。一瞬でその身を引っ込めた彼女は、バタバタと廊下を駆け、やがて玄関戸を蹴破るような勢いで開けた音がする。

 例えその様子をこの目で見ずとも、少女が家の外へ逃げ出したのだと分かった。

「ふぃ、フィアちゃん! 追って!」

「え? 追うのですか? ちょっと面倒臭いのですが」

「追ってくれたら、今夜はわたしの身体、ぎゅーって抱いたまま、寝ても良いよ!」

「この私に掛かればその程度の事造作もありませんよ!」

 予想通りの回答だったので用意していた交換条件を突き付けたところ、フィアは軽やかにソファーから跳び上がる。彼女の膝上に居た花中はその勢いでふわりと舞ったが、フィアは花中を優しくキャッチ。お姫様抱っこの体勢で花中を持つ。

 次いで、間髪入れずフィアは颯爽と駆け出した!

 リビングを跳び出し、玄関へと向かえば、扉が開けっ放しになっていた。やはりあの女の子は外に……と花中は思わない。思う暇などないからだ。上機嫌になったフィアの足は、既に自動車すら凌駕するスピードを発揮している。

 フィアは家を出て、殆ど迷わずに方向転換。大桐家に背を向けて走る少女の姿を見付けるや、瞬きする暇もない速さで逃げる少女の正面に降り立つ。

「ひぃっ!?」

 少女は突然現れたように見えたであろうフィアに驚いたのか、尻餅を撞いてしまう。ガタガタと奮えるばかりで立ち上がらないのは、腰が抜けてしまったからか。

「さぁ追い詰めましたよ……それで花中さん追い詰めてどうするのですか? あまりやり過ぎると『あの時』みたいになりそうなのですが」

 そんな少女を前にして、フィアは花中に尋ねてきた。

 『あの時』というのは、最初に追い詰めて――――少女が爆風を放った時の事だろう。

 フィアとオオゲツヒメの激戦により、大桐家の周辺もかなりの被害を受け、大勢の人々が避難を余儀なくされている。しかし長時間戦場になった訳でもなく、故に大桐家含め僅かながら無事な家があり、花中含めたごく少数の人々が今でもこの地域で生活していた。当然彼等の家や彼等自身に、空爆や核兵器を耐えるほどの防御力はない。少女が再び爆発を起こしたら、今度こそ取り返しの付かない被害が出てしまうだろう。

 時間を掛けて、ゆっくりと落ち着かせよう。何より刺激しない事を最優先にする。

 そう考えた花中はフィアに下ろしてもらい、少女から離れるように後退り。五メートルほど離れた辺りで、立ったまま少女と向き合う。

「え、えと、こ、怖くないですよー……」

 それから出来るだけ優しい声で、説得を試みた。

「あ、あなたが、何を怖がっているかは、分かりませんけど……わたし達は、あなたの嫌がる事は、しません。病院に、行きたくないなら、連れて行きません……ですから、教えて、くれませんか? あなたが、誰なのか、どうして此処に、来たのか……その、何をしたいのか、とか、何が怖いのか、とかも……」

 花中は、花中なりにではあるが一生懸命に話し、自分の想いをぶつける。

 この説得に、少女を興奮させないという『打算』がほんのちょっとでも含まれていないとは言わない。けれどもそれ以上に、花中は少女を怖がらせたくなかった。味方がいないという孤独を味合わせたくなかった。

 ずっと怯えて、寂しさに震えるなんて……花中には想像もしたくない。

 そうした想いを乗せた言葉の効果の程は、少女の眉を顰めさせる程度だった。やはりいきなり信じてもらうのは難しかったのだろう。しかし逃げようとする素振りもなく、全否定もしていない筈。

 一歩も前にも進んでいない。けれども悪くなる一方のものが止まったなら、それは十分な『進歩』だ。少しずつ、ちょっとずつでも近付けたらと、前向きな気持ちを抱いた

「……ごめん。なんだって?」

 ところ、少女の『種明かし』によって花中は思わずこけてしまう。どうやら花中の声が小さ過ぎて、聞こえていなかっただけらしい。

 友達出来た歴一年を超えたのに、未だお話一つろくに出来ないとは。自分への嫌悪で、花中は衝動的に炎天下の道路へと突っ伏す。

「あちっ!? あ、ごっ!?」

 突っ伏したら、今度は熱さで悲鳴を上げる羽目になる。ぴょんっと飛び跳ね、そのまま背中を道路に打ってしまった。無論その道路は太陽に炙られ、かなり熱い。「みゃあっ!?」と悲鳴を上げながら、わたふたと起き上がる。

「……花中さん何してるんですか?」

 あまりに情けない姿に、一番の友達であるフィアすら呆れる始末。

 頑張ろうという意欲は挫け、花中は少女に背を向けた状態で意気消沈してしまう。

「……ぷ、くく。あっはははっ!」

 それがあまりに滑稽だったのか――――少女は吹き出すように、笑い出した。

「あははは! 何して、くく、あははははははっ!」

「花中さん笑われてますよ。もう少し落ち着いて行動しましょう?」

「……ううう……」

 少女には笑われ、フィアには呆れられ、花中は顔を真っ赤に染め上げる。頭が沸騰しそうだ、という例えが本当になりそうなぐらい、恥ずかしさから顔が熱くなる。

「あははは……はぁー……もう、こんな子達を怖がってたなんて、馬鹿みたい」

 その熱さに脳がやられたのか。花中は少女の独り言を、しっかり聞き逃していた。

 代わりに聞いていたフィアも、お喋り好きではあっても交渉や取引が得意な訳ではない。

「ほらー馬鹿みたいって言われたじゃないですか。汚名は返上しませんと」

「げぼっ」

 皮肉の意図を理解せず、それどころか少女の言葉を花中向けの嘲笑と受け取ったフィアの『追撃声援』で、花中は呻きを上げた。それが余程滑稽だったのだろう。少女の笑いは快活なものから、ゲラゲラとした下品なものに変わった。

 最早コントである。それも天然物の。大いなる自然の流れは強大で、当事者達が抗えるものではない。

「うん……ごめんね。つい、逃げちゃって」

 流れを変えるには、少女の理性的な一言が必要だった。

「……あ、えっと、それって……!」

「まぁ、なんだ。あなた達は……悪い人達じゃ、なさそうだし……誤解してた。ごめん」

「い、いえ! それは、仕方ないです! フィアちゃん、怖いし!」

「え? 私って怖いのですか?」

「うん。フィアちゃんのやる事、基本的に、怖いよ」

 割と正直な意見をぶつけてみると、フィアは悩むように考え込んでしまう。どうやら全く自覚がなかったらしい。

 思索に耽るフィアはひとまず置いておき、花中は少女に歩み寄る。今度の少女は立ち上がっても逃げず、むしろ向こうから歩み寄ってくれた。

 手と手を伸ばせば握手が出来る。そのぐらい距離を詰めたところで、花中は口を開く。

「えっと、わたしは、大桐花中と、言います。あなたのお名前は、なんですか?」

 まずは自己紹介。それから相手の名前を求める。

「わたしは――――」

 少女は柔らかな笑みを浮かべながら、花中の求めに応じるように口を開いた

 刹那の出来事だった。

「目標発見」

 その言葉を遮るように、マスク越しのようにくぐもった、それでいて機械のように平坦な声が聞こえたのは。

 その瞬間、少女は明らかに身を強張らせた。壊れたオモチャのようにぎこちなく背後を振り返り、花中も少女の視線を追いかける。

 そこには、全身を真っ白な防護服で纏った『人々』が居た。

 一見してスズメバチ駆除の業者のようにも見える格好だ。数はざっと二十人ほどで、普通の市街地ならば目立って仕方がない出で立ちである。しかもその手が握っているのは、スズメバチを捕るための虫取り網や殺虫剤ではない。筒状の、花中にもよく分からないが精密な機械や酸素ボンベのようなものを背負っていた。真夏の炎天下を過ごすにはあまりに過酷な格好に見えるが、何かしらの仕掛けがあるのか、彼等の動きは常にキビキビとしていて疲労を感じさせない。

 ハッキリ言って不審な連中だ。花中としても、正直かなり怖い。

「ひ、ひぅっ!?」

 しかし見た瞬間身体を震わせ、へたり込んでしまう少女の姿は、いくらなんでも過剰ではないか、とも感じたが。

「ど、どうしました、か……?」

「や、やだ……アイツら、アイツらは……!」

 落ち着かせようとする花中に、少女は無我夢中でしがみついてくる。立てられた爪が腕に食い込み、痛みで花中は顔を顰めた。

 だけど、引き離そうとは微塵も考えない。

 こんな小さな子が怖がっているのだ。彼女が人間じゃないとか、町の一角を吹き飛ばしたとか、そんな事はどうでも良い。怖い想いをしている子を突き放すなんて真似は花中には出来ず、少しでも安心を与えたくて強く抱き締める。

 互いに抱き合う花中達を見て、防護服姿の者達は無言のまま歩み寄る。その手に持つ筒状の何かを向け、焦らすようでも急ぐようでもなく、淡々と――――

「これ以上近付くのは止めてくれませんか? 花中さんが怖がっています」

 彼等がその歩みを止めたのは、早口で不快感を露わにするフィアが花中達の前に立ってからだった。

「……………」

「何が目的か知りませんけど花中さんが怖がるような真似は許しませんよ。そこから一歩でも歩み寄ったらボコボコにしてやりますからね」

「……………」

「何か言ったらどうです? ああいや何も言わなくて結構さっさと帰ってくれませんか」

 捲し立てるような早口で、フィアは防護服姿の人々を威嚇する。すると防護服姿の者達はその威嚇に何を思ったのか、耳元に手を当てるような仕草を取った。さながら、ドラマに出てくる刑事や警備員が耳元の通信機の音を聞き取る時のような……

 違和感を覚える花中だったが、その違和感が意味のある『思考』となる前に防護服姿の者達は動いた。その手に持っていた筒状の機械をフィアに向けたのである。

 そして筒状の機械は、何かを射出した。

 射出されたそれは、花中を守るためか避けようともしなかったフィアの身体にぺちゃりと音を立てて付着。いきなり粘性の不審物をぶつけられたフィアは顔を憤怒の形相に変えた。

 直後、耳をつんざくような爆音が花中の耳を刺激する。

 否、それは正確な表現ではない――――フィアの全身を包み込むような爆炎が、突如として上がったのだ!

「っきゃあっ!?」

「ひっ!?」

 花中と少女は悲鳴を上げ、互いの身体を反射的に抱き合う。至近距離での爆発は花中達に衝撃波という形で襲い掛かり、華奢な身体に痛みを与えた。

 今までの経験から花中には分かる。この爆発は本物の……直撃させれば、人なんてバラバラに吹き飛ぶ一撃だ。そのような爆発を警告もなしに起こした輩に花中は恐怖を覚える。

 されど取り乱しはしない。

 花中の友達は、こんな『ちっぽけ』な爆発で死ぬほど柔ではないのだから。

「ふんっ!」

 爆炎の中から、フィアの声と腕が出る!

 振るわれた腕は数メートルと伸びるや正面に立つ者の頭に当たり、被っていたものを吹き飛ばす。殴られた防護服姿の人物の一人は倒れ、熱々のコンクリートの上で寝転んだまま動かない。打撃の衝撃で気絶したのだろう。人を一撃で昏倒させるとは恐ろしいパワーだが、頭が粉々に砕け散っていない辺り、むしろ手加減しているぐらいだ。

 とはいえそれはフィアが人への思いやりを持っている事や、ましてや彼女が優しい事の証にはならない。

「それがあなた方の挨拶なのですか? ではこちらも私なりの挨拶を返すとしましょう。花中さんに怖いと言われてしまったので今日は特別にちょっとだけ優しくしてあげますよ」

 ただ、フィアは花中に言われた事を気にしていただけ。

 つまるところフィアにとって、先の爆発はその程度のものでしかなかった。

 フィアは防護服姿の者達目掛け腕を五メートルほど伸ばし、まるで棍棒のように振るって防護服姿の者達を薙ぎ払う。仲間をやられた防護服姿の者達はすかさず反撃として先の粘着物を発射し、フィアの『身体』はそれを再度受ける。立て続けに爆発が起き、紅蓮の炎と黒煙がフィアの全身を包み込んだ。

「ふはははははははっ! この程度の攻撃でこの私を止めようとは間抜けにも程がありますねぇ!」

 されど『怪物』には通じず、フィアは高笑いと共に爆炎の中から無傷の姿を露わにする。

 目撃者の正気を削るような恐ろしい様相であったが、防護服姿の者達は後退りすらしない。いや、する事が出来ないほどの衝撃を受けたのか。そんな彼等の隙を逃すほど、フィアは甘くない。

 何時の間に道路に這わせていたのか。水触手が突如としてアスファルトを突き破って生え、防護服姿の者達に襲い掛かった。突然の足下からの攻撃に彼等は誰一人として為す術がない。生えてきた水触手は普段よりもかなり細く、防護服姿の者達の全身を簀巻きのように縛り上げる。これでは筒状の機械をフィアに差し向ける事すら出来ず、逃げ出す手立てなど残されていない。

 そして身動きを封じられた彼等に、フィアは獰猛で、子供のように眩い笑みを向けた。

 瞬間、水触手は防護服姿の者達を道路に叩き付ける! 彼等が叩き付けられた道路は砕け散り、受けている衝撃の強さを物語る。背負っているボンベは割れ、筒状の機械は砕け、身を包む防護服は破れて中身を露出させた。

 最後はゴミでも投げ捨てるように、フィアは空中でポイッと彼等を解放。

 放物線を描きながら十メートルぐらい飛び、受け身も取れずに墜落した彼等は、地面に転がったまま誰一人として立ち上がろうとはしなかった。

「ふふんどうです花中さん! 優しい戦い方だったでしょう? もう怖いとは言わせませんよ!」

 そしてフィアは決め台詞と言わんばかりに、胸を張りながら花中に自身の活躍を誇った。褒めて褒めてと言わんばかりに、キラキラとした無邪気な笑みまで浮かべて。

 ……一体どの辺りが優しい戦い方なのか、花中にはさっぱり分からないのだが。恐らく五体が飛び散るような事にならなければ良い、という程度にしか思っていないのだろう。確かに水触手で締め潰したりしなかったし、『糸』を使ってバラバラにもしなかったので、普段に比べれば優しいと言えなくもないかも知れない。

「あ、うん……そうだね。何時もよりは、怖くなかった、よ。うん」

「えっ」

 なので正直な感想を伝えたところ、未だ花中に抱き付いている少女から唖然としたような声が出た。何時もはアレより怖いの? とか、何時も戦ってんの? とか、色々な感情の乗った視線が花中の顔に突き刺さる。割と居心地が悪い。

 その視線を振振りきるように少女から離れた花中は、道路に転がる防護服姿の者達の一人に近付く。フィアが最初の攻撃を受けたすぐ後、パンチ一発で倒した輩だ。頭を覆っていた防具はフィアの拳で破壊され、中身は丸見えとなっている。

 故に、防護服の中身が人間である事は一目で分かった。

 見た目からして、三十~四十代の男性。かなりの強面で、如何にも荒事が得意そうな風貌だ。アジア系の顔立ちのように見える。目を開いたまま気絶しており、がらんどうな瞳で虚空を眺めていた。その瞳に生理的な拒否感を覚えてしまい、最低限の観察をした花中は後退りしながら離れる。

 それからしばし、遠目に眺めながら考え込む。頭の中を駆け巡る無数の可能性。花中の意識は思索の大海原を泳ぎ続ける。

「ねぇ……あなた、何をしたの……?」

 花中が我に返ったのは、近くでへたり込んだままの少女の声が聞こえてからだった。

 少女の視線はフィアの方を向いていた。フィアは少女に問われた事に気付いたように目を瞬かせ、されど答えず、花中の方に視線を逸らす。

 その視線に、どうしますか? という問いが込められているのを花中は察した。

 いきなり爆発物をぶつけてくるような危険人物だったので仕方ないとはいえ、フィアの力を見られてしまった。少女もミュータントの筈だが、唖然としたような表情からして自分以外のミュータントは初めて見たのだろう。

 バレてしまったものは仕方ない。フィアの事を紹介しておくには良い機会だと、前向きに花中は考える事にした。

「……えっと、落ち着いて、聞いてください。実はフィアちゃん、えと、今さっき、危ない人達をやっつけた、あの子の事、ですけど……特別な能力が、あるんです」

「能力……もしかして……!」

「はい。彼女は、あなたと同じ」

 ミュータントです。そう伝えようと花中が口を開けた――――その言葉の続きを奪うように、少女が声を上げる。

「超能力者なの!?」

 ただし捻じ込まれたのは、花中が言おうとしていたのとは違う言葉だった。

 ……予想していたのと違う答えに、花中は首を傾げる。出掛かっていた言葉は、ぷすんと煙のように消えてしまった。そして再び、花中の意識は思考の大海原に跳び込んでしまう。

 超能力者?

 確かに、フィアの力は超能力のようにも見える。フィアは自身の力を科学的なものだと信じているが、それはオカルト的現象の否定から生じる消極的なもの。フィア自身に何か確証がある訳ではない。仮にフィアの考えが正しいとしても、その力は人類では一体何をどうやっているのかさっぱり分からない『超科学』の領域だ。だからミュータントの力を超能力と呼ぶ事自体は、決しておかしくな事ではないだろう。

 しかし『超能力者』という呼び方は、まるで……

「あの……一つ、お伺いしたいの、ですが……あなたの、お名前は?」

「ん? あ、そっか。まだ名前も何も教えてなかったわね」

 少女はそう言うと服の皺を伸ばすようにして身形を整え、それから花中と向き合う。

「わたしは御酒みき清夏せいか。中学一年生よ、よろしくね」

 そして大変のある自己紹介をするのであった……

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