第十二章 あなたはだあれ

あなたはだあれ1

 雲一つない大空の中心で、太陽がギラギラと輝いている。

 九月上旬を迎えたが、太陽は未だ日本列島に最大級のエネルギーを送り届けていた。アスファルトで舗装された道路は卵が焼けそうなほど加熱され、空気は高い湿度と合わさってサウナのように蒸し暑い。大地は乾燥し、路上に生える雑草はどれもすっかり萎びていた。住宅の庭に植えられた木々も、心なしか元気がないように見える。

 過酷な日本の夏が襲うのは、野生の生き物達だけではない。行き交う通行人達の表情は苦悶に歪み、額から溢れる汗を誰もが拭いていた。日傘を差したり扇子を扇いだりしてなんとか暑さから逃れようとしているが、天然の核融合炉が放つ熱波は人類の叡智を嘲笑うばかり。

 そんな環境の中を、花中は汗一つ流さずに歩いていた。外出した目的であるレンタルDVDの返却を済ませてきたばかりなので、傘も扇子も買い物袋も持っていない、完全な手ぶらである。

 無論花中の身体は一般的な人々のそれと同じ……むしろ普通より遙かに貧弱なぐらいで、過酷な暑さをやり過ごすような身体的機能は持ち合わせていない。着ている服である半袖の白いワンピースは量販店で買った安価な代物で、こちらにも暑さを凌ぐ特別な効果は備わっていない。

 暑さ対策をしているのは、花中と手をつぎながら歩くフィアだった。

「どうですか花中さん。涼しくなってますか? 寒かったりしませんか?」

「う、うん。丁度良い感じだよ」

「そうですか。それは何よりです」

 ふふん、と鼻を鳴らし、フィアは上機嫌に胸を張る。

 フィアがしているのは、なんて事はない――――仲良くつないでいる花中の手を伝って操っている水を這わし、花中の身体に巻き付け、熱を奪い取っているだけだ。フィアが操る水は服の下だけでなく、首には透明なチョーカーのように巻き付いていて、頭皮にも行き届いている。全身がひんやりとした感触に包まれ、大変心地良い。それでいて寒くなるほど冷たくはない、絶妙な加減である。

 身体が熱くならないので熱中症の心配はなく、汗も掻かないから脱水を気にする必要もない。炎天下の買い物を苦もなくこなせて万々歳だ。

 ……なのだが、花中はビクビクしながら辺りを挙動不審に見回していた。加えて、顔も少し赤い。

「花中さんどうしましたか? さっきからやたらとおどおどしていますけど。それに顔も赤いようですがまだ少し暑かったですか?」

「う、うん。それは、平気なんだけど、その……」

 フィアに尋ねられると、花中は一層顔を赤くする。

 おどおどしている理由は、自分だけがズルをしている気分だから。フィアの助けを借りられるのは花中だけ。他の人々が暑さで苦しむ中、自分だけ涼しくて快適という状況に負い目を感じてしまうのが、大桐花中という少女なのだ。

 そして赤面している理由が、その涼しさを感じさせてくれるフィアの水。

 フィアは水を用いる事で、地形などの測量も出来る。つまり全身に水が巻き付いている今、フィアは正しく手に取るように花中の身体を知る事が出来るのだ。いくら一番の友達とはいえ、全身の細かなところまでと思うと少し、いや、かなり恥ずかしい。フレンドリー大好きな花中にとって抱き付かれたりするのはとても嬉しい事だが、それでも肢体をじっくり調べられて喜ぶような趣味はないのだ。

「……だ、だって、フィアちゃん。今ならわたしの身体の事、今なら、なんでも分かっちゃう、でしょ……それが、は、恥ずかしい、から……」

「はい?」

 尤も、魚であるフィアが身体を知られる事の恥ずかしさを理解してくれる訳もなく。

「何故身体の事を知られて恥ずかしいのです? そんなものより花中さんが熱中症にならない事の方が大事だと思うのですが」

「あ、うん。そだね……うん……」

 欠片たりとも邪気がないフィアの思いやりの言葉を拒絶する事は、花中には出来なかった。満足そうに微笑むフィアの隣で、花中は乾いた笑みを浮かべる。とはいえフィアには邪な想いなどないのだから、確かに気にし過ぎなのかも知れない。自分の命より羞恥心の解決を取るというのも、人間以外の生物からすれば馬鹿馬鹿しい話である。

 フィアの言い分に納得し、花中はしっかりとフィアの手を握り締めながら、家までの道のりを歩く。自然と花中とフィアは顔を向き合わせ、微笑みを浮かべ合う。こうなってしまえば友達大好きな花中は、もう小さな羞恥心など意識にも昇らない。

 ましてや炉端に転がる人影なんて些末事である。お喋りに夢中になっていた花中は倒れる人の前を素通り

「しないよ!?」

「おおう? いきなりどうしたのですか花中さん?」

 しそうになる花中だったが、どうにか踏み止まった。本気で人影を些事だと思っていたであろうフィアは首を傾げ、花中よりも遅れて足を止める。

 危うくフィアと一緒に無視するところだったと猛省しつつ、花中はフィアの手を引っ張りながら来た道を戻って、炉端に転がる人影……つまりは行き倒れている人間の下に駆け寄った。

 人が倒れていたのは、住宅地の一角にある突き当たり。ゴミ捨て場として定められた、小さな袋小路であった。周りは民家の塀で囲まれており、前を通らねばそこに倒れている誰かの姿なんて見えない。朝や夕方であれば日陰が出来て幾分過ごし易くはなるのだろうが、太陽が真上で輝いているこの時間帯ではそれも期待出来ない。倒れている人は、背中側全体を陽に炙られている。

 そして倒れているのは女性、というより少女のようだった。

 倒れ方としては俯せだったが、顔は横を向いていたのでそう判別出来た。背格好からして花中と同じぐらい……つまり小学生か中学生ぐらい。顔立ちも、そのぐらいの歳に見える程度にはあどけなさがある。肩の位置まで伸びている深紅の髪は、まるで炎のように鮮やかだ。この色合いは染めたものだろうか? 今時小学生で髪を染める子も少なくはないが、ここまで派手な色は滅多にいないだろう。しかしお洒落への意欲が強いのかと思えば、着ているのは病院の入院服のような、シンプルで快適ながらもファッション性は皆無な代物。なんともちぐはぐな身形である。

 少女の姿に違和感のようなものを覚える花中だったが、しかし今はそれを悠長に考えている場合ではない。身体を触ってみて分かったが、かなり長時間この場に倒れていたのか、少女は全身が酷く熱くなっていた。息も、しているのかどうか分からないぐらい弱い。

 もしかすると熱中症で倒れ、そのまま長い間誰にも見付からず放置されていたのかも知れない。だとすると非常に危険な状態でもおかしくないだろう。

 すぐに救急車を呼ぶ――――それが一般的には最適な方法だ。

「フィアちゃん! あの、この人の身体、冷ましてあげて!」

 しかし花中には、更に『最善』な一手がある。

「りょーかいでーす」

 花中の頼みに応え、フィアは花中とつないでいない方の手を少女の背中にべちゃりと付ける。

 花中の目には、今、少女の身に何が起きているかは分からない。しかし知識があるために、頭の中でイメージは出来る。

 フィアは能力を使い、少女の身体を水で包み込んでいる筈だ。そして大量の水を用いて身体の熱を吸い上げ、急速に冷ましているのである。少女が本当に熱中症かは分からないが、炎天下に晒されていたのだ。体温を冷ましておくに越した事はあるまい。

「んーこんなもんですかね。とりあえず花中さんと同じぐらいの体温にはしておきましたよ」

「うん。ありがとう、フィアちゃん」

 手早くも効果的な処置に感謝を伝え、花中はフィアの手をぎゅっと握り締める。フィアは上機嫌に鼻を鳴らしながら、誇らしげに胸を張った。

 さて、フィアの手当てを受けた少女は……体温が下がり、脳の機能が回復したのだろうか。瞼が痙攣するように震えると、少女の口から呻きのようなものが漏れ出た。どうやら意識を取り戻したらしい。

 一先ず命は助かったようだと、花中は安堵……して、緊張が弛んだ時だった。

 バチンッ、という音が聞こえそうなぐらい力強く、少女がその眼を見開いたのは。

「っ、きゃああああっ!?」

 そして花中と目を合わせるや、少女は悲鳴を上げた。

「ふみゃあああああああっ!?」

 ちなみに悲鳴に驚いた花中も、一緒になって悲鳴を上げたが。割と、少女以上の大声で。動揺しなかったのはフィアだけである。

 そしてフィアは、慌ただしく立ち上がるや自分の横を走り抜けるようにして逃げる少女を捕まえるほど、花中以外の人間に興味はなかった。

 フィアが捕まえなかった少女はすぐに袋小路から出て、道路を走っていく。正面以外の道路側から袋小路の奥が見えなかったように、袋小路の奥から正面以外の道路は見えない。少女の姿は、あっという間に花中達の視界の外に出てしまった。

「おやおや逃げちゃいましたね。まぁあれだけ元気ならすぐには死なないでしょう多分。良かったですね花中さん」

 尤も、フィアは少女の事などどうでも良いようで、追い駆けるつもりは毛頭ない様子。

「よ、良くないよ!? 早く追わないと!」

 花中とは、全くの真逆であった。

 確かにフィアのお陰で少女は体温こそ下がった。しかしこの炎天下の中では、花中自分と同じぐらいの体躯の体温などまたすぐに上がってしまうと予想出来る。ましてや走ったとなれば急激に体温が上がり、再び倒れてしまう可能性が高い。

 加えて身体を触った時、あの少女の身体は濡れていなかった……つまり汗を掻いていない。恐らく脱水症状を引き起こしている。汗を掻かねば尚更体温は一気に上がってしまうし、何より脱水は命に関わる深刻なものだ。すぐに病院で適切な治療を受けさせる必要がある。

 人間の命などなんの興味もないフィアはどうでも良さそうな様子だったが、花中が少女を追いたいという気持ちは汲んでくれたのだろう。「仕方ありませんねぇ」と答えながら、フィアは花中をお姫様抱っこの形で抱き上げる。

「花中さんが追いたいのであれば追いましょう。しっかり捕まっててくださいね」

 そしてフィアはさらりと前置きするや、花中がちゃんと自分にしがみつくのを確認してから駆け出した。

 逃げた少女は中々の俊足の持ち主らしく、脇道を曲がったのか、その姿は何処にも見えない。されどフィアには人智を超える嗅覚が備わっている。例え姿が見えなくとも、少女の進んだ道を辿るなど造作もない。更にフィアの足は人間よりもずっと速いのだ。

 三本目の脇道に逃げ込んだ少女のすぐ後ろにフィアが着くまで、十秒も必要としなかった。

「そこの小娘止まりなさーい」

 フィアは少女を暢気な声で呼び止めようとした。

 が、少女は立ち止まるどころか、一層必死になって走る。かなりの俊足だ……尤も『化け物』であるフィアの足を振りきるほどのものではない。フィアは楽々と追跡を続け、それから何度か少女を呼ぶ。しかし少女は振り返りもせず、がむしゃらに前へ前へと駆けるばかり。

「ええい止まりなさいとさっきから言ってるではないですか」

 ついにフィアは痺れを切らしたようで、ちょんちょんと、走る少女の肩を後ろからつついた。両手は花中を支えるのに使っているため、手ではなく自分の『身体』から一本の水触手を伸ばして、だ。

「きゃあっ!? わ、ひゃ、ぎゃぶっ!?」

 果たしてフィアの苛立ち紛れの声に呼ばれたからか、それとも肩を叩かれたからか……後ろを振り向いてはいないので水触手の異形さが原因ではないにしろ、少女は激しく驚いて跳び上がった。あまりにも驚きが大きかったのか、その後の着地に失敗し、少女はの上を転がってしまう。

 フィアは軽やかにブレーキを掛け、転んだ少女よりも短い制動距離で軽やかに静止。花中を抱えたまま、転んだ痛みに悶える少女を見下ろす。

「全く何処まで走れば気が済むんですか。あなたを追い駆けていたら……おや?」

 そのまま非難の言葉を投げ掛けようとするフィアだったが、語りながら辺りを見渡してようやく気付いた。

 辺りに建つのは、廃屋と化した一軒家ばかり。

 いや、廃屋と呼べるようなものはまだマシだろう。完全に潰れて瓦礫の山、或い無造作に積まれた材木にしか見えない家々の方が多いぐらいだ。炭化した車や木々が至る所にあり、電柱は軒並み倒され、道路は大半がアスファルトを引っ剥がされている有り様。戦争などで爆撃されたかのような光景だ。

 しかしこれは戦争の跡地などではない。

 かれこれ四ヶ月前……フィアとオオゲツヒメが激戦を繰り広げた、その『痕跡』だった。かつて市街地だったこの場所は、破滅から四ヶ月が経った今でも復興が全く進んでいない。これほどの大災厄の起きた地に戻りたくない、早く新しい生活を始めなければならない、などの理由から帰還を望む人が少ないのもあるが……テレビや新聞の報道曰く、深度数百メートルに渡って地盤がボロボロになっており、近代的な家屋を建てられるような環境ではないというのが一番の原因だ。ここまで深く、そして致命的な荒廃となると、現代科学では手の打ちようがないという。

 地盤が荒廃した原因は、恐らくフィアが水を一気に吸い上げ、その上でオオゲツヒメと取っ組み合いの戦いを繰り広げた事だろう。その気になれば人類社会などあっという間に破滅させる二匹のぶつかり合いは、今や宇宙ステーションを組み立てる事すら可能な人類の技術を用いても癒やせないほどの傷を残したのである。

「なんだ花中さんの家の近くじゃないですか。なら良いです寄り道じゃないので」

 ちなみに事の元凶であるフィアは、この破滅的な光景を「覚えやすい目印」ぐらいにしか思っていないようだが。

 なんにせよフィアは怒る事もなく、無関心故に敵意も悪意も感じさせない言葉で少女に話し掛けた訳だが、少女の方は慌ただしく起き上がり、けれども腰が抜けたようにへたり込んでしまう。ガタガタと震え、顔色は真っ青……明らかに怯えていた。

 追い駆けられた事がそんなに怖かったのだろうか? 疑問を抱く花中だったが、しかし目の前の少女は熱中症を患っている可能性があると思い出す。熱中症の症状の中にはせん妄……意識障害や錯乱、幻覚が見える病状……がある。せん妄は熱中症の中でもかなりの重症な時に起きる症状だ。もしも少女がせん妄を発症しているのなら、急いで病院に連れて行かねばならない。

「あ、あの、大丈夫ですか? その、わたし達、酷い事はしませんから……」

「やだ! 来ないで! 来ないでよ!」

 なんとか落ち着かせようとする花中だったが、少女は取り乱すばかり。話を聞いてくれそうにない。

 せん妄かどうかは別にしても、あまり健康的な精神状態とは思えない。ならば尚更、多少強引にでも病院に連れていった方が良さそうだと花中は感じた。

 幸いにして、大変頼もしい友達が傍に居る。

「えと、フィアちゃん。この子、熱中症かも知れないから、病院に連れていきたいのだけど……」

 花中は早速、フィアにお願いをした

 直後の事だった。

「ひっ、い、いやあああっ!? やだぁぁっ!?」

 少女の混乱が、一層強くなったのは。

 少女はわたふたしながら体勢を変え、四つん這いになりながら花中達から逃げようとする。突然の少女の行動に、正直花中も戸惑いを覚えた。何故逃げるのか? どうして悲鳴を上げたのか?

「おっと逃げちゃ駄目ですよ」

 されど考える間もなく、フィアが水触手を伸ばして少女を捕まえた。水触手は少女の足に絡み付き、その動きを妨げる。足が引っ張られていると気付いた少女は振り返り、自分の足にある謎物体に顔を引き攣らせた。

 大変怖い想いをさせている事は申し訳ないと花中も思うが、しかし少女が落ち着くのを待っていては治療が遅くなってしまう。熱中症は脳にもダメージを与え、後遺症を残す事もあるのだ。心を鬼にして、無理矢理にでも病院に引っ張っていかねばならない。

 花中が止めなければ、人の気持ちなどお構いなしなフィアが止まる筈もない。ずるずると強引、というよりも雑に少女を引っ張り、肩に担ぐつもりかフィアは少女に手を伸ばした

 が、フィアの手は寸前のところで止まる――――フィア自身が止める。

 直後、フィアは大きく少女から跳び退き、花中と自分を包み込むように水球を展開した!

 突然のフィアの行動に花中は大きく困惑する。しかし問い詰める事は叶わない。

 少女が、不意に起き上がって自分達を見たから。

 その少女の目が、深紅に煌めいていたから。

 そして、

「ウセロ」

 背筋が凍るほどに無機質な声で警告した

 次の瞬間、花中の目の前が白一色に染まる。

 続けて起こったのは、鼓膜が破れそうなほどの爆音と、水球を揺さぶる衝撃だった。

 花中には悲鳴を上げる事すら出来ない。途方もないエネルギーに意識が飲まれ、消えそうになる。いや、水球の中に居なければ、恐らく跡形もなく消し飛んでいたのではないか。

 その予感が正しいと分かったのは、爆音と光が治まった、ほんの数秒後の事だった。

「な、にが……っ!?」

 閉じていた目を開けた瞬間、花中はその眼を大きく、今にも目玉がこぼれ落ちそうなぐらい開いてしまう。

 何故なら、先程まであった筈の廃屋達が一件も見当たらなかったから。

 代わりに自分達の立つ場所が、半径数百メートルものクレーターと化していたのだから。

「な、あ、ぇ、あ……!?」

「ふぅー危ないところでした。中々の威力でしたねー」

 驚愕で声を失う花中の横で、フィアが暢気に呟く。その言葉すら、花中の心を動揺させた。空爆されようが戦車砲で撃たれようが、まるで気にしないフィアが『中々』だと称賛したのだ。先の閃光で生じた破壊力が、人智の及ぶものでない事を物語る。

 それほどのエネルギーを生み出したと思われる『少女』は、クレーターのど真ん中に立っていた。

 服は消し飛んだのだろう。下着一枚すら付けていない、完全な全裸だ。されどその身体には欠損どころか傷すら見当たらない。少なくとも見た目の上では、完全な健康体を誇っている。

 フィアが無傷で耐えた爆風を、同じく無傷でやり過ごした。ならば彼女の『正体』は――――

 脳裏を過ぎる考えに花中が息を飲んだ、その直後、少女の身体が不意にふらふらと揺れ動いた。一体何をする気なのか、花中は反射的に身を強張らせる。

 が、その行動は全くの無駄であった。

 何しろ少女は、そのままぱたりと倒れてしまったのだから。

 あまりに唐突に倒れたものだから、花中は少女が倒れたという状況を理解するのに少なからず時間を要した。されど気付いてしまえば、恐怖なんて飛んでいってしまう。

「ふぃ、フィアちゃん! あ、あの子のところに、連れてって!」

「んぁ? んーまぁ気絶しているみたいですし良いでしょう」

 花中が頼んだところ、フィアはすんなりと受けてくれた。気絶している、と言ったので、少女にはもう危険はないと思っているのかも知れない。

 実際花中達が歩み寄っても、少女は先程の閃光はおろか身動き一つ取らなかった。フィアが水触手を伸ばして少女の顔を持ち上げたところ、少女は安らかな寝顔を見せる。

 どうやら本当に気絶しているらしい。追撃はなさそうだと花中は一安心

「あ、フィアちゃん。気絶してるからって、チャンスだーとか、思わないでね?」

「あらお見通しでしたか」

 ……する前に、フィアに釘を刺しておいた。フィアは肩を竦め、降参とばかりに舌をぺろりと出す。

「それでコイツはどうするんですか?」

「……うん。一旦、うちに連れて行こうと、思う。その、裸でこんなところに、置いたら、風邪引くかもだし、変な人に襲われるかも、だし……」

「風邪は兎も角変な人の方は跡形も残らないと思いますがね」

「それでも、襲われない方が、良いでしょ。それに……」

 ちらりと、水球の中から花中は少女を見遣る。暢気な寝顔に、邪気は一切感じられない。

 しかし邪気がなくとも、人にとって安全や安心であるとは限らない。それどころか好意を抱きながら、恐怖と絶望を振りまくものまでいる始末。

 人智を超えた存在である『野生生物ミュータント』とはそういう存在なのだという事を、花中は知っているのだ。

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