世界の支配者5

「……私には何がなんだか分からないのですが花中さん教えてくれませんか?」

 明らかに法定速度を無視した速さで住宅地を駆ける、一台の車の後部座席にて。隣に座るフィアからの質問に、花中もまた悩んでしまう。

 ――――大神千尋総理大臣。

 まさか日本の政界のトップに君臨する女性と、一緒の車に乗る事になるとは考えもしなかった。花中は大神政権の信奉者などではないが……権力というものは、何時だって小市民を萎縮させるもの。最初は実感が湧かず平静を保てていたが、時間が経つほどに自分の状況を理解して血の気が引く。今や花中の顔色はすっかり青ざめ、ガチガチに強張った身体は背筋をピンと伸ばしていた。

 言うまでもなく、総理大臣である彼女には日本という国の命運を左右するほどの力がある。その上日本の経済力と科学力が世界トップクラスなのも加味すれば、国際的にも重要人物だと言えるだろう。

 そんな政界の重鎮が一市民に過ぎない花中と、正体不明の魚類を助けてくれた。市街地で行われた銃撃戦に割って入るという、勇猛果敢な形で。

「……わ、わた、しにも……わかん、ない……」

 この状況に対する答えなど持ち合わせている筈もなく、花中はどうにかこうにか声を絞り出して正直に答えた。

「混乱させて申し訳ないわ。一先ず二つの事を伝えましょう。一つは、私はあなた達の味方である事。そしてもう一つは、分かる範囲でならあなた達からの質問に答える意思があるという事よ」

 戸惑う花中達を宥めようとしてか、大神総理は助手席からそう語り掛けてくる。テレビで放映されている演説のような、威圧的な言葉遣いではない。女性的で、すんなり心を許してしまいそうになる甘い囁きだ。

 お陰で、花中は僅かながら落ち着きを取り戻せた。それから先程の大神総理の言葉を、頭の中で反芻しながら考え込む。

 質問に答える意思がある、という事は、分からない事があれば尋ねなさいと言いたいのだろう。確かに花中は、自分達がどのような状況に置かれているのかも理解していない。向こうから説明を始められても、何処から話が始まるのかも分からなくては理解し辛いだろう。こちらの疑問点を一つずつ潰していく方が、恐らくすんなり話を進められる。

 花中は深呼吸を二回繰り返し、それから自分の胸を撫でる。心臓は未だバクバクと嫌な高鳴りをしているが……これぐらいなら慣れたもの。だ。

 花中は意を決して口を開き、

「では、教えて、ください。あのロボット達、は、あなた達が作った、もの、なのです、か?」

 単刀直入に、一番の疑問をぶつけてみた。

 瞬間、車内の空気が変わる。

「……ふむ。奴等が何者かよりも先にそれを尋ねてくるとは、思いの外肝が据わっている。面白い」

 大神総理の声色が変わる。先程までの甘さはもう残っておらず、鋭く、太刀筋が綺麗な……日本刀のような声になっていた。言葉遣いも女らしさが失せ、普段テレビの演説で語っているような、女傑らしい物言いになっている。

 これが彼女の『素』である、という訳ではないのだろう。政治家だけに腹芸はお得意な筈なのだから。ただし先程までのあやすような、子供扱いは止めてくれた。『対等』とは認めてくれたのかも知れない。

 そのぐらいには、先の質問は図星なのだろうと花中は思った。

 花中達を襲ったロボット軍団……彼等は、非常に高度なテクノロジーを用いられていた。実際に造られていたのだから実用化云々について考察する必要はないが、開発費まで無視する事は出来ない。仮に一機十億円 ― これでも見積もりとしては安いぐらいだ ― だとすれば、花中達を襲った分だけで数百億円ほどの金が必要だ。まだまだ控えはあったようだし、研究予算や維持費の分を考えれば、数千億~数兆円規模の資金が動いてもおかしくない。そしてこれほどの金を動かせる組織など限られている。

 例えば政府。

 日本の場合、歳入は凡そ九十七兆円。借金である国債を除いても六十兆円以上のお金を毎年動かしている。予算の内訳を秘匿する事も可能だろう。何より政府が監督している軍こそが、無人ロボット兵器の開発を一番心待ちにしている存在だ。あのロボットが政府の所有物だとすれば納得がいく。

 それに周辺住民をなんて真似は、政府でなければ無理だ。

 火山警報により無人と化した町……恐らく火山警報はダミーであり、住人を移動させるための方便だろう。秘密裏に開発したロボット兵器を投入するのに、目撃者はいない方が好都合なのだから。善良な日本国民である花中に銃を向けるとなれば尚更だ。偽の避難警報を出せる立場となれば市町村行政、その偽報を黙認する日本国政府の関与も疑わざるを得ない。

 全ての状況が、政府の関与を裏付けていた。

 ……などと主張すると胡散臭い陰謀論っぽいので、花中としてはあまり信じたくはなかったが。大体花中はちょっと変わった友人が多いだけの一般人。国家に仇成すテロリストなんかではない。殺したところで国にメリットがあるとは思えない。

 しかし総理大臣がこうして花中達の前に現れた。疑念が確信へと変わるのに十分な出来事だ。

「あなたの勇気に敬意を表して、正直に答えよう――――Yes。アレはが製造し、保有・操作するものである」

 ましてや本人が肯定したとなれば、信じない訳にはいかない。

「ほう。この状況でよくもまぁ堂々と白状出来ましたねぇ……」

 大神総理の言葉に、真っ先に反応したのはフィアだった。ざわざわと金色の髪が音を鳴らし、突き刺さるほどの殺気を視線で放つ。迂闊な事を言えば、即座に首を切り落とすという意思がひしひしと感じられた。

 大神総理や運転手に怯む様子はなかったが、気配から隙が消えていた。フィアの殺気がハッタリや偽物ではないと気付き、その上で堂々とした態度を取り続けている。この程度は計算の内で、何か対抗する策があるのか。

 一触即発。ほんの小さなきっかけで、爆発しかねない空気。

 尤も、フィアの殺意の理由が「大切なお皿を割られたから」だと知っている花中からすると、一人白けた気持ちになってしまうのだが。

「……フィアちゃん。お皿は今度、新しいの、買ってあげるから、今は、我慢して」

「むぅ。花中さんがそう言うならそうしますが」

 窘めると、あっさり矛を納めてくれたフィアを見て花中は一息吐く。ケンカしてほしくないのは勿論、なし崩しに話が終わるのは嫌だった。まだ、訊きたい事は山ほどあるのだから。

 軽く咳払いをし、気持ちと雰囲気をリセット。花中は再び大神総理に尋ねる。

「……じゃあ、二つ目の、質問です。どうして、あの人達……人じゃ、なかった、ですけど……彼等は、わたし達を、襲うのです、か?」

「それについて説明するには、まず我々について話す必要がある」

 そう言った、途端、大神総理からメキメキと歪な音が鳴り始めた。髪の毛はまるで意思でも持っているかのように動き、後ろ姿が変化していく。

 時間にして一分と経たずに、助手席から大神総理の姿が消えた。

 代わりに座っていたのは――――タヌキの頭と人の身体を持った、寓話的な存在だった。

 隣の席の運転手は平然と運転を続けているが、後部座席に居る花中は驚きで心臓が跳ねる。とはいえ、取り乱すほどでもない。彼女のような存在と出会うのは、今回も含めれば片手では数え切れないほど経験したのだから。 

「……ミュータント、だったんですね」

「あなたがそう呼んでいるのなら、こちらもそう呼称するとしよう。尤も、今の我々にはあなたが危惧するほどの力はないのだが」

 前置きをした後、大神総理は語り始めた。

 ミュータントは、『現代』になって突如現れた訳ではない。

 必要なのは人間の知性を伝達する『脳波』と、それを受け取れる体質の生物。この二種の出会いことが、ミュータント出現の原理だ。そして人類自体は、数万年から数十万年前には誕生していたとされている。人口が少ないので頻度は乏しいだろうが、接触自体は古代から行われていたに違いない。

 故にミュータントは、古代史上でも度々出現していた。現代科学でも真似出来ない彼等の驚異的な能力を、当時の人類は神や悪魔として奉り、畏れた事だろう。

 ……しかし、神々の繁栄は長く続かなかった。

 ミュータントの因子自体は、そこそこの確率で遺伝・発現する。ところが伝達脳波を発する形質が現れる可能性は、それと比べとても低いのだ。故にミュータント達の繁栄は、パートナーとなる人間の寿命に依存していた。どれだけ長くとも百年も続かない。復活と滅亡を幾度となく繰り返したのである。

 『そいつ』が生まれるまでは。

 小さな変異だった……が現れたのである。

 原理上おかしな話ではない。脳さえ持っていれば誰でも ― それこそ昆虫や魚でも ― 伝達脳波を放つという性質は生じうる。ただし人間ほど大きくもなく、機能的にも精錬されていない脳から知識を受け取ったところでたかが知れている。実際そのタヌキが放つ脳波も強力とは言えず、恩恵はさして大きくなかった。知能は獣が子供になった程度にしかならず、人間から知性を受け取った者が現代兵器すら凌駕する力を振るう中で、タヌキから知性を受け取った個体はちょっと姿を変える程度の力しか持ち得なかった。

 だが、それで良かった。

 伝達脳波を放つモノ、伝達脳波を受け取るモノ……二つが交配し、両方の性質を持つ個体が生まれた。子孫は自身と類似した形質の個体と交配し、遺伝子の『純化』を成し遂げた。近親で交配する限り、二つの形質は確実に遺伝する。そして近親者から脳波を受け取れるので、人間に依存しなくて済む。微妙ではあっても超常の力を宿し、そこそこの知性は持っているのだ。生存競争で優位に立った彼等はどんどん子孫を増やした。そうすると個体密度が増加し、結果伝達脳波の放出量も増え、比例して知性も増大していった。能力の方はあまり発達しなかったが、人間に変化するぐらいは可能になった。

 そうした歴史の積み重ねを経て、彼女達――――タヌキのミュータントは人間並の知性と、特異な能力を『確立』させた。

「やがて人類がクニの概念を持ち始めた頃、我々は人間社会に入り込んだ。そして能力を用いて人間社会での地位を築き上げ、富を独占し、千年以上の月日を掛けて我々にとって有益な社会を作り上げた。今や各国首脳陣、マスメディアや世界的大企業の大部分は我々の勢力下にある。人間社会で起きる大概の事は、我々のコントロール下にあると言っても過言ではない」

 そう締めくくり、大神総理は一度話を切った。

 花中は、疲れたようにため息を漏らす。

 ――――正しく、陰謀論に出てくる秘密結社ではないか。

 ロボット軍団に襲われた時点で『組織』との戦いは想定していたが、まさか世界を裏から支配する超巨大組織だったとは。しかし思えば、彼女達の存在を示す兆候はあった。

 例えば泥落山で行われたフィアとミリオンの争い、ミィとキャスパリーグのケンカ、フィアとミィの戦い、妖精さん戦……いずれも派手にやらかしており、本格的に調べれば、痕跡や目撃者はいくらでも出てきただろう。特にフィアとミィの争い、そして妖精さん戦の二つは、いずれも人間の生活圏で行われている。スマホ一つで撮影者になれる昨今、その光景を写真や動画で撮られていてもなんら不思議はない。

 にも拘わらず、フィア達の存在は表沙汰にならなかった。マスメディアのみならず、インターネットですら話題に上らない。恐らく隠蔽が行われたのだろうが、生半可な権力では不可能な規模……政府を支配する何か、とまではいかずとも、権力の関与ぐらいは推察出来ても良かった。

 そしてフィア達の存在を隠すという事は、即ちフィア達がどのような存在か知っているという事。

 ……成程、と花中は納得する。どうして彼女達が自分達に攻撃を仕掛けてきたのか、その理由がハッキリした。

「んー……んんんんん?」

 ちなみにフィアはまるで分かっていないのか、キョトンとしながら首を傾げていた。

 無視して話を進めるのも可哀想なので、花中はフィアの理解度を確かめる。

「フィアちゃん。何か、分からないところ、あった?」

「あったと言いますか……コイツらの生い立ちは分かりましたがそれがどうして私達に襲い掛かった理由につながるのです? 話を聞くにこの町もコイツらの支配下にある。そして私達はこの町で暴れた……なので疎ましく思うのは分かります。ですが人間がどーなろうとタヌキであるコイツらには関係ないでしょう? 殺されるほどの恨みは買ってないと思うのですが」

 要するに、「自分はそっちに直接的な迷惑も掛けていない」と言いたいらしい。

 確かに『世界の支配者』という如何にも悪そうな連中が、一般人の被害を気にするとは考え辛い。ましてやフィアには権力欲や、政治という社会システムへの理解がないのだ。もしかすると政治家というものはテレビで語られるような、庶民をいじめるだけの存在だと思っているのかも知れない。

 ならばをしていても、おかしくはないだろう。

「一つ、教えておこう。我々は確かに支配者だが、だからといって市民生活と無縁ではない。むしろ市民生活が困窮する事態は、我々にとっても好ましくないと言える」

 その部分の説明は大神総理がやってくれるようだ。花中は口を噤み、話を譲る。フィアは花中から大神総理に視線を移し、先程とは反対側に首を傾げた。

「好ましくない?」

「誤解されがちだが、賢明な権力者は市民生活の水準悪化を好まない。市民からの税金や生産物を収入としているため、市民全体の所得水準が上がれば我々の収入も増加し、経済発展や技術革新は我々の生活を豊かにしてくれるからだ。何より市民が政府に不満を持っていなければ我々の権力は盤石となる。いたずらに市民を苦しめる事は、自分の首を絞めるのと同義と言えよう」

「はぁそういうものなのですか。権力者とは市民から『けつぜー』なるものを吸い取るだけ吸い取ろうとするものだと思っていたのですが」

「私から言わせれば、その方法は得策とは言えないな。何時暗殺されるか分からない不安の中で大して美味くもない外国産の珍味を食べるのより、家族と一緒に堂々と国産和牛のステーキを食べる方がずっと幸福だと思わないかね?」

 本音とも、ジョークとも付かない大神総理の発言。

 だが尤もな話である。支配者の生活は、支配される層の生活水準に依存する。どれだけ暴政を敷こうと、市民が食べ物を生産しなければ、非生産職種である支配者は飢えてしまう。諸外国との交易や援助の私的流用などにより例外は生じるが、基本、為政者は市民の生活に気を配らなければならない。市民の幸福が権力者の安寧に直結するのだ。

 即ち、

「纏めると、だ。今回の件は、我々の一派があなた達を駆除しようとして起こしたものなのだよ。あなた達が将来的に人間社会を破滅させると考えて、な」

 最後に大神総理が要約を語ると、フィアは小馬鹿にしたような鼻息を吐いた。

「傍迷惑な話ですねぇ。私は人間にもあなた達にも興味はないのですが」

「私としても藪蛇は勘弁してもらいたいのだがね」

 ぼやくフィアに、大神総理は賛同の意思を現す。それはほんの些細な一言だが、意見を肯定されれば嬉しいものの。先程殺意を向けていた事などすっかり忘れたかのように、フィアは警戒心を解いていた。

 対して、花中は更に考え込む。

 難しい事は何もない――――行政による害獣駆除。市民生活を脅かす獣が現れたので、相応の道具を持って駆除に乗り出しただけ。カラスの巣の撤去や、クマ退治のようなものだ。それを止めろとは、市民の一人である花中の口からは言えない。

 その『害獣』が、花中の大切な友達でなければ。

 確かに、フィア達は色々な事をやってきた。山を壊し、ダムを崩し、昨日はついに町を蹂躙した。だけどそれは決して好んで行った事ではないし、今まで人間は一人も殺していない。ましてやいくつかの事態は花中じぶんを守ろうとしてくれた結果生じたものなのだ。その行為を批難する考えに反感を覚えずにいられるものか。

 話し合いや説得なら喜んで賛同し、力を貸しただろうが、殺そうとするなんて……絶対に認められない!

 『敵』の目的が分かり、花中は決意に燃える。同時に、情報を提供してくれた大神総理に感謝の気持ちも抱いた。彼女の話がなければ、いくらなんでも『世界を裏から支配する組織』なんて思い付かないか、閃いても常識に阻まれて否定していただろう。大神総理からの情報がなければ、今頃途方に暮れていたに違いない。

 さりとて、だから全面的に信用するかと言えば、それとこれとは話が違う。

「……あなたは何故、わたし達に、味方、するのですか?」

 花中は大神総理の目的を、まだ聞いていないのだから。

 今回の事件は、ここまでの話が事実なら大神総理の属している組織が起こしたものである。そして人類の支配者である彼女達の組織は、人類の繁栄こそが望ましい状況だ。

 友人の身で言うのも難だが、フィア達の力は人類にとって脅威である。駆除を目論む者が現れるのは当然、と言うより花中のような事情でもない限り賛同するのが普通だろう。だからこそ花中はフィア達に自制を促して表沙汰にならないよう努力している訳だ……あまり聞き入れてもらえないし、たまに忘れ去られるが。

 大神総理とて、人間から利益を得ている側である。今回組織が下した決定に不都合はない筈。その目的や正体を花中達に明かし、組織に不利益を与えてどうするつもりなのか?

 何かを企んでいるのでは――――その疑念を払拭出来ないままでは、花中は大神総理の言葉を鵜呑みにする気になれなかった。

 対して大神総理。小さく何度か頷き、質問の意図を察した様子。躊躇した素振りもなく答えた。

「なんて事はない。我々も一枚岩じゃないというだけさ。あなた達の存在について私達は一月半ほど前から察知していたが、意見は二つに分かれ、纏まっていなかった」

「二つの意見、ですか?」

「簡単に分けると、武闘派と穏健派。最初は穏健派が多かったのだが、あなた達の力が明らかになるにつれ、武闘派に転じる者が増えた。野放しには出来ないと思ったのだろう。そして先日ついに過半数を占めてしまってね。予算案を通し、行動を始めてしまった」

「……………」

「さっきも言ったが、私は此度の事は『薮蛇』だと思っている。あなた達と戦えば、こちらの損害も小さくはないと考えての事だ。しかし武闘派が動いてしまった。このままでは同じ組織のメンバーである我々も攻撃対象になるかも知れない……そうなる前に、という事を示す必要があった。そしてそれを最も効果的に示す方法は、あなた達が求めている情報を提供する事……という説明では、納得してくれないかね?」

 話を終えて、大神総理が車内ミラー越しに花中へと視線を送ってくる。花中は返答を求めているのだろう。

 しかし花中はすぐには答えず、見せ付けるように考える。

 大神総理の語った理由は、非常に打算的なものだった。

 信頼や友情が大好きな花中であるが、初対面の政治家が語る人情話に絆されるほど不用心でもない。むしろ生臭い話の方が納得出来るというものだ。とはいえ、話を鵜呑みにはしない。彼女が全てを打ち明けている保証はないし、嘘を吐いていないとも限らないのだから。あくまで現時点では、大神総理の話に矛盾や違和感を覚えないだけである。

 罠に引っ掛からないよう、信用はしても油断はしないよう気を張っておくのがベストか。

「……分かりました。今回は、それで、信用します」

「それで、か。信用してもらえたようで何より」

「はい。信用してますから、ね?」

「ああ、安心したまえ。裏切りはやらない主義なんだ、費用対効果が悪いからね」

「うふふふふふふ」

「ふふふふふふふ」

 にこやかに笑い合う花中と大神総理。それを目の当たりにして「すっかり仲良しですねー」と拗ねているフィアが、一番信用出来ると花中はひっそりと思った。

 ともあれ、疑問点に関しては一通り出したか。

 『敵』の正体と目的を教えてもらえた。戦うであろう存在の情報を入手出来たのは幸先が良い。無論情報は持っているだけでは意味がなく、そこから先を考察して初めて価値が生まれるもの。ここからが勝負の本番だ。

 気持ちを締め直す花中。と、何気なく視線を車窓へと向けた時、ふと思った。

 ――――この車、何処に向かっているのだろう?

 窓から見える外の景色は、ガードレールと生い茂る木々に囲まれた、片側二車線の一般道。何処となく見覚えがあり、確か、市街地を抜けて都市部へと向かうための道だったか。住宅はなく、偽とはいえ火山警報が出ているからか、花中達を乗せた車の車線だけでなく、対向車線にも車の姿はない。

 単純にロボット兵士から逃げ切るためなら、もう姿も見えないのだから停まっても良さそうである。しかし未だスピードを落とさない辺り、何処かを目指しているように感じる。まさかと思うが、妙なところに連れて行かれるのでは……

「あの、そう言えば、この車は、何処に、向かっているの、ですか?」

 おどおどと花中が尋ねると、大神総理は「おっと、話し忘れていたな」と零す。演技らしさはなく、本当にうっかりしていた様子だ。

「何、我々穏健派が使用している施設に向かっているだけだ。タヌキ型ミュータントの巣窟と言えば言葉は悪いが、生憎現代の我々は人間に毛が生えた程度の生物でしかない。君の友人なら簡単に蹴散らせるだろう。少しは安心してもらえたかね?」

「……そう、ですね。フィアちゃんと、一緒、なら」

「理解してくれて助かる。向こうでは他の上層部メンバーも居るので、恐らく攻撃はない筈だ。断言は出来ないが、作戦会議をする余裕ぐらいはあるだろう」

「え? お、襲ってくるかも、知れないのです、か?」

 いくら派閥が異なるとはいえ、同じ組織のメンバーに攻撃を仕掛けるなどあり得るのか? そう思う花中に向けて、大神総理は悩ましげに肩を竦める。

「本来なら御法度だ。しかしアイツは、と言うよりその取り巻きは厄介な事にその御法度を恐れなくてね。それにお咎めも何処までやれるか。アイツが相手となると皆萎縮するからな……」

 そして忌々しげに『誰か』への悪態を吐き、

「っ! 掴まって!」

 今まで一言も喋らなかった運転手が、唐突に叫んだ。

 突然の出来事に、凡人である花中は反応出来ない。それでも無意識に両手でシートベルトを握り締めていたのは、幾度となく死にそうになった経験故か。

 尤も、意味があったかは分からない。

 突如爆音が轟くや、花中達の乗っていた車が――――横転したのだから。

「きゃああぁぁあぁああ!?」

「よっと」

 車体が傾いた瞬間、フィアは手から水を出して悲鳴を上げる花中を包み込む。あらゆる衝撃は水が受け止め、花中の身体にダメージは届かない。

 だが車は、まるでボールのように転がっていた。

 三半規管がシェイクされ、胃の中身が何度もひっくり返される。肺が慣性により押し潰され、引き延ばされ、息が出来ない。身体のあらゆる機能がパニックを起こし、悲鳴を上げている。

 やがて車の動きは止まったが、それで終わりにはならない。

 換気のためか、身を守ってくれた水球が一瞬解かれたのだが……その際花中は焦げ臭さを感じたのだ。それどころかガソリンの臭いもする。何処かから出火しただけでなく、燃料のガソリンが漏れているようだ。

「う、ぅ、く……」

 そこまで分かるのだが、これからどうすべきかを考える頭が働かない。傷こそない身体も、転がり回った余韻が抜けておらず動けない状態だ。そもそも自分がどんな体勢なのかもよく分からない。

「やれやれ。動きがあったのは良いのですが些か忙しないですねぇ」

 フィアが居なければ、花中はきっとこの車と共に心中していた事だろう。

 フィアは花中を包んでいる水の一部を刃物の変形させ、シートベルトを切断。花中ごと水球を引っ張りながら、車のドアに手を伸ばす。カコン、とロックが外れる音はしたが、ノブを操作してもドアは開かない。事故の衝撃で歪んでしまったのか。

 尤も、人間ならば戸惑う事態でも、フィアにとっては些事。軽く押して開かないのなら、強く押せば良い……そうと言わんばかりにバギンッと物騒な金属音を鳴らし、フィアはドアを軽々とこじ開けた。阻む物はなくなり、フィアと花中は車体から抜け出す。無事脱出した花中は痛む頭を抑え、水球内で体勢を立て直すや乗っていた車の方を見遣る。

 そして、ギョッと目を見開いた。

 先程まで花中達が乗っていた車はひっくり返り、黒煙を上げていた。だが、そんな事は車内で踊らされた時点で予感している。此処が片側二車線の一般道なのも、窓から見ていたので知っている事。

 問題は車から数十メートル離れた場所に、巨大な穴が出来ていた事だ。コンクリートは抉れ、内側の土が外側へと飛び出しているような……所謂クレーター状になっている。クレーターの幅は五メートル以上あり、花中達が走っていた車線のみならず、中央分離帯と反対車線の一部も破壊されていた。

 言うまでもなく、このような大穴が生半可な出来事で生じるとは思えない。

「な、ん……!?」

 一体何が起きたのか。困惑し、少しでも情報を得ようと無意識に辺りを見渡す花中だったが、自分が先程まで乗っていた車が再び目に入るやはたと思い出す。

 そうだ。車の中には自分やフィアちゃん以外にも、大神総理や運転手さんが居たではないか。

 水球の中からでは、車内を覗き込む事は叶わない。だが外に姿が見えない以上、二人は未だ車内に閉じ込められていると考えるべきだ。最悪な事に、花中は脱出前にガソリンの臭いと焦げ臭さを感じている。ガソリンは非常に可燃性が高く、一度火が付けば爆発的燃焼……即ち爆発を起こしてしまう危険な燃料だ。悠長に悩んでいる暇はない。

「ふぃ、フィアちゃん! 車の中の二人を、助けて!」

「……あいあいさー」

 花中のお願いに、僅かながら間を開けてフィアは応答。『身体』から水の触手を生やし、車へと伸ばす。触手は前部座席のドアをこじ開け、そのまま車内に侵入。

 数秒ほどごそごそと動かした後、大神総理を引っ張り出した。ただし出し方はかなり粗雑。彼女の身体がドアのフレームにぶつかろうとお構いなしで、出した後は適当な場所に放り投げる始末だ。

「ちょ、フィアちゃん!?」

 あまりにも雑な救出に声を荒らげる花中だったが、フィアはこちらを振り向いてもくれない。再度車に突っ込んだ触手は、今度は運転手さんを引き摺り出し、大神総理の傍に捨てる。

 二人とも捨てられた時に微かな呻きを上げた。呻いたという事は生きているという事。今は動いていないが、僅かに胸が上下している。息はあるようだ。そこは安堵して穏やかな気持ちになるのだが、やはり助け方というものがある。

「フィアちゃん! なんでそんな」

 適当な助け方なの――――そう続けようとして、花中は声を詰まらせた。

 花中は気付いた。フィアの視線が、先程からずっと一点……横転し、今にも爆発しそうな車ではなく……その車が向かおうとしていた方角に向けられていると。

 その視線の先から、不気味な音が聞こえてくると。

 花中は吸い込まれるように友達が見つめている場所を、自分もまた凝視してしまい――――

「……えっ」

 やがて、ポツリと声を漏らした。

 地平線が見えるぐらい、真っ直ぐ伸びる道路。その彼方から、一台の車が花中達に近付いていた。

 車なんて、あまり詳しくない。

 だけどその車については、花中もよく知っている。乗用車なんて比較にならない車高、前に突き出した『砲身』、悪路を走破するためのキャタピラ……あの姿を見れば、誰だってその名前を呼べる。

 だが、花中は口を噤んだ。

 拒みたかった。何かの間違いだと思いたかった。

 ――――いくらなんでも、『戦車』が現れるなんて。

「……嘘、だよね……流石に……」

 弱音を吐くも、戦車は消えてなくならない。それどころかキャタピラの甲高い音が頭を揺さぶる。あたかも、これが現実だと訴えるように。

 やがて戦車は、花中達のかなり近くまでやってきた。近くと言っても数十メートルほど離れているが、有効射程数キロにも達する戦車砲からすれば目と鼻の先ぐらいでしかない。

 戦車砲の初速は秒速千五百メートル……時速にして五千キロを超えるという。果たしてこの超至近距離で撃たれ、フィアに対処出来るのか――――

 花中は不安で身体を縮こまらせ、フィアは気にも留めない様子で戦車を見つめる……と、ふと戦車のてっぺんが、パカッと開いた。

 戦車の中から出てきたのは、無数のロボット達。花中達を襲撃したモノと同型だ。

 そしてそのロボット達が囲うように陣取る中で、最後に『一人』の人影が現れた。

 一見してその人影は、若い女性のようであった。顔立ちには幼さがあり、十代か、精々二十代ぐらいの年頃に見える。着ているのはチャイナドレスのような、一枚布で作られた灰色の衣服。礼服ではなく私服のような姿は、お洒落を楽しむ少女のような雰囲気を演出していた。

 だが、捕食者のような鋭い眼差しが、彼女が無垢な乙女でない事を物語る。

「……へぇ。まさか全員生存とは。変異個体と『起源』は最初から期待していなかったけど、総理ぐらいは今ので狩れたと思ったのに。退化しても、それなりには能力があったのかしら」

 女性は花中達を一瞥すると、感嘆したように独りごちる。笑みを浮かべるその顔に後悔の色などない。

 道路に出来ていた巨大なクレーター……恐らく、目の前の戦車が弾頭を撃ち込んだ際の衝撃で生まれたのだろう。その余波で花中達が乗っていた車は浮かび上がり、横転したのだ。いや、横転で済んだと言うべきか。秒速千五百メートルの速さで、重さ数十キロの鉄塊が飛来してくるのだ。直撃すれば人間は勿論、乗用車すら跡形も残らない。撃たれたにも拘わらず車が原型を留め、死人が一人も出ていない今の状況は奇跡と呼ぶべきだ。

 それほどの威力を誇る戦車砲を人に向けながら、戦車から現れた彼女は純朴に笑っている。

 無垢を通り越した、狂気の思想を感じさせた。

「あ、あなた、は……!?」

「ん? ああ、私とした事が挨拶を忘れていたわ。これは失礼」

 花中が漏らした言葉に、女性は今になって気付いたと言わんばかりに驚く。そして戦車の上に乗ったまま、花中達を見下ろしながら女性は一礼。

「初めまして、とでも言っておこうかしら。此度の黒幕を務めさせていただいている、佐渡島さどじま真魅まみと申します。以降お見知りおきを」

 上げた顔にゾッとするほどにこやかな笑みを浮かべながら、名乗りを上げるのだった――――

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