世界の支配者4

 最初に動き出したのはリビングに居たフィア、ではなく水球に包まれている花中、でもなく――――割られたガラス戸の傍に立つ不作法な来訪者達三人だった。とはいえ、彼等が取った動きは非常に小さなものでしかない。

 そう。なんの警告もなく手にした銃の引き金を引くという、とても小さな動き。

 たったそれだけの動きをした次の瞬間、リビングは小気味よい ― しかしそれが却っておぞましい ― 破裂音で満たされる!

「きゃあぁっ!?」

 音を耳にした花中は反射的に頭を抱え、悲鳴を上げながらその場にしゃがみ込んだ。

 破裂音に合わせるように、リビング中の壁が弾けて散乱する。何が起きているのか、花中の目には見えない。だけど考えを巡らせ、推察する事は出来る。

 そして花中の頭が導き出した結論は、自分達が銃撃戦に巻き込まれているというものだった。

 彼等の持っていた銃が本物だった事、彼等が自分達を殺そうとしてきた事……撃ってきた事。ほんの数秒で突き付けられた『事実』に、花中の思考は恐怖一色に染まる。小さな身体はガタガタ震え、逃げたい意思に反して動いてもくれない。肉体の支配権は今や理性ではなく、恐怖に乗っ取られてしまった。

 しかし来訪者達は花中がいくら怯えても、攻撃を止めようともしない。引き金を引き続け、破裂音を一秒に十回以上鳴らしている。数え切れないほどに増えた銃弾がリビング中を飛び交い、壁で跳ね返ったものが窓ガラスや家具を貫き砕いた。最早、この場に人の生存が許された空間はないだろう。ましてや花中と彼等の距離は四メートルほどしか離れていない。無数の弾丸が、花中を射線上に捉えていた。

 当然これほどの銃撃戦となれば、数百メートルの範囲に渡って銃声は届いている筈だ。だがこの町は今、全域に噴火警報が発令されている。学校からの帰宅中の時点で人っ子一人居ない場所があった状況からして、恐らくこの地域の住民は花中以外粗方避難を終えているのだろう。誰かがこの喧しい銃声に気付いて通報してくれる可能性は期待するべきでない。

 自分達の力だけでこの銃弾の嵐から抜け出す――――それは言葉にすれば、非道く絶望的に聞こえた。

「花中さーん大丈夫ですかー?」

 尤も、フィアが作り出した水球に守られているので、飛び交う弾丸は花中に届きもしていなかったのだが。当然水球を作り出した当人であるフィアも平然としており、その『身』に銃撃を浴びながら花中に声を掛けてくる。銃弾の雨程度では、超常の力を振るうフィアに傷一つ負わせられないのだ。

 ただし、だから彼女の怒りを買わないという訳でもなく。

 パリン、という音だけで、フィアの堪忍袋の緒を刺激するには十分だった。

「ん? ……………ああああああああっ!? わわわわ私のお皿がぁ!?」

「え?」

 水球から響くフィアの悲鳴染みた叫びで、僅かながら我に返った花中はリビングの隅にある食器棚へと目を向ける。見れば食器棚のガラスが割れており、収納されていた食器がいくつか破損していた。来訪者達が狙って攻撃したとは思えないので、跳弾が運悪く命中したのだろう。

 そして破損した食器の一つに、可愛らしい花柄のお茶碗……一月ぐらい前、花中がフィアのために買ってあげたものがあった。そのお茶碗は高級品ではないが、子供用のプラスチック製という訳でもない。量産品ではあるがちゃんとした陶器である。結果、弾丸一発の衝撃で粉々に割れてしまっていた。もうアレでは使い物にならない。

 それに気付いた花中は、折角戻ってきた血の気が再び失せる。

 ――――フィアちゃん、絶対怒ってる。凄く怒ってる。

 

「楽に死ねると思わない事ですねぇぇぇぇッ!」

 思った通り、フィアは一瞬の我慢もなくぶち切れた!

「ふぃ、フィアちゃん待っ」

「構わないわ! やりなさい!」

 なんとか一度落ち着かせようとする花中だったが、フィアを煽る言葉が玄関から飛んでくる。

 振り向けば、リビングから玄関に続く戸の前に立つミリオンが居た。

 玄関で聞こえた破裂音はなんだったのか、怪我とかはしていないのか……訊きたい事は山ほどあるが、花中はそれらの考えを瞬時に頭の隅へと追いやる。

 今大事なのは、何故フィアを煽ったのか、だ。

「み、ミリオンさん!? あの、でも」

「そいつ等から情報収集は無理よ! 警察も使えないわ!」

 花中の反論を遮るや、ミリオンは片手を高く上げる。

 その片手には、防具を被った人の頭部が握られていた。

 ギョッとなり目を逸らす――――が、僅かな違和感を覚え、花中はもう一度ミリオンが掴んでいる物を確認する。

 ミリオンが掴んでいるのは、間違いなく頭部。それも現在花中達を銃撃している者達と同様の、防具で覆われた頭部だ。玄関でも破裂音が聞こえていたので、ミリオンも彼等に襲われ、返り討ちにしたのか。そしてその頭部の切断面からは、だらりと赤い管が垂れている。

 文字通り『赤い管』が。

「……まさか!?」

「なんだかよく分かりませんが要するに好きにやれって事ですよねぇ!? 言われずとも止められようとも端からその気しかありませんっ!」

 花中がミリオンの言わんとした事を察したのと同時に、恐らく意味など考えてもいないフィアが動いた。

 フィアは来訪者三人にすかさず掌を向ける。来訪者達は気にも留めず銃撃を続けるが、不意に銃声が途切れた。

 それもその筈。彼等の持っていた銃は、一斉に真ん中から切り落とされたのだから。

 フィアが不可視の『糸』を繰り出した。

 タネを知っている花中は即座に状況を理解したが、来訪者達はどうだ。全員が使い物にならなくなった銃を未だ構えたままでいる。何が起きたか分からず動けないのか、或いは目の当たりにした『非常識』を理解するのを拒んでいるのか。いずれにせよその硬直を、フィアに見せたのが致命的だった。

「ふんっ!」

 掛け声と共にフィアは腕を振るう。振るったところで、普通ならば数メートル離れた位置の来訪者達には届かない。

 しかし水で出来た『身体』は伸縮自在。フィアの腕は四メートル先の来訪者達の元まで伸び、容赦なく薙ぎ払う! 無慈悲な一撃を食らった来訪者達は、身体からバキベキと歪な音を鳴らしながら全員壁へと叩き付けられた!

 尋常でない衝撃に、リビングの壁の一部が粉塵となって部屋に舞う。圧倒的な破壊力の前に、来訪者達はすっかり動かなくなっていた。手足は取れかけ、頭も外れている。胴体も衝撃に耐えられなかったのか、折れたり裂けたりしていた。

 そのため彼等の中身である、金属のパーツが丸見えだった。

「……ロボット?」

 動かなくしてからようやく彼等がロボットだと気付いたフィアの呟きに、彼女の視界に入っていなかったものの花中は無意識にこくんと頷いた。

 ロボットに襲撃された。

 その事自体は、現物が目の前に転がっている以上否定する必要はない……というより出来ない。すっかり荒廃した部屋の惨状からして、彼等の攻撃が現実だった事は疑いようもないのだから。

 ロボットの存在自体についての考察も、あまり必要ないだろう。花中にはロボット達の動きは人間そのものに見えた。確かに歩兵の代わりとなる戦闘ロボットなど聞いた事もないが、軍事技術に秘密は付きものだ。軍事の最先端を行くアメリカでは、兵器の無人化が進んでいるとも聞く。秘密裏に無人歩兵が作られていた、という可能性はあり得る。実在してもおかしくない。

 問題は、そんな機密事項の塊がどうして花中の家を襲撃したのか、だ。こんな物騒な世界と関わった記憶はないのだが、一体どうして……

「まぁ倒した以上正体などどーでも良い事ですね! 他愛ない!」

 ……考察しようとしていた花中だったが、フィアの能天気な声が耳に入り、気が削がれた。人類の最新兵器であろう物体を、数秒でスクラップにした非常識が居候なのである。真面目に考えるのが馬鹿らしくなってしまった。玄関から戻り、リビングに入ってきたミリオンも呆れ顔を浮かべている。

「もう終わったー?」

 そうこうしていると今度は、来訪者達に壊されたガラス戸からミィが顔を覗かせた。

「野良猫! あなた一体何をしていたのですか! あなたがこいつ等を片付けていれば私のお茶碗は無事だったのですよ!」

「いやー、そうは言うけどいきなり殴り倒すのもどうかと思うじゃん? 正体不明なんだし、一応観察しとかないと」

「ああん? 潰せばなんだって同じでしょうが」

「なんでアンタはそこまで単純な上に乱暴なのかなぁ……」

 ぐだぐだと話し合うフィアとミィの姿を見ていたら、花中はますます気が抜けてしまった。真剣に頭を働かせる気分にはしばらくなれそうにない。

 それに、実生活的な問題にも気付いてしまった。

 倒したロボットの後片付けである。よもやこのロボット達をけしかけてきた何者かが……物が物なので来ないとも限らないが……やってきて、廃品回収してくれるとは思えない。だとすると迷惑この上ない事に、花中達でどうにかするしかないのだ。他にも銃痕だらけになったリビングの修復や、壊された家具や食器の買い足しも必要である。それと今は火山警報が出ているので避難の準備もしなければ。

 考えねばならぬ事は山積み。問題を数えるだけで頭が痛くなる。

 けれども脅威は去ったのだ。焦って答えを出す必要はない。落ち着いてからゆっくり考えようと、花中は小さく一息吐いた。

「あ。すみませんまだ終わってないようです」

 そんな花中の気持ちに水を差したのは、先程まで一番浮かれていたフィアだった。

 フィアの言葉に、真っ先に顔を顰めたのはミリオン。刃向かうように、少しキツい口調で反論する。

「……終わってないって、まだそいつらの仲間が近くに居るとでも? 少なくとも私の展開した半径百メートルのには人っ子一人検知出来ないんだけど」

「いえ多分もっと遠いです」

「もっと遠いって、何時からさかなちゃんは千里眼に目覚め」

 自慢のセンサー ― 微細な『自身』を周囲に拡散させ、物理的に周囲を把握しているのだろう ― を貶されたと思ったのか、ミリオンはますます噛みつく――――ものの、ふとその言葉を途切れさせた。

「……ああ。そう言えば、そっち方向には敏感なんだっけ」

 それからミリオンは、疲れたようにぼやく。

「え、ちょっ……!?」

 次いで庭に居たミィが、頭上を仰ぎ見ながら困惑の声を上げる。

「どうやら本番はここからのようですねぇ」

 締めはフィアが、面倒臭そうに愚痴った。

 三体の超生物達は、本能的にか、能力を用いたのか、何かを察していた。しかしただの『生物』でしかない花中には、三匹が何を感じたか分からない。

「え? え? あの……」

 すっかり置いてきぼりな花中は、誰かに教えてほしくて。

 だけど答えは、三匹以外のところから伝えられた。

 天井を突き破るという形で。

「……!?」

 驚愕する花中の目の前で、破砕される音を立てながら天井が割れる。そこから現れたのは先程花中達に襲い掛かったロボットと、恐らく寸分違わない同型機だった。派手な音を撒き散らしながら彼は不作法に床へと降り立つ。木製の床は衝撃を受け止めきれず、彼の足が深々と突き刺さった。

 またしても壊される自宅。だが、花中の関心はそこにはない。

 何故、彼は天井からやってきた? そもそも何処に潜んでいた? ミリオンは半径百メートル以内にロボットの姿はないと言っていた。ミクロン単位の存在であるミリオンが、彼の隠れる隙間を見逃すとは思えない。

 即ち彼は、何処かからやってきたという事になる。それもミリオンが監視している半径百メートルの外から、こちらが体勢を立て直す前に辿り着けるぐらい素早く。しかし先程までの動きからして、このロボットにそこまでのスピードはない。大地を走ってきたとは考えられない。

 そこでふと、花中の脳裏を過ぎる。ミリオンのようなセンサーを持たず、ミィのような視力もないフィアが、誰よりも早くロボットの襲撃を感知していた事実が。そしてフィアには、本能的に鋭い『方向』があるという思い出も。それらは頭の中で合わさり、一つの結論へと変貌した。

 空から降ってきたという、とんでもない結論に。

「ふんっ!」

 花中がその考えに至った、とほぼ同時にフィアは駆け、新手のロボットに接近。問答無用とばかりに、ロボットの頭部目掛け拳を振り下ろす!

 フィアの拳を受けたロボットは、ひしゃげた音を奏でながら全身が潰れる。登場して数秒と経たずに、ロボットは圧縮された鉄塊へと変化していた。危険物は力を発揮する前に、その『命』を終えたのだ。

 だが、安堵の時は訪れない。

 もしも、このロボットが空からやってきたのなら、これで終わりとは限らない。一度でも『外部』から増援が来たのなら、二度目三度目もあるかも知れないのだから。

「来たわね」

 ミリオンの声に次いで、玄関の方から数体のロボット達がリビングに侵入。合わせるように、天井からズシン、ズシンと重たい着地音が耳に届く。

 思った側から増援だ。それも先程戦った集団以上に大規模なもの。或いは最初の連中は先遣隊で、こちらが本隊なのか。

「花中ぁ、こっちにもロボット達来たよー」

 能天気なミィの声で、庭にもロボットが何体か来ていると分かる。玄関、庭、天井……この分だと、そのうち勝手口からも現れるかも知れない。完全に包囲されている。

 そしてロボット達は、やはり警告もなしに銃を撃ってきた!

「ひぅっ!?」

「ええいアリのように沸いてからに! 纏めて潰して――――」

「待ちなさい。この数を相手にしたら、余波だけではなちゃんの家が壊れてしまうわ。此処は一旦退きましょう」

 改めて臨戦態勢を取るフィアに対し、ミリオンが撤退を進言する。一瞬、ロボット諸共屠らんばかりの眼差しでミリオンを睨むフィアだったが、ややあってから舌打ち。

 フィアは花中が入っている水球を、なんの予告もなしに肩に担いだ。花中は揺れる水球に反応が間に合わず、柔らかな水の壁に顔からぶつかる。痛くはない、が、心地良くもない。

 されど、不平を言っている場合でない事は分かっている。

「このような有象無象相手に背を向けるのは癪ですが花中さんの大切なものを私が壊してしまうのはもっと不愉快です。ここはあなたの意見に従いましょう」

「素直でよろしい。なら、さっさと逃げるわ、よっ!」

 フィアが同意した事で、状況は防衛戦から撤退戦へと移り変わった。

 庭へと通じる窓目掛け、ミリオンが駆ける。フィアも後を追い、花中は水球ごと一緒に運ばれる。相応の数の弾丸が二匹の背中に命中するも、フィア達の歩みは止まらない。

 ミリオンはするりと潜り抜け、フィアは担いだ水球が引っ掛かった外枠をぶち破って窓を突破。庭へと跳び出した。

 途端、何かがフィアの下へと飛んできて――――衝突。

 ボンッ! という巨大な爆音と共に、傍に居たミリオンも巻き込むほどの大爆発を起こした! 爆風は大桐家のみならず、隣家にも届いてその壁を砕く。周囲の草葉は千切れ飛び、辺りには褐色の粉塵が広がった。コンクリートすら余波で破壊する威力だ。生身の人間なら、跡形も残るまい。

「煙いッ!」

 しかしフィア達にとっては、煙でしかなかった。フィアが片手を大きく振れば、それだけで粉塵はあっさりと吹き飛ぶ。

 クリアになった視界。水球に守られている花中はほんの一瞬だけ見えていた、『何か』が飛んできた方向を見遣る。

 それだけで、飛来物の正体が分かった。

 視線の先に居たのは二体の、巨大な『筒』を構えたロボット。正直なところ、花中は武器についてはあまり詳しくない。精々小説やアニメに出てくる大雑把な名称を覚えているぐらいだ。そんな花中でも彼等の構えている『筒』の名前はよく知っている。

 ロケットランチャーだ。そして撃たれたロケットランチャーは一発。

 もう一体のロボットが、花中達の方に筒の先を向けていた。

「はい、ざんねーん」

 だが、花中が状況を説明する必要はなかった。まるで瞬間移動してきたかのように、ロボットの傍にミィが現れたのである。ロボットに肉薄したミィは発射直前のロケットランチャーの弾頭を

 ロボットは反応が間に合わなかったのか、そのまま引き金を引いてしまった。

 当然ロケットランチャーは火を噴くが、ミィがしっかりと弾頭を握っている。ただの素手。されど、強靱なパワーを誇る頑強な障害物でもある。

 弾頭は飛ばずにその場で爆散。二体のロボットとミィを巻き込んだ。舞い上がる粉塵に混じって金属の破片が飛び交い――――ふん、と小さな『鼻息』で吹き飛ばされた煙の中から、無傷のミィだけが姿を現す。

「あーっ!? あたしの服がぁ!? 気に入ってたのにぃ!」

 いや、正確には素っ裸になっていたが。彼女は猫なのでなんら問題ないのだが、花中は咄嗟に顔を逸らす。

 尤も、ほのぼのとしている暇はない。

 家の中から追い駆け、隣家の庭から柵を乗り越し、家の屋根から降りてくる、無数のロボット達。仲間が粉微塵に吹き飛んでも尚、彼等は花中達に襲い掛かろうとしているのだ。

「猫ちゃん、さっさと来ないと置いてっちゃうわよー」

「うぎぎ……覚えてろーっ!」

 勝ったのに捨て台詞を吐くミィと合流し、花中達は庭の柵を軽々と跳び越えて道路へ。

 そんな花中達を出迎えたのは巨大な車。

 まるで装甲車のような……いや、正しく装甲車の形態をした、そこらのトラックよりも巨大な車両が花中達目掛けて突っ込んできている! 速度は、少なくとも歩行者が歩く道で出して良い速さではない。

 おまけに反対側からももう一台。

 挟み撃ちだ!

「邪魔です!」

「しつこいわねぇ」

 すかさずフィアは正面の車両、ミリオンは反対側の車両へと、それぞれ己の掌を向ける。次の瞬間、フィアが掌を向けた車体は縦に真っ二つに割れ、ミリオンが掌を向けた車体はどろりと溶け出した。

 装甲車は走る事も叶わず、その場で横転。最早使い物にならない車体から、わらわらとロボット達が這い出てきた。さながらそれは巣を破壊されたアリのような姿。そしてアリ同様、彼等もまた闘争心に溢れているのが動きから伝わってくる。

 前後の車両から出てきた無数のロボット達は、フィア達の姿を見るや手にしたアサルトライフルで襲い掛かってきた!

「また随分とわらわら出てきたわねぇ」

「うぅ、銃撃がこそばゆいー」

 挟み打ちに遭い、フィア達は立ち往生。二つのグループはどちらもさして広くない市道を塞ぐように並び、それが三~四列ほど続いている。各人の間隔は広めで、時折後方の人員と立ち位置を交換していた。弾倉が尽きたら後ろの仲間と入れ替わり、リロードしているのだろう。花中の素人目にも、彼等の動きは訓練されたものであるように見える。

 無論人間ならば瞬時に蜂の巣となるこの包囲網も、フィア達ならば耐える事は勿論、突破しようと思えば何時でも出来る。だが今までの流れからして、この包囲から抜けても攻撃は止みそうにない。

 殲滅以外の方法でこの戦いを終えるには、どうにかして彼等の追跡を振り切るしかないだろう。しかし……

「上の輩が面倒ですねぇ……」

 この面子で一番上からの視線に敏感なフィアが、そうぼやいていた。

 見上げれば、広がるのは高々とした夏の青空。白い雲が浮かんだ、のどかで朗らかな景色。

 その景色を蝕むように、黒い点が幾つか浮いていた。かなり高い位置を飛んでいるのか、花中人間の視力では詳細な形が分からない。小さな点と認識するのが精いっぱいだ。

 だが、考えれば分かる。

 空から降ってきたと思われるロボットがいたのだ。彼等を運ぶ乗り物があるのは当然。現在頭上に浮かぶ黒点、即ち無数の飛行機はロボット達の仲間と考えるのが妥当だ。空からなら地上は丸見えである。走り回ったところで、簡単に追跡されてしまうだろう。これでは何処に逃げても、ロボット達を振り切れそうにない。

 なら下水道に逃げ込むか? 否、この分だと下水道にもロボットが配置されていてもおかしくない。たっぷりの水を湛えた下水道はフィアの独壇場だが、連戦となれば消耗していく筈だ。果たして何時まで、どれだけ戦えるか。

 ……彼等は決して強くない。少なくとも人智を超越した生命体からすれば、本気を出さずとも蹴散らせてしまう虫けらだ。しかし未だ底が見えない。空からの降下のみならず、車両まで用いて絶え間なく後続を投入するという『態度』が、後方に控える戦力の余裕ぶりを物語る。

 故に、花中は震え上がった。

 

「花中さんどうします? ……花中さん?」

 フィアの問い掛けに、花中は口を噤む。

 どうしたら良い? どうすれば良い? そもそも彼等は何を求めている? どうしていきなり攻撃してきた? 分からない。何も分からなくて、動いたら何が起こるのか、想像が付かない。

 身動きが、取れない――――
















「大桐花中! こっちよ!」







 泥沼に足を取られたかのように止まっていた花中の意識は、突如辺りに響いた声によって動き出した。

 凛とした、何処か聞き覚えのある声。

 だけど誰の声かは思い出せず、疑問という衝動のまま花中は声がした方へと振り返り――――そこでまたしても、思考が止まってしまった。

 声がしたのはフィアが真っ二つにした装甲車と、その車から溢れ出した無数のロボットが壁として立ちはだかっている先……小さな十字路のど真ん中。視線が捉えたのは黒い一台の乗用車と、その車の助手席側の扉を開けて花中達を見つめる『女性』の姿だった。

 その『女性』に、花中は見覚えがあった。

 今までならそっくりさんとの区別も付かなかっただろうが、今朝、初めてその姿をハッキリと目の当たりにした。あの時の記憶は未だ脳細胞に深く刻み込まれている。今なら見間違いなどしない。自分が対峙している人物は絶対に『彼女』だ。

 故に、あり得ない。

 『彼女』がこの状況のこの場に現れ、ましてや花中じぶんの名前を呼ぶなんて絶対にあり得ない。一市民に過ぎない自分の名前を、どうして『彼女』は知っているのか。

「詳しい話は後でするわ! 今はこの車に乗りなさい!」

 考え込もうとする花中だったが、『女性』は花中に急ぐよう促す。ロボット達は『女性』を無視して花中達だけを攻撃していたが、放たれた弾丸は跳弾を繰り返しており、その中の一発があの『女性』の脳天を貫く可能性はある。確かに長考している暇はなさそうだ。

 二度目の呼び掛けを受け、花中が思考を巡らせたのは一秒だけ。

「フィアちゃん! あの車に乗って!」

 一秒考えた末に花中が出した結論は、『彼女』の提案に乗る事だった。

「なんだかよく分かりませんけど了解っ!」

「私も行くわ。猫ちゃん、囮役よろしく」

「は? いや、あたしも一緒に行、あ、あれ? 身体が動かな……」

「それでは野良猫後はよろしく」

 何をされたのだろうか。急に動かなくなったミィを、フィアはなんの躊躇もなく置き去りにする。「ひ、卑怯者ぉー!?」とミィは叫ぶも、恐らく犯人であろうミリオン ― ミィの怪力を無効化しているとなると、筋繊維に潜り込んで何かしたのだろうか? ― は真っ先にその『身体』を大気中に霧散させていた。

 花中としては同情するが、銃弾やロケットランチャー程度ではミィは倒れない。申し訳ないが、ここは囮役をお願いする事にした。

 尤もフィアに連れられている現状、花中に抗議する暇などないのだが。フィアは自身が真っ二つにした装甲車へと突撃。ロボット達は即座に陣形を修正し、スクラムを組むように各員の間隔を密にした。

 けれどもその程度では、爆走する『怪物』を止められない。

「退きなさいっ!」

 大きく振り上げた拳を、フィアはロボット達に叩き付けた! フォームも何もない、乱雑で滅茶苦茶な一撃は、余波だけで無数のロボットを吹き飛ばす! ぶち抜いて作った道をフィアは一気に駆け抜けた。

 しかしながらあまりにも雑過ぎた一撃は、直撃した対象以外には十分なダメージを与えられていなかった。吹き飛ばしたロボットの何体かが、ぎこちないながらも動き、手にした銃器を向けてきたのだ。

 フィアが担ぐ水球の中からそれを目の当たりにした花中は、口をぐっと閉じ、ロボットを凝視する。

 ……ロボット達の銃が、火を噴く事はなかった。

「お邪魔します」

 追撃を受けず、フィアは悠々と黒い車の下に到達。ドアを開け、花中を包む水球を中へと押し込みながら、フィア自身も車内へと入る。

「発進します」

 そしてドアを閉める前に、運転席から年期を感じさせる男性の声がした。

 片側のドアを開けっ放しにしたまま、花中達を乗せた車は走り出す。強烈なGを感じるほどの急加速に、道交法違反確定の超高速。アスファルトが削れる嫌な音を奏でながら、車はこの場を後にした。

 花中は水球の中で後ろを振り返る。ロボット達は追おうとしていたのか、車の後方で集まっていた。しかし走ってくる様子はなく、立ち止まっている。銃口も向けていない。彼等は車を追えるほどの速度が出せないのか、それとも……

 ロボットの性能を知らない以上、考えても答えは出ない。それよりも。頭を切り替え、花中は共に車に乗ったフィアに声を掛ける。

「フィアちゃん、多分、もう大丈夫だから、この水、片付けて、良いよ」

「……良いのですか? いくらなんでもこの状況は色々胡散臭いと思うのですが」

 共に後部座席に座るフィアは訝しげな視線を、助手席側へとぶつける。

「疑われるのは仕方ないけど、こればかりは証拠の提示しようがないわ。まぁ、私の身分なんて、この場ではさして重要ではないと思うのだけれど」

 その視線をバックミラー越しに確認したのだろうか。助手席に座っていた者は身を乗り出し、花中達の方へと顔を見せた。

 花中はこの人物に見覚えがある。

 美しい黒髪、貫禄ある顔立ち……顔のパーツはどれもが記憶と合致する。見間違いをしているとは思えない。この期に及んでただのそっくりさん、とも考え辛い。自分の認識が間違っているとは思えなかった。

 それでも、常識が花中の理解を妨げる。

 助手席から身を乗り出し、自分に微笑みかけてくれる人物がこの国の総理大臣だなんて、到底信じられなかった。

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