亡き乙女に音色は届かない6

 状況がこんがらがってきたので、花中はこれまでの事を一度整理した。

 まず、花中の目的は変わっていない……『誰』が『どうして』フィアを傷付けたのか、それを知る事だ。『どうやって』に関しては分かった方が調査を進めやすくなるだろうが、本題ではないので分からず終まいでも特に問題はない。『どうして』の内容次第 ― 例えば、人類抹殺とか ― では次なる目的が生まれるかも知れないが、そうでないなら別段相手をどうしようとは考えていない。強いて言うなら、二度とこんな事が起こらないよう話し合いをしたいぐらいだ。

 そして『誰』については輪郭を掴む事が出来ている。

 それが、二階堂奏哉という男性が会いたがっている少女――――の姿を取っている、ミュータントとおぼしき存在『妖精さん』。彼女が本当にフィアを襲ったモノかは断定出来ないが、可能性は極めて高い。仮に違っていたとしても妖精さんは蛍川近隣を活動範囲にしているようなので、何かしらの情報を知っているのは期待しても良いだろう。彼女と話が出来れば、調査は飛躍的に進展する筈だ。どちらにせよ、会わない、という選択肢は現状ない。

 ところが奏哉は今、その『妖精さん』と会えないでいる。二年ぶりの再会に喜ぶどころか炎による攻撃をしてきて、以降いくら呼び掛けても姿一つ見せてくれない。理由は不明。

 挙句その話を聞いた直後、ミリオンが唐突に寝返りを表明。どうして? 誰に? 説明は一切なし。当然ながら、寝返った彼女が何をするつもりなのかなんて花中は知らない。しかし感情豊かで花中じぶんに好意を抱いてくれているフィアがこの話を聞いたなら、怒り狂ってミリオンの『始末』を考えるのは容易に想像出来る。

 つまり今後解かねばならない謎は、


①本当に『妖精さん』がフィアを傷付けた張本人なのか


②どうしてフィアを傷付けたのか


③何故『妖精さん』は結婚を誓った相手である奏哉を避けるのか


④ミリオンが寝返った相手とは誰なのか


⑤どうしてミリオンは寝返ったのか


⑥寝返ったミリオンは何をするつもりなのか


⑦ミリオンの裏切りを知った途端怒り狂うであろうフィアを、どうすれば宥められるか


⑧……何故、何時の間にか謎の半分以上が身内由来になっているのか。

 二つしかなかった筈の問題が、気が付けば四倍にも増えていた。思い返すだけで花中は頭が痛くなる想いだが、頭痛に呻いていても謎は減ってくれない。一歩ずつでも前に進まなければ、ゴールには辿り着けないのだ。

 幸いにして奏哉という、頼もしい人物と知り合えた。花中としては、彼が持つ『妖精さん』に対する知識は是が非でも欲しい。花中も自身が持つ『ミュータント』の知識を用いれば、奏哉の手助けが出来るかも知れない。互いに力を貸し合えば、二人の求める『真実』に近付きやすくなる。

 かくして図書館にて花中と奏哉は、協力関係を結ぶ事となった。明日は二人でこの『事件』の調査を進める予定だ。

 その前に、確かめておきたい事が花中にはあったが。

 実のところミリオンが起こした行動によって、花中は幾つかの謎に対して推論を立てる事が出来ていた。後は検証を行い、推論が正しいか確かめる。これは一人でもやれるし……むしろ一人の方が

 そのために花中がたった一人で足を運んだのは――――フィアが襲われ、怪我をした場所。

 即ち、蛍川周辺だった。

「到着っと」

 ぴょんっとスキップを交えて、花中は川辺と住宅地の境界線……土手を沿うように走っている市道の上に立つ。

 時刻は午後五時半を回った。七月中頃だけにこの時刻になっても空には太陽が輝いていたが、その傾きは強く、昼間のような力強さはもうない。気温は僅かながら下がり、町は長く伸びた影に埋もれて頭上の青空ほどの明るさはなくなっていた。夕刻が、夜が近い事を感じさせられる。

 そして蛍川の向こう側に広がる雑木林は、木々の間から深々とした闇を覗かせていた。

 まるで深海へと続く谷底を見下ろすような、怪物の喉の奥を眺めているような――――雑木林の暗闇を見ていると、そんな気持ちが込み上がってくる。誰かと一緒ならあの中に突入する勇気を持てるかもだが……生憎今は花中一人なので、そのような逞しい気持ちは抱けない。

 それでも、側を流れる蛍川ぐらいまでは行ける。

「……さて」

 確かめるように、花中は力強く一歩目を前に出した。

 歩道を一歩はみ出した先にある下り坂の土手を、転ばないようゆっくりと、難なく踏み越える。草の茂る川岸を越えた先、雑木林の前に横たわる蛍川は、ひ弱な花中が跳び越えるには少々ハードルが高い。しかし蛍川自体も、華奢な花中を押せないほど流れが弱い。歩いてしまえば踏破可能だ。

 夏だし濡れてもちょっと気持ちいいぐらいだろうと花中は意を決し、溺れる心配のない小川に入ろうとした。

 瞬間、花中の身体が止まる。

 あたかも糸が絡まった操り人形が如く、今にも倒れそうなぐらい身体を傾かせた状態で。

 ――――どうやら、『今』は此処までしか許されていないようだ。

 身体が動かなくなった状況でそのような事を思いながら、花中は全身から力を抜いた。全てを委ねるようにだらんとしていると、今まで身体を束縛していた力が、今度は傾いたままである花中の姿勢を正す方に働く。背筋を真っ直ぐ伸ばした姿勢にまで押し戻されると、全身で感じていた力の気配は一瞬で消え去った。もう身体のどの部位も自由に動かせる。歩こうと思えば歩き出せる。

 しかし花中はその場で立ち止まり、雑木林を見つめながらじっと動かない。

 やがて雑木林の中から黒い靄が現れ、集まり……喪服のように黒い長袖ワンピースを着た少女が形作られる事を、花中は予期していたのだから。

「……危ないと思ったら、家に連れ戻すって言ったわよね?」

「言われました、けど、何処が危ない場所かは、聞いて、ないので。てっきり、此処は、場所だと、思って、ました」

 現れた少女――――ミリオンに向けて、花中はいけしゃあしゃあと答える。我ながら芸のない屁理屈だと花中自身思うが、言いくるめるつもりは端からない。ミリオンも気を悪くした様子はなく、「あー、すっかり忘れていたわぁ。常識的に考えれば分かると思っていたから」と飄々と煽り返す。

 言うまでもないが、花中はわざわざミリオンと軽口の叩き合いに来た訳ではない。

 図書館での状況から考えて、花中はミリオンの寝返った相手が奏哉の想い人……『妖精さん』であると予測していた。図書館に向かう前、花中の家でミリオンは自分も調査をすると言っており、その過程で彼女は妖精さんと接触したのだろう。そして話をする中で妖精さんに共感し、それでいて奏哉の話がなんらかの逆鱗に触れたのではないだろうか。

 それを確かめようと思い蛍川に来てみれば、思った通りミリオンが現れた。ここまで確認すれば、今更細かな話を聞く必要もない。

「……じゃあ、わたしはそろそろ、帰りますね」

「え? もう帰っちゃうの? なんでーとか、どうしてーとか、問い詰めないの?」

 なのでさっさと帰ろうと思い踵を返すと、困惑した素振りのミリオンに引き留められた。身体はそのままに、頭だけ動かして花中はミリオンを見遣る。花中は、キョトンとした表情を浮かべた。

「なんで、と、言われても……訊いても、教えてくれないと、思いますし」

「それでも訊くのが礼儀じゃない? ほら、私とはなちゃんは友達でしょ? 私、はなちゃんとの友情を裏切ってるのよ?」

「本気で、裏切られて、いたのなら、わたしはここに、居ませんよ」

 花中が淡々と答えると、ミリオンは如何にもつまらなそうに頬を膨らませる。そう不貞腐れても、花中だって困ってしまう。

 大体、ミリオンの行動自体が全ての緊張感を削いでいるのだ。

 花中の存在によって記憶を保持しているミリオンにとって、花中の生死は最重要の懸念事項である。だから妖精さんの目的が無差別殺人のような、花中が命を落とすかも知れない『真面目』な計画だった場合、彼女が妖精さんに賛同する筈がない。花中の命よりも魅力的な報酬を提示された可能性もあるが、だったら花中を生かしておく必要がなくなる。むしろ生かしていては駄目だ。自身の能力を知り尽くしている者の存在など疎ましいだけ。から殺さない事にしたとしても、監禁ぐらいはしておいた方が良い。つまりミリオンは、やるべき事を尽く怠っている訳だ。これで『本気』を感じろと言われても無理である。

 『真面目』も『本気』もないとなれば、ミリオンの寝返りは一体何を意味するのか? 難しく考える必要などない。

 つまるところ、お遊びなのだ。「今日はあっちのチームに入るわー」という軽さの。

 そう考えている花中の顔をしばし不満気に見つめていたミリオンは、やがて降参だと言わんばかりに肩を竦めた。

「全く。論理的に考える余地があると、全然はなちゃんを動揺させられないわねぇ。ぴーぴー泣いちゃうところが見られると思ったのに」

「……趣味、悪いです」

「人間から見れば、ね。まぁ、来てはくれた訳だし、手土産ぐらいは持たせときましょうか」

「手土産?」

 首を傾げる花中に、ミリオンは可愛らしく、ちょっぴり意地悪く微笑む。

「私達が欲しいのは、たった一言なの。それさえあれば、後は何もいらない。その一言を彼に言わせるために、私達は協力している。尤も、私と『彼女』が求めている言葉は異なるんだけどね」

 そして意味深な言葉を残して、その身体を霧散させた。反射的にミリオンの言葉を復唱しようとしていた花中は、そのままポカンと口を開けっぱなしにしてしまう。

 しばらくして我にかえった花中は慌てて口を閉じ、マヌケな表情を曝してしまった気恥ずかしさで顔を俯かせる。が、すぐに顔を振りかぶり、ぺちんと自らの頬を両手で叩いた。甘酸っぱいリンゴのように赤くなった顔に、もう羞恥心は残っていない。

「……今度は、そうやって困らせる気ですか」

 小さく、掠れた声でぼやいた花中は今度こそ踵を返す。

 しかしその時の花中の顔は、羞恥の尾を引き摺ったものでも、不満でいっぱいのものでもない。

 それは、ちょっと楽しげな笑顔。

 だったらご希望通り困る訳にはいきませんね……今にもそう言ってしまいそうな口を指で軽く押さえながら、花中は蛍川を後にして――――




「やっと帰ってきましたかもう今まで一体何処を渡り歩いていたと言うのですかっ!」

 すっかり上機嫌だったので、自宅にて療養中の友人にこうして問い詰められる可能性が頭からすっぽり抜けてしまっていた。

 家に無事辿り着き、普段の流れでリビングに入った途端の洗礼に、花中はおどおどしながら後退り。それからゆっくりと、リビングの中心に置かれている水槽に目を向けた。

 そこには相変わらず水槽の底で横たわり、口をパクパクと活発に開閉している『フナ』の姿が。

 出掛ける前と変わり映えしない友人の姿にホッとしたのも束の間、花中は目の前のフナ……フィアが発している怒気らしきものをうっすらと感じ取り、更にもう一歩後退りした。

「ふぃ、フィアちゃん、怒ってる……?」

「当然です! 何時の間にか居なくなっただけでなくこんな遅くまで帰ってこないなんてミリオンから出掛けたと伝えられていなければ探しに行っていたところですしあと十分も帰りが遅ければやはり探しに行こうと思っていたのですよ!?」

 恐る恐る尋ねた、瞬間にぶつけられるマシンガントーク。饒舌なのは良いがあまりにも高速過ぎて、普段からフィアの早口言葉に慣れている花中でもいくつかの単語を聞き逃してしまう。

 ただ、自分の身を心配してくれていた気持ちだけは、しっかりと胸に打ち込まれて。

「……ごめん、なさい」

 考えるよりも先に、花中の口からは謝罪の言葉が出ていた。

 謝ってくれればそれで良いのか、フィアは満足げに何度も頷く。瞼すらない魚の顔に満足げも何もないだろうが、花中の目にはそう映った。

「ところで何処で何をしていたのですか?」

 そうして衝動を満たしてから、フィアはようやく理性的に振る舞いながら問い掛けてきた。なんとも素早い気持ちの切り換えに、花中はちょっと苦笑い。とはいえ、元々その件について話すつもりではあった。向こうから訊いてくれるのなら、こちらとしても話しやすい。

「えっとね、実は……」

 花中は世間話のように、フィアの質問に答えた。

 尤も全てを明け透けなく打ち明けた訳ではない。目的 ― つまり、フィアを傷付けた『モノ』の正体と理由を突き止める事 ― については包み隠さず話したが、奏哉については雑木林で自分を人間である事は伏せ、ミリオンの『裏切り』については全く触れないでおいた。

 言うまでもないが、フィアの事は信用している。心配してくれている気持ちは痛いほど伝わり、嬉しく思っている。

 しかし、如何せん彼女は……『野性的』としか言いようがないぐらい感情に素直だ。

「全く花中さんは相変わらずあまっちょろい。理由なんて聞かなくても叩き潰せば良いだけでしょうに」

 『自分を襲ったモノ』に対する殺意を隠そうともしない彼女に奏哉やミリオンの事を話せば、火に油を注ぐ……いや、池にナトリウムの塊を投げ入れるようなものなのは、二ヶ月も一緒に暮らしていれば容易に察せられた。

「もうっ。フィアちゃんは、何時もそうやって、暴力で、解決しようと、するんだから」

「なんでも話し合いで解決出来るのなら今頃人間同士の争いなんてないと思いますけどね。ましてやなんなのかすら分からない存在相手に対話の可能性を探るなど時間の無駄ではありませんか?」

「むぅー……!」

 頬を膨らませ、花中は不満を露わにする。否定したい、そんな訳ない……そう叫びたい。

 けれども今は、フィアの言葉を否定する証拠がない。むしろいきなり攻撃され、危うく死ぬところだったフィアの言葉の方が遙かに説得力を持っている。ここで何を言っても感情論……ただのワガママだ。

「まぁそんな訳ですから花中さんは大人しく私が復帰するのを待っていてください次は圧倒的物量で押し潰しぃででででッ!?」

 幸い、フィアが戦線復帰するのはまだ当分先のようなので、じっくりと対話の可能性を探れるだろう。

 痛みでのたうつフィアを見て、安堵と共に胸の痛みを覚えた花中は水槽のすぐ傍まで歩み寄る。息苦しそうにエラを動かす友達の姿を間近で見たら、安堵の気持ちの方はすぐに飛んでいってしまった。

「あぁもう……まだ、怪我が治って、ないんだから、無理しちゃ、ダメだよ」

「ぐぬぅぅぅ……!」

「それに、フィアちゃんは、自分が『何』にやられたか、分かってるの? 炎と水なら、相性は良さそうだけど、それだけじゃ、ないと、思うよ」

「炎?」

 キョトンとした様子の、フィアの反応。もう忘れてしまったのか、物量で押し潰すつもりだから気にも留めていなかったのか……どちらもあり得そうで、花中は肩を落としながらため息を吐いた。

「忘れちゃったの? 蛍川で、見たでしょ」

「蛍川でと言われましてもいっだだだだだ!?」

「……あまり、お喋りしない方が、良さそうだね」

 興奮がいけないのか、はたまた早口がいけないのか。事実はどうあれそう結論付けた花中は、話を打ち切るべく一旦フィアから離れようと立ち上がる。と、水槽内のフィアが、なんとなく物悲しそうに見つめてきた。

 まるで、行かないで、と訴えるかのよう。

 花中の離れようとする足は止まってしまう。怪我をしている友人からの『頼み』。叶えてあげたいし、元を辿れば自分の責任なのだから償いたい。

 しかし話をしてもフィアの治りは良くならない。いや、身体への負担を思えば悪化する可能性もある。例えその方が『時間稼ぎ』になるとしても、花中には苦しむ友達の姿を延々と見続けるなんて耐えられない。

「怪我が、良くなったら、たくさんお話し、したいから。だから、今は休んで、早く治ってね?」

 精一杯の強がりな笑顔を浮かべて花中はフィアを励まし、振りきるようにその場を後にした。

 水槽の中で首を傾げている、フィアの姿を見ぬままに……




 それからやらなければならない家事を済ませ、日課の勉強をこなし、何時も通りの時間に就寝して……そして迎えた、翌朝七時五十五分。

「それじゃあ、行ってくるけど、約束、ちゃんと覚えてる?」

 半袖のブラウスを身に纏い、片手に通学鞄を持った花中は、リビングにてフィアに向けてそう言った。

 相変わらず水槽の中で横になっている魚姿のフィアは、片ヒレをパタパタ動かしながら返事をする。

「勿論です。興奮すると身体を痛めるからテレビとゲームは禁止でしょう? しかし人間が怪我をしてもテレビぐらいは見ていると思うのですが」

「人間は、テレビを見ても、フィアちゃんほど、盛り上がらないの。フィアちゃん、アクション映画とか、見てる時、すごく、動いてるじゃん」

 不平を漏らすフィアを、花中はビシッと窘める。どうもフィアは自分が怪我人であるという自覚が薄く、何かやらかして怪我を悪化させそうな気がしてならない。こう言い付けておかねば、花中は学校に安心して行けそうになかった。

 とはいえ、一晩寝ただけでフィアの体調は随分と回復したらしい。動くのはまだ無理なようだが、お喋りぐらいなら痛みに悶える事はなくなっていた。ミリオンの応急手当が適切だったのもあるだろう。花中の素人診断ではあるが、数日も大人しくしていれば普段通りの生活に戻れそうである。

 ……フィアの事だ。体調が万全になった途端、自分に怪我を負わせた相手に『お返し』をしに行くだろう。昨日語っていた圧倒的な物量……山をも支配する膨大な水量を用いて。勝敗は兎も角、ミュータント同士の『ケンカ』だ。周囲一帯が壊滅するほどの激戦が繰り広げられるのは容易に想像出来る。場所は勿論、妖精さんが住まう蛍川――――が側に流れている住宅地で。

 あらゆる意味で最悪な事態だ。それだけはなんとしてでも避けねばならない。

 そのためにも……

「それから、もう一つの、約束だけど」

「妖精さんとやらと友達になれたら仕返しなんて止めてくれでしょう? 花中さんの友達となれば潰す訳にもいきませんからね多少の小言ぐらいで勘弁してやりますよ。無論友達になれたらですけど」

 言おうとした言葉を煽るように先に言われ、花中は唇を噛みながら頷いた。

 今朝交わした、大切な約束。もし自分が妖精さんと友達になれたら、彼女と仲直りしてほしい。

 フィアは出来る訳がないと思っているのか、あっさりと約束してくれた。妖精さんと関わる事の危険性については「ミリオンさんが居るから大丈夫」と言ったら、不服そうにだが納得してくれた。ここまでは想定通り。

 後は、妖精さんと話をするだけ。

 しかしタイムリミットはフィアが全快するまでの数日間。奇しくも奏哉がもらった一週間の休暇は既に二日消化しており、飛行機の時間を考慮すれば残りは精々四日……つまりはこちらも数日。ダブっているのは面倒がなくて良いが、延長不可能な期限が重なっている心労の方が大きい。昨日一日で大きく進展したとはいえ、今日も同じだけ進展するとは限らないのだ。その上平日は学校があるので夕方からでないと動けない。

 間に合うだろうか?

 ……違う。間に合うかどうかではなく、間に合わせる。

「それじゃあ、今日も調べてくるから、帰りは、昨日と同じぐらいに、なるよ」

「りょーかいです。物好きな事だとは思いますがまぁ何をやるかは花中さんの自由ですしやるだけやってみれば良いんじゃないですかね。代わりに私も好きにやらせてもらいますが」

「……うんっ」

 呆れ気味なフィアの言葉に、花中は満開の桜のような笑みと共に返事をする。

 どうして全然意見が合わないのに、あの子の言葉は何時も自分の背中を押してくれるのだろう?

 先程までの不安は何処へやら。足取り軽く、花中はリビングを出て玄関に向かう。

 自分の望む結末を目指し、自分のやりたい事をやるために――――

 ……………

 ………

 …

「あーあー暇ですねぇー」

 主の居なくなった家で、フィアは大きな声で独りごちた。

 今日は一匹でお留守番。

 花中と出会ってから、フィアは殆どの時間を花中と一緒に過ごしていた。学校は共に通い、休み時間の度に教室へ出向いてお喋りをする。買い物にも同行し、気分転換の散歩にだって付き合う。回覧板を隣の家に届ける程度の些末な用事は流石に一緒には行かなかったが、それを留守番とは言うまい。今日のように何時間も花中と一緒に居られないのは、花中と出会って以来初めての経験である。

 しかもゲームはダメ、テレビもダメ。一体どうやって暇を潰せと言うのか。

 いっそ泥棒でもやってこないだろうか、水で縛り上げて話し相手に出来るのに。テレビから幽霊が出てこないだろうか、捕まえておけば帰ってきた花中をビックリさせる楽しみが生まれるのに。

 あの汚らわしい病原体でも、話し相手にはなれる分この忌々しい退屈よりかはマシなのでは――――

「かぁーなかー、まだ居るー?」

 物思いに耽っていたところ庭に繋がる窓の方から、コンコン叩く音と花中を呼ぶ声が聞こえた。

 フィアの身体が向いているのは今し方花中が出ていた、玄関へと繋がる扉。音と声が聞こえた窓は、リビングの間取り的に丁度その反対側にある。退屈だったフィアは能力で周りの水を操り、ふわりと窓の方に振り返った。

 窓の外に居たのは、小さな黒猫が一匹。

「あ、フィアだ。やっほー」

 その黒猫は目が合うや気さくに話し掛けてきたので、ミィである事にフィアは気付いた。

 フィアは能力を使って水槽内の水を操り、一本の触手を作って伸ばす。目指すは窓の鍵。身体に響くのであまり強い力は使えないが、鍵を開けるぐらいは造作もない。窓はカラカラと音を鳴らして開き、猫と魚の間を妨げるものはなくなった。

「おやおや野良猫じゃありませんか。久方ぶりですね」

「だねー。兄さんの時以来だから、一月ぶり? ところで今日は人間の格好はしてないんだね」

「……そういう時もありますよ。それより何か用ですか? 花中さんでしたら少し前に学校に行ってしまいましたが」

「あ、そうなの? うーん、すれ違っちゃったか……追い駆ける、ほどの事でもないしなぁ」

 猫のくせして、困ったように腕を組んで唸るミィ。何か悩みがあるのかな、自分でも力になれるかな……なんて親切心は微塵も湧かないフィアだったが、しかし話をすれば暇潰しぐらいにはなりそうだと判断。自分本意故に、フィアはミィに詳しく尋ねてみる事にした。

「私で良ければ要件ぐらいは聞きますけど」

「ん? いや、要件ってほどじゃないけど、ちょっと借りたい物があって」

「借りたい物?」

「パソコン。ネット使いたいから」

 ミィの答えを聞き、フィアは顔を顰める。予想外の代物だったので怪訝に感じたのもあるが、何より自分には上手く扱えない『ぱそこん』に苦手意識があったので。

「……あなた『ぱそこん』を使えるのですか? あんなにボタンがたくさんあるのに」

「ボタン? 別に、普通に使うのって起動ボタンぐらいじゃん」

「いやいやたくさん使うでしょう。花中さんもミリオンもなんかカチャカチャと押しまくってましたよ」

「……それってキーボードの事? どんだけ機械オンチなのさ、アンタ」

「どうも機械とは相性が悪いんです。ゲームも遊ぶぐらいなら出来ますけど起動の仕方はいまいち覚えられないですし覚えてちゃんとやってるつもりなのに変な動きをしますし」

「あー、確かに相性悪そうだよね。アンタ水属性だし」

 妙な説得力を持ったミィの言葉に、なんとなく否定したい衝動に駆られてフィアはムッとなる。が、魚の表情を猫が読み取れる道理もない。

 押し黙ったようにしか見えないフィアを前にミィは首を傾げたので、フィアは渋々話を戻す事にした。

「まぁそれは良いでしょう。しかしどうしてまた花中さんから『ぱそこん』を借りたいのです? 『ぱそこん』なら図書館でもタダで使えると聞いた事があるのですが」

「使ったよ、昨日。でもあーいうところはセキュリティの関係で見られないサイトが多くてさぁ。フラッシュゲームとかやってみたいのに、そういうのは全部弾かれる。だから普通の、何処にでも繋げられるパソコンを使いたいの」

「……………はぁ。そうですか」

 フィアの口から出るのは、曖昧で適当な返事。正直『ぱそこん』自体よく分からないのに、『せきゅりてぃ』や『さいと』とか言われてもフィアにはちんぷんかんぷんである。ただ、どうしても花中の『ぱそこん』を使いたい、花中の『ぱそこん』でないとダメだというのは理解出来た。

 無論答えはNOである。花中の私物を花中の許可なく使わせたら、留守を任された自分の立つ瀬がない。

 だが――――

「……一つ条件を飲んでくれたらこっそり使わせてあげますよ」

 フィアの口から出たのは、考えとは真逆の言葉。

 フィアの胸の内など知る由もないミィは、コテンと首を傾げる。

「条件? なんか胡散臭いなぁ。無理難題突き付けて意地悪するつもりじゃないよね?」

「失敬な。あなたは私をなんだと思っているのですか。大して難しい頼みではありませんよ。少なくともあなたにとっては」

「どうだか」

 訝しげにこちらを見つめるミィだったが、フィアは自信を崩さない。

 確かに何が簡単で何が難しいかは、種族によって全く異なる。ましてやフィアは、ミィの得手不得手をさして把握していない。けれども今回に限れば、ミィにとって間違いなく簡単な話……

 だからフィアはニタリと嬉しそうに笑い、

「ちょっと調べてほしいだけですよ。私には上手く扱えない『いんたーねっと』を使ってね」

 その笑顔を識別出来ないミィに、胡散臭いほど簡単な頼み事をするのだった。

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