彼女は生き物に好かれやすい

彼岸花

第一章 ファースト・フレンズ

開幕零ノ一

 彼女は泣いていた。

 自分一人しか居ない家の中でぐすぐすと、ふかふかのベッドに顔を埋めて嗚咽を漏らす。彼女の身形はパジャマ姿で、部屋の電気も消している。外は月と星が空を彩る夜まっただ中。虫の音もない静かな世界に、自分の泣き声だけが五月蝿く喚いている。

 しばらくして上げた彼女の顔は、瞳を潤ませ、暗闇の中でも分かるぐらい赤くなっていた。

「ぐすっ……わたし、なんて……どうせ……」

 ベッドでも顔を上げた途端、彼女の口から出てきたのは卑屈な言葉。それをハッキリと自らの耳で聞いた彼女は、跳び込むように再びベッドに顔を埋めた。そして埋めたままの顔を横に振る。

 自分の口が、これ以上余計な事を言えないように。言ってしまった言葉が、現実になるのを恐れるように。

 ベッドの上で暴れる事、ほんの数秒。先程以上に顔は赤くなったが、もう瞳は潤んでいない。

「明日は……明日こそは、友達を、作るんだから……!」

 彼女は決意を言葉にして、三度ベッドに顔を埋める。

 すぐにでも眠りに落ちる事を願いながら。

 言葉にした決意が挫ける前に、明日がやってくるのを望みながら――――







 彼女は跳ねていた。

 そわそわとした感覚が身体の中を渦巻いている。落ち着かない。もう辺りは暗く、普段なら眠たくて仕方ない頃なのに、意識がハッキリしたまま。どうすればこの感覚が消えるのか分からず、駆け巡る衝動に従って身体を動かしてしまう。そうするとますます目が冴えてしまうのだが、それでも跳ね回るのを止められない。

 例えるなら、予感。

 だけど嫌な感じではない。

 彼女は跳ね続ける。その予感が現実になる瞬間を待ちわびて。真夜中の演舞に寝惚け眼な同胞達は迷惑そうにしていたが、彼女は気にも留めない。

 何分彼女に他者の感情を汲み取る能力などないし、必要もない。同胞達も自身が抱く不快さを正確に伝える術を持たないし、伝えるという概念さえも持たない。誰も、彼女の邪魔をしない。

 彼女は跳ね続ける。

 自らの衝動と、『歓喜』の予感に悶えながら。

 鬱蒼と茂る森の中に置かれた小さな池で、星と月だけに照らされながら――――













 彼女達は知らない。


 自分達の内に秘めた、力の大きさを。


 その力はお互いに引き合い、出会い、合わさり……


 大きくなって、周りのものも引き寄せる。


 さながら二つの恒星が連星となり、


 重力によって塵芥を吸い寄せ、巨大な星系を創り出すように。


 虚空の世界を鮮やかに彩る事すら出来てしまう。


 そんな特別な力を、自分達は持っているのだと。







 だけど――――
















 彼女は眺めていた。

 彼女の視線の先にあるのは、宵闇の中に佇む学校。夜分遅く故もう人は居ないのか、校舎の窓から漏れ出る明かりはない。学校の傍にはすっかり寝静まった住宅地があり、敷地をぐるりと囲っている道路には街灯が幾つも並んでいるが、照らすのはあくまで道路であり、グラウンドの奥にある校舎までは届かない。月明かりは降り注いでいるが、街灯の明かりに満ちている住宅地側からでは自然の繊細な光の濃淡など分からなくなっていた。

 ハッキリ言って、いくら目を凝らしたところで建物の輪郭ぐらいしか見えないだろう。

 されど彼女は気にも留めず、じっと校舎を眺める。微笑みまで浮かべながら。

「うーん、この辺りなのは間違いないのだけれど……流石にもう居ないわよねぇ。明日の朝まで待たないと駄目かしら」

 面倒そうにぼやくと彼女は頬に手を当て、さてどうしたものかと考え込む。

「へーい、お姉さん。こんな夜遅くにどうしたのー?」

「こんな時間に一人じゃ危ないぜ?」

 そうしていたところ、背後から声を掛けられた。

 彼女が振り向けば、そこには男が二人居た。どちらの男も髪を茶色く染めていて、ピアスやネックレスを付けている。服装も清廉とは言い難い派手なもので、所謂軟派な印象の人物達だ。

 人気のない場所ではあまり会いたくない風貌であり、ましてや夜中となれば警戒するのも無理ない相手。浮かべている笑みも下卑な印象で、下心を感じずにはいられない。

 普通の少女なら、大半がこの場からそそくさと逃げ出すだろう。

「ちょっと探し物をしていたの。まぁ、見付からないからもう帰ろうかなって思っていたけど」

 しかし彼女は臆するどころか笑みを崩さず、淡々と男達からの問いに答える。

 男の一人は上機嫌な口笛を吹き、煽るように話し始めた。

「そりゃあ、いけねぇなぁ。こんな夜更けじゃ女一人は危ないぜ? 俺達が家まで送っていってやるよ」

「あら、見ず知らずの他人相手に随分と親切にしてくれるのね。でも今の住処は此処からだとちょっと遠いし、一人で大丈夫だから遠慮しとくわ。それじゃあね」

 男からの誘いをあっさりと蹴り、彼女は手を振って別れを告げる。

「おっと、そう言わないでさぁっ!」

 すると男の一人が彼女の右腕を突然掴み、

 次の瞬間、彼女はでその男の顔面を鷲掴みにした。

「……えっ……お、俺、さっき掴んで……?」

「おい! テメェ何してやがる!?」

 顔面を掴まれ呆然とする男だったが、もう一人の男は即座に威嚇してくる。先程までと打って変わり、目付きは鋭く、声は茨のように敵意で満ちている。本性を表したようだ。

「丁度良いわ。まさかとは思うけど、もしかしたらって事もあるかも知れないし」

 されど彼女は怯まず、微笑みも消さずにそうぼやき、

 ――――ぞりぞりぞりぞりぞり

 そんな音が、彼女が掴んでいる男の顔から鳴った。

「ぎ、ャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 次いで絶叫。

 彼女が手を離すのと同時に男は倒れ、自身の顔面を両手で抑えながら転がり回る。相方の異様な様子にもう一人の男は先程までの威勢の良さをすっかり失い、顔を青くしていた。

「お、おい……ど、どうした……?」

 それでも、仲間の身が心配だったのか。恐る恐る男は、何時までももがき苦しむ男の顔を覗き込んだ。

 そして彼は目の当たりにする。

 仲間の男の、肉が抉り取られた顔を。

 片方の眼球が削られ、頬骨の一部がむき出しとなった、腐乱死体が如くおぞましき姿を。

「ひ、ひぃぃ!?」

 一瞬で変わり果ててしまった仲間の姿を前にして、男は尻餅を撞く。

 何があったのか。何をされたのか。男達には分からない。

「本当は髪の毛一本で十分なんだけど、サンプルは多いに越した事はないからねぇ。新鮮さも大事だし。これなら一時間ぐらいで解析は済むかしら」

 それでも、右手をべっとりと濡らしながら微笑む彼女が、どのような存在なのかは察しただろう。

「ひ、ひぃぃぃ!? だ、誰か助け……!」

 無事だった方の男は助けを求め、大声を上げようとした。

 が、その声は途中で止まってしまう。痛みに悶え苦しんでいたもう片方の男も黙りこくる。

 まるで何かを詰め込まれたように、二人の口からは渇いた吐息しか出なくなっていたのだから。

「……っ!? ……! っ! ……!?」

「ごめんなさいね。騒ぎになると面倒臭いから、ちょっと口を塞がせてもらったわ」

 ジタバタともがく男二人を見下ろしながら、彼女は優しく語り掛ける。

 その優しさが全てを物語る。自身が、この異常事態の元凶であると。

 超常現象を前に、男達は震え上がった。自分達が話し掛けてしまった相手がどんな存在なのか、それを理解して慄き怯えた。猫を前にしたネズミのように。

 しかしが動かない獲物を前にしたらどうなるか。

「大丈夫よ、死にはしないわ。ただ顔面の肉を一割ぐらい削ぐだけだから、ね?」

 彼女は笑う。能面のように、先程から微動だもしない微笑みを浮かべて。

 そして男達の悲鳴は――――上がらなかった。












「うーん、アイツらは違ったわねぇ。ま、最初から期待なんてしてなかったけど」




 彼女だけが知っている。自分達の内に宿る力の強さを。




「やっぱりあの学校の生徒かしら。騒ぎになって逃げられたら困るから、さっきの奴等みたいに顔面の肉を削ぐ訳にもいかないわよねぇ」




 彼女だけが求めている。『彼女』の力を。




「仕方ない。時間は掛かるけど毛髪で鑑定しましょ。面倒だけど、それだって十時間も掛からないし」




 恒星の重力は、凶星をも呼び寄せる。




「待ってなさい。見付け次第……血の一滴、細胞の一片も残さず、搾り取ってあげるんだから」




 狂気を孕んだ災厄が、『彼女』に歩み寄ろうとしていた……

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