030 太ったおじさん『イーレカワ・ラ・レーテル』

 俺とシャンズは走って移動した。眠っている黒ずきんさんと、知らないおじさんをお姫様抱っこしたままである。

 スーツ太郎の案内で洞窟内を進み、無事に杏太郎たちと合流することができた。

 俺たちの姿を目にすると、金髪の美少年は笑顔を浮かべて言った。


「とりあえず、魔物が入ってくることのできない例の泉まで移動しよう」


 話は後回しである。セーブポイントみたいなあの場所まで、全員で向かうことにした。

 途中、金属アレルギーのギーガイルの身を隠した場所を通過する。

 黒ずきんさんも無事に救出できたことだし、このタイミングであの魔物を解放してやらなければいけないだろう。


 女剣士が、魔物の手足を縛っていたロープを切ってくれた。右手のロープは握りしめている金貨を落とさないようにと縛ったものだったので、そこだけは切らずに残しておく。

 魔物はまだ気絶しているようだ。俺たちの存在には気がついていないと思う。


 金属アレルギーの魔物をその場に残して移動を再開すると、小さなほこらが見えた。

 泉のある場所に、たどりついたのである。

 ここは神聖な場所なので、魔物は入ってくることができない。ゲームだったらダンジョン内のセーブポイントみたいな場所だ。


 シャンズはお姫様抱っこしていた黒ずきんさんを下ろす。手頃なサイズの岩があったので、そこを背もたれのようにして彼女を地面に座らせた。

 すると、黒ずきんさんは目を覚ましたようだ。

 彼女の小さな声が聞こえてくる。


「ん……んんっ……み、水が飲みたい」


 眠る泥の効果がまだ抜けきっていないみたいだ。黒ずきんさんは身体を動かすことが難しそうだった。

 泉のんだ美しいき水を、シャンズが水筒ですくう。それから、黒ずきんさんの可愛らしい口に水筒を当てると、ゆっくりと飲ませてやる。


 俺もお姫様抱っこしていた知らないおじさんを下ろした。手頃なサイズの岩があったので、そこを背もたれのようにしておじさんを地面に座らせた。

 すると、おじさんは目を覚ましたようだ。おじさんの小さな声が聞こえてくる。


「ん……んんっ……み、水をくれ」


 美しい湧き水を、俺は水筒ですくう。それから、おじさんの口に水筒を当ててゆっくりと飲ませてやった。おじさんの口ひげが湿って、岩海苔いわのりみたいにキラキラと輝いた。

 なんとなくだけど、この水筒はもうおじさんに差し上げようと思った。彼がいらないと言ったら、この水筒は捨てよう。


 水を飲むと、二人は完全に目を覚ました。

 知らないおじさんが、俺たちに言った。


「みなさん、助けてくれてありがとうございます。ワタシの名前は、『イーレカワ・ラ・レーテル』です。このすぐ近くの町で町長をしております」


 このおじさん……あの町の町長なのかよ。

 町長が魔物に誘拐されているわりに、町ではそれほど大騒ぎになっていなかったけれど……。

 イーレカワおじさんは、話を続けた。


「ワタシが魔物たちに誘拐されたのは、もう半年以上前でしたかね。ワタシが町で唯一『泥属性』の魔法が使える人間だったからでしょう」


 俺はおじさんに尋ねる。


「もしかして、ギーガイルたちの卵を孵化ふかさせる役目を押し付けられていたのですか?」

「ええ、そうです。『魔物の卵が沈んでいる泥』の温度調整を任されていましてね」

「温度調整を?」

「はい。泥属性の魔法と温度計を使うんですよ」


 あれ……? 俺が元いた世界だと、温度計ってこれくらいの文化レベルの世界で存在していたのだろうか?

 温度計ってどれくらいの時代に発明されたんだ?


 まあ、ここは異世界なんだからマジメに考えても仕方ないか。

 そもそも魔法が存在する世界だし、俺が元いた世界と同じようなスピードで文明が発達してきたわけでもないだろう。

 杏太郎なんか、魔法を利用してこの異世界ですでに携帯電話を作り出しやがったしな。


 イーレカワおじさんが、温度の話を詳しく教えてくれる。


「ギーガイルの卵なんですがね。半年に一度の周期で、孵化する時期がくるんですよ。そのときに周囲の泥の温度が28度以上だとメスが生まれるんです。27度以下だとオスが生まれる。27度から28度の間ですと、オスとメスが半々くらいだそうですよ」


 なんか……ウミガメの産卵とかで、そんな話がありませんでしたっけ?

 ○○度以上だとメスが生まれて、○○度以下だとオスが生まれるとか……。

 ギーガイルもそうなの?

 あと、この異世界の28度って、俺が元いた世界の28度と同じなんだろうか?


「ギーガイルたちは、10年ほど前にどこかからやって来て、この洞窟に住み着いたみたいでしてね。ただ、この洞窟の泥は自然のままでは28度以上にはならんのです。だから10年間、ギーガイルはすべてオスばかり生まれていたみたいですね」


 10年間オスばかり生まれる……。

 ぞっとする話だぜ。


「それで、半年前の孵化の時期に、町で唯一の『泥属性』のワタシが誘拐されました。『頼むから泥を28度以上にしてくれ……オレたちはもう10年以上もメスを待ち望んでいるんだ。ガー! ガー!』とギーガイルたちに泣きつかれましてね」

「なんか……ちょっとギーガイルに同情しちゃいますね。このままメスが生まれないと、いずれ絶滅ですからね」


 俺の言葉に、おじさんはにっこりしてうなずく。


「はい。ただですねえ、半年前の卵が孵化する当日に、ワタシは風邪をひいてしまいまして。泥の温度を上手く上げられませんでした」

「じゃあ、半年前もオスばかりが?」

「ふふっ。まあ、救出された今だから言いますけどね。実は風邪をひいたってのは嘘なんですよ」

「えっ……」

「誘拐されたことに腹が立ったんで、風邪をひいたから泥魔法が上手く使えないって……そんな嘘をついてやったんです。もちろん半年前の孵化でもオスばかり生まれましたよ。ざまあみろですね。ふふふっ、ウェルカム、オスばかりの世界!」


 エグい……。

 このイーレカワおじさん、やることがエグいぜ。


「それからギーガイルたちは、ワタシが病気になることを恐れるようになりましてね。とにかく栄養のあるものをワタシに食べさせようと、食事をきちんと一日三食用意してくれました」

「へえ。だから、魔物に捕まっていたわりにはせていないんですね」

「はい。むしろ誘拐される前よりもずいぶん太りましたよ。ただ、食事は毎日三食、ピザばかりでしたがね、わははっ」


 この異世界にも、ピザがあるんだ……。

 俺が元いた世界と同じピザだろうか?


「最初にワタシが自分の好物はピザだって魔物たちに伝えたんです。そうしたら、食事当番の魔物が、わざわざ町のピザ屋に買いに行って、独房に届けてくれるようになったんですよ。あれは、人間に変装して町まで買いに行っているのかなあ?」


 ピザがもし、俺が想像している通りのあのピザならば?

 毎日三食、デリバリーのピザを食べていたら、そんな体格にもなるかもしれないな。

 俺はイーレカワおじさんに尋ねた。


「そういえば、ゴーレム使いなんですよね? この泥人形を俺たちは『カトレア』って呼んでいるんですけど、お作りになられたのはイーレカワさんですか?」


 俺はコンチータのポシェットに入っている小さな泥人形を指差す。


「んっ……カトレア? ああ、『ミックスピザ8号』のことですか」

「えっ? ミックスピザ8号?」

「ええ。夕食にミックスピザを食べた日に作り出した8体目の泥人形ですね。だから、『ミックスピザ8号』です」

「そんな名前なんですか……」

「はい。外に助けを呼ぼうとワタシは何度か泥人形を作っては送り出していたのですがね。一度も上手くいったことがないようでして」


大輪たいりんの花を咲かせるカトレア』を連想させる美しさを持った泥人形――ということで、スーツ太郎が『カトレア』と名付けた泥人形だった。けれど、別に本名があったようだ。

『ミックスピザ8号』が、彼女の本名である。


「ワタシは『泥属性のゴーレム使い』としてはあまり実力がありません。せいぜいそんな小さな泥人形しか作れませんよ。きっとそこのお嬢さんの方が、実力は上じゃないかな? だから、ワタシの代わりに泥の温度調整をさせようと誘拐されてしまったのかもしれませんね? わははっ!」


 イーレカワおじさんは黒ずきんさんの方を見ながら、大きなお腹を揺らして笑い声をあげた。

 俺は他にも気になっていたことを尋ねる。


「そういえば、洞窟の独房で首から下を泥に埋められているギーガイルを見かけたんですけど……あの魔物はいったい何をしていたんですか?」

「ああ、そこはきっと懲罰房ちょうばつぼうですね」

「懲罰房? あの魔物は、何か罰を受けていたってことですか?」


 おじさんは、ほっぺたの肉を揺らしながらうなずく。


「ええ。ギーガイルは罰を受けるとき、首から下を泥の中に埋められるんです。『卵のときのまっ白な自分を思い出せ』という意味の罰らしいですよ。泥に沈められていた卵時代の自分に戻れってことですね」

「そういえば、あなたの町にも似たような罰がありますか?」

「――と言いますと?」

「町の入口で首から下を砂地に埋められていた男がいたんですよ。あれも罰を受けていたんでしょうか?」

「首から下を砂地に埋める? 変ですね。ワタシの町に、そんな懲罰をする風習はありませんよ? そんな罰、まるでここの魔物みたいじゃないですか」


 俺は埋められていた男の特徴とくちょうをおじさんに伝えた。


「長い黒髪がボサボサ? もしかすると、ワタシの息子かもしれませんね。ワタシの町では結婚前の男は、結婚式の前日に散髪するという風習があるからです。婚約こんやくが決まったときから髪を伸ばしはじめるのですよ」

「あれは、あなたの息子さんでしたか。あんな首から下が埋まっている状況なのに、俺たちに元気よくあいさつをしてくれたんです」

「はい。町長の息子ですので、どんなときにも町の外からやってきた旅の人には元気にあいさつするよう教育しています」


 ……だからあの男は、あんな状況でも元気にあいさつをしてきたのか。


「しかし彼は『父親に逆らったから埋められている』と言っていましたけど……」

「んっ? それは変ですね。父親のワタシはここにいるのに……。旅の人たち、町で他に変なことはありませんでしたか?」

「そう言えば、町で中止になった結婚式があったらしいですよ。それで、不必要になった50万ゴールドのウェディングドレスを、俺たちの仲間が10万ゴールドで買ったんです」


 ドレスを売ってくれた家の住人の特徴などを、女剣士がおじさんに詳しく説明した。


「ああ。あなたがドレスを購入なさった家は、ワタシの息子の結婚相手がドレスを注文していた家ですね。そうか……息子の結婚式はワタシが誘拐されている間に中止になってしまったのか」


 イーレカワおじさんは、たぷんたぷんの自分のアゴの下に手を当てると、眉間みけんにシワを寄せて話を続ける。


「もしかすると、魔物たちの手によってワタシのニセモノが、町に送り込まれているのかもしれません。魔物がワタシに变化へんげして、町で町長として暮らしているとか?」

「あなたのニセモノが?」

「はい。首から下を地面に埋めたりするのは、ここの魔物の風習みたいですし。結婚を中止にしたのも、『オスとメスがいちゃいちゃしていることに魔物が嫉妬したから』とか? ほら、あいつら10年もメスが生まれていないから、幸せな結婚に嫉妬して妨害とかしていそうじゃないですか、わははははっ」


 イーレカワおじさんは、大きなお腹をゆらしながら大笑いした。

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