第175話 クリスマスイブ3
「……なにやってんの、流花」
ききぃー、と自転車のブレーキ音が鳴り、続いてお姉ちゃんの声がした。
私は慌ててネックウォーマーを引き下げ、飛びすさる。
「な、ななななななな、なんにもっ! なんにもしてないしっ」
ぶんぶんと首を横に振っていると、自転車にまたがったまま、「ふぅん」と目を細める。なんか、大型バイクに乗った外国の悪役俳優のようだ。
「律君、来てたでしょう」
そんなことをいきなり言うから、「ひうっ」と音を立てて息を呑む。
見られた!? 見てた!?
「それ、クリスマスプレゼントなんじゃないの?」
綺麗にマニキュアの塗られた指で私の手が握る紙袋を指さす。
「………そ、う」
私は、ぎこちなく頷いた。そう。これは、にゃんからもらった……。なんだっけ。なんか言ってたな。ちょっとよく覚えてないけど。
「警察官の採用試験、受かったんだって。その報告を兼ねて」
「あ。良かったね。受かったんだー。おめでとう」
お姉ちゃんは目を大きく見開き、それからにっこり笑ってそう言ってくれたから、私もうれしくなる。
「本当だよ。良かったぁ」
「で。もらったの、それだけ?」
お姉ちゃんは、自転車のサドルに跨ったまま、足で地面を交互に蹴りながら近づいてくる。わっるい顔をしていた。彼氏さんに見せられないような、邪悪な笑み。
「それだけ!! これだけ!!」
真っ赤になって私が応じると、「ふぅん」とまた、じろじろ私を見る。視線が非常に居心地悪く、またネックウォーマーですっぽり顔を隠したい衝動に襲われたとき。
スマホが、鳴った。
「おやおやぁ。律君かなー」
お姉ちゃんが笑いながら、私から離れ、自転車から降りた。「うるさいなぁ、もうっ」。門の中に自転車を引き入れるその背中に怒鳴りつけ、私はポケットからスマホを取り出す。
そこに表示されているのは、お母さん、の文字。
あ、そうだ。家についたら、電話するんだった。
私は慌ててタップして通話を取る。
「もしもし? ごめん。今、家に着いたよ」
スマホを耳に押し当てながら、お姉ちゃんの後を追って門に入る。
「まったく。ちょっと心配したじゃない」
お母さんの苦笑交じりの声に、私は「ごめんごめん」と応じておき、華やいだ気持ちのまま、告げた。
「にゃんがね。警察官の採用試験に受かったんだって。その報告をくれてね」
「にゃん?」
「あ……。えっと、ほら。黒工の織田くん」
ああ、とお母さんの声が一気に曇る。
「ああ。あなたのお友達ね」
平坦な声でそう言われ、私は思わず立ち止まった。
「へぇ。警察官の採用試験を受けたの」、「あれも、高卒と大卒じゃ採用枠が違うでしょう」、「給与形態も確か違ったんじゃないかしら」、「それに、結構辞める人、多いのよね」
耳に流れ込んでくるのは、ちくちくと棘のあるお母さんの声と言葉。
だけど。
なにより、どん、と心に堪えたのは、「あなたのお友達ね」という一言だった。
お母さんは知ってるはずだ。
知ってたはずだ。
にゃんと私が、付き合ってくることを。
だから、いろいろ警戒してたんじゃないか。
塾の送迎とか、私の休日の過ごし方とか、スマホの使用方法とか。
知ってて、制限してたんじゃないか。
それなのに。
「警察ねぇ。まぁ、いいんじゃ……」
「違う」
まだ何か言い続けているお母さんの声を、私はさえぎった。
「……流花?」
「織田くんは、私の友達じゃない。大事な彼氏なの……っ!!」
口から飛び出た言葉はずいぶんと固くて、鋭かった。玄関ポーチで鍵を振り回していたお姉ちゃんが動きを止め、振り返るのが視界の隅に見える。
「……まぁ、それでいいわよ。彼氏でもなんでも。あなたも、大学に進学したら、いろんな男性を見るわ。そこで……」
「良くない! 私の彼氏なのっ!」
ぎゅっと紙袋を握ったら、かさり、と音が鳴る。
「なにもそんなにこだわらなくても……。大学に進学したり、社会に出たら、いくらでも出会いはあるわよ。今はその子が大事なんでしょうけど」
「今も、これからも大事なの!」
なだめるようなお母さんの声に、心底イラついた。
「なんで、にゃんを馬鹿にするようなことを言うの!」
「なにも馬鹿になんてしてないじゃない」
明らかに狼狽えた声が聞こえてきて、笑いたくなる。ほら、図星じゃない。
「大学を出た子がそんなにすごいの!? 有名な会社にに入ったらすごい人なの!? 高校しか出てない人は、努力してないの!?」
そんなことないのを、私はこの三年間、見てきた。
文化祭でしっかりと自分の将来を語る伊達君や、石田君。
変人だけど、しっかりと自分の目標を見据えて進学した島津先輩。
わくわく科学実験教室では、普通科やサイエンス科でも太刀打ちできないような実験をして、子どもたちを楽しませていた。
そりゃ、中には何も考えずに工業高校に来た人もいるかもしれない。
だけど、それは普通高校だっておなじだ。
なんとなく大学に進学し、なんとなく条件の良い企業に就職して、なんとなく、恋人ができて、結婚して……。
そんな「なんとなく」しか考えられない生徒なら、普通科にたくさんいる。
それなのに。
「良く知りもしないくせに、私の大好きな人を馬鹿にするのはやめて!!」
泣きながら怒鳴っていて。
後は、ただただ、スマホを握って嗚咽を漏らしていた。
「あ。お母さん? 流奈ー」
こつこつ、と足音がしたと思ったら。
お姉ちゃんが私に近づき、スマホを取り上げて、暢気な声でそう言っていた。
「うん。今、家について、流花といるー。はいはい。大丈夫よ。流花の面倒は私が見るから。うん。……え?」
お姉ちゃんは尋ね返した後、私をちらりと見て、ひとしきり笑った。
「ばっかじゃないの、お母さん。流花は騙されてなんかないわよ、律くんに」
ぐしぐし、と握った拳で涙をぬぐって、お姉ちゃんの声を聞く。
「律くんは、たばこなんて吸ってないし、盗んだバイクで走り出さないし、夜の校舎の窓ガラスを壊して回ったりしない子でね。ってか、そんな子、今時実業高校どころか、どこにもいないわよ」
右手に掴んでいた紙袋を、ぎゅっと抱きしめたら、くしゅり、と音が鳴る。甘い、チョコレートの匂いにちょっとだけ、心が穏やかになり、ひとつ、大きなしゃっくりが出た。
「剣道してる子で、たくさん資格をとった子で。流花が夜道が怖い、って訴えたら、家から飛び出してくる子で、『良かったら、部屋にどうぞ』って誘っても、『もう遅い時間ですから』って断って帰っちゃう子で。礼儀正しくて、言葉遣いも丁寧で」
お姉ちゃんは私に手を伸ばし、いい子いい子、するように頭を撫でてくれる。
「どこに出しても恥ずかしくない、流花の彼氏よ。どっちかっていうと、お母さんとお父さんの方が、外に出したら恥ずかしいわよ」
ぼろぼろ、とまた目から涙が零れ落ちた。
「じゃあ、ケーキ待ってるから。切るわね。寒いから」
お姉ちゃんは返事も聞かずにスマホを切ると、私の肩を押して玄関まで一緒に歩いてくれる。
「よく頑張ったぞー。流花。それでこそ、お姉ちゃんの妹だ」
私は、えぐえぐと泣きながら、何度も頷いた。
今度は、私が頑張る番なんだ。
自然にそう思えた。
にゃんは頑張った。口にはしないけど、きっと私のお父さんやお母さんの態度のことを知ってる。
付き合おう、って言ってくれた時も、私の両親のことを気にして、「お互い進路が決まるまで、あんまり会えないけど」って言ってくれていた。
だけど、いつも私を応援してくれてるし、会いたいときは、来てくれる。
頑張ってくれている。
紙袋を抱きしめ、私は誓う。
だったら次は、私が頑張るんだ、って。
私が、頑張るんだ、って。
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