12月 ー今川sideー

第173話 クリスマスイブ1

 改札を抜けて、長い階段を降りる。

 駅舎を出ると、もう外は真っ暗だ。


――― 珍しく、十八時頃に家に帰れるのになぁ……。


 思わず漏れた息は真っ白で、私はネックウォーマーを引き上げて口元を覆う。

 見上げた空は鈍色。駅前の外灯を弾く雲は厚く、これは雪が降るかも、と私は肩を震わせた。


――― 早く家に帰ろう。


 私はリュックを揺すり上げ、ロータリーに沿って歩き出す。制服のスカートから入ってくる冷気が一気に体温を奪った。うう。高校って、なんで制服なんだろう。お姉ちゃんなんて、今日はファーのブーツにダウンコートで大学に行ってたよ。うらやましい。


 こつこつと学校指定のローファーで家路を急ぐ。


 並んだ人が皆俯いているバス停を抜け、橙色の光を放つコンビニの前を抜けた。

 一瞬、温かいペットボトルを買おうかな、と思ったけど、いや、我慢我慢。

 この前、模試帰りに和奏ちゃんとファミレスでご飯食べちゃったからな。ここは節約せねば。


 駅前の、いろんなお店が並ぶ区画を抜けると、正面から寒風が吹き付けてきた。

 呼吸を止め、肩を強ばらせてやり過ごす。


 うう、寒い。

 ぎゅっと目を瞑ったとき、制服のポケットに入れていたスマホが鳴った。


 今度は。

 心臓が大きく、ぱくり、と跳ねた。あんまり大きく跳ねたから、しばらく拍動をやめたんじゃないか、と思うほどで。


 私は、なんだかぎこちなく、ぜいぜいと息を吐き出しながら、慌ててスマホを取り出す。


――― にゃんかもしれない……っ。


 この二、三日、ずっとそればかりを思っていた。

 十月半ば。にゃんのお姉さんに誘われて、「お礼稽古」に参加させてもらったとき、にゃんが言っていた。


『結果は、十二月の後半になる。去年のスケジュールを警察道場の警官に聞いたら、十二月二十三日だったらしい。』


 そう聞いていた。

 だから、十二月になり……、二十日が過ぎた辺りから、ずっとそわそわとスマホを見ていた。


 連絡が来るんじゃないか、って。にゃんから、結果の知らせが入るんじゃないか、って。


 親との約束で、二十一時になったら、スマホをリビングのローテーブルに置いておかなきゃいけない。にゃんにもそのことを伝えているから、夜に連絡を寄越してくることはないとおもいつつも。


 それでも、朝、目が覚めると顔も洗わずにリビングに突進し、通知が入ってないかを一番に確認した。


「……なんだ」

 だから、凍える手でスマホを引き出し、電話の相手がお母さんだと分かった途端、露骨にがっかりしてしまった。


「……もしもし?」

 とぼとぼと歩きながら、私は通話に出る。あからさまに不機嫌な声だったけど、まあいいや。


「流花? ごめん。お母さん、今から会社を出るから。まったく、会議ってなんであんなに、ダラダラ続くんだろう。一回家に帰って、車に乗って……。ああ、やっぱり、塾の迎え、遅くなると思う。お母さんが到着するまで、塾の中に……」

 一方的に早口でまくしたてるお母さんに、私は目を丸くする。


「今日、塾が無い日だよ。五週目だもん」

「……あ。そうだったっけ……」

 お母さんはぽかんとしたように言い、それから力が抜けたように笑った。


「だったら、ゆっくり帰れるわね。流花は今、どこにいるの」

「今? えーっとね。駅前を出て……。花屋さんの前を過ぎたところ」

 私はキョロキョロと周囲を見回し、お母さんに伝える。この花屋さんは私が小さな頃からあるから、いい目印だ。


「じゃあ、家に帰るまであと十分ぐらいね」

「うん。そうかな」


「家に帰ったら、もう一回電話頂戴」

「ん?」

 思わず問い返す。家に帰ったら、電話するの? お母さんに。


「ちゃんと帰ったかどうか心配だから」

 黙っていると、お母さんがそう続ける。なんだか、スマホから伝わってくる圧迫感に、溜息が出そうだ。


 多分、あれだ。にゃんのことを警戒してるんだ。


 お父さんもお母さんも、黒工に通うにゃんのことを、あんまり良いように見ていない。

 文化祭に行ったことも、メールやLINEでつながっていることも嫌みたいだ。


『高校生なんだから、彼氏がいてもおかしくないでしょう。私も高校生の時、いたじゃん』

 お姉ちゃんがそう言ってくれたとき、親は顔を見合わせた。


『あれは、流奈と同じ高校の子だったじゃないの。その後、大学にも行ったし……』

 ようするに、工業高校の、大学に進学しないにゃんは、ダメ、ということらしい。


『その後、別れたけどね、私。二股かけられて。酷い男だったわー、ほんと』

 お姉ちゃんは冷ややかに親に言い放ち、さっさと部屋に引き上げてしまった。


『とにかく、塾の送迎は、お父さんとお母さんがするから』

 お父さんはきっぱりと告げ、以降、私の自由な外出はほぼ無くなった。


「……わかった」

 私が返事を絞り出すと、スマホの向こうで、ちょっとだけお母さんが声を和らげた。


「今日、クリスマスイブだから。ケーキを引き取って帰るわね。期待してて。お母さん、十月から予約してたんだから」

 その後、延々とお母さんは予約したケーキを作ったパティシエがいかに素晴らしく、人気があるかを語っていた。


 きっと、そのパティシエも、大卒なんだろう。


「じゃあ、ごはんちょっと遅くなるって、流奈にも伝えて」

「……うん」

 スマホだから見えないのに、小さく頷く。お母さんはそんな私の姿が見えているかのように、一呼吸おいて、通話を切った。


 ほう、と空を見上げて息を吐く。

 真白な呼気が薄く漂い、霧散した。肺の奥まで吸い込んだ空気が、きりり、とひっかいたような痛みを残す。


――― クリスマスイブ、かぁ……。


 すっかり忘れていた。にゃんの発表のことが気になって、『十二月の二十日過ぎ』という感覚しかなかった。


――― 高校入ってからは、勉強ばっかだったなぁ……。


 私はまた、ネックウォーマーに顎をうずめて、歩き出す。


 なんか、想像してた高校生活と違うんだよねぇ。お姉ちゃんなんて、恋愛して、勉強して、部活して……。それで進学して、大学生になって、また遊んで……。


――― 私、要領が悪いのかな。


 思わず、首を傾げてしまう。

 高校一年生の時は、「夏の思い出を作ろう」と思って公園で花火をしたら、補導されかかったし、高校二年生では変な人に駅から追いかけられるし、高校野球の地区予選を観に行ったら、ケーブルテレビに映っちゃうし……。


――― よく考えたら、私の高校の思い出、全部にゃんが一緒だ。


 噴き出して頬が緩んだ。助けてもらったり、笑ったり、一緒に焦ったり……。

 三年間。

 高校は違うのに、気づけば一緒にいたんだなぁ。


 心を中心に広がる温かさに、私はゆっくりと力を抜く。気づけば、なんだかわからない強張りに支配されていた。


――― にゃんの連絡、待とう。


 自然に、焦りが消えていた。

 結果をこちらから聞いた方がいいのかな、とか。受かってるならきっともっと早くに連絡くれるよね、とか。いや、公務員試験落ちた時は連絡なかったじゃん、とか。だったら、やっぱり今回も落ちてるんじゃ……、とか。


 勝手に一人で悩んだりしていたけど。


 にゃんなら大丈夫。そんな気がした。


 結果が良くても悪くても。

 にゃんはきっと、次の一手を用意している。


 だって、いつもそうだったから。

 そして。

 にゃんが、私を必要としたときは、向こうから連絡が来るはず。

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