第162話 効率化2
次の日。
「「「「……え。なにこれ」」」」
はからずも、俺たちは声を揃えた。ついでに視線も一緒だ。みんなで、蒸留装置を眺めている。
いや、蒸留装置というより。
ビーカーを、だ。
「……油膜、か……?」
呟くと、すぐ隣で茶道部が、「かなぁ……」と自信無げに同調する。
「リービッヒ冷却器、どうなってるんだろう」
蒲生が確認に回る。
前日にミキサーにかけたクスノキの葉を蒸留したのだが。
妙な油膜が、ビーカー内に浮かんでいるのに気づいた。
ミキサーにした葉からは当然樟脳の匂いがガンガンに出ていて、茶道部がどや顔をしており、「まだわからないぞ」と牽制しながらも、内心期待は「大」だった。
なんだ。
断面を増やして、蒸留しやすい状態にしてやればよかったんだ。
頭の中では、発表会の時に、この時の苦労なんかを語ろう、とそんなことも思っていたのだが……。
いざ、蒸留してみると、妙だ。
「……リービッヒには、
呆気にとられたような蒲生の声に、俺たちは弾かれたように奴を見た。
「リービッヒに樟脳がないってことは……」
軽音楽部が囁くように言う。
する、っと。
奴の視線が移動する。
俺たちは誘導されるように、ビーカーを見た。
蒸留水をためるビーカー。
そこに浮かぶ、うっすい油膜。
「……え。これ……?」
茶道部の声を俺は、「まさか!」と大声で打ち消した。
「そんなわけない!! これが樟脳のわけないだろう!」
いつもの倍のクスノキの葉を使用したのだ。こんな、ちょろっとした油膜が樟脳のわけ……。あ……。なんだろう。
「成分を調べよう!」
焦ったように蒲生が言う。
「ロータリーエバポレーターにかける!」
軽音楽部が慌てて器具の準備に走るが、俺の隣では茶道部が膝を床についていた。
「馬鹿野郎っ!」
思わず怒鳴り、奴を引きずり起こす。
「まだどうなってるかわかんねぇんだからっ!」
「……山……。山にまた……。山で、クスノキ……」
「しっかりしろ、茶道部っ!」
「はは……。また、クスノキを……。あの山でクスノキを……。あはは」
「戻って来い、茶道部!!」
がくがくと肩をゆすっていたら、「織田っ」と蒲生に怒鳴られた。
「もう、めんどくさいから、アンモニアかがせて、目を覚まさせてっ! 薬品庫にあるからっ」
「おい、茶道部! アンモニアが嫌なら、自分でしっかり立ち直れっ」
「アンモニアも、樟脳も、もう嫌だあああああああっ」
「ああ、茶道部!!」
実習室を駆けだしていく茶道部を追おうとしたら、「どさくさにまぎれて織田まで逃げるなっ」と蒲生に見抜かれた。
「……ち」
俺は舌打ちし、仕方なく軽音楽部を手伝ってエバポレーターの起動準備にかかった。
◇◇◇◇
「「「「……え。なにこれ」」」」
はからずも、俺たちは声を揃えた。ついでに視線も一緒だ。みんなで、溶媒受けのフラスコを眺めている。
そこにあるのは、一見大量の水、だ。
エバポは、有機溶剤の成分を調べる時に使用する。
簡単に言うと、ナスフラスコを回転させながら湯浴し、中の溶媒を温める。その後、蒸気を冷却。減圧して沸点を下げることにより、溶媒を飛ばして、効率よく凝集させる装置なのだけど……。
集まったのは。
大量の、水。
「トラップ球にも、溶媒らしきものはないしな……」
誰に、というわけではなく、呟く。ただ、蒲生は幾度もうなずいていた。
「……これ、どういうこと……」
軽音楽部が困惑し、俺と蒲生を交互に見る。
「……考えられるとしたら……」
蒲生が腕組みをし、眉根を寄せる。
「この葉、クスノキじゃなかったんじゃない……?」
「そんなことはない! 間違えるもんか!」
即座に否定する。あんな樟脳くさい葉。それ以外なんだというのだ。
「だけど、俺たち、間違えたろ?」
軽音楽部が、部屋の隅の黒袋を指さす。ぐうの音も出ない。
「実際、なにも出なかったんだ。あれ、違う葉だったんじゃないか……? だから、油分も採れなかった」
蒲生がわしわしとブロッコリー頭を掻きむしる。
「つまり、ぼくたちは、水をエバポにかけただけ、ってこと、かな……?」
それに応じる言葉を、俺も軽音楽部も持っていなかった。
ただ、三人で並んでフラスコを見ていたのだが。
「なんだ、お前ら。今度は何をやらかしたんだ!」
がらり、と引き戸が開く音がし、科長が顔をのぞかせる。その後ろからは、うなだれた茶道部がついてきていた。
「こいつが半狂乱で
科長は背後の茶道部を一瞥し、それから「どうしたんだ」と俺たちに尋ねる。
俺たちはことの顛末を語った。
作業効率を上げようとおもったこと。
クスノキの葉をミキサーにかけたこと。
蒸留したら、ビーカーに薄く油膜が浮くだけで、リービッヒにはなにも集まらなかったこと。そこで、エパボにかけたところ、溶媒ではなく、水が大量に集まったこと。
考えられるとしたら、この葉はクスノキではなかったのではないか、ということ。
「ふむ」
すべてを聞き終わった科長は鼻から息を抜き、エバポに近づく。おもむろに溶媒受けを掴み、それからシンクに向かってそれを一気に捨てた。
「「「「あ」」」」
全員が声を上げた。
樟脳くさい。
科長が捨てた水は、若干泡立ち、シンクを流れていく。
その液体からは、明らかに樟脳の成分が入っていた。立ち上る香りがそれを証明している。
「これ、クスノキだ」
断言した。全員がそれにうなずく。
「おもうに、だ」
科長は、フラスコをつかんだまま、俺たちを見回した。
「揮発したんだろう」
「「「「………へ?」」」」
よっつの声が重なる。科長はそんな声を鼻先で笑い飛ばした。
「葉をミキサーにかけたんだろう? その段階で、樟脳の成分が揮発したんだ」
「き は つ」
一言発するごとに、体内から力が抜けそうだ。
「よく考えてみろ。そりゃ、断面を増やしゃあ、その分空気中に成分が抜けるだろうが。おまけに」
科長は、はは、と愉快そうに笑った。
「お前ら、一晩放置したんだろう? そりゃ、成分ほぼなし、だろう」
俺の隣で、茶道部が頽れた。
茶道部だけではない。
蒲生は正座し、ごんごんと床に額を打ち付けているし、軽音楽部はイスに腰掛けたまま、真っ白になっている。
ようするに。
俺たちは、樟脳のほぼ飛んだクスノキの葉を蒸留にかけ、もはや油などなく、ただのアロマ水と化した水を作って……。
これはなんだ、とエバポにまでかけ……。
水を、濃縮した、ということか……。
「ところで、お前たち」
科長はにこやかに尋ねた。
「明日の分のクスノキの葉はあるのか? もうすぐ雨が降るらしいぞ。無いんなら、今から山に行って採ってこい」
夕闇が迫る中。
俺たちは半泣きになりながらビニール袋を握りしめ、クスノキの葉を採るために山に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます