二学期

第161話 効率化1

「……これ、刻めばいいんじゃないか?」

 もう、何度目か分からない水蒸気蒸留をしていた時、不意に茶道部が呟いた。


「刻む?」

 俺は、クスノキの枝をごみ袋につっこっみながら尋ねる。最早機械的動作だ。何も考えず、ただ、クスノキの不要部分をごみ袋に入れる。


 とにかく早く帰りたい。今日も公務員試験対策の塾なのだ。時間がない。噂では今年、かなりの人数が市職員を受験すると聞いた。気持ちだけが焦る。


 それなのに、樟脳しょうのうが足りない……っ。


「俺たち、葉っぱに直接蒸気を吹き付けて蒸留してただろう? 成分を」

 茶道部はぐるり、と見回す。

 夕日色に染まった化学実習室には、班員がいた。


 蒸留装置を眺めていた蒲生も、それから不要な装置を洗浄していた軽音楽部も動きを止め、茶道部を見やる。


「断面を増やせば、もっと効率的に、時間ロスもなく、成分を蒸留できるんじゃないか?」

 茶道部の目は爛々と輝いており、声は上ずっていた。


「断面を、増やす」

 かみしめるように蒲生は繰り返し、そして顎をつまんだ。その袖口は樹液によって、汚れている。


「みじん切りにしてみたら、今より倍。いや、それ以上の速さで成分が抽出できるんじゃないかな!」

 明らかに興奮した様子で茶道部は俺たちに告げた。


「速さ」「効率的」「時間ロス」


 茶道部の言葉に、俺だけでなく、皆の心が揺れる。

 何しろ。

 夏休みが終了し、二学期に入った今。

 一番作業が停滞しているのが、俺たち『油班』だった。


 『糖度』はトマトやメロン、スイカの収穫を終え、データ採取の最中だ。

 『残留濃度』については、二学期早々に小学生と稲刈りの準備に入ると聞いている。

 他の二班についても材料はすでに確定しているから、あとはデータ採取と自分たちが導き出した結論の裏付けぐらいではないだろうか。


 それにひきかえ。

 俺たちと言えば、いまだ山から毎日クスノキを枝ごと伐採し、樟脳を採取することに奔走している。

 対照実験など夢のまた夢で、セルロイドを作る、という作業など一体いつできるのやら。


「……葉を、ミキサーにかけよう」

 蒲生がおもむろに言う。軽音楽部がうなずき、ミキサーを準備しようとするのを、俺は制した。


「失敗した時のことを考えろ。せっかく山から採取したクスノキの葉が、相当数無駄になるぞ」


 確かに、茶道部の言うことはもっともだ。ミキサーにかければ、かさが減るから、そもそもフラスコに入れる分量が倍にはなるだろう。

 かつ、断面が増えることにより、樟脳が効率的に蒸留されるかもしれない。


 だが、いずれもそれは、『成功』を前提とした話だ。


「失敗を恐れていては何もできないぞ、織田!」

 茶道部は、がん、と作業台を殴る。


「リスクのことを言っているんだ」

 俺はビニール袋に詰まったクスノキの葉を持ち上げる。がさり、と市指定のごみ袋の中で葉同士がこすれて音を立てた。


「山の中のクスノキの葉は徐々に減りつつある。この葉さえ貴重だぞ! 失敗したら、全部ぱぁ、だ。お前、新たなクスノキをあの山でみつけられるのか!」


「貴重だからこそ、最大限有効に使おうとしているんじゃないかっ!」

 茶道部は引かない。


「それに、新たなにクスノキを見つける必要性はどちらにしてもある!」

「そんなに簡単に見つけられるのか、俺たちに!」

 俺は実習室の隅を指さした。思い出せ、と。


「俺たちが『クスノキだろう』と持ち帰ったあの葉! あの袋の中!!」

 真っ黒なビニール袋で三重に覆ったあの中のブツを思い出したのだろう。

 軽音楽部が、「う」と呻く。さすがに茶道部も目を泳がせた。


「あの中がどうなっているのか、忘れたとは言わせないぞ」


 そう。

 俺たちが袋一杯に持ち帰ったあの葉は、クスノキじゃなかった。


 何故、そのことに気づいたか。

 それは。

 虫が湧いたからだ。大量に。


 樟脳が虫よけに使われているからなのか、カビや固有のダニはクスノキの葉につくようだが、虫の卵や幼虫がついているところを見たことがなかった。


 だが。

 なんだかわからないあの葉は。

 少なくともクスノキではなかったらしい。


 山から持ち帰って二日後。

 蒸留にかけるために、葉を分類しようとブルーシートにぶちまけたところ。


 大量の羽虫と芋虫が飛び出してきた。

 俺たちは大パニックになり、殺虫剤を求めて工業化学棟こうかとうを走った。


『なにをやっとるのか、お前らは!』

 科長に怒鳴られながらも、なんとか虫を駆除し、そして訳の分からない葉と虫の死骸を再びビニール袋に戻した。ごみの日は二日後なので、まだ実習室から出せず、あそこにずっとあるのだが……。


 時折。

 かさこそ、と音がする。

 まさか、ビニール袋を食い破って虫が飛び出してこないよな、と俺はおびえている。


「従来通りでいこう。そうすれば、あの山のクスノキで事足りる」

 熱く訴えたのだが、蒲生はきっぱりと首を横に振った。


「いや、やろう。クスノキは確かに貴重だが、ぼくたちには時間も貴重だ。このままでは、間に合わない可能性がある」

 お前がキレート滴定で全国大会に行ったからな、と言いたいのを俺は必死にこらえる。


「今日はもう新たな蒸留は無理だから、ミキサーにだけかけて……。明日改めて樟脳を取り出してみよう」

 俺以外の班員は、「そうだな」と各々うなずいた。それを苦々しく横目で眺める。


「ミキサー用意!」

 蒲生が重々しく告げ、軽音楽部がバタバタと駆けた。


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