第158話 球技大会1
「お願いしますっ」
俺たちは一斉に頭を下げる。向かいから聞こえるのは、「……っすう」という、一体それは何を意味しているのか分からない言葉だ。
顔を上げると、もう、教員チームは背を向けてベンチに向かっているところだった。
夏の日差しを受け、グランドが白い。俺は目を細めて帽子をかぶった。
「……態度悪ぃな」
思わずつぶやいてしまう。隣で茶道部が低く笑った。
「放っとけよ。今からコテンパンにしばいてやるんだから」
凄みを帯びた声に、思わずぞっとする。相変わらず危険な奴だ。茶道部はご機嫌に鼻歌などを歌っているが、野球部の「しまっていこう!」の大声にあっさりとそれは掻き消えた。
「おう!」
クラスメイトの数人がそれに応じ、同時にネット裏からいくつもの指笛や、歓声が上がった。
今日は、球技大会の決勝。
しかも、俺が参加している野球についてはエキシビションマッチだ。
クロコウでは、夏休みに登校日を設け、球技大会を行う。
二学期になると、すぐ三年生は就職活動が始まるからだ。
就職活動や就職試験で、なにより恐ろしいのは「けがと病気」。
厳しい校内審査をくぐり抜け、第一希望の推薦枠を手に入れた、というのに、けがや病気のために試験日当日に企業に赴くことができなければ、どうしようもない。
なので。
クロコウでは夏休み中に球技大会を済ませてしまい、二学期に入ると極力危険なことを生徒にさせない。体育では延々筋トレをする。
ここまで配慮するなら、二学期に下級生だけで球技大会をすればいいじゃないか、と思うのだが。
そうはならない。意地でも全員で実施する。それがクロコウだ。
ということで。
野球、バレーボール、ソフトテニス、卓球の四種目に分かれて行われる球技大会。
粛々と進めるため、各種目ともかなりの簡略版だ。例えば、野球だと、三回で終了。バレーボールも十点先取でゲームセットとなる。
それぞれ、学年、科など関係なく、対戦クラスをなぎ倒して、校内一位を目指すのだが。
野球の校内一位は、ちょっとだけ違う。
野球では校内一位になると、エキシビションマッチが待っている。
対戦相手は、教員だ。
そこを倒してこそ、真の一位を名乗ることが許されるのだ。
「ぼこぼこにしてやるぜっ!」
ベンチに戻る途中、クラスメイトの誰かが吠えた。ちらりと見ると、教員チームを指さしている。それに応じるのは、外野だ。もう、ほとんどの競技が終了したのだろう。すごい数の生徒がネット裏からこちらを見ており、替え歌を使った応援歌まで始まっている。
元気な奴らだ……。
そう思うものの。
日頃、教員たちから目いっぱい抑え込まれている身としては、これは絶好のチャンス。生徒を応援する振りをして教員をディスれるし、ミスでもしようものなら笑いものにすることができる。
このエキシビションは毎年行われているが、教員が勝ったことはないそうだ。
そりゃそうだろう。なにしろこっちは現役高校生だ。体力も瞬発力も、圧倒的に上。
日頃の鬱憤を晴らしてやる。
そんな気持ちが、わからなくもない。
「織田!」
しかし暑い。ポカリでも飲もう。そう思ってベンチ代わりのテントに戻ってみれば、野球部が俺に向かってヘルメットを投げてきた。
「先攻?」
胸の前で受け取り、尋ねる。「おう」。野球部はすかさず、バットもよこしてきた。
「一発よろしく」
仕方なく、ヘルメットを頭にかぶり、バットを握った。思わず漏れるのはため息だ。ちょっと一息つきたかった。
「お前、振り方下手なんだけど、当たるんだよなぁ」
茶道部が俺の横を笑いながら通り過ぎる。
まぁ。
バットを振る、というより、逆胴を打つイメージでやってるから、どうしても変なんだよな。
野球部も茶道部と同じことを言っているが、「よく当たるし、足速いから一番」と仰せつかっている。
「うっす」
ヘルメットのひさし部分をつまみ、球審にあいさつをする。帽子を目深にかぶってキャッチャーの背後に立っているのは、教頭先生だ。軽く会釈を返してくれたのを見て、俺はバッターボックスに入る。ちなみに、キャッチャーは溶接科の本多先生らしい。キャッチャーマスクをかぶったまま俺を見上げるので、こちらにも軽く挨拶をする。
途端に、腹に響くほどの大太鼓が鳴った。
誰だ、あんなもん、持ってきたのは。
苦笑いが浮かびそうになって、顔を引き締めた。ついでにグリップを握りなおす。ぎゅっと小さく軋んだ。
ピッチャーを見る。機械科の大谷先生だ。目が合った。
セットポジションに入る。
同時に。
大谷先生は大声を発した。
「ストライク――――っ」
「……へ?」
間抜けな声を発した隙に、大谷先生はボールを放る。
慌てて目で追い、腕を動かそうとしたが、瞬時に「ボール」だと思った。明らかに軌道が低い。体全体で動きを止める。気の早い生徒が、「ボールっ」と叫んだ。
本多先生が地面に押さえつけるようにボールを取る。砂埃は舞ったものの、反らすことなく、キャッチャーミットにボールは収まったようだ。
まずは、ワンボール。
そう思った俺の鼓膜を。
「ストラーイク!」
教頭の声が打った。
「はあ!?」
反射的に大声を出したが、周囲は逆だった。
呆気にとられたように、無言で教頭を見ている。
「俺、振ってないっす!」
とりあえず抗議する。だが、教頭は右こぶしを天に突きあげたまま、首を横に振った。
「大谷先生が、ストライク、と発声されていたので、ストライク!」
「はぁ!?」
その理由にまた、俺は大声を上げる。
「いいかね。大谷先生が『ストライク』と言えば、ストライク。『カーブ』と言えば、それはカーブなんだよ」
教頭先生に、思わず「そんなあほな!」と言い返した。
だが、これが悪かった。
マウンドから、大谷先生が
「お前剣道部だろ! 剣道の試合で、主審に『誤審』はあるのか!」
……それは、ない。
主審が告げたものに、俺たちは唯々諾々と従う。たとえ、自分の方が先に相手の有効打突部位に竹刀を当てていたとしても、反論は許されない。
認めさせられなかった、己が悪いのだ。
「……」
「黙るな、織田!!」「騙されてんじゃねえよ、剣道部!!」
うっかり言いくるめられそうになったが、野次に目が覚めた。
違う違う。そんなレベルではない。これはおかしい。
「じゃあ、どんなボールが来ても、ストライクになっちゃうじゃないですかっ」
俺が教頭に食って掛かると、「そうだ」と頷かれて、今度こそ言葉を失った。
その隙に。
本多先生が、大谷先生に向かってボールを投げているのが見えた。
やばい、やばい! 次が来る!
慌てて構えなおすと、案の定、大谷先生が、「ストラーイク!」と声を張り上げてボールを放る。
ボールは、俺の目の前三十センチ手前で落下し、バウンドした。普通なら大暴投なのだが、これもなんとかしなければ、「ストライク」になるやつだ。
俺はバットを持ち替え、剣道のように構えた。
逆胴を打つイメージで、地面を跳ね上がった白球を叩き斬る。
どっ、と歓声が上がった。
ボールは三塁に向かって飛ぶ。
俺はバットを放り投げ、一塁に向かって走ったのだが。
背後で。
ホイッスルが鳴った。
「……へ?」
野球って、ホイッスルが鳴るんだったっけ。
鳴るとしたら、いつなんだ。どんな時だ。
俺は一塁への途上で足を止め、主審を見た。
案の定。教頭が口に銀色のホイッスルを咥えている。俺にむかってかざしているのは、レッドカードだ。え。野球って、レッドカードあったっけ。
「危険行為のため、反則!」
教頭は俺に向かってはっきりとそう言った。
「き、危険行為!?」
大声で尋ね返す。そうじゃないと、野次と罵声が大きすぎて、教頭の耳に届かない。
ネットの裏からは「なんじゃそりゃ!」「教員は横暴だ!」と怒声が渦巻いている。
「バットは放っちゃいかん! 誰かに当たったらどうするんだ! 君たちは就職試験を控えた三年生だぞ!? バットはこうっ」
教頭は言うなり、俺が無造作に放り投げたバットを拾うと、物静かに、ゆったりとした動作で、足元に置いた。
「こう、そっと置きなさい! 優しく! そっと置いてから、一塁に走るように! さっ! そして、君はもう、アウトだっ!」
え。野球って、こんなんだったっけ。
改めて問い直そうとしたが、一塁の佐竹先生に「戻れぃ!」と怒鳴られ、仕方なくベンチに戻る。
「……なんか、すまん」
思わず口にしたが、クラスメイト達は、「おのれ教員チームめっ」「好き勝手しやがって!」「バッター! バットはそっと置くか、持って走れ!」といきり立っていて、誰からも責められることはなかった。
その後。
大谷先生の、口頭指示ストライクは続いた。
打ったとしても、「バットをそっと置いたか、置いてないか問題」で次々と失格になる。
結局。
俺たちは一人の走者も一塁に送ることなく、一回の攻撃を終えた。
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