第145話 避難訓練

 その日、俺は土嚢どのうを抱えて、校内を行進していた。


「大丈夫か、蒲生がもう!」

 背後で茶道部の慌てた声が聞こえ、俺は土嚢を腹の前で抱えたまま、振り返る。


 数歩後ろでは、蒲生が、土嚢を取り落とし、四つん這いのまま呻いていた。その隣では、茶道部が土嚢を肩に担いだ姿勢で、やつを見下ろしている。


「うう。ぼくのことはもう、放っておいて」

 蒲生の声はあまりにか細く、野球部が放つ号令に掻き消えた。そのせいで、茶道部に、「なんて?」と問われて、「ほっといて!」と無駄な体力を使って怒鳴り返している。


「もう、無理ぃぃぃぃ」

 蒲生は言うなり、地面に突っ伏した。茶道部と俺はそんなやつを眺めてため息をつく。


「邪魔だよ、C科!」

 そんな俺たちを、土嚢を抱えた体操服の学生が、次々と追い越していった。


「早く立て、蒲生。自衛隊員が指導に来るぞ」

 邪魔になっている自覚は大いにあるから、怪訝そうに俺たちを眺めて土嚢を運ぶ同級生たちに軽く頭を下げながら、俺は声をかける。「立て」と。


「いやだああああっ! もう、土嚢なんか、運ぶもんかっ!」

 蒲生は、梃子でも動かぬ様子で、地面に寝そべる。ものすごい駄々っ子ぶりだ。


「ったくもう」

 俺は吐き捨て、蒲生の傍に膝をつく。自分が抱えている土嚢袋の紐をほどくと、蒲生が放り捨てた土嚢を引き寄せた。こちらも口を開き、持ち上げて、中身を自分の土嚢袋に少しずつ移す。


「優しいなぁ、剣道部」

 呆れたように茶道部は言うから、睨んで黙らせる。


「このまま放ってても邪魔だろう。少しでも誤魔化して歩かせる」

 俺は早口にそう言い、蒲生に声をかけた。


「ほら、俺の方に移したから、少しは軽くなったろ?」

 本当は穏やかに声をかけてやればいいんだろうが、俺の負担を考えると、ぶっきらぼうにならざるをえない。


「織田ぁ、ありがとう」

 地面に伏せた顔を蒲生が上げる。俺は顔をしかめた。砂と涙でぐしゃぐしゃだ。


「ほら、早く立って」

 茶道部が肩に土嚢を乗せたまま、器用に腰をかがめ、蒲生の肘を掴んだ。よろよろと奴は立ち上がり、長袖体操服の肘で顔をぬぐう。


「いっち、にっ、いち、にぃ! いち、にぃぃ」

「そおれぃ!」


 よたよたと蒲生が土嚢袋を抱えている間に、C科の連中は戻ってきたようだ。

 野球部を中心に号令が放たれ、一糸乱れぬ行進をしているクラスメイトの手に、土嚢はない。たぶん、積んだのだ。


「あと、何往復ぐらい?」

 なにさぼってんだ、と通り過ぎざま軽音楽部に怒鳴られるから、俺は無視して尋ね返す。


「三回ほどだろう」

 早口にそう返事をし、彼らは再び、土嚢を抱えに向かう。


「あと、三回か」

 やれやれ、と俺と茶道部は顔を見合わせたが、「うがああああ」と蒲生は発狂する。


「なんで、避難訓練で、土嚢運ぶんだよっ!」

 蒲生は震える腕で土嚢を抱きしめ、「冷たいっ」と即座に叫んだ。そりゃそうだ。中身、土だからな。濡れていないだけ、ましと思え。


「おれの思ってた避難訓練とちがうなー」

 茶道部はそんな蒲生をいなしながら、ぼんやりとつぶやく。安心しろ。俺が思っている避難訓練とも、これは違う。


 俺たちはそ知らぬふりでR科の行進に紛れ込み、おざなりな号令に合わせて土嚢を運ぶ。


 黒工くろこうでは、毎年、「災害について学ぶ機会」がある。


 俺たちが生まれるずっと前。未曽有の大震災が県庁所在地を襲ったからだ。

 そこからいろんな教訓が生まれ、その年はボランティア元年とも呼ばれた。

 去年は心肺蘇生法をしたし、先輩たちに言わせると、震災追悼式に使用する竹灯籠を作ったこともあったそうだ。


 そして、今年。

 担任の藤原先生からは、「三年生は避難訓練を行う」と告げられた。

 その時は、「まぁ、災害が起こって校舎が倒壊したことを想定するのかな」と思っていたのだが……。甘かった……。


「思えば、あの、体操服に着替えろ、が、おかしかったな……」

 茶道部が空を眺めてつぶやいた。


「俺は、続々と校内に自衛隊のジープがやって来た時に、変だな、と思った」

 ため息交じりに俺も答える。いくら駐屯地が近くにあって、結構見慣れているとはいえ……。もっと『やばい』と思うべきだった。


 そんな後悔を噛み締める俺の背後で、蒲生がぜいぜい喘いでいる。まだ、土嚢が重いらしい。


「こらあ! シャキシャキ、土嚢を運ばんかああああっ!!」

 体育教師がR科の生徒を指さして怒鳴っている。R科。文科系多いからな。蒲生のように、みな、よろよろだ。

 行進の列がまるで敗残兵の群れに見える。


「そんなことでは、学校を洪水から守れんぞ!!」 

 教員の怒鳴り声を聞きながら。


 一体、俺たちは何から学校を守ろうとしているのか……。

 ぼんやりとそんなことを考えてしまう。


『今日の避難訓練は、自衛隊さんの全面的な協力の元、『土嚢積み』を行う』

 つい数十分前、グランドに体操服で集められた俺たちに、学年主任が厳かに告げた。


『記録的豪雨により、川が氾濫。冠水した、という状況で、学校を水から守る避難訓練だ』

 聞いた途端、俺は我が耳を疑った。


 え。そんな状態になっても、俺たち、学校に残るんですか、と。

 普通、警報が出た段階で、俺たち帰宅できるんじゃないんですか、と。


 それはみんなも同じ気持ちだっただろうが、呆気にとられすぎて声も出ない。実際、どよめきも上がらなかった。


 それをいいことに、学年主任は、声高に『学校を守れっ』と言った。城か。


『また、今日は朝早くから自衛隊の皆さんが、土嚢用の土を運んでくださった。さぁ、みんなで礼を言うぞ!』

 学年主任はそう言い、居並ぶ自衛隊員に頭を下げる。


 驚いたことに。

 陸上自衛隊だけではなかった。


 陸海空、そろい踏みで、かなりの階級のひとたちがいる……。


 俺たちはいったい、何をさせられるんだ、と思うものの、意見できる雰囲気でもなく、仕方なく声を揃えて礼を言い、そして女子は『土嚢袋に土を入れる』。男子は『土嚢を運ぶ』『積む』という作業を続けているのだが……。


「やぁ、君」


 ふと、声をかけられ、俺は我に返る。

 反射的に隣を見ると、青い迷彩柄の隊服を着た自衛隊員が、にっこり笑っていた。


「R科?」

 尋ねられたので、慌てて首を横に振った。


「すいません。C科です。遅れてしまって……」

 なんか、叱られるんだろうか、と頭を下げると、「いやいや違うよ」と朗らかに笑われた。


「運動部?」

「剣道部です」

 言った途端、自衛隊員の目がきらり、と光ったのを俺は確かに見た。


「海上自衛隊に、興味ない?」

「……え?」

 思わずたじろいだ俺の視界に、「君、何部?」と土嚢を運ぶラグビー部に声をかけている陸上自衛隊員の姿が見えて……。


 ああ、これは、『勧誘』も兼ねていたのか、と俺は静かに納得した。

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