第143話 剣道部送別会
ルキアと
「あ。織田君」
ぱくり、とエビマヨを口に放り込んだ武田先輩が、俺に片手を上げる。俺と石田は並んで近づき、空いた向かいの席に座った。
「「先輩。第一希望の〇重工への就職、おめでとうございます」」
声を揃え、武田先輩に頭を下げる。
店内の音楽が少しうるさいから、若干声を大きめにした。「ありがとー」。武田先輩の朗らかな声が聞こえる。
「毛利先輩も、おめでとうございます」
顔を上げ、武田先輩の隣で焼き鳥の串を咥えた毛利先輩にも俺は声をかけた。
「働きたくねぇ」
むっつりとした顔で言われ、俺と石田は笑った。
「じゃあ、ゆう君。進学すればよかったのに」
昔呼びのまま、石田は毛利先輩をからかう。
「なんで金払ってまで、嫌いな勉強すんだよ」
毛利先輩は焼き鳥を咀嚼しながら石田を睨む。今度は武田先輩が軽やかに笑った。
「毛利先輩はどちらに?」
俺が尋ねると、毛利先輩は大手の製鉄会社を口にする。
すごいな。よくこの人の成績で就職できたな、と思わず動きが止まった。
就職希望先は、成績上位者から順番に選べる。
いくら「行きたい就職先」があったとしても、成績が悪ければ、順番が回ってこない。人気の就職先は、成績上位者が独占する。
「ほら、あそこ。ラグビーもすごいけど、剣道も強いから」
顔にしっかりと出ていたのだろう。武田先輩が口元に手を寄せ、身を乗り出して教えてくれた。なるほど。逆指名か。企業が、生徒を選んだのだ。
「じゃあ、毛利先輩。まだ剣道を続けるんですか」
「暇だからな」
毛利先輩の言葉は、保護者達の歓声に半ばつぶれた。
ちらり、と背後を見やる。
座敷では、保護者達が、もう何度目かの乾杯を行っていた。「何回やってんだか」。石田が伸びあがってみている。
剣道部の送別会は、毎年恒例で『親子一緒』だ。
なんでも、十数年前に、生徒だけで送別会を行い、その時に飲酒と喫煙をしていたらしく、店側に通報された。
結果的に、せっかく決まっていた就職内定が取り消し。後輩も出席停止をくらったそうだ。
以降、剣道部では、『送別会は保護者同伴』が鉄則となり、親の目の届くところで開催されることになった。
今年は、保護者同士仲が良いこともあり、「親の飲み会」を兼ねて居酒屋での実施だ。
「武田先輩は?」
俺はグラスに入ったウーロン茶を一口飲み、向かいの武田先輩を見る。今日は全員私服だ。先輩は、きれいな水色のワンピースを着ていた。
「なに?」
今度は肉団子の甘酢あんかけを口に放り込んで、首を傾げるから、「剣道です」と俺は言葉を続ける。
「就職先でも続けるんですか?」
「会社に剣道部、あるらしいけど……。仕事に慣れるまでは……」
武田先輩は頬を膨らませながら、眉根を寄せる。
「武田先輩なら大丈夫っしょ。溶接の日本代表で、アジアに行ったじゃないですか」
石田が笑う。
確かにそうだ。三年の夏。溶接技術のコンクールでこの人は一位になり、なんと日本代表のひとりに選ばれてアジアの工業高校を回ったのだ。ちなみに、おみやげでパンダのクッキーをもらったから、多分中国も訪れたんだろう。
「現場に入っちゃえば、そんなの私なんて……」
武田先輩は言い、それからさらに顔をしかめた。
「だいたい、寮じゃないの。アパート借り上げで、自炊なの。そんな暇ないよ」
「「自炊っすか」」
俺と石田の声は揃う。
就職先によるが、だいたい数カ月は寮に入ったりして、みっちり研修を行うところが多い。勤務先が家から遠方の場合は、当然だが一人暮らしをしなければならない。
だが、基本「未成年」ということもあるのか、企業側が『寮』を用意して、衣食住全般で目を光らせてくれる。なかには、勤務態度や生活状況を親に手紙で毎月報告する企業もある。
「レオパを会社が借り上げてくれるみたいで……。同期の女の子数人と、そこに入る感じなのよね」
「
毛利先輩が尋ね、武田先輩は憂鬱そうに息を吐く。
「今まで、お母さんに頼りっぱなしだったからさぁ。春休み中に練習してみたんだけど……」
その表情は陰鬱だ。うまくいかないらしい。毛利先輩は苦笑いしてさらに尋ねる。
「今日はなんか作ったのか?」
「うーん。友達と一緒に皿」
「「「皿!?」」」
今度は俺と石田だけではなく、毛利先輩とも声がかぶさる。武田先輩は上目遣いにそんな俺たちを眺め、「だって」と口をすぼめた。
「全然、上達しないし、美味しくないしさ。これって、料理を入れる
唖然と口もきけない俺たちの前で、武田先輩はオレンジジュースを飲んだ。
「デザイン科の女子で、電気窯を持ってる子がいるから、その子の家で一人暮らしするときに使うお皿とか、ゴブレットとか焼いてきた」
「……なんか、頑張る方向が違う気がしますが……」
俺がつぶやくと、石田もひきつった笑みを見せる。
「あんだけ、溶接うまいのに、料理はダメなんっすね」
「だって、すぐ焦げるもん」
「バーナーで炙ってんじゃねえだろうな」
毛利先輩が引き気味に言う。
「ということだから。自炊がちゃんとできるようになるまでは、剣道しません」
ごん、とテーブルにジュースのグラス底を打ち付け、武田先輩は断言した。
「じゃあ、落ち着いたらまた剣道部にも顔出してください」
俺がそう言うと、武田先輩は嬉しそうにうなずいた。
「関東大会、目指してね」
俺と石田は顔を見合わせて苦笑いする。ちょっとそれは人数的にも厳しい。結局、今年は井伊ひとりしか部員が入らなかったので、男子が四人しかいないのだ。来年また入る部員に期待するしかない。
「あと、石田。あんた、部内は恋愛禁止だからね」
びしり、と武田先輩は石田を指さして命じる。「ないない」。石田はへらへら笑うが、毛利先輩は人の悪い笑みを浮かべてジンジャーエールを呷った。
「予言してやろう。
無言で俺もうなずくが、石田は「またまたぁ」と全く気に留めていない。
「今度はいる一年生にも手を出さないでよ。織田君。よく見といて」
武田先輩に言われ、俺は苦笑いでうなずく。そんな俺たちに、毛利先輩が言葉を差し込んだ。
「莉子こそ変な男にひっかかんなよ。泣きついてきても、もう助けてやれないぞ」
毛利先輩の言葉に、俺は思い出す。
――― そういえば、毛利先輩が剣道部に来たのって、武田先輩が誘ったんだっけ……
当時、武田先輩の「声が聴きたい」と、野球部が武道場の外周をランニングし続けたのだ。
そりゃもう、セクハラだと思うのだが。
それを撃退したのが、毛利先輩だった。もともと居た先輩たちは、野球部の行為に恐れをなして辞めたというのに、逆に毛利先輩は入部してきて、追い散らしたのだ。
「ねぇ、毛利はどこに配属されたの?」
武田先輩の問いに、毛利先輩は短く答える。口にしたのは、県外の都市だ。
「え? 研修ではなく?」
俺が尋ねると、毛利先輩は、箸でから揚げをつまんだ。
「研修後、そのままそこに配属。数年は帰らないじゃねぇかな」
「えー……。寂しい」
何故だか眉尻を下げて泣きそうになっているのは石田だ。「きもいな」。毛利先輩は笑ってから揚げを口に放り込んだ。
「でも、私。大丈夫だから。心配してないし」
武田先輩は、えっへん、とばかりに胸を張る。
なんとなく。
『そんな変な男にはひっかからないから』
そういうのかと思ったのに。
「私になんかあったら、絶対毛利、助けに来てくれるんでしょ?」
自信満々に武田先輩はそう言い放ち、華やかな笑みを毛利先輩に向ける。
「はぁ!?」
毛利先輩は素っ頓狂な声をあげ、ついでに口の中からから揚げをこぼした。「汚いなぁっ」。武田先輩は顔を顰めるが、毛利先輩は乱雑にテーブルをおしぼりで拭くだけだ。
「なんでおれが! もう関係ないだろっ」
「なにいってんの。ともに剣道部を盛り立てて行った仲でしょ?」
「だから、卒業したしっ」
「永遠に私たちの友情は変わらないわよ」
「いや、勘弁してくれ。もう、終わりにしてくれ」
「いやよ」
ぽかん、と。
俺はそんなふたりのやりとりを眺めていたのだけど。
「……もう、こんな二人が見れないんだなぁ」
石田は湿った声でそんなことをつぶやく。
「いやあ」
俺は苦笑いして、ウーロン茶を飲んだ。
「あんがい、同窓会で会ってみたら……。いろいろあるんじゃね?」
眼前では、弱りきった毛利先輩が武田先輩に、「……ああ、もう。じゃあ、なんかあったら連絡して来いよ」と呻いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます