第81話 化学同好会のプレゼン1

「三学期に、小学六年生の前で披露する発表なんだ」

 島津先輩は嬉々として俺にそう告げた。「はぁ」。生返事をすると、蒲生がもうに睨まれる。


「真面目に聞けよ。ぼくたちは真剣なんだ」

 いや、俺だって早く剣道場に行って真面目に稽古したいんだけど。そんな呟きは心の中だけにし、ため息交じりに視線を前に向ける。


 化学実習室だ。

 剣道部の稽古に来てみれば、駐輪場で島津先輩と蒲生に捕まった。


『ちょっと、見てほしいパワポがあるんだ』。『時間は取らせないって。すぐだから』。『あと、感想を聞かせてほしいな』


 何かのキャッチセールスかと思うような弾丸台詞を吐き、俺が拒否するにも関わらず、ずるずると引きずってここまで連れてこられた。


「ホタル?」

 俺は呟く。


 教室の黒板前に設置されたスクリーンには、プロジェクターから映像が送られていた。


車場川くるまばかわを、ホタルでいっぱいにしよう!』


 桃色の可愛らしい背景に、黒文字でそう書かれている。

 画面の両端に入れられているのは、クロコウの校章と、どこかの学校の校章らしい。


「市立西小学校の総合学習の時間にね、僕たちがお邪魔して、ホタルのことを説明することになったんだ」


 教壇の上で島津先輩はそう言う。なるほど。では、もう一つの校章は、その小学校のものだろう。


 島津先輩の手元にノートパソコンがあるせいで、その画面の光が眼鏡の表面に反射し、マッドサイエンティスト感が半端ない。

 いいのだろうか。こんな人を、小学生に見せて。


「そのプレゼン用のパワポが出来上がったんだ」

 島津先輩に見慣れているのか、蒲生が俺の隣で満足そうな顔をしている。島津先輩は頷き、俺を見た。


「ぜひ、織田に見てもらい、幼い観点からの意見を聞かせてほしい」

 軽く悪口を言われた。


「では、始めよう」

 島津先輩はそう言うと、パソコンの光を反射させた眼鏡をこちらに向け、口唇だけ三日月に歪めて見せた。


 怖い怖い。

 本人は「笑っている」つもりなんだろうが、無表情に口端だけ釣り上げたように見えるから、非常に怖い。 


「みなさーん。こんにちはー。今日はねぇ。ホタルのお話をしにやって来たよ」


 猫なで声が、また絶妙に気持ち悪い。

 ちらりと隣を見るが、蒲生はにこにこして島津先輩を見ている。


「僕たちはね。高校で、『車場川をホタルでいっぱいにしよう』っていう活動をしてるんだ。みんな、車場川は知ってるかな?」


 そう言って、島津先輩は耳の後ろに手を当て、上半身を乗り出して見せた。多分、ここで子どもたちが「知ってるー」とかいう反応を期待しているんだろう。


 車場川は、クロコウからほど近いところに流れている川だ。


 なんでも、戦後すぐはプールなどの施設が無かったため、この川で黒工は水泳の授業を行っていたと聞く。

 当時を知る人たちは、「あれは『水泳』ではなく、『水練』だった」と証言していた。


「知らなぁい!!」

 いきなり蒲生が怒鳴るものだから、俺は肩が跳ね上がるぐらい驚いた。


「そうかぁ。知らない子供たちもいるんだねぇ。じゃあ、車場川の説明からしてみよう」


 島津先輩が、かちり、とマウスを右クリックする。

 パワポが次のスクリーンに移動するのだろうな、と思った。


 車場川の地図とか歴史とか。まずは概略から入るのだろう。

 そんなことを考えていた俺の目の前で。


『車場川を、ホタルでいっぱいにしよう!』という黒文字が揺らぎ始めた。


 細かく文字が左右に振れ、その振動が大きくなる。

 いや。

 文字がばらばらに崩れ始めたかと思ったのだが。


『黒文字』だと思っていたそれは。

 大量の黒い『虫』に転じた。


 ぎょっとして目を凝らすと。

 黒い文字を象っていたものは、どうやら『ホタル』だったらしい。


 てんでに画面を蠢きはじめ、あるものは羽を広げて飛び、あるものは画面上を這い、あるものはもがくように6本の脚をばたつかせる。


「気持ち悪いな、これ!」

 思わずそう言うと。


 その中の一匹が。

 画面中央からこちらにむかって飛んでくるものだから、知らずに背を反らす。


 途端に、画面が変わった。

 次のスライドに移動したらしい。


「いや、この演出……。泣かないか!? 小学生!」

 ちょっとしたホラー感が漂うが、蒲生はしれっとした顔で俺を一瞥する。


「今からホタルを学習するのに、ホタルを怖がってどうするんだよ。しかも、実物じゃない。動画だよ?」


「いや、そうだろうけど……」

 口ごもると、「もっともだよ」と島津先輩も頷くものだから、なんとなく俺の意見は少数派になった

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