第64話 関西弁

「石田じゃないか」

 試合会場の体育館を、石田と並んで歩いていたら、背後から声をかけられた。何気なく石田は振り返り、背後の人物を見やって「おお!」と嬉しげに声を上げた。


「織田! こいつ、同中の奴なんだ」

 石田は俺の腕を掴むから、俺も足を止めて振り返った。


「はじめまして」

 俺ににっこり挨拶をする男に、俺も頭を下げた。「はじめまして」。そう言って垂れネームを見る。柴田。高校名は俺でもよく知る関西の名門校だ。


 今日は、オープン参加の試合だから、全国各地から高校が集まってくる。俺達の一回戦の相手も、九州からの参加チームだった。


「お前、もう試合に出るのか? すげーな」

 石田は柴田の格好に視線を巡らせ、感嘆の声を上げる。柴田は胴垂れをつけていて、道着の片袖には学校名と校章が入っていた。


 試合道着だ。レギュラーか、少なくとも補欠には選ばれているんだろう。俺達みたいに、『5人しかいなから』という理由で試合に出るわけではないだろうから、俺も素直に驚く。


「今回はちょっとアレだ……。先輩に故障者がいてな」

 眉を下げ、気の毒そうに言う柴田は、非常に人がよさそうに見える。外見は熊のような男だが、心は優しいらしい。石田と並ぶと、なんか「牛若丸と弁慶」に見えた。


「柴田な、引き抜きで高校に行ったんだよ」

 石田が誇らしげに俺に言い、俺は頷いて彼を見た。


「名門校っすね。すごい」

 そう言うと、真っ赤になって照れ、「いや、そんなことないっす」と首を横に振る。なんという好青年か。


「関西どうだ? 寮は辛くないか?」

 石田が気遣わしげに尋ねた。改めて視線を頭のてっぺんからつま先まで向けるが、「ま。すくすく育ってるみたいだな」と、ちょっと苛立ったように言う。自分は思うように身長が伸びないからうらやましいのだろう。


「先輩もいい人ばっかりだし、同級生とも仲良くやってるよ。だけどなぁ」

 柴田は太い腕を組み、ふう、とため息を吐いた。


「言葉が、難しい」

「言葉? 関西弁か?」


 石田が首を傾げた。俺も方言のことだろうか、と思う。そんな俺たちの前で、柴田は大きく頷いた。


「なにに『さん』や『お』をつければいいのかわからん」

「「……なにそれ……」」

 思わず俺と石田の声がそろった。


「例えばな、うす揚げあるだろ。食べ物の、揚げ」

 柴田の言葉に、俺たちは頷く。


「あれは、『揚げさん』なんだ。もしくは、『お揚げさん』。豆腐は『お豆腐とふ』。豆は『お豆さん』」

 そう言って、柴田は顔をしかめた。


「なんか、名詞に『さん』や『お』を付けるときがあるんだよ。で。揚げも豆腐も大豆製品だから、豆関連の商品に「さん」をつけるのかと思うだろ?」


 柴田に問われ、俺たちはおずおずと頷く。「ところが」。柴田が、巨体をぬっと俺たちに近づける。


「『高野豆腐さん』、とは言わないんだ」

「……へぇ……」


 石田が呟き、柴田はひとつ溜息をついて続ける。


「他にも、稲荷は、『お稲荷さん』だ。じゃあ、神棚も『神棚さん』かと思ったら、神棚は神棚なんだよ」

 うううむ、と俺と石田は唸る。


「『お茄子』や『お漬物』とは言うけど、『おきゅうり』や『おたくわん』とは、言わん。『おんまさん』とは言うか、『お牛さん』とは言わない」


 柴田の言葉に、ますます基準がわからなくなる。「おまけにだ」。柴田は最大限顔をしかめた。


「飴。飴はどうだとおもう?」


「……お飴さん……?」

 石田が首をひねりながら言うと、柴田は唸る。


「飴ちゃん、なんだ」

「「まさかの『ちゃん』か……」


 俺と石田、柴田は顔を見合わせる。なんじゃこりゃ。法則性があるのか?


「先輩に聞いたんだよ。どれに『お』をつけて、どれに『さん』をつけるんですか、って」

 柴田は組んでいた腕をほどき、ぼりぼりと首の後ろを掻く。


「なんて? 先輩」

 石田が首を傾げる。柴田は肩を竦めて見せた。


「『そんなもん、フィーリングやぁ』って、背中をどつかれた」

 ……ますます意味が分からない……。


「関西弁……。難しいんだな……」

 石田が俺を見上げる。「そうなんだな」。俺も呟いた。その語尾に重なるように、柴田が溜息をつく。


「そのフィーリングとやらがわかったら、俺も関西人になれるのかなぁ」

 俺と石田は顔を見合わせて、唸る。

 こんな真面目な考えの男は、関西人にはなれない気がするが……。


「……頑張れ」

「俺も応援してる」

 とりあえず、そう口にしておいた。

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