第20話 イベント出店1

 携帯のスヌーズ音で眼を醒ましたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、「ああ。くそ。今日もまた一日が始まる」だった。


 続いて考えたのは、「今日はゼロ時間目がある日だっけ」だ。


 一応公務員試験を目指しているため、月・水・金は、公務員試験希望者のために開かれる「ゼロ時間目」を受講している。朝七時から八時まで。正規の授業が始まる前の時間を使って補講は行われる。数学と英語を中心に希望者は一年生の時から参加しなければならない。


 親は、「無料で勉強を教えてくれるなんて、なんて良い高校だろう」と喜んでいる。そりゃそうだ。普通塾に通った場合、月5万はかかる。


 だが。

 通学に片道約一時間かかる俺は、その「ゼロ時間目」に参加するため、五時には起きて、六時前には家を出なくてはならない。


 ああ。くそ、眠い。昨日、遅くまでレポート書いてたから朝が辛い。俺は布団の中で無茶苦茶に頭をかき回す。自宅から学校まで徒歩圏内の軽音楽部に突如憎しみが沸く。あいつ、通学に十〇分もかからないのに、「雨の日は、親に車で送ってもらう」とか言ってやがった。ふざけんな。死ね。


 そんな呪詛を送りつつ、俺はため息をついて布団から顔を出した。


 そして。

 室内の明るさに愕然とする。


「……え?」 

 思わず、跳ね起きた。


 いくらもうすぐ初夏になろうとしているにしても、「朝五時」にしては明るすぎる。

 まずい。俺は血の気が引く思いでベッドの端に転がっているスマホに目をやる。まずいまずいまずい。寝過ごしたか、タイマーセットをし忘れたのか。


 そう思って。

 この携帯が発する音が、アラームのスヌーズ音じゃないことに気づいた。


 電話だ。

 携帯に手を伸ばし、パネル表面を見る。通話相手の『蒲生』という文字と共に端っこに表示された日時に一気に力が抜けた。

 土曜日の午前九時。


「お前、殺すぞ」

 コール音を鳴らし続ける携帯を握り、タップすると同時に俺は呻いた。寝起きのせいで喉から絞り出た声は掠れてやけに野太い。俺が通話相手なら、すぐさま電話を切るか、後日詫びを入れるほどの機嫌の悪さだと、自覚する。


 だが。

 携帯から流れてきたのは、ゆっくりとした蒲生の声だ。


「織田、今何してた?」

「……休日の朝に俺にそう聞いて良いのは、未来の恋人だけだ」

「今日、何する予定?」

「それを聞いていいのも、未来の恋人だけだ」


 むすっとそう告げ、「切るぞ」とため息交じりに吐き捨てた。すると、携帯からは悲痛な蒲生の声が飛び出してきて顔をしかめる。


「おれだって、カノジョに言いたいよ! いればカノジョに言うさ! だけど、いねぇんだよ、カノジョも、部員も!」

「……はぁ?」

 いきなり蒲生が怒鳴り始めるから、俺は携帯を耳から離し、呆気にとられてパネルの表面を眺める。


「もう、お前しかいないんだって! 何暢気に寝てんだよ! おれだって寝たいよ! こんなクソイベントになんで参加させられてんだよっ! そりゃ、溶接技術部が勝ちますよっ。ええ、勝ちますともっ。なんてたって、あっちは食い物だし、派手だしさっ」

 蒲生は怒鳴りながらどんどん泣き声になり、最後には「無理。もう無理。全部売れとかマジ無理」と、ひぃっくとしゃくりあげた。

「……待て。お前、なにやってんだ、今」

 蒲生が話した『溶接技術部』という言葉に、俺は目が覚める。


「販売」

「販売?」

 ぐすり、と鼻をすすって蒲生が言うには、今日、城に関するイベントが堀のすぐ側の広場で開催されるのだそうだ。


 市の教育委員会から声かけがあり、化学同好会が『こども科学教室』と、『物品販売』を行うことになったらしい。その一方、溶接技術部にも声がかかり、奴らもイベント会場で『物品販売』を行っているそうだ。


「まさかと思うが、奴ら、を持ち出しているのか」

 俺が尋ねると、無言だが蒲生がまたひとつ鼻をすすった。多分、頷いたのだろう。


 奴らめ。

 溶接加工製品を売っていれば良いものを、必殺武器を持ちだしたな。

 俺はぎり、と奥歯を噛む。


「もう、お客さん、全員溶接技術部の前に集まっててさ。島津先輩たちは『こども科学教室』の準備にかかりきりで……。島津先輩が、『手が回らないから、物品販売はお前一人な。全部売れ』って……。だけど、全然客が来ないし……」


「馬鹿野郎っ! 工業化学科が、溶接科に負けんじゃねぇ!」

 俺は怒鳴りつける。


 化学同好会の入会条件が『工業化学科の生徒』であると同様に、『溶接技術部』の入会条件は『溶接科の生徒』だ。つまりこれは、文化部同士の争いではなく、他科同士の代理戦争でもある。


「だって、お客さん、全部あっちに行くんだってっ」

「あっさり泣き言を吐くな!」

 俺は携帯をスピーカーにし、ベッドに放り出す。急いでパジャマ代わりにしているスウェットを脱いでウォークインクローゼットを開け、制服をひっつかんだ。


「野球部は部活だろうから……。茶道部と軽音楽部に電話して呼び出せ! 俺も今からそっちに向かってやる! 持ち物は何かあるか!?」

「白衣」

 蒲生が短く、だが、しっかりとした声で答えた。「白衣な」。俺は制服に手早く着替えながら、『……週末だから持ち帰ったものの、乾いてるかな』、と一抹の不安を覚える。アイロン、いるしな……。時間がかかるな。


「じゃあ、城門についたらまた連絡するから、携帯持ってろよ」

 俺が大声を張ると、「わかった」と、蒲生が応じる。もう、涙声でもないようだ。校内に携帯は持ち込み禁止だが、校外であれば当然自由だ。今日、蒲生が携帯を持っていて本当に良かった。


「軽音楽部と茶道部にも電話してみる。手伝いに来てもらえるかどうか」

「おう。じゃあ、現地で」

 俺が答えると、通話は向こうから切ったようだ。俺は携帯をひっつかみ、自室の扉を開ける。


「お母さんっ! 俺の白衣、乾いてる!?」

 そう大声で怒鳴りながら階段を駆け下りた。

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