第17話 部長の声1

「お前ん所の部長、美人なんだってな」

 課題のプリントを書き写しながら、野球部が俺を見上げてそう言った。


「武田先輩のことか?」

 俺は俺で、数Aの課題プリントを解いていたのだが、手を止めて向かいの野球部を見やる。


 奴が丸写ししているのは、俺が解いた現国の課題だ。「ちゃんと、ところどころ間違えろ。俺と同じだと疑われる」と眉をひそめて注意し、それから再度尋ねる。


「武田先輩がどうかしたのか」

「溶接科で女子、ってだけで珍しいじゃないか」

 野球部は適当に誤字を増やし、シャーペンを用紙に走らせながら俺も見ずに話を進めた。


「同級生で、野球部の溶接科の奴がさ、そっちの部長さんに惚れてるんだよ」

「ふぅん」

 俺は答えながら、まぁ、そんなこともあるだろうな、と思う。


 ほぼ女子ばかりのデザイン科と対をなすように、ほぼ男子ばかりなのは溶接科だ。

 一学年定員40名で、一年と三年の溶接科は、全員男子。

 かろうじて二年生に武田先輩を含めた4人の女子がいるだけ。


 学年で動くというより、「学科ごと」に動くことが多いせいで、下級生だとしても同じ溶接科同士であれば、武田先輩を見かけることも、一緒に作業することもあるだろう。


 そして。

 あの性格を知らなければ、惚れることもあるかもしれない。


「お前、あの部長先輩が一年生の時の話、聞いたか?」

 今日の昼休みは、蒲生も軽音楽部もそして、茶道部までが食堂に行ってしまい、俺の周囲にいるのは野球部だけだ。教室に残っている奴らはほぼ、睡眠中らしく、野球部のシャーペンが用紙を掻く、かりかりという音だけが妙に耳についた。


「なにそれ」

 俺は機械的に数Aの計算を解きながら言う。


「剣道部って、声出すじゃん」

「野球部だって声出すだろ。ばっちこーい、って」

 互いに顔も見ず、かりかりと課題をこなしながら話を続けた。


「ばっちこーいは、いいじゃねぇか。文章として成り立ってるよ」

「なりたってねぇよ。ピッチャービビってる、とかあれ、ディスリだろ」


「お前らの声は変だよ。ヴァ―、とか、ぎゃー、とか」

「ぎゃーは言わねえな」


「じゃあ、なんだあれ。ウヴォー、みたいな」

「気合のことか?」


「あと、なんでわざわざ、『小手―』とか、『めーん』って言う訳」

「もともと武道だからだ。正々堂々と、『今から私は小手を打ちますよ、『小手―』と宣言しているわけだ」


「マジか。じゃあ、『小手―』って言って面を打ってもダメなのか」

「そんなもの、一本にならん。だいたい卑怯者だ」

 俺はシャーペンをとめ、呆れて野球部を見た。


「有効打突にしようと思えば、『有効打突部位』に、竹刀を当て、かつ、『気・剣・体』の一致がないと旗はあがらん。お前が、ヴェー、とか言って馬鹿にしている気合も、『気』の一つで、それがないと、有効打突だとは認められないんだ」

「そのヴェー、だけどさ」

 野球部も手をとめ、俺を上目づかいに見た。


「そんな声を出すのって、スポーツでは珍しいじゃん」

 そう言われて首をひねる。そうだろうか。最近じゃあ、卓球の選手も奇妙な声を上げているような気がするが。


「俺たちが打席に入るまでに、ウヴェーとか言わないわけよ」

「……まぁ、そうだな。マウンドに登った投手が、打者に対して「ヤァ――」とか言わねえな」


「おまけに、女でそんな大声あげることって、まぁ、なくね?」

「そう、かな。テニスの選手とか言うだろ、スマッシュ撃つ時とか。柔道でも投げるとき、「ふっ」とか言うじゃないか」


「あれは、呼吸音の一種だろ」

 野球部の言葉に、俺はなんとも納得できないが、まぁ、そう言われればそうなんだろうか、とやっぱり首を傾げていたら、にやにやした野球部の視線とぶつかって、ぎょっとした。


「なんかさ。女が大きな声で『にゃあー』とか言ってたら、ヤラシイ声に聞えんだよね」

「はぁぁぁ!?」

 これに対しては、呆気にとられた。

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