第10話 ボイトレ1

 俺達は剣道場に車座に座り、じっと琉貴亜るきあを見ていた。


 正確には車座ではない。琉貴亜がひとりぽつんと座り、それを取り囲むように半円状に他の部員が座っていた。


「剣道部を辞めたい、って……。どうしたの、琉貴亜」

 口火を切ったのは武田先輩だ。まだ道着に着替えていない。セーラー服のまま、きちんと膝を揃えて正座をし、困惑したような瞳を琉貴亜に向けた。


「そのままの意味です」

 琉貴亜は顎を若干上げ気味にし、胸を張って答えた。

 俺の左隣で伊達がため息をつき、右隣の石田が意味ありげに俺を見上げる。俺は口をへの字に曲げてみせるだけで、無言だ。もともと琉貴亜のことをよく思っていない石田は、「このまま辞めれば良いのに」程度に思っているのだろう。


「お前達一年生が入部してくれたおかげで、男子は久しぶりに団体が組めるようになったんだがなぁ」

 武田先輩の隣で、毛利先輩が腕を組んでそう言った。

 男連中は全員すでに道着に着替えている。その道着から覗く毛利先輩の腕は、力を入れているわけではないのに、幼稚園児の足ぐらいはあった。


「ぼくが抜けることが、大きな損失であることはよく分かっています」

 自信満々の琉貴亜の言葉に石田は失笑し、伊達は再びため息をつく。俺も呆れて琉貴亜を眺めた。


 なんというか。

 初めて会ったときから思っていたが、自意識過剰な男だ。


『ぼくのことは、ルキアって呼んでください』

 入部時の自己紹介で、恥ずかしげも無く奴はそう言った。


『おい、前田。お前の名前はなんだ。なんて呼ぶんだ』

 入部希望用紙を持って戸惑う毛利先輩に、やっぱり琉貴亜は誇らしげにそう言ったのだ。


『ぼくのことは、ルキアって呼んでください』

 と。


 いや、これが石田の名前なら俺はなんとなく納得する。

 ルキアとも呼ぼうじゃないか。


 だけど、こいつは違う。

 一重のもったりとした瞼と、下ぶくれの輪郭。これといって特徴の無い中肉中背の純日本人高校生男子なのだ。


 もう、聞いているこちらが恥ずかしくなるほどの名前だが、本人は気に入っているらしい。鼻白む俺達に向かい、空気を読んだ武田先輩が、『呼んで上げましょう。ね。ね?』と同意を促した。


「退部の理由はなんなの? 改善できることであれば、私も考えて対処するけれど」

 武田先輩がそれでも食い下がった。


 一年生男子としては別にこいつが退部しても構わないのだが、部としては「退部者を出した」ということが不名誉なのかも知れない。


「そうだぞ。就職するときに、『運動部』は有利だ。しかも、人事担当者に剣道経験者がいてみろ。引っ張ってくれるぞ」

 毛利先輩が珍しく年長者らしいことを言った。「僕もそれは聞いたことがある」。伊達が小声で俺に言い、「そうなのか?」と問い返す。伊達は頷き、やっぱり声を潜めて答えてくれた。


「はっきりとは書かれていないが、『運動部希望』と人事が言う企業もあるらしい。文化部より運動部加入者は就職に有利だ」

 へぇ、と俺が感嘆の声を漏らしたとき、琉貴亜の鼻にかかった声が聞こえてきた。


「ぼく、将来のことを考えてこの決断に至ったんです」

「どんな」

 つっけんどんな石田の声に、琉貴亜は背筋を伸ばして得意げに俺達を見回した。


「剣道を辞めて、ボイトレに通おうと思って」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る