第7話 ニトロセルロース2

蒲生がもう

 島津先輩が声をかけると同時に、蒲生はもう立ち上がっていた。別の机の上に準備していたガスバーナーに火をつけ、錐のような細い鉄製の棒の先端を熱し始める。


「本番じゃ、脱脂綿が燃えにくいということを、先にこども達に示しておくんだ」

 島津先輩はタッパー容器を机の上に戻し、両手を白衣のポケットに突っ込んで俺の前に立った。


「準備OKっす」

 蒲生が声をかけるので、俺は彼をみやる。蒲生は、先端が赤く熱している錐を持っていた。


「よぅし。来い」

 島津先輩が返事をする。蒲生は熱した錐を持って素早く、だけど用心しながら先輩に近づいた。


 島津先輩は白衣のポケットから右手を出す。一度俺に向かって開いて見せ、それからもう一度握って拳を回す。再び開くと、そこには脱脂綿が握られていた。


「おお」

 手品の手際も素晴らしい。その掌の脱脂綿に、蒲生が素早く錐の先端を押し当てる。


 途端に。

 低い音を立てて脱脂綿は燃え上がった。


 結構な火の大きさだが、その火は一瞬にして消える。

 予想外の大きな炎に声を失っている俺の前で、島津先輩は、流れるように左手をポケットから出すと、息を合わせて蒲生が錐の先端を再び押しつける。同時に島津先輩が空いた右手で指を軽やかに鳴らし、炎は同時に彼の左掌から立ち上った。


「……本当に錬金術師っぽいっすね」

 俺が苦笑したのは、二人がドヤ顔で視線を向けてきたからだ。あの顔は賞賛を求めている。


「すげー練習したな」

「脱脂綿が乾く間、暇でしたからね」

 島津先輩と蒲生は互いにそう言い合い、そして深く首肯し合った。なるほど。乾燥時間も有意義に使用したらしい。


「熱くなかったんすか、手」

 俺は苦笑いのまま島津先輩に尋ねた。「別に」。島津先輩は掌を握ったり開いたりしてみせながら、俺を見る。


「熱いというより、ぬるい。もやっと温かい」

 そんなものなのか。結構な火力に見えたけどな、と俺は「へぇ」と返事をしたときだ。


「やってみたいだろ、織田」

 にやり、と島津先輩が言う。「いえ結構です」。反射で答えたのに、蒲生が背後で動き出した。


「化学同好会に入会していないのに、体験できるなんて、お前はずるいなぁ」

 ぶつぶつ言いながら、改めてバーナーで錐の先端を熱している。


「いや、俺は体験もしないし、入会もしない」

 きっぱりとそう言い切ったが、怪しげな笑い声を島津先輩が上げた。


「そういうな蒲生。こうやって我々と接することにより、彼の意見や興味も変わるだろう。剣道部からいずれ化学同好会に入会するさ」

「いや、しないっす」

 俺は何度でも断言する。


 なんだかよく分からないが。

 中学三年の時のオープンハイスクールから化学同好会は、俺に目をつけている。隙あらば入会させようとしてくるが、正直、この同好会。頭がオカシイ。


 週一回何か化合物を燃やしているし、この前はテルミット反応で大理石の机をへこませたとも聞く。


「先輩準備OKっす」

 蒲生が焼けた錐を持って笑顔を振りまく。やばい。あの錐が拷問器具にさえ見えてきた。


「手を出せ、織田」

 タッパーを持って島津先輩が朗らかに言った。


 俺は本当に。本当に心の底から逃げたかった。

 にこにこ笑いながら焼けた錐を持って近づく蒲生が怖い。背中を向けて逃げ出そうものなら、あれで刺されそうだ。


 仕方なく俺は右手を差し出す。


「はい」

 そこに、島津先輩が、ごっそりニトロセルロースを載せた。


「嘘だろ! おいっ!!!」

 俺が怒鳴るより先に、蒲生が錐でその大量のニトロセルロースを突く。


 同時に。

 俺の右手は大きな炎に包まれた。「すげー」「大炎上」。島津先輩と蒲生の声をかき消さんばかりに俺は大声を張る。


「熱っっっぅ」

 思わず右手を振り払うが、炎は一瞬にして消え失せた。安堵して右手を見る。流石というか、煤すらない。だが。


 怖ぇぇぇ。数秒だけど熱さは感じたぞ、おい! 何が、『ぬるい』だ。


「こら―――――――!! テルミットの次は何をしとるかっ!」

 実験室入り口から怒声が響いた。飛び込んできたのは、科長だ。


「無事です☆」

「問題ないです♡」

 蒲生と島津先輩は、満面の笑顔で答えた。


 俺の気持ちなど聞かずに……。


                ◇◇◇◇


 その後も奴らは俺を化学同好会に入会させようとしているが、断固として拒否している。


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