しりとり
柊 撫子
始まり
理解されないと思うが、私は趣味のない奴だ。
誰かに言われた訳でもないが、最近になってようやく気づいてきた。
たまに「自分が楽しいと思える事を見つけると楽しいよ」と言われるが、そもそも”楽しい事を見つける事”に何の楽しみも感じられないのだ。
第一、何かを行う事に楽しみが必要なのか?
感情などに関係なくやらなくてはならない物事だってあり、大人になればなる程そういう場面に直面するだろう。
生まれながらに苦手としている事がある人もいるが、その逆に何事も難なく出来る人がいるのも事実だ。
誰にでも得手不得手があり、その得手不得手によって趣味が見つけられるのかも知れない。
如何せん、私は見つけられていないのだから、それをはっきりと断定は出来ないのだ。
だからと言って、『趣味を持たなくても良い』と言うつもりもない。
いつの時代でも”人間は娯楽を求める生き物”なのだ、という話を聞いたことがあるだろうか。
科学的に証明されている訳でもないが、私はあながち間違いでは無いと思う。
云百年も前から娯楽に関しては凄まじい進化を遂げた。
大層な進化を遂げたものは、いつの時代でも人々にとってとても必要な事なのだ。
誰かが最初に”これは面白い”と評価し、それから色々な人々に認められた娯楽は徐々に人々の生活に浸透した。
大衆向けの娯楽としては演劇や手品は勿論の事、賭け事や文学も著しく発達しただろう。
上手く表現出来なくて恐縮だが、そんな娯楽の数々は素晴らしいものだと思っているのだ。
だが、どんなに素晴らしく思っていても私は”楽しい”と実感出来た事がないのだ。
だから私にはこの世の数え切れない程ある娯楽の中から「これが私の趣味だ」と言えるものが一つもない。
いつだったか、両親に連れられて映画を観に行った時だって、人がこれでもかと言う程詰められた箱の中でよく分からない映像を長々と観せられた、という感想しかない。
いつも相手にとってつまらないと思われる感想しか抱けないからか、最近では誰も私を娯楽に誘うことをしなくなった。
楽しいからと誘われても、私自身が面白そうに娯楽を楽しめないのだから、こうなってしまうのも仕方が無いのだ。
だが、私は一つ”楽しい”と思える事を見つける事が出来た。
たった今この楽しみを見つけられたのだが、人によってはあまりに幼稚で笑ってしまうかも知れない。
いったい何時まで趣味を楽しんでいるのか、そう言われるだろう。
鬱陶しい。そう言う人もいるかも知れないが、もう少しだけ私がようやく見つけられた「趣味」に付き合ってくれないだろうか。
微かにまだ息こそしているものの、地中に埋まる屍と大差ない私がようやく見つけた楽しみなのだ。
誰かにこの楽しみを伝えたくて仕方がない、しかし身体は微塵も動く気配はないのだ。
だからこうして誰かに語りかけるようにしていたのだが、それももう出来なくなるらしい。
いやはや、もう少し早く気づきかった。
例えば、色んな話題を振ってくれた同級生が離れる前、今も尚恋焦がれるあの人に愛想を尽かれる前、など。
どれも私が面白みの無い人間だと思われた末の出来事だ。
だが、あの時私が唯一の趣味に気づいていたら少しは違う人生を送っていたに違いない。
今さっき趣味を見つけた事は無意味だと思わない、惜しいとは思うが悔やんではいないからだ。
誰かと一緒にこの趣味を共有出来なかった事が実に惜しい。
いつか、私がもう一度人として生を受けた時、この素晴らしい趣味と出会える事を願う。
生まれ変われた私へ、私の趣味は……
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