第302話 溜飲

 激しい音と共に、大量の枝葉で出来た鋭い槍が、編み込まれた床を突き抜けて姿を現す。


 それらの槍を上手く躱すオルタ達の姿を横目で確認したミノーラは、視線を上げることなく走り出す。


 狙いはミノーラ。


 目で見て確認するまでも無く、彼女は確信していた。


 それと同時に、なぜ狙われているのかも、ミノーラはなんとなく理解していた。


「まずは、皆をこの場所から逃がすのが先ですね」


 右に左に、降り注いでくる槍の攻撃を躱しながら呟いたミノーラは、床を蹴るたびに、四肢の裏に意識を集中させる。


 自身の欠片を、足跡に残してゆくような感覚。


 ミノーラが抱いたその感覚は、あながち間違いではなかった。


 縦横無尽に走り回る彼女の軌跡を描くように、小さくて黒い靄が、いくつも残り続けたのだ。


 それらの靄は、ゆっくりと枝葉に浸透を始めると、次第に面積を広げ始め、大きな染みのように変化を遂げる。


「そろそろですね!」


 背後で起きているそれらの現象を、鼻で感じ取ったミノーラは、短く声を上げると、とあるものに向けて一直線に加速した。


 途中、彼女の侵攻を妨げようと、鋭い槍が右前方と左上方から迫り来るが、今の彼女にとって、大きな障害とはなり得ない。


 槍が襲い来る瞬間のみ、影の世界へと入り込むことで、それらの攻撃を躱して見せた彼女は、未だに静観しているサーナの真横を駆け抜けた。


 そうして、黒い靄に包まれているハリス会長を飛び越えながら、彼の身体に尻尾を巻き付ける。


 しっかりとハリスの身体を捕まえたことを確認し、勢いよく尻尾を振ったことで、靄の中に閉じ込められていた彼は勢いよく飛び出して来た。


 その瞬間、ジワジワと広がりを見せていたミノーラの脚後から大量の狼たちが姿を現したのだ。


「なんだ……!?」


「ミノーラ! これって……!?」


「なにをする気な……!?」


 驚きと焦燥を滲ませたオルタ達の声が、即座に消えてゆく。


 と言うのも、突如として現れた狼たちが、彼らに群がるように飛び掛かったのだ。


 その様子を見ていたバートン達も、例外なく、次々と姿を消してゆく。


 その間も槍からの攻撃を逃げ続けていたミノーラは、改めて周囲のニオイを確認した。


「よし! これで、全員ですね」


 ミスルトゥの下部から、上部まで。


 影響のありそうな範囲にいる全員のニオイが、遠く離れた森の中に移動している。


 ただ一人を除いて。


「全員避難させちゃったのかい? それは何故かな? 今の君なら、これから何が起きるのか……」


「分かってますよ。だから、避難してもらったんです。全部止めるために」


 ―――右脚に、数匹の狼が戻って来た。


 サーナの言葉を遮るようにして告げたミノーラは、先ほど皆を遠くに運んでくれた狼が、数匹戻って来たことを感じた。


 対するサーナはと言うと、ミノーラに言葉を遮られたことに少し驚きを見せながらも、嬉しそうに笑みを溢している。


「それで? さっきも聞いたんだけど、神様になった気分はどうかな?」


「そうですね、本当に神様になれたのか、実感は無いですが、力をくれた事には感謝してます」


 走りながらそう返事したミノーラは、一旦立ち止まると、一斉に降り注いでくる槍を見あげた。


 全ての槍が、確実にミノーラを貫いてしまおうと、ものすごい勢いで突き進んでくる。


 一見、意志があるように見える動きだが、ミノーラはその動きの中に意志を見出すことは出来なかった。


 これだけ躱されているにもかかわらず、攻め方の工夫や疲れ、躊躇いや思考のブレが診られない。


 あくまでも、決められた法則に従っているかのような動き。


 例に漏れることなく、頭上からミノーラを串刺しにしようと降り注いできた槍を、ミノーラはため息と共に迎えた。


 ピンと立てていた尻尾をゆっくりと降ろし、床に接触させる。


 それと同時に、降り注いできていた槍が見る見るうちに切り刻まれていった。


 尻尾の力で樹木を操作し、降り注いでくる槍を切り刻んだ。


 言葉にすればそれほど難しい事では無いのだが、少し前のミノーラには出来なかった芸当と言えるだろう。


 短時間での成長と呼べる光景に、サーナが興奮を示さないわけが無い。


「おぉぉ! 流石はミノーラだね! ところで、君はどんな神様になりたいのかな? きっと、君なら大抵のことは……」


「もう決めています。私は、世界中の全ての人を……生き物を助けることが出来るような、そんな神様になります」


 ―――四肢から、大量の狼たちが戻って来た。


 再び言葉を遮られたサーナは、どこか興味深い物でも見るような視線をミノーラに投げかけた。


「全ての生き物かい? と言うことは、路地裏で苦しんでいる子供や、そう言った子供たちを攫って生活している男。どっちも助けるっていう事かな?」


「そうですね……そうなります」


 再び降り注いでくる槍を、同じように切り刻みながら、ミノーラは数メートル先に立っているサーナに返事をした。


 その返事に驚いたのか、サーナは深く頷きながら呟く。


「それは意外だね。だとしたら、まずはこのミスルトゥを止めなくちゃいけないね。私の予測だと、あと数時間もしないうちに暴走が始まって、この大陸の半分近くが壊滅しちゃうと思うんだけど。止めるためには、君が取り込まれるしか方法は無いんだよねぇ」


「分かってますよ。それに、もう一つ方法があることを、私は知ってます。だからこそ、あなたをここに残したんですよ?」


 言いながら、ミノーラは少し前に聞いた首輪の音を思い出す。


 ―――四肢と尻尾から、全ての狼が彼女の元に戻って来た。


 ミノーラの言葉を聞いたサーナはゆっくりと目を閉じると、厳かに告げる。


「全ての生き物を助けるんじゃなかったのかな? 私も一つの生き物なんだけど……」


「もしかして、心配が必要でしたか? てっきり、サーナさんに関しては、そんなものは不要だと思ってました」


 彼女の返しを聞いたサーナは、厳かな表情を一変させて笑みを溢すと、大声で叫んだ。


「バレてた!? なら、私も精一杯抵抗……もとい、邪魔をしなくちゃね!」


 言うが早いか、一瞬にして姿を消すサーナ。


 そんなサーナの後を追って、影の世界へと潜り込んだミノーラは、彼女のニオイを追いかけながら、少しずつ影を纏ってゆく。


 四肢に、胴体に、尻尾に、頭部に。


 放っていた影の狼たちを構成していたモヤモヤを、全身に継ぎ足してゆく。


 そうして、次第に大きさを増していったミノーラは、ついに、クリスと合体する前のアイオーンと同じくらいにまで、巨大化を果たした。


 そんな図体のまま、影の世界のミスルトゥ内部を、ズンズンと駆け下りて行く。


 今にも、サーナが地面に到達するかという場所で彼女を見つけたミノーラは、太い枝を足場にし、勢いよく飛び掛かった。


 一直線にサーナの直近に辿り着いた彼女は、躊躇することなく巨大な口を開く。


 そうして、何かを告げようとするサーナを無視し、一息のまま、彼女を飲み込んでしまったのだった。

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