第301話 覚醒

 喉を通過した薬が腹へと染み入り、全身へと広がって行く。


 途端、ミノーラは体中に猛烈な痛みと熱を感じた。


 これ以上、その薬を吸収してしまうと、症状が悪化してしまうのは明白だ。


 しかし、彼女の身体が薬の吸収を止めることは無かった。


 生理現象として言えば、それは正常だと言えるだろう。


 腹から吸収された薬は、血液となって彼女の身体を巡り、熱や痛みを行き渡らせる。


 ついに立っていることも出来なくなったミノーラは、力なく倒れ込んでしまう。


 ゴツゴツとした床から発せられる光を、朦朧とする意識の中で見つめていたミノーラは、全身の間隔が研ぎ澄まされてい行くことに気が付いた。


 不思議な感覚だ。


 体中を構成しているありとあらゆるものが、少しずつ変化している気がする。


 その様を説明する言葉を、ミノーラは知り得ていない。


 何かが広がった? もしくは、狭くなった?


 何かが大きくなった? もしくは、小さくなった?


 何かが動き出した? もしくは、動きを止めた?


 何かが強くなった? もしくは、弱くなった?


 相反する感覚が体中を埋め尽くし、その変化が徐々に完了に向かっていることを指し示しているようだ。


『死ぬのかな……』


 つい先ほど、カリオスのお陰で蘇ることが出来たばかりなのに。


 呆気なさすぎる終わり方に虚しさや悔しさを抱くミノーラ。


 目の前でゆっくりと明滅を繰り返す光を眺めた彼女は、意識がジワジワと落ち込んでいく感覚に襲われた。


 それは文字通り、下へ向けて加速度的に。


 まるで、彼女が横たわっていた場所だけ、床が抜けてしまったかのように感じたミノーラだったが、それを確かめる術は無い。


 頭からミスルトゥの内部を落下してゆく光景を、呆然と眺めていた時。


 不意に、彼女の鼻腔をとてつもなく大きなニオイが満たした。


 嗅いだことの無いニオイ。


 否、嗅いでいた筈なのに、気付かなかったニオイ。


 そのニオイは、全ての生き物のニオイに共通しており、同時に、定まった形式の無いニオイだった。


『あれは……なに?』


 ニオイの源に気が付いたミノーラは、遥か眼前に存在している巨大なモノへと目を向ける。


 ミスルトゥの中央。


 その広大な大地に空いた穴の底に、大きなニオイの塊が蠢いている。


 よくよく観察してみると、そのニオイの欠片が周囲に溢れているではないか。


 どういう事なのか、少し頭を巡らせたミノーラは、ふと思い至った。


 ニオイの欠片は、ミスルトゥの根によって吸い上げられているのではないか。


 そう考えれば、ミスルトゥを構成する木々の幹や根の中に、大量の同じニオイが流れていることを説明できるのではないだろうか。


 だとするならば、ミスルトゥがこれほどまでに大きくなっているのは、このニオイの塊が原因なのではないか。


 そこまで考え付いたミノーラは、先ほどサーナが言い放った言葉を思い出す。


『命は、エネルギーの一つ……それ以上でも、それ以下でもない』


「…………!!」


 どこか遠い場所で、誰かが叫んだ気がした。


 それがきっかけだったのか、ずっと落下を続けていたミノーラの身体が、ゆっくりと減速し始める。


 あと少しで穴の中に入り込んでしまうと言う所で、完全に落下が停止したかと思うと、今度は急速に上昇を始める。


 よく見れば、穴の中から大量の根がミノーラのことを追いかけるように伸びてきているが、到底追い付かれるような速度ではない。


 そうして、張り巡らされた枝葉をすり抜けながら、元の場所まで戻って来たミノーラは、横たわっている自身の身体を見つけ、躊躇することなく飛び込んだ。


 気が付けば、ずっと呼吸をしていなかったようで、時折せき込みながらも激しく息を吸う。


「ミノーラ!!」


「ミノーラ! 大丈夫か! ちっ! 邪魔すんじゃねぇ!」


「もうちょっと待っとけ! ミノーラ! 俺がすぐに助けに行くけん!」


 バートン達と戦闘を繰り広げているらしいオルタ達が、口々に叫んでいる。


「成功だね!」


 すぐ傍で立ち尽くしているサーナが、小さく呟く。


 目で見ることなく、それらの情況を即座に理解できたことに、ミノーラは困惑しながら、彼女はゆっくりと体を起こした。


 何かがおかしい。


 いつも通り立ち上がったはずのミノーラは、周囲の様子を見渡して、多くの異変に気が付いた。


 見えるものが違う。


 タシェルやオルタやクリスやアイオーンを見ることが出来る。


 それ以外にも、サーナやバートン達のことも、見ることが出来る。


 そこまでであれば、今までと同じだったのだが、今の彼女には、それ以上のものが見えていた。


 いうなれば、皆を構成している物を一つ一つ、確認することが出来るのだ。


 聞えるものが違う。


 当然ながら、タシェル達の声は聞こえる。


 同じように、サーナやバートン達の声も聞こえる。


 それ以上に、皆の心音や呼吸音、もっと言えば、ミスルトゥに流れている生命の躍動まで、まるで耳元で鳴り響いているかのように聞き分けることが出来るのだ。


 嗅げるものが違う。


 これも同様に、皆の命のニオイが分かるだけでなく、より広い範囲のニオイを嗅ぎ分けることが出来る。


 例えば、ボルン・テールにいる皆のニオイも、すぐ近くにいるように感じられた。


 それほどまでに分かることが増えたミノーラだからこそ、遥か下から大量の枝葉が伸びていることに気が付くことが出来た。


 その事に気づいていながら、ミノーラはすぐ隣に立って嬉しそうに顔を覗き込んでいるサーナを見つめ返す。


「神様になった気分はどうかな?」


 相変わらず嬉しそうに告げるサーナの姿を見て、ミノーラは鼻先を一舐めした。


 同時に、彼女の首輪が、小さな音を立てる。


 それが合図になったかのように、強烈な震動が、その場の全員を襲ったのだった。

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