第281話 涙滴(追憶)

 コロニーの落下に巻き込まれたパトラは、体中に負った傷と疲労で、すぐに気を失った。


 それは、ミノーラとカリオスがミスルトゥを出立する直前の話。


 次に彼女が目を醒ました時には、ボルン・テールから来た大勢の人間が、トアリンク族に混ざって復旧作業を行っていたのである。


 両翼に感じる痛みと激しい頭痛に悶えながら、ただひたすら空を見て横たわる日々。


 このような状態の彼女が復旧作業に加わることは、到底できない。


 慌ただしく動き回る大勢の人々とは対照的に、崩れ去ったコロニーの残骸や負傷者が減る様子は見当たらなかった。


 あれからどれだけの日数が経ったのだろう。


 そんなことを考えながら、周囲の様子を眺めて居るしかないその時間は、彼女にとって、最も大きな苦痛だったと言える。


 だからこそ、彼女は一つの異変に気が付いたのかもしれない。


 全身に広がっていた痛みや気怠さが、日に日に薄まってゆくのだ。


『気のせいよね。きっと、痛みに体が慣れ始めてるだけよ』


 ごまかすようにそう考えていた彼女は、しかし、唐突に現実を突きつけられたのだった。


 自由の利かなかったはずの両翼が、微かにではあるが動かせるようになっていたのである。


 止むことの無い頭痛も、嘘のように引き払ってしまっている。


「どうなってるの……?」


 上半身を起こし、自身の両翼を眺めながら驚きを口にするパトラの周囲で、同じような声が広がり始めて居た。


 寝たきりになっていた者が目を醒まし、手足を失っていた者は、傷口に何らかの疼きを感じ始める。


 そうして、多くの者の間に驚きと歓喜が広がり始めた時、“それ”が降り注いできた。


 涙滴型の赤いそれらは、空高くから落ちて来ると、ドスッと言う鈍い音を立てて、地面に埋没してゆく。


 初めは数粒、数時間の間隔を開けて落ちて来ていたそれらは、気が付けば数秒間で数十もの粒が、降り注ぐようになっていった。


 物によっては人間と同じほどの大きさにまで成長しているそれらは、恐らくミスルトゥに実った果実。


 それを知って、復旧に来ている人々が黙って見ている訳がない。


 何しろ、大勢の人々が汗水流して働いているのだ。


 全員分の食料が潤沢にあるとは、とても言えなかった状況で、食べることの出来る果実が、空から降って来る。


 それを、神の情けだと思う者がいて、何がおかしいだろう。


 中には、得体の知れないものだと言って、口にしない者もいたが、過半数の者がそれらの実を食していたように思う。


 かく言うパトラはと言うと、その実を食べる気になれない側だった。


 元々食欲が湧かなかったこともあり、彼女はその果実を食していない。


 そして、初めてその実が降り注いできた日から数日が経ったある日、大きな変化が彼女達を襲った。


 眠りについていたパトラ達は、微かな震動に目を醒まし、異様な光景を目の当たりにする。


 地面に埋まっていた大量の果実が、一斉に芽を出し始め、瞬く間に、巨大な樹木へと成長を始めたのだ。


 それと同時に、大量の呻き声が響き渡る。


 恐らく身を食べたと思われる人々が、異様な姿に変貌を遂げ、近くにいた人々を襲い始めた。


 自我を失ってしまっている怪物から逃げまどう人々の悲鳴が、出来上がったばかりの森の中に響き渡る。


 怪我を負っている者は逃げることもできずに命を奪われ、逃げ惑う者も空を飛ぶ怪物によってどこかに連れ去られてしまう。


 それは、パトラも例外では無かった。


 すぐそこまで迫りくる怪物から逃げ出そうにも、思うように動けないパトラは、逃げ出すこともできずにいた。


 助けてくれる人は、誰もいない。


 彼女が半ば諦めを抱いた時、彼らが現れたのである。


 怪物が巨大な爪を振り上げ、彼女目掛けて振り下ろそうとした時、その動きを阻害するように、無数の蔦が怪物の身体を羽交い絞めにした。


 かと思えば、根っこでできた巨大な脚が、怪物を彼方へと蹴り飛ばす。


「よっしゃぁ!」


 頭上から聞こえてきた声を見上げたパトラが、思わず絶句したのは言うまでも無いだろう。


 対する木の巨人も、パトラを見下ろすと、しばらくの間黙り込む。


 しかし、沈黙は長くは続かなかった。


 次々に現れる怪物に気が付いたその巨人は、まるでパトラを守るように一歩を踏み出すと、襲い掛かって来る怪物を蹴散らし始める。


 そして、その巨人は声を張り上げた。


「生きてる奴は俺の後ろに逃げろぉ! 逃げきれそうになければ俺を呼べ! 俺はダンガンってんだ! 助けに行ってやるからよぉ! おい! おめぇらも動けるんなら手を貸せ!」


 逃げ惑っている人々やトアリンク族に向けて叫んだ巨人は、次に、同じような格好をした巨人に向けて声を掛け始めた。


 ダンガンの呼びかけに答えるように、一人、また一人と巨人たちが怪物を蹴散らし始める。


 その隙に、数人の人々がパトラの周りに集まり始めた。


 その時になって初めて、彼女は自身の周辺だけ、光り輝く木々の芽吹きに巻き込まれていないことに気が付く。


 考えるまでも無い。


 食料にするために近場の果実を集めていたため、芽吹く種が無かったのだろう。


 自然と森の中の広場のようになっているパトラの周囲を、ダンガンが避難場所と定めたのは必然と言える。


 そんなことを考えたパトラは、周囲で怯えている人々を宥めながら、これからの事を考え始めて居た。


 あまりに色々なことが起こりすぎている。


 まずは状況を整理する必要があるだろう。


 頭の中をそのような言葉が駆け巡る。


 妙に冷静な頭の状態に疑問を抱いたパトラは、しかし、今のこの状況を考えれば、悪い事では無いと、自分に言い聞かせたのだった。

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